35年前のことなのでイランへの出張より前の話になるが、川崎市にある本社の研究所に約3年間出向していたことがある。そこでも研究所のクラブチームと居住地のクラブチームの両方に所属していた。私の事を知っている人であれば、私が世の中の最先端の研究そのものに貢献できるはずが無いことは容易に理解できるはずだし、私自身もそんなことは夢の中でも考えたことが無い。本社としてあるデバイスを海外の展示会へ出展するための、そのデバイスを製造するための工数応援、それともしそのデバイスが商品化された暁にはその生産を私が勤め