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逢坂の関を過ぎると道は下り坂になっていきます。月心寺この近辺の茶屋があり走井餅が名物でした。大正時代に日本画家・橋本関雪の別荘でした。大阪への追分道標「みきハ京ミち」写真では見えてない左側には「ひたりハふしミみち」とあります。なぜか右部分に「柳緑花紅」って刻んであるのですよね・・・蘇東坡の詩の一節で禅宗の教えでも大事な言葉ですがなぜ道標に?閑栖寺ここの門前に車石が保存されています。大津~京都の東海道には牛車の通行を楽にするため花崗岩の板が敷き
青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)にある天台宗の寺院で、山号はありません。本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称しています。開山は伝教大師最澄です。青蓮院は、梶井(現・三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院(天台三門跡)です。「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王・入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務め、格式を誇ってきました。江戸時代に仮御所とな
雨水Februaryショパンの「雨だれ」加古隆さん作曲の「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」の原型が、この曲に似ていたということに首肯する。一音一音を真綿でくるむように大事に弾く曲。ショパン「雨だれ」28の前奏曲集第15番-Chopin-PreludeOp.28No.15-クラシックピアノ-ClassicPiano-CANACANAこの曲を弾いていたら、嫌な雨も好きになります♡梅雨も見方ですね♪雨の音をこのように表現した、ショパン、なんて心のキレイな方
えべっさん、粟田口の粟田神社さんの残り福11日に行って来ました。京都市営地下鉄で蹴上で下車して坂道を降りて行くと左手にあります。とても天気が良くて清々しい気分です。粟田神社さんは、刀剣乱舞の聖地でもあり敷地内の鍛治神社⛩さんが有名ですが。今回は省略します。昨年は凍っていた手水。昨年はアヒルちゃんがいっぱい並んでましたが。今年は辰年ですからね。昨年の熊手を返却し、新しい縁起物を頂きます。大国主の命と素戔嗚尊にお参り。そしてご開帳されてる恵比寿様に参拝とてもにこやかな笑顔
粟田神社(あわたじんじゃ)は、東山区粟田口鍛冶町にある神社です。青蓮院の東側の山の上にあるようなイメージでしょうか。ただ、写真を見ても行ったときのことが思い出せません。平安時代、清和天皇の時代の876年春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上されました。そこで直ちに勅が発せられ、全国の諸神に御供えをして国家と民の安全を祈願されました。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(現・八坂神社)に七日七晩丹精を込めて祈願されました。そ
あしたは!…す、数時間後にはスタジオ撮影だぁ!!Dハロいった愉快なタコダンス組でw刀剣乱舞と銀魂のあわせ~刀剣乱舞は一期一振!数年ぶりだからうまくできるかな!?ド緊張なんだけど!!銀魂は銀さん!さっきまでTikTokLIVEしてた~んーやりやすいー!銀魂すき!!はじめて行く場所なので迷子にならないように頑張るぞ~!!
ホテルから近かったので、ご縁に感謝し、参拝させていただきました。「鍛冶神社」は、製鉄・鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と共に、名工である三条小鍛冶宗近、粟田口藤四郎宗近が一緒に祀られているのです。数々の名刀を生み出した匠が、神として祀られています「鍛冶神社」は刀剣の神様をお祀りしているだけに、悪縁を切り、良縁結び、霊験あらたかなのだとか。さらに勝ち運にも恵まれる!とのことなので、参拝できて感謝ですこの周辺に昔は刀鍛冶がたくさん住まれていたのだそうです。鬼滅の刃
さてさて…………………我々はついに『京都一周トレイル』東山コースの最終目的地に設定した目的地に到着した……………【粟田神社(あわたじんじゃ)】京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1『京の七口』のひとつである粟田口に鎮座し、古くから旅立ち守護の神として崇敬を集めており、現在でも旅行に出発するに際し絵馬を奉納したり、お守りを買い求める人がいるという平安時代、清和天皇の時代の貞観18年(876年)春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵衛災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上された
さてさて………………我々は、【将軍塚青龍殿】を満喫して出発した。【京都一周トレイル標識】「東山24」こちらから、再び『京都一周トレイル』東山コースに戻り粟田口を目指して歩く……………………コースは【青龍殿】の大舞台の下を北東へ続き、粟田山の西斜面を下る……………おーーーっ見えてきたあの建物は、蹴上の【ウェスティン都ホテル京都】じゃないか『夏の思い出2018⑥〜第98代長慶天皇陵〜』ココロ一家は【トロッコ列車】をたーっぷり楽しんだ後、JR馬堀駅JR嵯峨嵐山駅まで戻ってきたちょうど先
前回からの続き(8月18日のこと)です次に向かったのは、粟田神社の近くにある粟田ギャラリー&ライブラリーどんなとこなのかずっと気になっていたんですホームページを見て頂くと分かりやすいと思いますが、グーグルマップとかだと粟田神社辺りから入れるのかと思って行ったら、ホテルひがしやまのエントランスから中庭通って行くことになってましたホテルには↓のような案内図があります地図で説明すると、赤のように施設へ向かいましたこれは地元の人用で、(というのも自治会館の一部を使われてるので)一般の人は緑の
この写真は令和5年5/27現在の状況です。次回6/3・4、栗原邸(旧鶴巻邸)の期間限定一般公開に間に合わせ、少しでも応援したいと建築案内が続きました。あと2回、琵琶湖疏水を歩いた記事をご紹介。東国から京への街道筋で“粟田口”へ至るこの辺り、琵琶湖疏水は第3トンネルに入るため、徒歩散策ルートは一旦143号線の道路を進みます。便利なことに途中、セブン-イレブンがあります。先日放送されたNHK“ブラタモリ”山科編でも解説されていた、街道に敷かれ牛馬車の轍跡の残る敷石を実見。この辺りに“粟田口刑場
僕が鋏を作り出してからというもの。何故か一番鋏作りに燃えてるのは。弟子の親父です。(笑)僕は本当たまにしかできない。子育て世帯ですからね。子供と遊んだり送り迎えをしたり、大忙しですわ。弟子ですんで、色々言ってるんですが、僕の言うことは全然届きません。独特な鋏が仕上がります。ほんまの弟子ならもう既に破門ですよ!まずは師匠の言う通りに作らないと。(笑)師匠(僕)はまず鋏屋さんの鋏の形に近づいていくアプローチでやって
5月3日(水・祝)川崎市麻生市民館解説馬場あき子狂言『粟田口』(大藏流山本東次郎家)シテ(大名)山本東次郎アド(太郎冠者)山本凜太郎アド(粟田口)山本則重(休憩)能『殺生石』・女体シテ(里の女野干)友枝昭世ワキ(玄翁道人)宝生欣哉アイ(能力)山本則秀小鼓:藤田貴寬小鼓:森澤勇司大鼓:大倉慶乃助太鼓:梶谷英樹地頭:長島茂面:前シテ「?」後シテ「玉藻」とか言う新作らしい。一昨年、去年に続いて3回連続で参加。馬場あき子さんの解説。毎度毎
住友林業でお家を計画中のみこりんです。アラフォー夫婦に、幼児2人の4人家族です。春に着工で、お家づくりに纏わるアレコレを書いてます。🌟アメトビ掲載記事はコチラ🌟お風呂の窓で夫と一悶着夫へ昇進のお祝い住宅ローンを通すためにやったことクレジットカード解約で発覚した衝撃の事実窓ってほんま高いマンション売却まで③査定結果前回のお話はこちら『【追記アリ】子供の発熱ファストドクターを利用してみた』住友林業でお家を計画中のみこりんです。アラフォー夫婦に、幼児2人の4人家族です。春に着
蹴上の粟田神社を再訪しました。粟田神社は1月9日から11日までの3日間、出世えびす祭ということで境内にある摂社・出世恵比須神社の祭神であるえびす像が特別公開されています。いろいろ写真を撮ってきたんですが、もうこの一枚だけで十分かな。なんでも伝教大師最澄が自ら彫ったといわれる日本最古の寄木造りのえびす像なんだそうで、元は蹴上の夷谷(えびすだに)で祀られていたとか、源義経が源氏再興を祈願して見事大願成就したので出世えびすと呼ばれるようになったとか、いろいろと逸話はありますが、そんな
帰路の京都散策はブロ友さんから教わった日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)へ蹴上駅あたりは京の七口の一つの粟田口で東海道・中山道への入り口です蹴上浄水場を右手に東山ドライブウエイへはいりすぐに鋭角にターンしてアップダウンの細道をくねくね進んで最後は急坂を上がって駐車場に着きました石段をあがって大鳥居をくぐると右手に神明造りの下宮正面奥に内宮がみえます第23代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建されたと伝えられ京都
さむむっうちは、こたつが好き。こたつから出られない。。。さて、次に向かったのは、大崎神社。2度目です。住所:古川大崎字名生小舘主祭神瀬織津姫命、家津御子命(熊野本宮の主神)大崎神社の由来貞和5年(1349)創建と伝えられる伏見本屋敷に鎮座の村社三十六所神社に、旧大崎村内の各神社(愛宕神社・宝龍神社・稲荷神社・白山神社)を明治41年に合祀。さらに翌明治42年には熊野神社社地に三十六所神社の社殿を遷座、同時に熊野神社を合祀して、
【食育クイズ:Vol.1093】「京都府」の「京の七口」おさらいクイズ!東海道の起点となった「京の七口」は何?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1092】(「京都府」の「伝統行事と山」おさらいクイズ!松上げは、京都のどの「山」に献火される?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「愛宕信仰(あたごしんこう)」とは、「京都、愛宕山」山頂に鎮座する「愛宕神社」
「京の七口」中、東海道の出入口として抵当なのは、「粟田口」である。「京の七口」には、中世の七口と近世の七口がある。その七口にしても、常に一定した訳ではなく異同があった。【中世の七口】鞍馬口・小原(大原)口・今道之下口・鳥羽口・東寺口・西七条口・長坂口とされていたが、他に粟田口・西三条口・伏見口が数えられる場合もあった。粟田口が東海道・東山道への出発点とされていた。【近世の七口】近世では、東三条口(粟田口)・伏見口・鳥羽口・七条丹
亀の水不動尊前(34.994932,135.798388)から、日の岡峠の頂上へと向かいます。不動尊の入口まで来てしまえば、その先に急坂はなく、ブロンプトンでも乗って登れます。だんだん峠に迫っているのか、進行方向左側から山が迫ってきています。車一台がやっと通れる、いかにも旧道らしい緩やかなカーブの続く路地を進むと100m先の左側に山へ取りつく階段があり、法華宗本門流大乗寺があります(34.995464,135.797829)。秋には1300本あまりの酔芙蓉の木が境内を埋め尽くすので、
3ヶ月ぶりの横浜能楽堂。横浜能楽堂普及公演横浜狂言堂「茫々頭」「粟田口」7/10に観ました。初めての茂山千五郎家。京都の狂言です。「横浜狂言堂」では、毎回、内容のお話をしてくださいます。京都の狂言家は初めて。関西って、話ののりがいい?導入からものすごく引き込まれました。笑いもたっぷり。今回の番組、あまり上演されないそうです。理由は「つまらないから」。おちもよくわからないとか。今回初めて知ったこと。狂言はジャンル分け(?)すると7種類あるということ。これから観る興味も増
7月10日(日)横浜能楽堂狂言組(大蔵流茂山千五郎家)お話茂山茂『茫々頭』シテ(太郎冠者)茂山宗彦アド(主)鈴木実(休憩)『粟田口』シテ(大名)茂山千五郎アド(太郎冠者)井口竜也アド(すっぱ)茂山茂暑い暑い。6月の暑さよりは良いが、それでも暑くて、横浜能楽堂への坂を登るのが辛い。茂山茂のお話は、何だか家庭的な話しから始まって、どこぞのショッピングモールに子連れで出かけたらお寿司が食べたいと。そこで、有名な回転寿司屋で受付の表を見たら、55組くらいの待
岡崎公園から神宮道をまーすぐ南へ。粟田口の青蓮院門跡の南隣ここを過ぎると、知恩院。参ります第95代花園天皇十樂院上陵。9時〜うん今日は月曜、平日だった有休とって正解でした〜青蓮院門跡と知恩院の間に、こんな山道があるとは結構長い参道です。見えてきました。周りの賑やかな観光地から避けられる静かな良いところです🙏菊の御紋が見えます戻ります。白川の一本橋(行者橋)を見に行ったら、何か、撮影されてました。知恩院三門。seeyouagain👋
京都の粟田口、東海道からの京都の入り口ですね。現在のウエスティン都ホテルあたりです。牛若丸が京都を離れ、平泉へ向かう時も、この粟田口からだったそうです。\#鎌倉殿の13人ギャラリー/【第8回】2月27日(日)[総合]夜8時[BSP・BS4K]午後6時#三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント!#菅田将暉#源義経▼公式HPではフォトギャラリーを公開中!https://t.co/TXK7KU8OA3pic.twitter.com/Usa4KKnI67—2022年大河ド
昨年末、12月25日~27日までの2泊3日で、京都旅行へ行ってきました。今回の旅のテーマは、「京都御所と東山散策」です。*****京都旅行2日目、地下鉄に乗って四条駅へ。JALクーポンが使える、ホテル日航プリンセス京都で朝ゴハンです。朝食バイキングを楽しみやってきましたが、現在休止中でした。そこで頼んだブイヤベース・ブレックファースト、お値段の割には・・・でしたね。こういう失敗も、旅先にはつきものです。気を取り直して、再び地下鉄に乗り、東山
蹴上…ワタクシお仕事のテリトリーが京都市内になってから気になってた地名が色々とございましてそれは…◯◯口という地名が数多く存在するのです「丹波口」とか…現在の丹波とは無関係な場所になんやねん…気になったら調べます⁉️なんと⁉️かつての都へ入る道が◯◯口❗️なるほどね…と得心してましたがこの三条口…粟田口は図より右の方にございますワタクシが目的地に設定しました蹴上付近もう一つ気になってましたのが蹴上という地名だいたい…全国各地
前回からの続き(10月23日のこと)です京セラ美術館の前には、皆さんご存知の平安神宮の大鳥居があります高さ24m幅18m設計京都大学助教授坂静雄(訂正)国登録有形文化財鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄鋼モルタル塗昭和3(1928)年6月着工(↓追記)翌4(1929)年3月25日完成総費用2万6790余円(↑追記)(wikipedia参照)(令和3年10月31日追記・京都の大路小路参照)おおよそ正面から朱塗りの慶流橋と共に大鳥居がある道は神宮道その神宮道を南下
今日は京都の焼き物で「古清水」と呼ばれている物になります、古清水という焼物は分類的には小分類になるかと思いますが、京焼(大)→粟田焼(粟田口焼とも、中)→古清水(粟田焼の中の色絵のものを主に指す)という感じでしょうか。勿論、厳密な定義がされている訳ではないので骨董界の暗黙の了解という感じになります。私はこの古清水が昔から好きだったのですが、焼かれた地名の「粟田」というのも小野一族の同族ですので、地名との関係や天皇家との関係(粟田焼は天皇家の御用窯にもなっています、禁裏御用)もある事が原
皆さまご覧いただきありがとうございます。関西単身赴任時代にぶらぶらした2018年のことを書いております。ふと目にとめた張り紙を写真に収めて青龍殿なるところを目指してみました粟田神社も気になったのでお参りいたしましょう鮮やかな石段をのぼりますればこれもまた見事な紅葉旅立ちの守護神。東海道・東山道を旅する者から厚く尊崇されてきたお社だそう街道は三条大橋からはじまり、蹴上を経て日ノ岡峠を越えて山科に抜けてゆきます京を去るもの、京に来るもの皆この粟田
こんばんは。スタッフY子です。いつもありがとうございます。昨日は研ぎ研修の日でした。午後から、神社仏閣の蔵から新発見の刀剣があったとのこと、師匠が「なかなかこんな機会無いから」とご一緒させていただきました。↑こんな大太刀も・・・元禄11年に大坂の刀匠・常陸守嘉重の打ちおろしで未研磨の大太刀や鎌倉時代古剣で國永(山城もの?)。錆身も幾振りもありましたが、良い御刀が拝見することができました。いつも、刀剣商の市で購入する御刀は錆身ではありませんが、錆身を見る力も