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これは今から5年前に母が希少がんのGISTと診断された時の体験記です。【術後に寝たきりになる可能性】前回、胃のGISTと診断された日に先生から手術をするのか、経過観察にするかを聞かれても決められずに、その日は家に帰ってきました。自分なりにGISTについて調べたり、同じ病気の人達の闘病記を読んで経過などを見ては、できる限り母に、より良い方を選びたいと思っていました。母の意見を尊重したいとも思いましたが、母自身もどうすればいいのかわからない状態だったので、家族で話し合い、次の受診日に主治医の
再手術にもこんなに時間がかかるとは…76歳で心臓疾患もあるのに持ち堪えてくれた喜びと驚き。しかしまだ麻酔から覚めることはないそうで身体に負担をかけないために人口呼吸器をいれていて徐々に目を覚まさせるそうだ。目が覚めるまでは心配だけれども例の何ヶ月も楽しみにしていたハリーポッター…「家で待機してたってしょうがないよね」「生きてる人だって大事だよね!」「何かあればすぐに病院に行ける距離だし」色々と全てポジティブに考えた姉妹はあと3日の間に父が目を覚ますことを願いながら
父の手術から12日が経った。私達姉妹が父の手術よりもっともっとのんきに心配していることがあった。6月に予約したハリーポッター東京ツアーの日にちが迫ってきたのだ。担当医はだいたい2、3週間くらいで退院できるんじゃないかと言ってた。ハリーポッターの日まであと4日に迫った朝、病院から妹に電話があった。「お姉ちゃん!大変!今から再手術だから病院に来てくれだって!!私行ってくるっ!」「私も行くよっ!!」と、ハリーポッター終わった…神様居ないって本当だな。とガックリしなが
昨夜も投稿できず。ロング移動で対応中。また、昨夜の家内とのやりとりにて。約3年前に家内が直腸がんになり、縫合不全になり、退院後も苦難ばかり。右手首骨折、右足首剥離骨折と痛いことばかり。また直腸の手術だから、排便も不都合あり。人生のQOL(QualityofLife)は、まず痛みがないことが最重要。痛いと何もできない。ふたつは人それぞれだが、排便や排尿ができることが重要。最後は笑うことができれば、人生よしではと思います。今日もみなさんの一日がよくなりますように。すべてに感
子供たちのインフルなどにより、投稿が遅くなりましたが前回の続き、12/1金曜に結果を聞きに行き、マイクロポアを購入。貼ってみたものの、なんだか痒い。膿んでる??白くなってきたこれはやばい、と思い、翌週皮膚科さんに行ってみました。すると、縫合不全が起きてるね、ってなんじゃそりゃー!ケロイドっぽくもなってるって。飲み薬と、貼り薬と塗り薬を頂き、また年内に来てくださいって。気になるのでこうなった原因を聞いてみました。『くっつきが悪いのは、動かしたことが原因とかではなく、体質もある
師走に入り三日目。私たちも、みなさんも年末に向けて活動している。今朝は3時半から歩く気功に入り、休憩を挟んで連続してツーセット。おかげですべてが前倒し。スケジュールに余裕あり、やるべき予定をこなすことができた。早起きは三文の徳と昔から言うが、至言だと思う。今晩の夕食時、家内の最初の退院時の話題となった。思わぬ縫合不全で急な開腹手術になり、命も危うかった。退院しても、マイナス10キロで術後の痛みと歩く体力もなく絶望以外何ものでもなかった。それでも家内はひとりで歩いた。自分にムチ
1回目の手術後回復も順調だったので胃ろうからの母乳摂取を始めました。最初は飲ませてあげられるか分からなく虚しくなりながらも搾乳を続けていたので母乳を初めてあげた瞬間は感動しました。しかし母乳をあげ始めて1週間ほど経って縫合不全によって下部食道から母乳が漏れている事が分かりバンディング手術を行う事になりました。要は逆流を防ぐ為に食道を縛る手術です。やっと母乳が始まり体重を増やす事ができると思った矢先だったのでショックはありましたが胃ろうを使うのをお休みして新たに小腸
今日家内は1ヶ月に1回のがんサロンへ。周知が足りないからか、取り纏めのHさんとの一対一対話。Hさんより家内の経験は貴重な話だと言われた。がん患者の経過は様々。内視鏡や腹腔鏡で病巣を取り、抗がん剤治療がない経過観察ケース。最初から抗がん剤、または術後の診断で抗がん剤治療になるケース。前者は家内、後者は父だった。家内の場合は数%しか発症しない縫合不全からの経過。抗がん剤治療ケースの父を見ていた時もせつなかったが、縫合不全で何回もお腹を開腹した家内のケースも痛みを常に抱えているためもっ
家内のように様々な苦難を受けていると、健常者よりも思考が違う。いろいろ思って考えたことだろう。それが今日の見解。もう、自分は普通なんだ。これまではがんになり、縫合不全になり、短期間で何回も手術して実際に身体はおかしくなっていた。家内は、もうこの身体は普通じゃないと、常に思っていた。そして悩んでいた。それが今日、自分の身体は普通なんだ、と思うことにすると言った。そう言えば、敬愛する中村天風師は片肺状態でも力強く講演していたという。思い方を変えれば、物理的な事象には囚われなくなる。
家内の絶食2日目。ただでさえ健常時から5キロは落ちているが、さらに2キロ近く落ちている。まもなく10の桁が変わるほど。心が折れそうなときは、誰でもあるだろう。家内は縫合不全で立ち直れるかわからない時期、心が折れそうだった。当時、家内の心境から「折れそう」とタイトルにも書いていた。『折れそう』東日本大震災から10年。亡くなった方々のご冥福を祈ります。被災された方々の気持ちはその方々しかわからない。人の経験は、実際に自分が経験しないとわからない。下手…ameblo.jpでも、生きている
おはようございます前回の続きです再び病院に出戻った私・・・右下腹部痛から始まりお腹全体、背中と痛みが強く呼吸もできず過呼吸に・・・叫びました、、、自覚してます、、、全身の震えが止まらずパニックに自分でも大体予測していました・・・イレウス(腸閉塞)または縫合不全とすぐにCT検査して・・・その結果は"縫合不全“でした大腸から腹腔内に便が漏れていました術後1週間、それまではなんともなく、退院してから不穏だった私の体点滴ルートも左右の正中に2本なかなかルートが取れなかったと
今日は家内のがん2年半経過観察の日。あれから2年半の月日が経過。決して短くはなかった。結果はがん再発については問題なし。ただ、縫合不全による手術でのダメージからの癒着では、よい見解は得られず。腸が腹部内部と癒着し、それがいろいろ弊害を引き起こす。今日は病院近くの場所で宿泊。山を越えての夕方の診察だったので、予めビジネスホテルを予約。スーパーホテルだったが、夕方はビール以外のアルコールが飲み放題だった。家内も久しぶりに飲んだ。がん再発の問題はなかったが、途中お腹が痛くなり見てい
こんばんは〜ほっこりみーです続き書きますね!2022年10月17日都内の病院。退院後、初めての診察です。久しぶりにK先生にお会い出来るので、嬉しかったけど、緊張もしました今日は、夫さんも一緒です。先生、こんにちは〜おおっ、元気そうだね!パソコンで、摘出した臓器を見ながら、手術からの説明を一通りしてくれました。結果的に、手術は大成功だったんだけど…縫合不全って事で、2回目手術になっちゃって、そこは申し訳なかったけど…(私的には、縫合不全じゃない事は、今まで色々見せても
約2年半前のこと。家内が直腸がん手術後、4日後に縫合不全で腹膜炎を発症し、敗血症で死ぬ手前から何とか生還。それから2週間もしないで、この病棟にいたら心が痛めつけられるからと無理やり退院。今晩、家内からその話題が出た。今でも立っていること、走れていることを時折不思議に思うと言う。よくここまで来たと。あの退院から後、少しでも歩いて日常生活に近づけなければと、必死にリハビリとして歩いたという。まさに、牛歩のごとく。自分に負けるものか、と自分に言い聞かせていたと。周囲が、そのおかしな動
水曜日に右腕にシャントを作った。当初、AVG(Arteriovenourgraft:人工血管内シャント)で作る予定だったが、エコー検査の結果、AVF(Arteriovenourfisula:自己血管内シャント)で作ることになった。12年の透析で5回のシャント手術を行った。平均2,4年しか持たなかったので、明らかに短いよなぁ。1回目:総合病院(AVF、入院)2回目:今通ってる透析クリニック(AVF、日帰り)3回目:血管外科クリニック(AVF、日帰り)4回目:血管外科クリニック(A
以前勤務していた病院の話です。その病院の外科、ぶっちゃけ手術が下手なんです。。。大腸癌の方を外科に依頼し手術をしてもらいます。そのうち20%は、術後合併症を起こします。その合併症でも縫合不全つまりちゃんと腸をつなげなくて、ウンチが外に漏れて腹膜炎になるケースが本当に多いんです。そのような方は、再手術になるんです。中には、死亡する方も、、私も、そのうち我慢できずに患者さんをコッソリ外の病院に紹介していました。めちゃくちゃな手術をするのに、若手には一切手術
2度目の縫合不全。いよいよ今日が手術です。この一年で、手術何度目なんだろう、。。と考えると、気力も体力もすごいなわたしは、頑張ってきてねとしか言えないです。後ろ髪引かれる思いで、仕事に行きます
日曜日に一度は退院できたのですが、自宅でごはんを食べるとどうも喉が腫れる…火曜日の外来で、すぐに検査し、そのまま入院となりました。また縫合不全がおきて、食べた物や飲み物が漏れ出てしまったんです。来月末には旅行に行く気で、飛行機も宿も取っていたので、旦那さんの落ち込みようといったらハンパない早く閉じますように…
ふとしたことで、ほっこりとした気持ちになる。そんな気持ちが伝播したら、世の中よくなっていくのかと。手段はどうあれ、そうなればいい。一昨日、家内が海辺でいつも座っている場所に石が二つ置いてあった。単なる石はよく置かれるが、今回はデザインが描かれていた。それがこちら。家内にシェアしてもらった。少しでも、心がほっこりしてたら嬉しいな。今朝は海に行かず、昼にパンを持って行きました。青々として、スッキリ。今日もありがとうございます。すべてに感謝。
人は入手した情報、自分で経験した体験で判断する。それ以外の方法としては、天の啓示か。まあ、それはレアケース。情報の幅を拡げる方法として以前は人脈や本だったが、いまやネットがほとんど。ただ、フェイク含めて怪しい情報が多い。だから、オリジネータ•プロファイルといったキーワードが新聞紙上にも載る。万一知らない方々(家内含め)、下記ご参考。「オリジネーター・プロファイル(OP)」の挑戦——ネットニュースの信頼性をどう担保するのか?-Media×Techネットニュースの信頼性を技術的
今日は朝から1年前まで住んでいた街へ向かった。一番の目的は家内の乳がん検査。よく知っている医師の方が信頼高いから、朝から高速飛ばして向かった。せっかく行くので、家内が仕事でお世話になった女性とも会う約束をした。その方は3月に旦那さんを肝臓がんで亡くしたばかり。昨年7月に判明し、1年もたなかった。見た目は元気そうに見えた。大きな喫茶店で、家内といろいろ話をした。時折、涙を拭いていた。その旦那さん含めて4人で2回飲んだことがある。体格も大きく豪快な飲みっぷりだった。日増しに身体
今日は夏至。2年前、家内のストーマ閉鎖手術日。この日も想定外の癒着で開腹手術となり、手術は予定時間を越えていた。そして、いま。2年前からは想像もできない場所に住んでいる。人生、何がどう影響するか、その時にはわからない。だから、起きたことを人間の理性で意味づけしても徒労に終わる。起きたことは過去のこと。いまから新しく出発するべき。夏至は折り返し。元旦ばかりが気持ちの切り替え時期ではない。さあ、今日からまた新しい気持ちでスタート❗️晴れてよし曇りてもよし湘南の海。すべてに感
いま生きている人。みんな何かを乗り越えているはず。乗り越えてきたからこそ、いまがある。つらいこと、悲しいこともあったはず。思い出せば、泣けることも。そうして人は重荷を背負って生きていく。家内の歩く気功に同行の際は、YouTubeを聴くことが多い(気功中の家内とは話せないので)。今朝、たまたまビートルズの「GoldenSlumbers」から「CarryThatWeight」を聴いた。朝日の木洩れる中、なんとも言えない気分になった。わからない方は下記ご参照。<歌詞和訳>G
がんばらない。あきらめない。昔、鎌田さんの本で知った。たまたま、家内が口走った。「がんばらない、けどあきらめない」鎌田さん、同じタイトル出したんだね。いま一所懸命(一生懸命)がんばっている人に、「がんばれ」は余計なお世話。当人は必死にがんばっている。これ以上、どうがんばればいいのか、になる。心療内科では「がんばれ」は御法度みたい。みんながんばった上で診察に来ているのだから。がんばって、がんばって、いまがある。みんな、でもあきらめないでいこう。あきらめの悪い奴と言われよう
昨日、家内は都内のいつものクリニックで血液検査を受けた。今日、オンラインで結果報告があった。腫瘍マーカーのひとつ、CEAが増えていた。まだ基準値範囲とはいえ、家内は動揺した。クリニックの医師は大丈夫とはいっても、ハイリーセンシティブパーソンには大事として捉える。当事者ではないから、何を言っても気休めにもならない。ここは中村天風師の名句に出てもらう。「不幸福撃退の誦句」いまおもしろくない人は参考に。私はもう何事が自分の人生に発生しようと、決して徒(いたず)らに心配もせず、又悲観も
大仙公園カフェいろはのクリームソーダが美味しいさて、ダイエットチート成功せず65kgの壁がめちゃめちゃ厚くていまだ越えれずかろうじて10日くらい前から始めたトレぴなちゃんのyoutube大転子引っ込む前太もも撃退これのおかげで数字は変わらないけど大転子が引っ込んだり前太ももハリがへったり体型が整い綺麗なデブになりつつある嬉しい。嬉しいがしかし早く壁を越えたい今日は湊川神社まで⛩️日本舞踊を観に父の手術は無事終わり縫合不全が起こらな
これが一番幸せなのかな。生き方も死に方も自由。何にも縛られてなくて。自然の動物はそう。もちろん弱肉強食はある。それでも本能に従って生きていき、いずれ死んでいく。人間はその点違う。社会や家族があるから、自由度が限られる。生きることも死ぬことも。自由に生きていくためのセミナーとかは無数にある。大概は情弱から金を取るだけのものが多いが。ただ、自由に死んでいくセミナーはあるのかな。死ぬにしても以下の二つは自殺でもしない限り自分では決めれない。いつ死ぬのか。どう死ぬのか。せっ
夕食時の話題。まもなく引っ越して1年が経過。昨年の今頃は準備に追われていた。昨年6月のはじめ、家内が唯一定期的(月1〜2回)に仕事していた職場(といっても小さな集まり)で最後のご挨拶をした。この職場のまとめ役の方(女性)は、家内と何かと気が合った。お互い気を使い過ぎるあたり、とか。2年前瀕死の状態から何とか生還し、8ヶ月ぶりに家内はその職場に行った。自転車で30分かからない程度。漕ぎながら、涙が出たという。そのまとめ役の方は、いつも早く到着している。家内もいつも早く行く。そ
いま生きているなら、きっと守られていると思う。過去いろいろあった方々も、その出来事をなんとか過ごしてきたから今がある。その当時は厳しい状況だったとしても。2年前はなかなか外出もままならなかった家内も、ひとりでそこそこ遠出できるようになった。最初の退院当初は、5分歩くことにも必死だった。そして5分、10分と子供が成長するように歩く距離が増えた。幸いにもがんに対する心配は、今のところない。ただ、まだ術後2年少しなので、丸山ワクチン自己注射含めて、がん予防に対して徹底している。毎朝4時