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随分とご無沙汰しています。まだ私のブログを読んでくださる方はいるのだろうか?私の経験が、誰か1人でも多くの方の支えや情報になればいいなぁと思って書きます今回は、タイトルにも書いたように、抗がん剤後の体で自然妊娠しましたの報告です。今はそういうの読みたくないって方は、ここでやめてくださいね簡単に治療歴をお伝えすると、2016年に30歳独身で乳癌の告知を受け、トリプルポジティブ乳癌&温存手術だったので、手術→抗がん剤(EC&ドセ)、ハーセプチン→放射線→ホルモン療法(リュープリン
1985年7月生まれ。31歳のときに乳がん告知。父方の祖母叔母が乳がんの遺伝性両側乳がん患者です(BRCA2)右胸:ステージⅠルミナールB(HER2陰性)左胸:ステージ02016年11月21日両胸温存手術終了2017年1月18日~3月22日抗ガン剤TC療法4クール終了2017年4月24日~6月9日右胸放射線治療(トモセラピー)30回終了2017年6月12日~7月24日左胸放射線治療30回終了2017年7月26日~ホルモン治療(タモキシフェン服薬)開始10年予定
こんにちは。あっという間に2021年も上半期が終わったのですね。大人になって年月が過ぎるのが本当に早い。2016年4月に癌がわかって早5年。今日は半年に1度の診察&検査でした。待ってる間に書いて投稿しようと思っていたら、思いの外早く呼ばれて途中まで書いていましたが、投稿できずに帰宅。続きを書いての投稿です。タイトルにも書きましたが、そして、ご報告が遅くなりましたが、無事に4月に赤ちゃん産まれました予定日より9日早く、緊急帝王切開で2476gと小さめでしたが、保育器
勤務時代、終末期医療をテーマに記事を作っていました。このお国で最初にターミナルケア(淀川キリスト教病院)を立ち上げられた、柏木先生に取材の為お伺いした事も。そんな時間の中、若年性乳癌の患者さんから頂戴した一枚が、これ。完治を願い、不安を抱えながらも治療に立ち向かう姿、立派です。スタッフに見せると、“陸が無かったら如何するんでしょうね”って、アイロニックな返事。情熱とまでは言いませんが、心に熱いものを持って無い人と、一緒に仕事は出来無いです。--------------
ご無沙汰していますおかげさまで元気に暮らしています。今日は妊娠に関することなので、今その話はちょっと…というかたはここまででお願いします。前回の記事で書いたように、ホルモン剤の力を借りて3回の生理を起こし、8月に入ってすぐの頃に、凍結していた受精卵をお腹に戻しましたこれが移植した卵ちゃん凍結した4年前、不妊治療の主治医からは、抗がん剤治療後の妊娠を甘くみてはいけない、10個移植して2〜3人授かれればラッキーってとこですね、と、冷たく悲しい現実をつきつけられたことを
昨日の夕方の雷⚡あれで梅雨明けかな?子供の頃、明治産まれの祖母によく聞かされた話は梅雨明けの時には雷様がゴロゴロして雨が降るそれがお空からの梅雨明けのお知らせよ優しい笑顔で話てくれました私も孫達がもっと大きくなったらいろいろおしゃべりしてみよう友達がご主人と遊びにきてくれましたお土産に頂きました冷たくて冷やして頂きますちょっとお知らせと言うか‥‥毎日、平凡な日常にいいねやコメントを頂いてありがとうございます実は娘が若年性乳癌になって来週、手術をしますそれで
雨がなかなかやみませんね。みなさんの地域は大丈夫でしょうか。こちら、わたしの住む近辺は大きな被害はないですが、長く付き合った元彼が住んでいた町、人吉。見慣れた町が通いなれた場所が変わり果てた映像をテレビで見るたび心がぎゅーって苦しくなります。早く雨がやんで、私も少しは復旧のお手伝いができたらいいのだけど。そんなひさしぶりに雨がやんだ今日は、半年ぶりの乳腺外科受診の日でした。闘病が始まった4年前から相変わらず待合室はたくさんの人。人。人。コロナも心配な中だけどみな
松さや香著乳ガン闘病記のようなものは、読みたくなかったけれど、術後のモヤモヤを解消したくて思い切りポップな表紙の本を借りてみた。これが、大正解!著者は若年性乳癌のキャリア。進み具合も結構だったらしく抗がん剤も使用・・・と、その辺のことは彼女の1冊目の本に詳しいらしい。この本は、その後の彼女の生活や活動、そこで知り合った女性達のスタイルについて書かれている。若いから、彼女達の人生はまだまだ先があるのですよね。それも見据えての生活の組み立て方、パートナーとの関係。いろいろあるけれ
とりあえず今日は真面目に乳癌検診について書きまーす。入口のスタッフが前と同様に目的聞いて場所分かるか聞かれたから、分かりまーすって得意気に言っていつものトコ行って受付しようとしたら、場所変わって1階になったからそっち行ってーって。紙にもちゃんと1階って書いてあるけど、毎回そこだから知ったかしちゃったわ。ちゃんと紙、確認しなきゃいかんのう。今は待合室に3人までしか居ちゃいけないらしくて、私と旦那以外は居ませんでしたー。10分くらいで呼ばれて先生から調子どう?的な質問。結果、エコーは問題
緊急事態宣言解除前に進んでるのか進んでないのかわからなかった自粛の日々…親子で大喜びまだまだ油断は禁物とは重々承知。第二波が来ることも確実。だけどこの日はとても嬉しい日。更なるステップへ。早速、耳鼻科へ👂1番気の合うママ友も耳鼻科に行くとのこと久しぶりにちょこっと会ってお話ができました涙出そう産後でもありホルモンバランスズタボロ人に会って面と向かって笑い合う事の嬉しさよ。数時間のテレビ電話<直接会う5分ですな娘大ハッスル親子で大ハッスルメンタルに栄養が行き届いた瞬
糖質制限をして10キロ痩せた友達からマンゴー🥭が届きましたまさか…自分の事がネタにされてるとは思わないだろうネタにしてごめんね🙏笑ナッツなんかでお腹いっぱいになるわけないだろうと言ってごめんねマンゴーありがとうどうしてマンゴーを送ってきてくれたのかなと思ったら出産祝ってやつだな気を遣ってくれてるネタにしてごめんね生まれたばかりの次女が食べられるようになってからまた送ってくれるってありがとう楽しみにしてるほんとネタにしてごめんね不在通知見てビクッとする私タイムリーすぎど
若年性乳癌と妊活は、よくテーマになる事項かと思います。体験したことが、誰かの進む道の選択の参考になれば…と思って、できるときにわかる範囲で伝えていけたら、と思っています。ブログも、もっと情報検索しやすくタイトルとか工夫したいな〜と思っています。需要があるかはわかりませんが(笑)今、産婦人科、不妊治療外来の待合室です。相変わらず、たくさんの患者さん。みなさん、きっと様々な事情で頑張っておられるのだなーと力がわいてきます。ここは、あのとき預けておいた、13人の子どもたち(凍結受精卵)
このコロナ、自粛、自粛、自粛のさなかですか、冷やし中華はじめました…ではなく、妊活はじめました前回のコメントまだお返事もできてなかったのですが、あれから夫婦で話し合いいや、わたしの気持ちがやっぱり子どもが早くほしいという思いから離れられずもう、戻れないし、進んで行こう!ということになり卵たちが待つあの苦手な女医さんがいる病院に思いきって妊活はじめたい話をしに行って来ました。かなーり気合いをいれてのぞみましたが、なんと苦手な女医さんは不在でやわらかい別の女医さん
結婚式から早1ヶ月妊活のこととか、たくさん書きたいことはあるんだけど、なかなか時間がなく…そしてここ2ヶ月ぐらい、健側の左胸が定期的に痛む。疲れると首の後ろから後頭部にかけて鈍痛がする。など、なんだか気になる症状があったりで、いやーな、胸騒ぎがしています。妊活のためにホルモン治療を2年半で中断して約7ヶ月が経ち…まだ生理は復活しないものの、エコーで卵胞が確認でき、卵巣機能が戻りつつあることが分かったもののそれは要するに癌のエサとなるホルモンが分泌されている状態だとい
若年性乳癌を宣告されて今日で3年経ちました。3年前の今日は雪がヒラヒラ降っていて、涙が止まらなくて泣きながら帰ったのを思い出します。癌って死ぬ病気だと思っていたから、怖くて怖くてたまらなかったのです。癌の方のブログを見ていても、その後元気にしている人のブログがなかなか見つけられなくて、とても怖かったです。でも、最近になって、病気が治ったら、みんなブログに書くことがなくなるから更新してないだけなんだ!と言うことに気づきました♡私はトリプルネガティブのステージ1でしたので治療は
子どもが小さいときはぐずられるとイライラしてたけど子ども自身の世界が広がって手が離れてくるとあと何年一緒に行動してくれるのか成長を側で喜べるのは何年なのか思うと寂しい大好きなヨシタケシンスケさんの本の1ページ思わず考えちゃう/ヨシタケシンスケ【1000円以上送料無料】1,100円楽天ヨシタケシンスケさんが書いてた育児のコラムがほっこりできて好きでした悪夢のような保育園時代までと違い小学生になって徐々に手が離れ気づけばもうすぐ6年生息
今年でアラサーになる独身の女です🙋♀️もしかしたらこれから闘病生活が始まるかもしれない予感がするので記録を残したくブログを書こうとただただ自分のメモblogめんどくさがりな私だから続くかわからないけれど。笑10代後半、18歳で入社した会社の健康診断で特別に乳がん検診のエコーを受けさせてもらい胸のシコリを発見再検査になり調べた結果、良性のもので癌ではなく病名は『乳腺線維腺腫』病院へは定期的に行っていて、ずーっと同じ病院ではなく転々とまわり検査を受けてました。生理で胸が張ったりする影
ハートネットTVのがんと共に生きるAYA世代の放送を見て、私の「今」に迷いが生まれる。ホルモン治療を中断して妊活を始めようとしている私の選択は言ってしまえばがん治療<妊よう性がんを甘く見てるのかな?がんになって、治療をがんばって、でも、治療を中断して、子どもを産みたいって思うこと産もうとしていることそれは悪いことなのかな。子どもを産みたいって思ってるけど治療を優先して子どもは諦めるしかない。治療を全うせずに子どもを産む選択はできない。そんな仲間たちの思いを
先日、以前参加したPinkRingで知り合った人たちと忘年会を開催した。この話は秋頃から出ていて、昼の部夜の部を作り実現に至った。大都市のど真ん中にそびえ立つ大きなビルのお洒落なお店、仕事終わりに向かうとそこには20人ぐらいだろうか、すでに終盤を迎えそうな雰囲気だった。集まっていた人たちは若年性乳癌経験者であり、現在治療中の人もいれば経過観察中の人もいる。名前と顔は全く一致しなかったが2度目の再会なのは確かだった。久々だったが変わりなく彼女たちは輝いていた。活き活きした笑顔、バイタリティー、
「遺伝性乳癌・卵巣癌症候群」という名前を聞かれたことはあるでしょうか。数年前にハリウッド女優のアンジェリーナジョリーさんが予防的に乳房や卵巣・卵管を切除した際に少し話題になったのですが、乳がんや卵巣癌が遺伝性に発生してしまう家系というのが存在し、それに対してアンジェリーナジョリーさんは、予防的に手術をして乳房も卵巣も切除した、ということがありました。そこで、今回はこの「遺伝性乳癌・卵巣癌症候群」について説明していきたいと思います。まず最初に、遺伝性乳癌・卵巣癌症候群を疑うサイン
一番心配だった副作用。しかし余計な心配だった。私の場合、全く副作用がなかった。敢えていえば照射部分の皮膚が黒ずむぐらいで、そんなに気にはならなかった。吐き気や船酔いのような気持ち悪さもなく、仕事がない日は片道約1時間かけて徒歩で都心部まで友達と出かけた。友達もいつも以上に元気な私にびっくりしていた。それには訳があった。放射線治療をするととてつもない安心感があり、いつの間にか私にとって治療が安堵のものとなっていた。また抗がん剤とは違い、痛みも全くないため、放射線治療はお喋りをしにいっている感覚だ
組織診の検査結果●右乳腺生検●右乳腺の石灰化部分より生検2片組織学的に、乳腺組織が採取されています。乳管には、軽度の拡張が一部で見られ、小石灰化も見られますが、上皮細胞の増殖は目立たず、異形も乏しいです。アポクリン生化も一部で見られます。筋上皮細胞との二相性も認めます。間質にも細胞数の増加など異常を認めません。悪性所見はありません。でした✨とりあえず一安心診察室に入る度、告知の時の緊張が蘇ります。ずっと慣れないものだなぁ、、と29歳で若年性乳がんに罹患し、その4年後に母も乳がん
最後の抗がん剤打って1ヶ月後ぐらいだったかな?ドセタキセルの副作用でほっぺたの色素沈着がひどく、真っ赤な顔&ウィッグで、足腰の筋力落ちてゼーハーしながら、遠路はるばる東京まで行って参加したピンクリングサミット。同世代の同病の仲間とつながりたくて、若年性乳癌のことをインターネットで探しまくって見つけたピンクリングのイベント。こんなにたくさんの人たちが同じ病気で同じような悩みを持ちながら暮らしているんだって知って自分だけじゃないんだなって孤独から解放された日でした。家
組織診の日。部屋に通され麻酔をプスリ。そこあと検査に取り掛かったのですが、なんか、、痛い、、??「痛い、、!痛いですー!麻酔あんまり効いてない気が!」と静かに騒ぐと💦「え!??本当に??この辺?ちょっと麻酔追加するから!」と言って担当医、3本位麻酔を追加していました💦しかし、麻酔しても何だか違和感だか鈍痛のような物は治らず💦とりあえず早く検査を終わらせたい一心で我慢しました前の時(5年前)はこんなに痛かったっけー??💦若いDrだったから手際悪くてそっちのが気になってたよなー💦
生理終了後あたりの約2週間後にマンモの撮影となりました2週間後、かなり久しぶりのマンモ。術後5年。主治医の方から、エコーでOKと言われていたためマンモはなんと術後初(29歳で罹患したので、35歳以上になるまでは私の主治医はマンモはあまり実施しないスタンスのようです。これが私は、マンモでなければ気付かない初見の場合見逃されないか若干不信感だったのですが後々別のDrにエコーの性能を聞いた際かなり性能が良いエコーのようで、その辺の心配はあまりなさそうな感じ?でした。)こんなに挟むっけ??ってく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190822-00000060-asahi-soci同じ時期に闘病を始めた仲間たちの中にも再発したり残念ながら亡くなってしまったりほんとに悔しくて悲しい現実がたくさんです。私は治療を中断する決断をしてつまり標準治療というものを全うしないという道を選んだ身ですがたとえ治療を全うしても再発してしまう人が本当にたくさんいます。治療によって副作用で苦しむ人もたくさん。治療の選択肢が増えること効果の高い
のんです。先日、ご縁があって、笑顔いっぱい素敵女子のお話を聞くそんなチャンスを頂きました。彼女、10年前に若年性乳癌の診断を受けて、大きな衝撃を受けたそうです。そりゃ、そうですよね・・・。20代ラスト??30歳になったばかりかな??「世界から音が消えた」「別世界に来てしまった」「その孤独感が怖かった」そう、おっしゃったのです。私、お話を聞きながら、涙が溢れました・・・。だって、同じだもの。夫の不倫が発覚して、大きな衝撃を受けた私と同じ・・・。音が消え
お久しぶりです!って、ほとんど投稿しなくなっちゃって、まだ読んでくれている人いるのかな?いたら嬉しいですが(*´▽`*)担任復帰して駆け抜けた1学期。ようやく夏休みに入り、ちょっとゆっくりできてます。やっぱり体力は落ちまくってて、4月から4ヶ月間、すごーく無理してました。無理してるよ〜って、体が教えてくれてるのに気付いてはいましたが、目の前の仕事をやっつけてもやっつけても追い付かず、24時間じゃ足りなくて。でも、担任の仕事はやっぱりやりがいがあって、毎日子どもたちの
8月6日採卵オペをしてきました!そもそも私がなぜ採卵オペをし、卵子凍結をする経緯に至ったのかと言いますと、若年性乳癌です!抗がん剤を使用するとなると生理が止まってしまい妊娠が難しくなります。再開する方も見えますがそのまま止まってしまう方も見えます。妊孕性温存といいます。まだ抗がん剤を使用するかわからないけど、念のために卵子凍結を考えました!ホルモン療法となると、5年から10年です。今が34歳なので40歳手前になってからの妊娠の確率はやはり下がってしまうのでそこも考慮してです。
若年性乳癌、予後が何とかってよくネットにある!でも、そんなん見て落ち込んで、ストレス抱えるより、前向いて上向いてたい!健康な人だって、今日事故にあって死んでしまう人が沢山居るように、分かんないんだから!自分次第なんだ、きっと、、