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円空上人(1632-1695)江戸時代前期の修験僧であり仏師。美濃の国、今の岐阜県に生まれ30歳の頃出家し、全国を行脚し仏像を彫り続けました。円空上人が彫った、独特な形をした仏像は「円空仏」として親しまれ、その数は全国で12万体に及ぶと云われています。落石防護ネットが掛けられている、この虫食いのような洞窟のある大きな岩は、熊石村の黒岩と呼ばれ「隠れ座頭」と呼ばれる妖怪が住んでいたといわれています。岩の下には御影石の立派な石碑が建っていました。円空上人は八雲町熊石地区
2024年4月18日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------八幡宮在右同所、宮方一間、當社亦為泉田氏之鎮守、上棟文曰奉再興八幡宮大檀那小林甚左衛門信則・其子内匠助清則慶長廿年乙卯應鐘吉日〈泉田氏去泉田邑、後小林氏居當邑、以当社為鎮守乎〉、奉再興八幡宮大檀那勝胤公明暦元
永観堂エリアから南禅寺エリアに戻ってきました。南禅寺会館の駐車場の脇に佇む趣のある築山。よーく見ると、鳥居と祠があります。築山の周囲をぐるぐるめぐって、神社へのルートを探します。たどり着いた先には、綾戸大明神とありました。綾戸大明神は、綾戸小路に住む亀山法皇の牛飼の舎人で醇酒を造り献上し、法皇に愛飲されました。舎人の死後、霊現があり、これを祀ったと伝えられています。
一般社団法人浪江町地域文化フォーラム理事の西村慎太郎です。4月12日に北幾世橋地区の調査に行ってきました。内容は「泉田八景」として詠まれた大熊野・小熊野と称された大字北幾世橋の地域(おそらく字荒井)を確認するためです。歌題として詠み込まれた「泉田八景」については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/namie-gongendo/entry-12847786705.html残念ながら、大熊野・小熊野については確認できませんでしたが、字町尻に興味深い森と祠を確認
2024年4月17日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------三宮在渋井、宮方一間、社田一石四斗〈二斗四升一合〉〈南泉田、明暦四年・貞享四年二、有勝胤公・昌胤公印證〉、𦾔社〈一宮在小丸邑、二宮在新田邑花光院近傍、三宮則當祠也〉所祭豊斟渟尊〈神影木体、長五寸、形似大黒〉、
追いかけて須原宿を見下ろすお気に入りのポイントへここにも大きな桜の木と祠があるのでいい景観なのですが肝心の桜は散り始めていました。2024.4.128084レ須原~大桑ここではワイドもいいけど須原から発車してゆっくりと進むロクヨンを圧縮して切り取ってみました今年は開花が遅れたかと思えばパッと咲いてパッと散るそんな印象です。追っかけはオマケ程度で考えているのでこれでオッケーです。
2024年4月16日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。かなり多いんで何回かに分けて書きます----------------------------------------稲荷〈正一位〉・金毘羅二神合祀、宮方二間、在古城、社料四斗五升〈貸地〉、旧在南幾世橋十日林、文化元甲子年遷于古城、別當修験泉田山来祥院、------------
2024年4月15日。前回は「ゴジラの木」と称された北幾世橋の祠がある場所について書きました。そういえば、旧北幾世橋村内の祠について、これまで検証していなかったので、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみたいと思います。かなり多いんで何回かに分けて書きます----------------------------------------市幸大神祠在横町、祠官鎌田和泉正祭昌胤公霊神于市中建祠、祈市廛繁盛
2024年4月14日。昨日のブログでは北幾世橋字町尻の祠について書きましたが、Facebookでいろいろな方からコメントを頂きました🤩どうやら「ゴジラの木」と呼ばれていて、幾世橋小学校の子どもたちをはじめとして、浪江小学校の学区の子どもたちにも知られていたようです。現在では少し小さくなってしまったようだす。ところで、2010年の住宅地図を見ると、「ゴジラの木」があるところは桑畑の地図マークになっています🤩実は桑畑の地図マーク、2013年に廃止されているので、これはこれでたいへ
薔薇十字が形取られた珍しい祠。十字架はすぐ目に入ったのですが、その辺りを凝視していると薔薇が浮かんできて、祠にバラ??とビックリしてしまいました。この祠は茨城県のとある素敵なレストランのお庭にあり、お店の方に了解をいただき投稿させていただきました。この祠はオーナーさんが手に入れられる前からだと思います。築年数は約150年。薔薇十字団という秘密結社が17世紀にはすでにあったそうで(架空という説もあるそうですが)、その一部の方がフリーメーソンを…そんな話があるそうです。クリスチャン・ローザ
2024年4月13日。ここのところ北幾世橋について検証していたので、北幾世橋に行ってきましたが、字町尻に不思議な空間がありました。少し窪んだ空間に植栽とともに祠があります。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)には字町尻に寺社は確認できません。古墳の可能性もあります。何かご存知の方は御教示ください!!🤩
先日の春の嵐で祠の周囲が木の葉で散らかってる🍂😅💦祠周辺と、手前階段を軽く掃き掃除した後、人々の『霊性開花』を祈り、『エネルギーの解放』をさせていただきました。【掃き掃除前🍂】【掃き掃除後✨】盃のお水も綺麗にして✨☺
アラハバキ神さん関連でお参りさせていただいてます。拝殿、左一番奥には、聖徳神社さんがあります。狛犬ならぬ、シャチホコ✨☺諏訪湖も眺められます✨🌈☺
アラハバキ神さん関連でお参りさせていただいてます。拝殿左右には、沢山の摂社、末社や祠がありますので、人々の更なる『霊性開花』を願い、『神戸開き』させていただきました。↑神楽殿巫女舞浦安の舞を表現したネブタ。
今日は、道南の知内町に鎮座する、重内神社を紹介します。<所在地>北海道上磯郡知内町字重内<例祭日>9月15日<主祭神>・不動明神<配祀神>・別雷神(わけみかづちのかみ)・加茂御祖神(かもみおやのかみ)・宇迦魂神(うかのみたまのかみ)<由来>明治18年(1885年)。福井県から重内へ、入植してきた村民。自分たちの守り神を信仰の中心にしようと、明治25年(1892年)頃。祠を建立し、祀ったのが始まりとされて
今まで知らなかった丹鶴姫の祠があることをたまたま渡された本で知ることになり探してみることに。。。本には住所はのっておらずおおまかな地名だけお城の近くには間違いない歩いてもみたけどわからず地元の人にきいても知らない家に帰ってグーグルマップのストリートビューであたりをうろうろ祠の後ろ姿を偶然見つけあれ?もしかしてこれかな?ぐるぐるその周辺まわってみる入口みつけた好きなカフェのすぐ裏だったさっきカフェ行ったばかりだったけどまたすぐ車をはしらせるドキドキ💗ありましたー
力侍神社元宮紀伊国名草郡和歌山市神波(詳細住所不明)(ニトリ岩出バイパス店より徒歩15~20分)■祭神天手力男神力侍神社の元宮とされる社。◎現社地の北西500m余りに位置しています。ブロック塀で囲われた小区画に、小祠と御神木と思しき樹木、石灯篭等が設けられ、細々と奉斎が続けられているようです。◎社伝によると、熊野本宮大社の旧社地である大斎原(おおゆのはら)から平安中期に当地「神波(こうなみ)字桑畑」に遷座されたとしています。これが当社「元宮」。さらにかつて「上野」に鎮座してい
男女のカップル、私とネコくんの計4人で、どこかに向かっている。行き先は、誰かの家のよう。ネコくんは運転手。道路の左側に、オードリーヘプバーンをモチーフにした部屋があるホテルを通り過ぎる。更に進むと、石づくりの短いトンネルか陸橋をくぐる。抜けた先の右側に、くの字になった階段がみえる。階段の踊り場には大体直径1m、高さ10mの木があり、木の前には木で作られた小さめの祠。木と祠の手前には灰色の石の鳥居がある。気にはなったけど、そのまま通り過ぎる。目的地の誰かの家に到着。出発前に私が
みにゃさま・こんにゃちわ小四角兄・妹ニャンズですニャ#世の中にたえて桜のなかりせば・1.2.3ニャンズは小雨が降る・・寒い朝04/06・・・近所をお散歩・・やっぱり・・桜🌸が気にニャって小さな祠・・と桜🌸ニャンズが到着したら・・雨がやみましたニャ黄色は・・菜の花畑八重の桜寒山は・すでに・咲終わりころ・🌸いつものウナギ・・食べに行きました・・・うなぎ料理「川魚根本」埼玉県三郷市埼玉県三郷市にある鰻店です。秘伝のタレ、こだわ
今日は、月に一度の神社や祠にお参り。汗だくになりながら歩いていきました👣汗をふきふき歩いていると、道端や空地のあちらこちらに、小さな淡い青色の花が咲いていましたツユクサのような小さな青い花です。帰って調べてみると、オオイヌノフグリゴマノハグサ科クワガタソウ属だそうです。よく見るとこんなにかわいくて綺麗な花なのに妙な名前がついていました今から、明日のイベントのため歌の仕上げを行います明日は『4月のステージ予定』ぼやぼやしている間に、3月も下旬に向かっています🎵4月
今日もパーティーに必要なポケモンを育成していくんですが、あとはハバタクカミ、カイリュー、パオジアンの3体💡今は前期6位の方のパーティーを作っている途中で、これまで育成したのはこちらです↓『sio』今期こそはランクマで良い結果を出したい!と前期上位だった方の構築記事を読んでいるんですが、なんと4位と6位の方のパーティーにこいつの姿が❗みんな大好きキョジオ…ameblo.jp『ウーラオスを育成するために久しぶりに学校最強大会へ❗』マクさんから頂いた連撃ウーラオス✨今まで敵として何度も私
不明社(王寺町元町)大和国葛下郡奈良県北葛城郡王寺町元町1-12(「元町1-12-1」の天理教葛廣分教会の東隣)(P無し、王寺健民運動場駐車場のある交差点から北20m)■祭神(不明)「大和川」に「葛下川」が合流する手前の丘陵地、幹線道路沿いに鎮座する社。当社に関する資料等は見当たらず、社名以下、一切が不明。「王寺健民運動場」のある交差点から撮影。瑞垣があるところが当社。以前より神社らしきものがあると目を付けていました。GoogleMapに登録しておきました。境内には石灯籠
送迎水神社若宮(ひるめみずじんじゃわかみや)大和国葛下郡奈良県北葛城郡王寺町太子3(「太子3-7-4」の民家の道路向かい)(駐車スペース有り)■祭神(不明)聖徳太子の通ったとされる「送迎道(ひるめみち)」沿いに建つ社。◎「送迎道」とは、太子が河内(現在の柏原市国分東城町)から法隆寺へと通う際に、現在の王寺町「畠田」まで送り迎えをしたという道のこと。「明神山」(標高274m)越えの道。◎「明神山」山頂には水神社が鎮座。当社はその遥拝所として建てられたとようです。その水神社の前身
✨青面金剛✨(舟形光背立像)🗺石切🗺天明四年(一七八四)✨全高400㎝✨全幅260㎝✨一面六臂三猿昔は組毎に庚申が行われ何年かに一度の七庚申の年に当たった時は皆んなが使っていた箸を塚におさめ村人達の無事と豊作を祈ったといわれる!!この祠を調べましたが???わかりませんでした💦💦⇩✨道標✨⇩⇩✨ヨゴレネコノメ✨⇩かわいそうな名前だとよく言われるが,その名前のおかげで一度聞いたら忘れないという人が多い。山地の湿ったところに生える多年草💐イワボタンの変
宝探し梵旦2024.3.30オサカナ🐟イナイカナ🐶さてさて。最初は水が苦手と聞いていたけれど…実は案外大丈夫な愛犬。海は慣れていない様子でしたが…👇『今年のGW梵旦始めての海!』可愛いすぎる初めての海友人が別荘に招待してくれました♪千葉県いすみ市サーフィンが好きなご主人うんうん波が呼んでるね〜🏄道中…千葉って案外大きくて。神奈川県か…ameblo.jp川はどんどこ行きます。青梅の多摩川、梵旦のテンションが爆上がり待って待って、それ以上はいけないよ!Oyoが濡れちゃ
拝殿の左も沢山のお社や祠があり、可能な限り、一つ、ひとつ、地球、人類の『霊性開花』を祈り『神戸開き』させていただきました。愛の応援エネルギーを乗せてくださっている皆さん、ありがとうございます。は
こんにちはブログのご拝読、いいねボタンをありがとうございますm(__)mブログの更新時間はいつも『12:00前後』となっております鑑定をしていると、庭にある祠をどうしたらいいのでしょうか??と悩まれ相談してくる依頼者様がいらっしゃいます依頼者様から祠とかの相談がなくても他の事の霊視をしていると依頼者様の家にある祠が視えてきて私に訴えてくるので鑑定内でお伝えする事もよくあります元々家に祠があったが何の神様が祀られているか分からないとか、お稲荷様の祠だと分かっては
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」432岩谷堂聖徳太子堂・山門を少し下りてくると途中に岩谷堂岩窟古墳聖徳太子堂の矢印看板が目に入ります。・山門に向かって右側崖上に祠が見えます。もしかしてそこ・本堂を左上に望みながら進み急な坂道を登ると祠にたどり着きます。・祠を覗いて見ると中に小さな像が・・
赤い鳥居が見えてきて、左上に石仏がありました。鳥居の向こうの、赤い祠にお参りしました。祠から見下ろした赤い鳥居と十八丁小屋です。
右上を見上げると、祠がありました。登山道沿いには小さな水鉢がありました。