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安倍晴明は三皇内文を授記していたという話がある。三皇内文とは何か。道書の「抱朴子」に記載されているところでは、「余鄭君の言を聞くに、道書の重きは、三皇内文五岳真形図に過ぐるは莫し。古仙官至人此道を尊秘し、仙名有る者に非ざれば、授く可らざりし也。之を受けて四十年にして、一たび伝う、之を伝うるに血をすすりて盟い、質(にえ)を委きて約を為す。名山と五岳には、皆此の書有り、担だ之を石室幽隠の地に蔵むるも、応(まさ)に道を得べき者、山に入りて精誠に之を思えば、則ち山神自ら山を開きて、人をして之を見し
今回は、ファミコンの神仙伝です。中華風の世界を舞台としたRPG。システムはノーマルなRPGですが、四神獣の名を関した剣が出てくるなど、西遊記や封神演義が好きな方の琴線に触れる世界観となっています。動作環境は、レトロフリーク。それでは、ソフトですタイトル画面。地味では、少々ストーリーを進めていきます。まずは名前を決めて何者かが追われている場面から物語は始まりますどうやら玄武王という悪者が白虎が持っている宝剣を狙って
今日は何の日1989年12月15日発売ファミリーコンピュータソフト神仙伝ViewthispostonInstagramApostsharedbyhiro(@hirohiro_aaa)hiro@hirohiro_aaa今日は何の日1989年12月15日発売ファミリーコンピュータソフト神仙伝#今日は何の日#1989年12月15日発売#ファミコン#ソフト#神仙伝@retoro_modehttps://t.co/BomxRTwa182021年12月15日15:06
(沢田瑞穂訳、平凡社ライブラリー、1993年9月)。一言で言うと、仙人の伝記集です。仙人なので180歳とか300歳とか、あるいは不死の境地に達したとか、とにかく長生きです。日本の往生伝は日頃よく念仏を唱えていて(あるいは観想していて)、死ぬとき、紫雲がたなびいて、極楽からお迎えが……という具合にワンパターンで、私は読んでいてつまらないなあと思うのですが、『列仙伝』『神仙伝』は色々なバリエーションがあって、結構面白かったです(後に『
仙人【序初前】出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』歴史「十二支のうち丑『牽牛星』」山本芳翠筆『漢書』芸文志・方技略・「神僊」には10冊の書名が書かれているが、いずれも現代には伝わっていない。しかしそこに使われた単語から内容を類推できる。「歩引」は馬王堆から発見された図「導引」と等しく呼吸法などを含めた体の屈伸運動で、長生きの法の一つである。「按摩」は現代と同じ意味、「芝菌」は神仙が食べたというキノコ、「黄治」は錬丹術を指す。これらは黄帝や伏羲など
仙人出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動この項目では、中国の仙人について説明しています。仏教の漢訳経典での訳語の仙人、聖仙については「リシ」をご覧ください。"八仙渡海図"[1]道教基礎道·徳·無極·太極·陰陽·五行·気·内丹術·無為典籍老子道徳経·荘子南華真経·列子·参同契·抱朴子·黄庭経·度人経·清静経·雲笈七籤·道蔵神仙三清·玉皇大帝
本日から11月29日17:30まで十二国記のHP上で新潮社の「波」に掲載されている小野不由美さんのインタビュー記事が読めます!(リンク張ってますので)日ごろ、余り語られることがない小野主上なので、読んでいて、おお!と思うことしばし。そして、山海経と西遊記、水滸伝等が十二国記の元なのねぇと(詳しくは記事をお読みください)山海経と西遊記は読み終え居るんですが、実は水滸伝がねぇ、かなり前に月に一冊出ていた時に揃えていたんですが、どーして竜子女娘々が出てきた辺りでとまってしまう
背中が痒い時に使うとても便利な道具「孫の手」。しかし、本来は「孫の手」ではなく「麻姑の手」で、中国の「神仙伝」に出てくる爪が長かった仙女の名前「麻姑」が由来。それが16世紀頃に日本に伝わってしばらくすると、麻姑の知名度が低かったことと、小さな手の形から多くの人が「孫の手」だと思うようになり、それに合わせて形状も仙女の手から子供の手ににせて作られるようになった。
最近気がついた凄いモノ。それは…孫の手!!背中の…そう、あれはまるで陸の孤島のような部分に生じた焦れったさ込みの複合的な掻痒感。(要は手が届かなくて掻けないよね。「あー、あとちょっと指が長ければ」という苛立ち。)そんな、おそらくは人類創世記から連綿と続いてきた苦悩を孫の手は我々から腕(手)1本で排除したのですよ。トレビアン!!誰が発明したんだ?ノーベル賞でいえば平和賞に値する。痒みを緩和したんだから医学賞か。いいですか。手が届かないからって、テレビ
広州あんてぃーく倶楽部(KAC)の11月度活動報告になります。今月は、道教・仏教の聖地羅浮山に点在する文物を見て回りました。■日程11月18日(日)■スケジュール0730地下鉄1号線・体育中心駅B出口集合0915羅浮山(朱明洞<葛洪衣冠塚、東江縦隊記念館、冲虚古観、稚川丹灶、東坡亭、会仙橋、洗薬池>)1140食事1230羅浮山(黄龍古観、黄龍宮、華首古寺)1500羅浮山出発1630広州到着本日の天気は曇り。気温が下がる
背中など、手が届かないところを掻くのに重宝するのが孫の手。孫にかいてもらうのに似ているから「孫の手」と思っている人も多いですが、本来の由来は別にあります。孫の手の発祥は中国です。中国では「孫の手」ではなく、「麻姑(まこ)の手」と呼ばれていました。「麻姑」というのは、中国に伝わる「神仙伝」という書物に出てくる仙女のことです。麻姑は爪がとても長くて、「あの爪で掻いてもらったら気持ちいいだろうな」と想像して作られたのが、孫の手の始まりといわれています。孫の手が日本に伝わって来たのは150
いつの頃からか江戸時代の小説が好きになった。そのきっかけは若かりし頃、吉屋信子の「徳川の夫人たち」という本に出会ったのが始まり。その後山岡荘八の「徳川家康」、池波正太郎「鬼平犯科帳」、「剣客商売」など、文庫本をシリーズでそろえては読んでいった。そんな中で石川英輔の大江戸神仙伝に出会った。面白さに引き込まれこれもシリーズを読んでしまった。この方、江戸時代のいろんなことについて書かれている。江戸時代のエネルギーやリサイクルなど無駄のない生活様式など。今読んでいる本はこれ。昔の絵の中か
赤い鯉が竜の子という琴高の話をしました。そこには「潜」「浮遊」の字がみえ、景行天皇と弟媛の用語「くくり」「浮かべて遊ぶ」が対応していたと考えられます。弟媛が鯉を見に来たのも、琴高の故事をなぞっています。鯉に乗って昇天した子英の話でも、ひげのある鯉に角や翼が生えたと記されていて、竜の子が暗示されていました。登竜門は、「竜門という急流を登り切った魚は竜になる」伝説からきている言葉ですが、この魚として鯉が最も当てはまることになります。鯉が急流を登りきると竜になる姿は立身出世に通じ、日本
前回は、鯉に乗って昇天した子英という仙人の話をご紹介しました。これは、景行天皇と弟媛の話に「本話取*」されていると思います。弟媛を得るために、天皇は「くくりの宮で鯉を池に浮かべて」いました。「くくり」には「泳」の字があてられていますが、「潜り(くぐり)」に通じます。潜りは、奈良・平安時代は「くくり」と読んだそうです。子英は「潜」が得意で、赤い鯉を捕まえ、それを池で飼ったのでした。「くくり」「鯉」「池」がセットで出てくることで、子英の話が連想できます。「浮」も、昇天を暗示
景行天皇と弟媛の話で気になったのは、「くくりの宮で鯉を池に浮かべて遊ぶ」くだりでした。なぜ、わざわざこういう状況をいう必要があるのか、と気にするのが「うら」読みです。最も印象的な言葉が「鯉」です。鯉といえば、中国では仙人が鯉に乗る話があるそうです。…子英という人は水に潜って魚を捕らえるのが得意だった。赤い鯉を捕まえてから、色がみごとなのが気に入り、持ち帰って池で飼った。鯉は一年もすると生長して一丈(約2m)にもなり、ついには角や翼も生えてきた。子英は気味悪くなって拝礼