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無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)すべてを捨て切ったところに真理は宿る(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))空を突きつめ、一切の執着を捨て切った境涯が「無一物」です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))執着を捨てる。いや、捨て去る。すべてを捨て去る。そのとき、無尽蔵の宝を手に入れることができるという。執着は、欲と置き換えてもいい。欲ではないか。考えること、そ
日日是好日(にちにちこれこうにち)今日この日を精いっぱい生きる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「日日是好日」とは、一日一日が好い日だということです。毎日が大安吉日だという意味ではありません。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))一期一会です。いま・ここ、今日という日は二度とありません。この日を好日らして過ごさない手はありません。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社
迷己逐物(おのれにまよってものをおう)物ではない価値基準をつくれ(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))物を所有すれば、心が満たされる。でも、いくら物を持っても、心は満たされないときもある。お金持ちの人はお金がたくさんあるから、さぞかし幸せだと羨ましいが、いつ失うかわからない恐怖にも怯えている。だから、寄付をしたり、社会貢献をして、つまり、善いことをして、心を満たす人もいるだろう。それが心からの自然な行動であればい
掬水月在手(みずをきくすればつきてんにあり)仏の慈悲はだれにでも及んでいる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「水を手ですくえば、月は手のひらに宿る。花をもてあそべば、その香りは衣服に染み込む」唐の詩人、干良史(かんりょうし)の詩の一節で・・・。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))仏の慈悲は、いつ・どこででも、あらゆる人に注がれているのです。そして私たちは生かされているのです。「感謝」という言
倩女離魂(せいじょりこん)どちらが本物かを常に問いかける(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語は、「倩女離魂」という怪談話がもとになっている。詳しくは省略するが、本物、偽物、魂、肉体といった二元対立的な概念が登場し、どちらが本物かと問いかけている。相対的な思考に気づかせ、二元の対立を超えた統一的な境地に導く教えという。世の中に、本物があれば、偽物がある。いや、偽物が多い。『なんでも鑑定団』をよく観ているが
橋流水不流(はしはながれてみずはながれず)無心の境地になる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))谷川に架かる橋を渡るとき、渓谷を流れる水を見ていると自分がその流れと化してしまい、水が流れるのではなく橋が流れていくような錯覚にとらわれる(橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず)、という意味の詩です。まさに無心の境地そのものをうたっています。迷いも悟りも乗り越えた、悠々自適の心境がここにはあります。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」
荷葉団団団以鏡(かしょうだんだんとしてかがみよりもまどかなり)偏らずにものごとをみる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))葉っぱも人間も諸行無常のことわりの中にあり、さまざまな縁によって存在しています。このように、法の立場から見れば、蓮の葉も菱の葉も、AさんもBさんも「平等」です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))私たちは差別のままで平等であり、平等のままで差別であるという存在のしかたをして
日に新た、日に日に新た、また、日に新た。私的には、〔毎日がクリスマス!!〕昔の話ですけどね?!
非風非幡(ひふうひばん)心がなければなにも見えない(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))幡は風によって動きます。では、風が動くというのが正解なのでしょうか。でも、風には変形がありません。だから、幡が動くことによって風が吹いていることが知れるともいえます。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))幡が動くのか、風が動くのか。そのどちらでもない。心が動いている。それが、教えである。幡
焦るから失敗します。いわれなくてもわかっているはずですが、実際に当事者になってみると、とたんに焦ってしまいます。気持ちが先走り、身は前のめりとなって、あわわわわ・・・と地面に倒れこみ、それまで順調だったものも、うまくいかなくなります。「焦り」の感情に惑わされるのです。傍目八目(おかめはちもく)―第三者として碁の勝負を眺めているうちは、冷静に、戦局を読むことができますから、八目先まで見通せますが、「私に任せなさい」としゃしゃり出て、いざ自分が打つと、勝ちに焦って、先を読むこ
雲巌大悲手眼(うんがんだいひしゅげん)言葉のレトリックに引っかかる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語は難解である。難解であるから、私のこのエッセイも筆が進まない。著書の言葉を引用しようと思ったが、引用しても、理解できない。「言葉のレトリックに引っかかる」差異や優劣で物事を見る。差異はあるようでないし、優劣はあるようでない。そもそも差異や優劣にとらわれるのはよくない。すべてを受け入れること
一仏心印(いちぶつしんいん)党派にとらわれない(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))道元は日本曹洞宗の宗祖といわれますが、実は宗派を立てること自体を否定していたのです。それを知れば、私たちも宗派にこだわらなくていいということがわかるのではないでしょうか。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))禅の言葉に興味を持ち、禅語に学んでいるが、そもそも、仏教なのに、いろんな宗派がある。これが、よくわから
MLBで大谷翔平選手が8試合ぶりとなる本塁打を放ち、メジャー通算176号となり、松井秀喜選手を抜いて日本選手として歴代最多となりました。松井選手は5066打席で175本の本塁打を打ちましたが、大谷選手は2979打席目で記録を更新したのですね。大谷選手は最近になって、松井選手がどの位打っていたのかを知ったようですが、松井選手の175本はメージャーに挑戦した時から目標にしており、できるだけ早く175本を打つために身体を作ってきたのでしょう。目標を達成した今日は特別な日であるに違いないと思うの
心外無別法(しんげむべっぽう)すべては自分の心の反映(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「世界はただ一つの心の表れである。心の外に世界はない」(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語は簡単そうで、難しい。心の外に、景色があると思っているが、そうではない。心が作り出しているという。うーん・・・。難しい。すべてのものを受け入れる。あるがまま、なるがまま、自然に。心の外に
さわやかな美髪ウマ娘ダービー石川県徳雲寺住職・西東京市金剛寺住職石毛泰道さんのご本です。👇『70歳からの禅の教え人生が変わる究極の暇つぶし』『70歳からの禅の教え人生が変わる極上の暇つぶし』石毛泰道|ご本まみれのひやしあめ70歳からの禅の教え人生が変わる極上の暇つぶし[石毛泰道]価格:1,540円(税込、送料無料)(2024/1/23時点)楽天で購入https://www.amazon.co.jp/70%E6%Aamechanhiyasi.
2024/04/2117:12:27日曜日曇り実に本日4記事目!もういちいち過去記事にリンクは貼りません(笑)ご興味のある方は一つ前の記事からどうぞ。本当は休日にドバッと集中的に更新するよりは、毎日1記事ずつでも更新した方が閲覧者様は増えるのかもしれませんけど、平日はやっぱり時間が取れませんね。さて、今日はいろいろな情報に触れていたので読了した事実すら忘れかけていた(失礼!)がこの本です。仕事も人間関係もうまくいく放っておく力―――もっと「ドライ」でいい、99の理由(知的生
麻三斤(まさんぎん)権威にとらわれるな(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この洞山(とうざん。※洞山守初禅師のこと)に、ある僧が「仏とはなにか」と質問すると、「三斤の麻だよ」と答えたというのです。その真意はなんなのでしょう。洞山の住んでいた襄州(じょうしゅう)(江西省)は衣にする麻の産地だったといいますから、洞山はたまたま手もとにあった麻を観て、「麻三斤」と答えたようです。つまり、なんでもよかったのです。(出典:「くじけない心をつく
一期一会(いちごいちえ)一生に一度の出会いと思って人と接する(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「茶の湯での出会いは、一期一会といって、例えば何度同じ主人と客が会おうとも、今日の出会いが再びはないことを思えば、これは実に私にとっては一生に一度の出会いなのだ」幕末の大老、井伊直弼の言葉です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「一期」は一生涯、「一会」はたった一度という意味です。人と人とのいま
事難方見丈夫心(ことかとうしてまさにみるじょうぶのこころ)人の真価は困難に直面したときにわかる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「松や柏(柏槇(びゃくしん))は、厳しい自然環境の中でも緑を見失わない。そのたくましさは、豪雪のあとに見ると初めてわかる。それと同じように、人の価値は困難に直面したときに初めてわかる」(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))人生において、幾多の困難が待ち受けている。
春の毛筆アート講座ありがとうございました^_^ことしの春の毛筆アート講座は、3日間で、中区、安佐北区、佐伯区の3カ所まわりました!佐伯区のわらうかど庭cafeさんは、午前も午後のコースも満員🈵席、ありがとうございます😭キャンセルまちをしてくださった方も、いらして。来月5/28火曜日も、美文字講座にプラス➕して追加講座させて頂くことになりました😆アート講座は、準備やテキスト作りも楽しくて、ずっと、こんなのも、あんなことも、えー!コレも💓と、いつも欲張り講座になります。今回は
直心是道場(じきしんこれどうじょう)心しだいでどこでも道場になりうる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))今、こうしている。その瞬間すべてが、修行の場。修行と書くと、敷居が高くなるから、普通にしていること、そうすることで、自分を磨くことができる。もちろん、正しいことをしないといけない。そのために、素直な心で、すべてを受け止めないといけない。簡単そうで、難しい。自分を変える必要はない。ありのまま、なるが
今日は朝早くから仕事!起きたのは3時頃笑。そこから日頃のやることをやっていたのですが、凄い良い気分で出来ました✌️結構淡々とやることをやっているのですが、日によっては気分がめっちゃ良い時もあれば、重だるい時もある、、とりあえず今日は結構身体が軽くて、良い感じです😆しかし、毎日仕事して生活するのって、何気大変な作業です笑。当たり前のように週5で仕事とかしてますけど、労働時間多いですよね🙄日本人は労働しすぎなんだよなあ、、🥸🥸適度に休み休み生きていきましょうね𓂃🌿𓈒𓏸🌱追記🌱→仕
洞山無寒暑(とうざんむかんじょ)苦しみから逃げようとするな(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))寒いときには寒さになりきり、暑いときには暑さになりきる。ここでいう寒暑とは、生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)など、人間にとっての根源的な苦を象徴しています。根源的な苦を乗り越えるには、生きるときは生に徹し、老いたら老いに徹し、病になったら病に徹し、死ぬときは死に徹することだと言っているのです。(出典:「くじけない心をつく
和光同塵(わこうどうじん)自分をひけらかすな(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「ほんとうに知っている人は知っているふりをしない。知ったかぶりをする人はほんとうは知らないのだ。ほんとうに知っている人は知識をひけらかさず、持てる力を隠し、自分を主張せず、自分の才能を表に出さないようにして俗世間と同化し、教化(きょうげ)するものだ」中国春秋時代の老子の言葉です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))
子生而母危(こうまれてすなわちははあやうし)悲観・楽観、どちらにも陥るな(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))子どもが生まれるときは、母は危険な状態となる。幸せなことと不幸せなこと、その可能性を含め、表裏一体である。お金を持っていると、お金を盗まれやしないかと不安になる。だから、どんな場面に直面しても、あるがまま、なるがまま、自然に受け止めることが大切である。すべてを受け入れること、である。悲しいことを受け入れる
前後際断(ぜんごさいだん)「いまここ」に生きる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))過去は変えられない。タイムマシンがあり、過去に行って、過去を変えることができるかもしれないが・・・、それは、SFの世界であり、現実にはない。未来は変えられる。変えることはできても、未来のことを考えるよりも、今を大切にしたい。今があるから、未来があるのだから。過去があって、今がある。今があるから、未来がある。今を生き
私を傷付ける嫌な人のことで頭の中がいっぱいになった時、お気に入り人、物、時間について考えるのを増やして嫌な人の存在を大したことないものに変えることがあります。「幸せになる方法」と検索した時、スヌーピーの名言を見つけました。Idon’thavetimetoworryaboutwhodoesn’tlikemeI’mtoobusylovingthepeoplewholoveme.僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ僕は
盤山精肉(ばんざんせいにく)すべての人がそれぞれに尊い(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「幽州の盤山に住む宝積禅師(ほうしゃくぜんじ)が町を歩いていると、一人の客が肉屋でイノシシの肉を買うところが目に入った。見ていると、客は肉屋に『上等の肉を一斤(いっきん)切ってくれ』と言う。すると肉屋は包丁を投げ出し、腕を組んで言った。『だんな、うちのどこに上等でない肉があるというんですか』と。これを聞いて、禅師はいささか悟るところがあった」(出典:
趙州狗子(じょうしゅうくす)ものの見方を変えてみる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「一人の僧が趙州和尚(じょうしゅうおしょう)に尋ねた。『犬(狗)に仏性(ぶっしょう)はありますか。それともありませんか』と。すると趙州は『無』と答えた」唐代の禅の名僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の逸話です。ある日、修行僧が趙州に、「犬に仏性はあるか、ないか」と質問すると、趙州は「無」と答えたというのです。(出典:「くじけない心をつくる禅の
隻手音声(せきしゅおんせい)他人と比較するのをやめる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))両手でバンバン叩くと、音がする。しかし、片手でバンバン叩く…ことはできない。片手で叩いた音は、どんな音なのか?そもそも片手で叩くことはできない。仮に、どちらかの手を動かしても・・・。風を叩くのか?風を叩いても音は出ない。片手の音とは。禅問答で、問いかけられても、わからない。隻眼をふと思い出した。隻眼とい