1990年の夏休み、進路を決める為の三者面談で希望校を書いたメモを担任に提示、当時「団塊世代のジュニア」がみんな高校生で子供の人数が一番多く、大学進学は全てが狭き門、学校が高松市にあり当時創立91年目を迎えた頃で県立ではなく私立、偏差値もやや低めの40位、近畿や関東の大学へ進学を希望となれば卒業後最低1年間は浪人生活で予備校に通学が必須、とてもとても難しいという中、九州地方の大分市郊外にある私立大学を最終希望で書いているのを担任が視て「あっここ指定校推薦あるけど受験しませんか。評定平均値を視ると