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秩父今宮神社から住宅地を抜けると今宮坊があり、観音堂と勢至菩薩堂が並んでいます。今宮坊が別当として観音堂と八大権現社(現今宮神社)を管理していましたが、明治の神仏分離で、別になっています。https://ameblo.jp/yoichi101/entry-12646927008.html『秩父観音札所十四番長岳山今宮坊』今宮神社から住宅の間に道を進むと今宮坊があり、以前は神仏混交で今宮神社と一緒だった感じです。秩父札所十四番長岳山今宮坊地理院地図/GSIMaps…ame
大変、お美しい阿弥陀如来様。ご住職が天台宗の事、神仏習合、神仏分離の事を本日のメンバーに色々と詳しくお話下さりました✨ご住職、ご丁寧にご説明ありがとうございました☺✨
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言津島市中野町青龍山吉祥寺八劔社山門本堂拝殿入口拝殿前拝殿内夜のお勤め三十三観音山号は青龍山。真言宗智山派。慶長13年(1600年)以前の創建といわれ、明治元年(1868年)の神仏分離までは門前にある八剱社の社僧坊でもありました。ご本尊は不動明王さま。また、津島市で二つしかない三十三観音像のあるお寺として有名です。ホラガイいっぷく写経本日の写真です。私の知人宅(愛知県稲沢市祖父江町)にあった大
神仏分離令(神仏判然)と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)神仏分離令あるいは神仏判然これは本によって「神仏分離令」と書かれている事もあり、私はそう覚えていましたが、『神社のいろは・続』では「神仏判然」と書かれています。明治政府は、慶応4年(1868年)3月、神社を神祇官に管轄させるという布告を出しました。これにより、神社と朝廷を取り次いでいた「伝奏」が廃止されます。次に同月に「神仏判然」が命じられます。これにより、僧職にある別当と社僧が神社の祭祀に携わる事を禁止し、大菩
弘法大師生誕1250年「三教指帰」遍路も四国は最終日となりました。この度の私的に意図した霊地はお陰様で全て巡礼させて戴きました。また次の機会にさらにテーマ毎に巡礼を企画したいと思います。さて、本日は讃岐国から阿波国へ戻りますが、途中で時間の許す範囲で巡礼、遍路です。金刀比羅宮善通寺から程近い距離となります。明治の神仏分離までら神仏習合でしたが…長い石段を登ります。祓戸社本殿大物主大神今回の遍路以外の理由で大物主大神様にはご挨拶をさせて頂く予定がありましたので参詣
☆皆さまの毎日に良いことがありますように~♪★浄秀(理沙)★2023.4.14.に参拝した御開帳中の武相卯歳観音霊場の30番、高巖寺(元町自治会館が管理しているお寺)で、12年に1度の御開扉4月上溝高巖寺など|さがみはら中央区|タウンニュース12年に1度、卯年の春だけ御開扉(ごかいひ)―。東京都と神奈川県の県境に点在する、普段見ることのできない観音様48カ所をお参りできる「第23回武相卯歳観音霊場開扉」が4...www.townnews.co.jpお寺の年表が書かれ
鎌倉で大仏といえば、鎌倉大仏殿高徳院でも、十二所の光触寺にも大きな仏頭があり、こちらは檀家しか拝顔できない貴重な仏様。いまはなき大慈寺に安置されていたものだと言われています。ちょっとエキゾチックなお顔立ちです。そして、私がたぶん一番好きな仏様は、人形町の大観音寺にある鉄製仏頭。鎌倉の大仏様のお顔が2.3mに対して、大観音寺の聖観音菩薩様の仏頭は1.7m。もともとは鎌倉にあった仏様が神仏分離の時代に海に流され、人形町の商人の方々によって運ばれたのだとか。こちらは毎月11日と1
昨夜は、某ビジネスホテルの浴槽で、汚れ物の洗濯を済ませ、熟睡しました。コスパ的には安価で二食付きで、しかも遍路道にある「遍路宿(旅館)」がベターですが、俗にいう「当たり」「外れ」があるのが、悩みのタネです。さて「63吉祥寺」から、3.4㎞先にある「64前神寺」に向け出発です。平坦な道を歩いて行くと「石鎚(鉄)神社」があります。ここに、かっての「石鎚山信仰」の要である「(里)前神寺」がありました。千年の昔から「(奥)前神寺」として石鎚山の山腹(1400m)にありましたが、江戸期に麓
弥生もう末になり、令和4年度も終わってしまうわけですが、新年度を迎えるからと言って特に何かが変わることも無い〝火打石〟夫婦の淡々とした生活…そろそろGWの計画も立てねばなるまいとは思っているのですが。年始の参詣記もまだ書き終えてないのにGWの計画とは好い気なものですが、でももう決まってるんですよね、〝火打石〟の行きたい所は…陸中一宮駒形神社さんと世界遺産平泉。一の宮巡拝を再開して、長年の夢だった平泉での寺社めぐりを果たすという夢を抱いているのですが、実
昨日のビジネスホテルは、部活の高校生で満館でした。朝食会場が大混雑で、私は朝食を食べそこねましたが、若い人達の姿を見て、元気を貰いました。歩く遍路道は「遍路道保存協力会」の地図に準拠しています。「伊予亀岡駅」から再出発です。「佐方集落」の旧道を通り、国道196号に合流すると、すぐに山側へと旧遍路道を案内する「道標」があります。この道標を右へと入り、一寸した山越えをすると再度国道に合流しますが、角に、村に「悪病や悪霊」の侵入を防ぐ「五郎兵衛地蔵(大師)」がありました。国道から
昨年もお話をしましたこのテーマですが、「今日は何の日」というトピックスにちなみ、今年も皆さまへこのお話をお届けします。明治元年(皇紀2528・西暦1868)の「3月28日」に神仏判然の令が出されています。世にいう「神仏分離(令)」です。近世までは日本の神道と外来の仏教(北伝教派)が互いに影響し合い、独特の儀礼・教義を生み出していました。これを「神仏習合」といいますが、それを廃止したのが神仏判然の令です。まず明治元年「3月17日」、諸国神社の別当・社僧の還俗が命じられ、同28日に、権現な
毎月、朔日と十五日には麓の「若一王子神社」さまと「八坂神社」さまにお参りしています。出来ればその日に伺いたいのですが(笑)そうできない日も多く、伺えないときは神様にお許しを得たいと翌日か翌々日に伺えるようにしています。そんな昨日も伺えなかったため、今日伺いました。昨日に続き、今日も晴れてて嬉しいです。参拝客もいらっしゃらないので、独り占めした気分です。毎回のように書きますが、この「若一王子神社」さんの境内には「三重塔」があり、中には五智如来さまが祀られています。
暖かな日差しに恵まれた日曜日。CBと出掛けてきました。朝9時に出発。昼過ぎには帰ってこなければならないので、山梨県秋山のあたり(うらどうしみち)をブラついて帰ってこようと思います。まずは相模湖東インターで降りてここにやってきました。與瀬(よせ)神社GoogleMapで見つけて気になっていたんです。相模湖駅から程近いところの甲州街道沿いに立派な鳥居がありましたなかなかな雰囲気です。このあたりの鎮守の杜になっているようです。まもなく例大祭があるみたい。またもうひとつ大きな鳥居。
こんばんは!前回の続きで、道明寺にやって来ました。菅原道真ゆかりの地で、元は道明寺天満宮の南側にありましたが、明治時代の神仏分離により、現在地に移転しました。ふと気付いたのですが、この梅の木、ひとつの木に紅白がわかれて咲いてますね。大阪城梅林に、思いのままや、その他で同じように咲き分けする品種がありますが、これはなんと言う品種なのでしょうか?このあとは、次の目的地へ、ではでは!
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。明日は、今年最初の滝行ツアー。天川村に向かって今日から出発です。『3月12日己巳の日天河弁財天に』こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的ま…ameblo.jp今回は、なんと10名様に参加戴きました。ありがとうございます。神恩感謝マナと旦那様をいれると12名のツアーです。その内、滝行参加
国民国家と寺請制度明治新政府は、寺請制度をそのままにして神道を主とした宗教制度にしたかったが江戸時代260年続いた神仏習合をそう分離することは簡単ではなかったので神葬祭をする人はいるがそうは多くはないと言う理由らしい改めて学ぶ「神道」って何?神道の葬式が少ないのはなぜか|JBpress(ジェイビープレス)初詣に近くの神社にお参りするという方は多いでしょう。結婚式を神社で、という話もよく耳にします。しかしお葬式を神道式で、というのは非常に少数派です。なぜでしょ
幕末、長州藩も、会津藩もなぜ寺院を駐屯地としたのか?そもそも、寺院が城がまえになっていたりたくさんの宿坊があったりしたため駐屯地としたと言われている国民国家のもと廃仏毀釈とか寺領の解体とか神仏分離とか江戸時代の260年も続いた神仏習合の大きな力を解体するのは難しいことだったろうし城郭寺院ー金戒光明寺ー|KyotoloveKyoto.伝えたい京都、知りたい京都。くろ谷さんの愛称で親しまれる金戒光明寺も戦国時代から幕末にかけて本能寺などと同じく城郭寺院と
2023.2.15.深川不動堂参拝の帰り、高野山真言宗の永代寺を参拝しましたが、何年か前にいただいた永代寺の御朱印です。御府内八十八ヶ所霊場68番。江戸六地蔵の御朱印はまだいただいていませんでした。次の参拝時にいただこうと思います♪
2023.2.15.深川不動堂参拝の帰りに高野山真言宗の永代寺を参拝しましたが、こちらの花手水も美しかったです!Instagramにもたくさん写真が上がってますが、花手水って人気なんだなぁって思いました♪自社好きな人だけじゃなくて、花が好きな方にもファンが多そうです(笑)
2023.2.15.深川不動堂の帰りに参拝した高野山真言宗永代寺の石仏。派手で華やかな深川不動堂とはまた違った素朴な魅力が永代寺にはあります♪こういった石仏にふと気がついた時、心が癒される自分がいます。