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天海(142)こうして家康は、前田家を屈服させ、故利家の正室・芳春院を人質に取った。さらに細川忠興の長男・忠隆の妻が利長の姉であったため、三男・忠利を人質として江戸に送ったのである。浅野長政も武蔵国に蟄居した上で、三男・長重を人質に出した。家康は秀吉の遺言で伏見在城を命じられていたにもかかわらず、高台院を京都新城(太閤御所)に移し、自ら大坂城西ノ丸に入ったのである。家康はその後、忠興に豊後国杵築6万石を加増し、城代として松井康之を置いた。康之とは本能寺の変の際、
天海(141)「最も重要なことはこの謀が大阪方からもたらされたという事である。つまり、我らが暗殺計画を表沙汰にしても、大坂方は面と向かって反論できない。ただし、弾正様らは、これを認めないであろうから、疑惑だけでは死罪にはできない。そこで当面、関東へ流罪とする。上方から遠く離れれば大坂方も手が出せないであろう。その上で、加賀様には厳しく対処し、徳川に二度と逆らえぬように処断する。」と正信は説明した。「それで弾正様らは納得するであろうか。一時とはいえ、汚名を着せられるこ
「呑湖閣」がある大徳寺の塔頭は?前田利家夫人の松子(法号・芳春院)が大徳寺に寄進した塔頭は芳春院である。慶長13年に松子が玉室宗珀(ギョクシツソウハク)を開山に建立した前田家の菩提寺である。本尊は釈迦如来、園は元和3年に横井等怡(トウイ)と小堀遠州の合作と云われ、飽雲池(ホウウンチ)の打月橋(ダゲツキョウ)が客殿と昭堂の「呑湖閣」を結んでいる。打月橋には玉室宗珀の「打月」の額が掛かる。特異な形状の呑湖閣は金閣・銀閣・飛雲閣と並んで「京の四
こんばんは。世界でたったひとつの旅をプロデュース、女性の心に寄り添う旅、京都癒しの旅の下戸眞由美(おりとまゆみ)です。以前からお越しくださっているお客様から、ご友人と一緒にとグループ旅をご依頼いただきました。お題は「お茶」皆様、お茶を嗜まれているので、京都でお茶にまつわる旅をしたいとのことでした。さて、どうするのか〜時間をかけて、コーディネイトいたしました。通常非公開の大徳寺・芳春院さんに。事務局長の吉川様に特別にご案内いただきました。こちらは
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡お邪魔しなかった大徳寺塔頭をご紹介します。大仙院。ここも庭園が売りです。芳春院。盆栽庭園とは珍しいですね。龍源院。ここも庭園が売りです。三玄院。石田三成公ゆかりでお墓があるそうですが、非公開でした。高桐院。細川忠興公と妻ガラシャのお墓があります。ここも非公開でした。JR東海のCMに使われた場所です。どこも素晴らしい寺院でした。三玄院と高桐院はいつかお邪魔したいですね。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
鷹峯藤林町から今宮神社を経て大徳寺。11月12日では今宮神社の🍁がまだまだ。楼門前の銀杏並木といえば、毎回黄色の絨毯の上を歩いたものですが、今年は早かったから色付いてさえいなかったです😑。さて、菊蔵お勧めの大徳寺🍁といえば芳春院参道微妙・・・昔の芳春院の特別拝観は写真撮り放題でしたが、今は厳しいようですね。呑湖閣撮っといて良かった😙。正受院の参道🍁には必ず目を奪われます。いつも門から眺めるだけだけど😅。仏殿
大徳寺芳春院のあたりや瓦土塀など芳春院を背に見たところ芳春院前田家の菩提寺です。芳春院とは前田利家の正室マツの出家後の名前です。中には入れないので、見ることはできませんが、境内には芳春院尼や前田利長、前田利常の霊屋があるそうです。丸瓦はもちろん「加賀梅鉢」。瓦土塀の瓦の量が多い平瓦と丸瓦を交互に積んであります。こちらは総見院の瓦土塀。いろんな設があるのですね。顔のある木総見院の猪の目(いのめ)窓。魔除けだけどハートで可愛いですよね(^^)『大徳寺黄梅院』大徳寺黄梅院秋の特
…「京の四閣」の一つ金・銀・飛雲・呑湖閣に数えられる「呑湖閣」を有するのは?「芳春院」である。慶長13年、前田利家夫人・松子(芳春院)が、玉室宗柏(ギョクシツソウハク)を開山に迎え創建した加賀藩前田家の菩提寺。寛政8年の大火により創建時の建物の多くを失うが、2年後には再興した。呑湖閣(ドンコカク)も現在の建物は文化年間の再建とされるが、明治の廃仏毀釈で同寺が荒廃した折にも破却を免れ、「小堀遠州」らの作による楼閣山水庭園の飽雲池(ホウウンチ)
こんばんは~金沢の旅、続きです。「ひらみぱん」さんで娘たちの趣味に付き合った後は、尾山神社へ向かいました。途中、観光案内所でトイレを借りたら~萬斎さんがいた「いしかわ百万石文化祭2023」のスペシャルアンバサダーらしいですよとてもキレイな観光案内所で、広くて、椅子がいっぱいあって、娘たちはしばし冷房の中で涼んでいました。そして私はいつものように、ついパンフレットをしこたま貰う金沢だけでなく、石川県どころか、岐阜などの近隣の県ほとんどのリーフレットがたくさんあってちょっと感動的
洛北の大徳寺と盆栽の寺金澤成保洛北・紫野の大寺院、大徳寺とその塔頭をお参りした。大徳寺は、屋内や襖絵などはこの時期非公開で、伽藍と一部内部を拝観できた。また大徳寺は、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺を有しており、今回は公開していた塔頭のうち、盆栽庭園で知られる芳春院をご紹介したい。大徳寺の概要と建築大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、鎌倉時代末期、正和4年(1315)に宗峰妙超が開創した。応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興している。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み
17日、18日と、武蔵国は皐月半ばとは思えぬ猛暑に見舞われて、暑さに弱い〝火打石〟は常にも増して脱力状態…若い頃のように気合で怠さを乗り越えられない。無理の利かない更年期というお年頃故―これから老年になってもっと無理が利かなくなるのでしょうが―事は次第に任せて日を過ごす。こうしてブログを細々ながら書ける日は、その幸せを噛みしめてパソコンに向かう…今回の記事は愛知県岡崎市の上宮寺さんの参詣記になりますが、上宮寺さんと前回参詣記を挙げさせていただいた安城市の本
GWも終わって、なんだか梅雨入りを思わせるようなすっきりしない天気の続く武蔵国ですが、〝火打石〟は先週、日本橋室町の三井記念美術館へ『どうする家康』展(こちら)を観に行ってまいりました(;^_^A。あれこれ不満の多い今回の『家康』ですが、元静岡市民の意地()で特別展にもつきあってやろうじゃないのと…14日放送の「真・三方ヶ原合戦」にもおつきあいしましたが、もう、何だかねぇ…この回のタイトルは「真・三方ヶ原合戦あるいは夏目おじさんの思い出」が良かったんじゃ
3月15日(水)お休み貰って「京の冬の旅」行ってきました。その前に「中信美術館」へ。「下村良之介展」存じ上げなかったんですが~とても面白い作品が見れました。「鳥」がお好きだったんですね。ちょっと笑っちゃうエピソードや、陶芸作品に英語が書いてあるな~と思ったらローマ字で面白い事書いてあったり、とても楽しかったです。アート鑑賞の後はランチへ。「ザ・チャプター京都トリビュートポートフォリオホテル」さんの1階のカフェにて。友達と同じメニューなのに、前菜が1種類だけ違うものが入ってました(
ふたたび京都旅のつづきです。大徳寺境内で一番北にある芳春院も特別拝観期で入れましたが通常非公開です。こちらは加賀の前田利家夫人まつの建立で前田家の菩提寺でもあり、芳春院とはまつの法名とかで総見院も信長公の戒名からとられた名称なんだそうです。内部は写真撮影ができないのですが、丸みを帯びた屋根の勾配とか瓦の加賀前田藩梅鉢紋などに女性らしいたおやかさが感じられます。中に入ると本堂前には枯山水庭園が広がっていて本堂内とお庭の解説を聴くことができました。日本画家武内浩一氏に
「京の冬の旅」の続きより次は、大徳寺芳春院加賀藩主前田利家の正室まつ(芳春院)が創建した前田家の菩提寺。この中にある呑湖閣は、お庭から回りこんで予想していないその姿を見たときの驚きは、新鮮で面白かった。狭いスペースに作り込んでいるそういった意匠に見事にはまり込む景色だ。(第二遊歩道ノートさんよりお借りしました。)
3月1日京都1泊旅行2日目は平安神宮周辺で京土産を調達して8年ぶりに大徳寺へ車で移動した。目的は大徳寺の塔頭三箇所で開催中の第57回京の冬の旅非公開文化財特別公開の拝観。最初に向かったのは前田利家の正室まつ(芳春院)が創建した前田家の菩提寺である芳春院。芳春院での一番の見どころは優美な楼閣建築の呑湖閣。呑湖閣は金閣、銀閣、飛雲閣と並んで京の四閣のひとつ。堂内や庭園など撮影が禁止されておりその優美な呑湖閣は拝観券にて。過去にも非公開文化財特別公開は幾つか拝観しており
大徳寺塔頭芳春院「冬の京の旅」7年ぶりの公開前回も来ています。7年も前なのか。加賀藩主・前田利家の正室まつ(芳春院)が創建した前田家の菩提寺です。写真撮影不可なので京の冬の旅のサイトからお借りしています。芳春院の木像は、NHK大河ドラマ「利家とまつ」放送時に作られたものです。新しいの。本堂の前庭花岸庭は、造園家・中根金作が復元した枯山水庭園全景が写っていませんが、彼岸と此岸を表していると説明がありました。
芳春院は京都における加賀前田家の菩提寺です。1608年、加賀藩主・前田利家の正室松子(まつ・芳春院)が玉室宗珀を開祖として創建。ここから先の境内は一切の写真撮影禁止でした。芳春院の名称は松子の法号「芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼」に由来しています。大徳寺の塔頭の中で唯一女性が創建した寺院です。呑湖閣(どんこかく)芳春院の庭園内にある、優美な二重楼閣です。西本願寺の「飛雲閣」、「金閣」、「銀閣」、芳春院の「呑湖閣」の4つで京都四閣と呼ばれています。「呑湖閣」は、琵
京の冬の旅大徳寺芳春院へ以前から気になっていた場所木造二層楼閣「呑湖閣(どんこかく)」を観たかったのです!看板の写真が呑湖閣前田家の菩提寺で利家の正室、まつ(芳春院)が創建した塔頭まつ(芳春院)の名前がそのまま塔頭の名前になっているそうです本堂の北側の庭は、小堀遠州作池を挟んで呑湖閣があり、そこへ渡る「打月橋(だげつきょう)」を含めて完璧!!!なんて素敵なお庭~☆まつが創建したとあって、やわらかい雰囲気のお寺空気もおだやかでした#京の冬の旅
京の冬の旅も終盤戦。暖かい日はお散歩がてら出かけたくなります。三玄院へ行きました。前に行った日は列ができてて諦めたのでこの日は予約して行きました。が、空いてました石田三成のお墓がありますがお参りすることはできません。合わせて芳春院へ。ここすごく良かった!金閣、銀閣、東本願寺の飛雲閣とここの呑湖閣で京の四閣。借景に比叡山。その向こうの琵琶湖の水を呑み干すという意味で呑湖閣と言うそうです。大徳寺にこんな大きな池を持つ塔頭があるとは知らんかったなぁお天気いいのは嬉しいけど日焼けが
賃貸のお部屋の引き渡しに行ってきました。待ち合わせまで3時間ほどあったので、最後にと、近所の大徳寺へ行きました。いつも通った竹林の散歩道です。黄梅院では新芽が僅かに賑わってきていました。春が近い!前回は雪でした!黄梅院でよく見かける方が居て、一体どなただろう??と思いつつ、お庭に詳しいので庭師の偉い方かな?なんて思いつつお話しを聞いていたのですが、実は副住職さんだという事が最後に分かりました。北大路ライフ最後に、黄梅院について
同じく大徳寺境内に戦国大名の前田利家正室まつの建立寺院「芳春院」が在る。詳しくは↓を見てな。「京の冬の旅」非公開文化財特別公開大徳寺芳春院|【京都市公式】京都観光Navi京都の祭りや季節の行事、アートイベント、体験・ツアー、寺院の特別公開まで。今知りたい、旬の観光情報を発信しています。ja.kyoto.travelここは5~6年前にも公開されて、2へん目の訪問。吞湖閣の事は覚えとって、もうひとつ、聚楽第の門を移設した門が在ると思い込んどった。あれは何処やったかな?歳取るとこん
2023年の京の冬の旅で特別公開されている大徳寺塔頭・芳春院(ほうしゅんいん)を訪れました。この塔頭の名前なのですが、加賀国大名・前田利家の妻・まつの法名から取られたものです。芳春院の特別公開ですが、受付部分の近くにある山門から内部は撮影禁止(仕方ないかな)。ただ、山門前に見頃の紅梅があったので許可を得て撮影しておきました。まあ、山門前の部分ですので大目に見てくれたんでしょうね。芳春院を訪れたのは、やっぱり「呑湖閣(どんこかく)」を見たいから。「金閣」「銀閣」「飛雲閣」と並んで「京の四閣
2023年2月京都旅の記録のつづきです。旅の目的は☆感染予防に気をつける☆冬の特別公開を拝観する☆とにかくいろいろ食べる!大慈院のなかにある「泉仙」で精進料理をいただいて思ったよりも満腹になってから大徳寺の拝観を開始しました。「泉仙」の1階席をお庭側から見るとこんな感じ1階席にはほかにお客さんが来なかったおかげもあってゆっくり静かに精進料理を楽しむことができました。青空が広がっていると思えば雨が降ってきたりめまぐるしく変わるヘンなお天気でした
《とにかくめちゃくちゃ長いので、お暇な時にどうぞ》HPのある寺社や情報は紫色の太字でリンクを貼ってあります東京駅6時発のぞみ1号新幹線の1番電車結構な乗客お弁当を食べてしばらくして右手に富士山を見て(東京駅を出発してから40分後くらい)、テンションを上げるウォーミングアップをしたら、うたた寝タイムに突入です(朝が3時半起きだったもので…)京都駅に降り立つと、足元から底冷えがしますこれ!これ!これ!って感じで、謎にテンションが上がります一番目の目的地へは京都駅でJR嵯峨野線
大徳寺の芳春院へご案内致しました。ちょっと珍しい場所ですね、特別公開中なので拝観させていただきました加賀藩主・前田利家の正室まつ様が創建まつ様の法号から寺名がつけられたそうです芳春院の盆栽の庭境内の外に作庭されています。盆栽とは、美意識と時間をかけて「自然のどこにでもある仏性」を形としたものだそうで禅の石庭と融合するというのは珍しいですね建物の中にも春を告げる盆栽が…素晴らしい枝ぶり…難しいことは分からないけど可愛らしい紅梅ですね本堂前は、気品のある端正な枯山水庭園
京都旅行初日の続き。今宮神社のあとは、すぐ近くの大徳寺へ。「京の冬の旅」で特別公開中の、芳春院を訪ねました。大徳寺はたくさんの塔頭から成るお寺さん。妙心寺なんかと同じですね。だからひとつひとつに入場料がいる普段は非公開、ぜひとも訪れたいところでした。その名のとおり、前田利家の妻おまつさんによるもの。残念ながら中は撮影禁止🚫門のみ📸池にある渡り廊下とお堂がとても良い。なんというか、しんしんと静かで雰囲気がいいんです。ずっと見てたかった。まぁ寒い日でしたが歩いていると、三成公
今日からは、早や2月。今日は〝寒さが少し緩む〟という天気予報を信じて、午前中に「京の冬の旅」で特別公開中の、大徳寺の塔頭「芳春院」に出掛けていた。このお寺は、加賀百万石・前田家の菩提寺というか、前田利家公の夫人・松さんが落飾されて「芳春院」となり、大徳寺第147代住持の玉室宗珀を開祖として建立された。駒札には「本堂背後には、飽雲池を前にした二重の楼閣呑湖閣があり、金閣、銀閣と同様、楼閣山水庭園として名高い」と解説が書かれている。(呑湖閣と打月橋/今日の芳春院
本日もお読みいただきありがとうございます。大徳寺へ行ってきました。(1月26日訪問)金毛閣(きんもうかく)秀吉の命により、千利休自刃の原因となった利休の等身大の木造が安置されています。当時としては大きい身長の180㌢仏殿(重文)と方丈(国宝)は工事中で、囲いがしてありました。最近「龍🐲」に見えてしかたのない黒松襖絵の見すぎ〜🙄今回訪れた塔頭は、大徳寺山内の一番北の奥まった場所にあります。芳春院「京の冬の旅」で現在特別公開中です。(〜3/19まで)初
「京の冬の旅」、今年初めての拝観は大徳寺の芳春院。非公開文化財特別公開は全面的に撮影禁止の所が多いが、昨年、同じく大徳寺塔頭の黄梅院が撮影OKになっていた事もあるので、僅かばかり期待を募らせ足早に参道を叩くも。。。期待は外れ、解説員の説明を冬の陽光の下で聞く事になる(笑)。芳春院(ほうしゅんいん)は大徳寺の塔頭の中では最も北に位置する。慶長13年(1608年)に前田利家の夫人・松子(まつ)が玉室宗珀を開祖として創建した寺院で前田家の菩提寺である。芳春院の寺名は夫人の法号「芳春