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老舎。中国の著名な小説家、劇作家。と言っても私は読むまで知らなかった。1899年生まれ。清朝時代うまれ。中華民国。中華人民共和国と激動の時代に作家活動を続けた。ノーベル文学賞の候補になったとのうわさもあるようだ。そんな彼の随筆。「済南の冬」済南は山東省の都市。冬にはほどよく雪が降り、水墨画さながらの美しい景色になるという水晶のように美しいと形容した文化大革命に抗議をして1967年自殺したという
2024年は恐ろしい年になるのでしょうか?来年は大阪で万博。これどうなるのでしょうか?オリンピック同様に凄い金額の予算で出来上がったら笑えるようなものになるのでしょうか?立派な万博であって欲しいですけど。阪神高速道路はこれ完成無理でしょう。新御堂筋とドッキングできるのでしょうか?地下鉄はどうなるのでしょうか?会場は????そうそう,中国語の話です。我が母校の中国語ですが,引退した人がまだ幅を利かせているようで,もう私も母校には行っておりません。行く気にもならないという感じです
衝動買いしてしまった。9月1日、落手。下の写真は、EvanKingによる英訳。(ネットから拝借)
北平(現在の北京)に所在する役所(財政所)でスタッフとして仕事をする老李さんは、気の合わない奥さんと離婚したいと家庭内で問題を抱えています。この小説は老李さんを切り口として、大都市に住む平凡な知識分子たちの考え方や当時の時代性、そして社会を描き出しています。また、中国的な伝統文化に対しても多方面から考察を加えています。書籍に付いている帯では「老舎個人が最も満足していた成熟の作品」、「中国の知識分子を書き尽くした小説は、一冊は『離婚』と一冊は『囲城』」と紹介されています。ただ個人
老舎が原作の小説《我這一輩子》を映画化した作品。小説を読んだ時はさらっと読み終わってしまったのですが、今回監督以外に主演男優も担当した石揮の演技はとても自然で交換が持てました。この映画は、一人の平平凡凡とした巡査の目を通して、清朝の崩壊から解放までの50年間の社会の底辺の様子を描いています。清朝が崩壊した後に仕事にありつこうと思えば、字が読めない人は車引きくらいしか、字が少しでも読める人は巡査ぐらいしか仕事がなかったとのこと。しかも巡査になっても1か月の給料は銀貨6枚(6元)しかもらえませ
老舎が解放前(中華人民共和国建国の前)に書いたSF小説。中国現代文学におけるSF小説の走りと言えます。ネズミにとってネコは注意すべき対象ということか、チュー太郎はこの方を読んでも楽しめずに終わってしまいました。中国人の私がロケットに乗って火星に行ったところ、そこは猫の世界だったというお話です。作家の老舎本人が北京市にずかずかとやってきた日本人を猫人に擬人化して書いた小説とのことでしたが、個人的には小説に入り込めないまま話が終わりを迎えてしまいました。解放後、老舎はこの小説を書き換える
私にとって188作品目の原書になります。老舍著《离婚》老舎の原書に触れるのは今回が2冊目です。※《骆驼祥子》の感想ブログは⇒コチラ登場人物はそれほど多くなく、役割と人物相関の構想がしっかりしていると感じました。主人公の李は公務員です。詩的な結婚生活を渇望しています。ですが、実際の妻は農村出身で教養や文化は持ち合わせていません。李と対照的な存在として登場するのが、張アニキです。張アニキは内助の功の妻を持ち、一男一女の子宝に
中国の有名な現代文学者たちが、中国の解放後どのような不遇の文芸生活を送ってきたのか、20世紀末に行われた数多くのインタビューを含めて明らかにした力作です。この本で取り上げられている人々には、俞平伯、沈从文、老舍、丁玲、赵树理、郭小川、汪曾祺、浩然、严文井、林希翎などがいます。林希翎だけはちょっと経路が違いますが。私が一番目を引いたのは沈从文です。沈从文が筆を折り自殺未遂した後、歴史博物館でどのような人間関係の中でどのように生活を過ごしていたのか、複雑な人間関係がインタビューの口述筆記
我が母校に中国という文字がなくなりました。アジアという名前に・・・・・でもふと思ったのですが,これ人は変わっても基本は中国語学ですよ。つまらない。派閥争いの結果がこれです。アジアなのか中国学なのか。。。。ただ言えているのは,そこには中国文学がなくなったという事実です。老舎も魯迅も周作人もいない・・・・・中国=清末期から民国時代の文学が消えてしまったということ。でも人間ってバカですよね。派閥!派閥!眠い言葉です。大嫌いです。これで我が母校ともお
あけましておめでとうございます年初からずっと自宅に籠っているのですが、思い立って昨年読んだ中国語書籍の状況をまとめることにしました。昨年は計29冊読みましたが、冊数自体は可もなく不可もない状況です。できるだけ早く中間目標の300冊に到達したいと思っていますが、今年もダラダラしそうな予感がしています。昨年は推理小説を一冊も読みませんでした。その代わり有名な作品を何冊か読みました。私が推薦する小説は、老舎《四世同堂》…北平に住む四世代が日中戦争の悲劇に巻き込まれる話金
先日(12/5)、レンタル自転車で老舎紀念館に行きました。(=^x^=)
ふと、頭に小説の題名が浮かんできて、何十年ぶりかで読んでみた。こんな話だ。よその国の首都で、目を覚ました私は、帰国することを決心している自分に気が付く。私の頭にはベトナムでの記憶がまだ色濃く張り付いているのだろうが、小説には戦闘場面などは描写されていない。原稿を書くために海外へ出たようだが、何も書けていない様子だ。身体に黴がはびこるのを感じる。昂揚も閃きも感じることができない。私は、羽田に戻るに当たり香港に立ち寄ることにしている。長らく親交の
北京の下町と呼ばれる前門界隈には清朝時代の空気が漂う一角が残っている。文豪老舎の名のついた茶館もその一つだろう。茶を飲みながら北京風漫談や曲芸なんかを聞きながら見ながら、清朝の下町文化に触れる時間を体験できる。今となっては随分と様変わりした北京の街だが、一昔前の時間を味わえる貴重な一杯の茶文化だ。
先日(11/22)、月壇公園の後は老舎故居に行きました。今は老舎記念館になっています。中に入るのに、北京市の健康コードが必要なのですが、電波状態が悪く、健康コードが提示出来なかったので入るのを断念しました。また次回行こうと思います。(=^x^=)
清朝の満州旗人の一角を占める正紅旗の成員について書いた小説。清朝末期になると、満州旗人は清朝から下賜されていた田畑や財産はほぼ食い尽くし、ペンキ屋や半端仕事などで糊口をしのぐ状況になっていました。この小説では1900年初頭北京の北京から描かれ、幼児期の老舎とおぼしき赤ちゃんが生まれ、歴史と同期していきます。もともとは1961年から1962年の間に老舎によって書かれた小説で、老舎の幼年時代の描写だけで終わるのではなく、どんどん発展していく予定でした。しかし皆さんもご存じの経
老舎は1920年代、イギリスのロンドン大学東方学院で中国語講師の仕事をしていた時に、小説を書き始めました。その時執筆された長編小説が《老张的哲学》、《赵子曰》そして《二马》です。《老舎文集》第一巻には上記三篇が掲載されていますが、《老张的哲学》、《赵子曰》については既にブログで書いているのでここでは割愛します。ストーリーは、ロンドンで中国品の古物商をやっていた伯父さんが亡くなったことにより、事業を継承しようと父(伯父さんの弟)と息子が200ポンド持って中国からイギリスに渡り、事
老舎先生の長男である舒乙氏が書いた書籍です。老舎先生の一生、それぞれの作品が書かれた背景や、主な出来事に関する特記事項などが写真と共に詳細に説明されています。老舎先生の作品を読み進めるに当たり、解りやすくとても参考になる本です。老舎先生の作品をたくさん読もうと思っておられる方にお勧めします。一読の価値がある本です。私はこの本を読んで、1900年の義和団事件で老舎先生のお父様(満洲旗人)が清国兵士として従軍の上戦死したと知りビックリしました。=============
大阪に帰った機会に書籍の整理をしていたら、いろいろと掘り出し物が出てきました。その内の一つが老舎先生の《四世同堂》第三部饥荒第八十八-一百段(补篇)です。101ページほどの薄っぺらい本です。完全にこの本の存在を忘れていて、急に目の前に現れてちょっとビックリしました。本来の《四世同堂》は100章まであるはずですが、これまでの中国版には87章しかまでなく、残りの原稿は何らかの事情で遺失したことは知っていました。一方、米国版(アイダ・プルーイット女史が翻訳)は、残された老
先に読んだ百花文芸出版社版の《四世同堂》は、原作の最後の部分(88章から100章まで)が割愛されていました。なぜ割愛されたのかそのいきさつは不明です。また、老舎が苦心惨憺中国に持ち帰った原稿は文化大革命中に行方知れずになりました。今回読んだ《四世同堂》は、戦前老舎が米国に滞在している時、アイダ・プルーイットが翻訳した英語版を新たに中国語に翻訳しなおした作品です。(チョットヤヤコシイ)第一部から第三部までの割り方は原作と同じですが、一部名前が変わっているのと、章の数が結構減少して
《四世同堂》を読み終えました。西安は出てきても共産党は出てこないし、重慶は出てきても国民党は出てこず、いわゆる憂国の士(政治運動家)が出て来るのですが、小説の最後の終わり方に唐突感がありました。また第一部、第二部と比較すると、どうしても第三部だけが短いように感じられました。あれっと思って、北京出版集団公司版の《四世同堂》をチェックした所、私が読んだ本は87章までしかありませんでしたが、元々の小説は100章まであったとの記載がありました。老舎が米国滞在中100章まで書いて解
新型コロナウイルスに負けず、何か日頃出来ないことにチャレンジしようと考え、長年懸案となっていた老舎の長編小説《四世同堂》を読み始めました。全二巻で合計1,147ページある大作ですが、とりあえず上巻の446ページを読み終えました。第一部惶惑では、盧溝橋事件を端に発した日中事変に伴い、北平市(現北京市)が日本軍に占領(沦陷)され、市井の人達が戸惑う様子が描かれています。より具体的に言うと、北平の四合院に四世代が同居している話ですが、主なメンバーは以下の通りです。祖父:祁老太爷
『四世同堂』老舎人民文学出版社2018年第二版はじめて老舎のこの名作に手を伸ばしたのは、大学4年生頃だったと思う。はずかしながらいわゆる「世界の名著」をほとんど通読したことのない私は、妻の強いすすめでページをめくってみたものの、案の定数ページ読んだだけでどこかに放り投げてしまい、記憶しているのは物語の冒頭に出てくるご隠居の灰色のヒゲくらいという始末だ。だが、たとえあの頃無理やり読み進めたとしても、最後まで持つかどうかは全く自信がない。登場人物に感情移入しがちな私は、いわゆる「善人」
老舎の短編小説《月牙儿》を原作に1986年に映画化された作品。この映画を観ると、戦前の中国は女性の力だけでは生活するのが極めて難しかったことが解ります。元々は中流家庭の女子学生だった若き日の宋丹丹が、父親を亡くしたことにより、母親(スーチン・カオワー)と共に妓女に落ちぶれていく姿が印象的に描かれています。
これも老舎の不朽の名作である戯曲《茶馆》を題材に映画化された1982年の作品。茶館の主人役の王利发は、これまた于是之が演じています。老舎の戯曲を読むために背景知識を得るには素晴らしい材料です。
老舎原作の脚本を元に映画化された1952年の白黒映画。北京市北部は比較的裕福ですが、北京市南部は解放前から相対的に貧しい地域と言われていました。戦前その貧しい地域に存在した「龍の髭」という名前のドブ川の近辺で生活をしていた下層階級の人達を描いています。主役の于是之はいい役者さんなのですが、この映画では過剰演技がちょっと「玉に傷」です。奥さん役の于蓝は当時の基準としてはとても美人です。
老舎幽黙(ユーモア)詩文集Amazon本書を語る前に、老舎について述べなければならない。老舎は、1899年生まれ。満州族であり、清朝の役人だった父は、1900年八カ国連合軍の北京侵攻で死亡し、貧しい生活を送る。成人後は抗日戦争期の苦難の時代に、教員をしながら小説を執筆した。本書は、1934年(!)に出版され、1940年代に老舎自ら「絶版になった」と話していたものである。雑文なので新聞に掲載されたものが多く、小説と違ってまとまって出版されなかったのである。その後、1993年中
老舍が書いた長編小説《骆驼祥子》を元に、戦前の北京の車夫達(下層階級)の人々の苦しさを描いた映画。この映画では若き日の斯琴高娃(モンゴル族出身)が虎姉さんを、北京电影学院の学生だった张丰毅が祥子を演じていて、とても初々しくこちらが逆に恥ずかしそうになるくらいです。原作《骆驼祥子》は政治の波に揉まれ、労働人民に奉仕するため改編に継ぐ改編を重ね、当初の風味は完全に吹き飛んでしまったかのようですが、それでもまだ微かに香りが残っていますので、もしご興味のある人は小説も映画も是非一度ご覧になっ
3年かけて東方書店版の【戯曲】「駱駝祥子」を読んだこともあり、1980年初頭「駱駝祥子」が再演された時の状況を知りたくてこの本を読みました。当時は脚本家の梅阡がまだ生きていて、彼の文章を読んで【戯曲】「駱駝祥子」をより深く理解することが出来たのが何よりの収穫です。他にも数多くの俳優さんの文章や写真が載っているのですが、皆結構歳を食っている。(爆)文化大革命が終わってからやっと演劇に取り組むことが出来たのを象徴しているようで、1950年代後半の初演当時の俳優さんの写真が載っていた
3月10日(日)14:45から17:00までの間、東京都文京区にある放送大学東京文京学習センターにおいて、放送大学面接授業非常勤講師の大山潔先生の主催で、第3回【戯曲】「駱駝祥子(らくだのシアンザ)」朗読発表会が開催されました。当日は天気にも恵まれたこともあり、劇場形式の講義室(多目的講義室1)に総勢70名の参加者を得て催し物がとり行われました。今回も前回同様、鎌倉演劇人の会のメンバー、明治大学のメンバー、翻訳者グループのメンバー、放送大学のメンバーが集まり、下記のポスターに記
諸事情を考慮し、3月10日(日)当日の段取りは最終的に14:30開場14:45開演(上演は2時間30分)17:15終演(予定)となりました。前のプログラムとの関係があり、お早めにおいで頂いた方にはフロアーで少々お待ちいただくことになります。お忙しい中お手数をおかけして誠に申し訳ございませんが、あらかじめご了解いただけますよう、よろしくお願いいたします。今回、①終了時間(30分延長)と②大山潔先生のミニ講座名を変更しました。内容がどんどん学術的になって