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いつもご訪問ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡さて、伊豆下田旅行の後編楽しい思い出を書こう思ってだけどちょっとテンション低めなぜなら昨日、CTの結果今の抗がん剤が効いてないと言われてしまった(T_T)それは次回報告という事で温泉行って蕎麦でビールを堪能したところから!一緒に来た1組のご夫婦はここでお別れ残った4人は宿に戻って、3人は腹ごなしに散歩へ私はイィ気分のままお布団に直行お昼寝タイムちょっと寝て居間に行くと、おかぁちゃんがわんこをなでながらもう冷たくなっ
葬儀中、彼は母の車椅子をずっと押してくれた。母も彼に感謝でいっぱいと言っていた。私からもありがとう。本当にありがとう。父からも、ありがとうと言っていると思う。"太郎、すまんな。ありがとうな"って。
スミマセン先程投稿した記事がきちんと完了になっていない状態で投稿されていました。なので再投稿とやります最初の記事を読んで下さった皆様大変ご迷惑をお掛け致しました。最愛の娘リップに沢山のコメントを頂き誠にありがとうございました。リーちゃんへのお誕生日コメすら皆様に返信出来ていないのに…本当にスミマセン🙏皆様のコメントを読む度にリーちゃんへの温かなお言葉に涙が止まりません。皆様のコメント内容をリーちゃんに読んであげてます。リーちゃんが昨年の6月に発作を起こ
思い残し本年度幼稚園の本部役員になって、行事に参加する。大変だけど楽しい。昨日も運動会を終えて、夕方から今朝まで寝続けた。久しぶり笑。面白い。思えば、学生の頃の行事は逃げ腰だった。負けとか、失敗を味わうのが怖かったから。3年前に父を看取った時は、出来ることはした、させてくれたので、ありがとうの悲しみだった。もっと前に母を亡くした時は、後悔の悲しみで、何年も引きずった。在宅看護の現場で、お世話になったスタッフさんから、看取る直前になって、ああだ、こうだ言
今月で東松戸病院が廃止となります。本日で最後の診療となることから、どうしても見納めしたいと思い、院内見学をしてきました。ほとんど患者さんはいませんでした。よく利用した売店は綺麗に片付けられていました。母を最期看取った緩和ケア病棟。看護ステーションには誰もいませんでした。東松戸病院総務課職員と話をしました。しばらくは片付けや備品整理などやることがいっぱいあるとのことでした。母がお世話になっただけに閉院はとても悲しく、まさに私の心の中を表しているような大雨
1月21日初回放送、3月17日に最終回を迎えた朝日放送系日曜夜10時枠のドラマ全8話の最終回福士蒼汰演じる久米真和が岡崎紗絵演じる今村絵里加に愛を告げるシーン「………………90になっても仲良く庭の掃除をしながら落ち葉掛け合ったり詰んだ花を耳に指してあげたり歳をとってあなたが膝が痛くなったら病院の待合室で膝をずっと撫でてあげたいそんな人生ふたりで送ってさいごはあなたに看取られながら死にたいんだ」最近よく出てる前田公輝さんが気になり見始めたドラマ若者が人生を終える時
『あなたたちは、親のエゴだと言うかもしれないけれど』わたしの長女と長女の中学時代からの親友、H美ちゃんはふたりとも両親が離婚している長女は、高校生のときH美ちゃんは20歳のときとちがいはあるが。。。H美ちゃんの…ameblo.jpここに登場するH美ちゃんのおとうさん長年の愛人と一緒なのかと思いきや離婚してすこしして末期のがんが発覚し愛人に捨てられたそうで元妻のH美ちゃんのおかあさんに『最期を看取ってほしい』と頼んだけどおかあさんは拒絶いまホスピスに入っているらしくH美ちゃんが
こんにちは、あるいはこんばんは😎リラクゼーションセラピスト花咲か統合ワーカー足ぷろファシリテーターいとうまきです😺→いとうまきってこんな人です💐続きです☺️前回はボディスキャンヒーリングでのメッセージの1つ【役立たず】について書きました。その時に、もう1つ言ってもらっていた言葉があって。【見てるしかなかった】こちらは【役立たず】と違って、聞いた時にあまりピンと来なかったのです。これって今世??ピンとこない…過去世のことか??でも、その場に過去世を視れる律さんもおられたの
昨年10月末に肺炎で救急搬送された父、食べるということがわからなくなって、嚥下困難で、点滴のみの処置になり…肺炎は治ったので病院でできることはないから退院を迫られた😒最期の時まで自宅に連れて帰りたかったが、母の在宅介護で精一杯😣元の看護師常駐老人ホームに戻った点滴のみだから、年内もつかと言われた姉が頻繁に通っては、声をかけ、手足をさすったり、足元に電気毛布を入れたり、クラシックのCDを聴かせたり…献身的に世話をしてくれました他に私たちが両親にできることはないか?と自宅に連れて帰ってふ
1月21日10時45分訪問医療の医師に自宅にて看取っていただき永眠した父母は10年前に亡くなっていたので兄弟3人、兄、私、妹で父の最期を看取った一日のうちで覚醒している時間がどんどん短くなって16日火曜日訪問ドクターが父の顔をみるなり顔色悪いですね、眉間の皺が深いですねと、薬の増量を提案その日の夕方、今まで体位変換時に痛い痛いと言う事はあったけれど、それ以外で痛いと口にすることが無かった父が初めて痛いと何度か言い眉間に深い皺をよせた。その日から疼痛ケアの飲み薬増量。粉の薬を少量の水
生きていれば、92歳。去年のブログ見返すとその2、3日前にすき焼き食べたり兄貴家族がお祝いのケーキ🎂持って来てくれたり。亡くなって1か月以上経ちますが介護の日々が嘘のように記憶からどんどん薄れていきます。同じように、看取った方によく「故人との別れは辛いですが、丁度砂浜で作ったお城のように波に少しずつ流されて、無かった事が当たり前のようになりますよ。」とコメントする事があります。介護って、正直しんどい事ばかり。いつまでつづくか分からない不安。老いていく身内を見
火葬の日は雲一つない青空で、とても穏やかな日でした。まだ涙が出ます。淋しいよ。この3か月間、そらに教えてもらった大切なことがたくさんありました。・不安に捕らわれて今やるべきことをおろそかにしないこと、先送りにしないこと・行動することで道が開けるということ・愛する者、好きなことのために頑張るのは幸せなんだということそら、忘れないよ。ありがとう
セキセイインコのみぃすけさんと、ボタンインコの桜くんとで上京して早十数年。干支はとうに一回りを過ぎましたまさか東京で二人を看取ることになるなんて、実家にいた頃は思いもしませんでしたが。仕事も忙しく、体も壊し治療はまだまだ続いて、家族を見送り、我慢してきた反抗も起こり、でも新しく目指すものもあり。時折、寂しさで立ち止まったりもして。そんなときに、みぃすけさんと、桜くんのことを思い出します。そして、オカメインコの寅ちゃんのことも。この三人はなくてはならない存在で、私に愛という大きなものを教え
アシスニャントでおなじみるなおくん正式名ルナが一昨日辺りから元気をなくしてます病院に連れて行ったら老衰で腎臓がダメになってるとのこと何も飲まなくなり何も食べなくなり歩けなくなりただ眠ってゆっくりと虹の橋を渡る準備をしていますまだときおり顔を上げて周りを見回しますもう17才も後半年寄りだし変に元気だなと思ってたけど限界らしい寂しいけど悲しいけど苦しまないで逝けるようにと祈ります猫は仕方ない寿命が人間と違いすぎるもん猫を飼ったらこの別れ
12月20日(水)🌜20時🌛お水1本飲む。このスポイト、計ってみたら1本で30㎖ぐらい。思ったより少なかった…口に入れやすい。買った覚えないので、病院でもらったんだと思う…それから、家族が帰ってきたりとバタバタしてしまい、記録できず…५✍⋆*時系列で思い出そうとしても、脳が寝て起きない…何回もシートまで行き、おしっこ出ず…を繰り返し、なんとか1回は出ました。お水もちょこちょこ飲んでおり、夜中も飲ませ、シートへ行きたがってたので、おしっこしたいんだと思う。何度も起き上がろうと
私が目指す世界の一つに“死を日常に”というのがある。こんなことを言うと拒否反応が出る人がほとんどなのは当然わかっている。だけど私からしたら“生まれた人間は100%の確率で死ぬ”というごく当たり前で自然の摂理な話なだけでそれを話さない避ける現代の方が不自然だと思っている。だから私は娘と流産の話もするし亡くなった父の話もする。そんな“死”が日常の会話にある娘とのとある日の話で自分でもビックリしたことがあった。“Mommy,Doyo
こんにちは!ニューヨークから画家の千寿です。(プロフィールは、こちらから)12月13日水曜日の朝を迎えたマンハッタン。晴れ。人の一生は儚い。NYで家族のように仲良しの友人夫婦彼が突然病気にかかり6月、、、わたしがNYを出る時は笑顔で楽しんできてね〜って言ってくれたのに先月かえってきたときにはもう、会話さえできなくなっていた。そんなBくんに寄り添う奥さんLちゃんから本物の"
自宅で母を看取ると家族で決め、毎日を大切に過ごしています。仕事はお休みしながら、介護してましたが、職場から一旦区切りを…と言うことで退職することに。自宅で看取ると決めた時からいろいろな事を覚悟してたのでそう落ち込んではいません。今私ができることを母にしてあげたい。その想いのみ。職探しは今後しなければなりませんが、うん!なんとかなる!!前向きに捉えるとします(笑)今までお世話になった会社に感謝しながら新しい一歩踏み出します明日も笑顔溢れる1日になりますように♡最後
絵本と孫ちゃん大好き絵本講師しみずちえこです。6年生で母を亡くした私は未だ親を看取っていない。父を亡くした時も私は充分オトナだったけれど突然死だった父を看病も介護もできなかった。私はいつまで経っても半人前だ。甘ちゃんだ。親をきちんと見送れていない私は成長が足りていない。そんな気持ちを事あるごとに抱いてきました。NPO法人「絵本で子育て」センター所属絵本講師です。子育て中のお母さんお父さん、保育園幼稚園で子どもたちと過ごす先生がたに、絵本の力、絵本を読むことで育める
弱ってゆく君の傍らで朽ち果てるのを待つの
なんか眠れないなー父さん(夫)のことについて少しだけ書いてみようかな父さんは2ヶ月前にわたしのことを残して悪性リンパ腫で逝ってしまいましたわたしを残して逝くことはきっとすごく辛かったはず父さんも残される苦しみを知ってるから…父さんは27年前に愛する妻を乳がんで亡くした2人の娘が生まれたすぐ後からだから、闘病は10年以上にも及んだずっと病んでいた訳ではないらしいがその10年あまり常に不安と隣り合わせで本当に辛かったと思う父さんは自分から亡くした前妻さんのことを語ることはほと
絵本と孫ちゃん大好き絵本講師しみずちえこです。絵本読み聞かせ講師上甲知子さん(とんちゃん)が長い時間をかけて企画し、準備してくれた講演会と対談に参加させていただきました。NPO法人「絵本で子育て」センター所属絵本講師です。子育て中のお母さんお父さん、保育園幼稚園で子どもたちと過ごす先生がたに、絵本の力、絵本を読むことで育めるものをお伝えしています。熱く語っている過去記事『伝えたいことがあるんだ✨』絵本と孫ちゃん大好き、絵本講師しみずちえこです。NPO法人「絵本で子育て」セ
こんにちは!ニューヨークから画家の千寿です。(プロフィールは、こちらから)11月20日月曜日の午後を迎えたメイン州。はれ。マイナス2度。暖炉の火が身も心もあっためてくれる。NYCからボストンに移動し友人を訪ねてメイン州の小さな港町Camdenにきています。夕方4時なるともう暗くなりはじめて4時半には真っ暗なメイン州。マイナス40度くらいになるメインの冬支度前回、来た時はその友人と一緒にオーロラを見
父が11月6日に旅立った.穏やかに、愛に包まれて。今年は、誤嚥性肺炎から、入退院を繰り返し、その度に、広島に行き、見守っていた。正直、途中で、疲れたこともあった。でも、ユニークで、どこか悟ったところのある父は、60歳を超えた私たちなのに、まだまだ、父親でいてくれた。今年の5月ごろ、父のことを忘れないように書いておこうと、メモのような気持ちで、noteに書き始めた.お葬式のことを書いたらちょうど10回で終わった。自分の老いのことも考えた.亡くなる時、誰といたいかも。でも、私はい
今日おきたこと●今日も吐き気昨日から続いてる今日はほとんど寝てた今日感じたこと◆お散歩行けなくてごめんねそばにいてくれてありがとうペロペロ舐めてくれてずっと見てる心配してくれてるのかな?ワンコはそんな感じニャンコは相変わらず食べて寝てマイペースこの子達を看取るまでは私は不死身でいようと思う
心のつながり「絆」は、語り合うことから生まれるK17赤い自己存在の地球音42023.11.6心のつながり、絆を中心とした一体感を持つ🌏赤い地球🌏synchropointあなたにとって…「心のつながり"絆"」とは⁇認知症が発症してからほぼ10年父を送る日が来た一月半くらい前にも危機はあったものの…その後自発呼吸ができる状態を保ちながら少しずつ衰弱していた…母とのやり取りで揉め…弟が連絡役を担ってくれることになりお互いが思いやりをもってやり取りするこ
クッキーの相棒のマロンが旅立った。クッキーがいなくなって7カ月。たった7カ月で二匹いなくなってしまうなんて。いつからだろう。ヨタヨタ歩くようになったの。動画を見返すと10月10日はヨタヨタだけど前に進んでた。左目の目やには既に出てきてた。カリカリフードと練りエサを混ぜてもうまく食べられなくなってスプーンであげたね。一週間と少しくらい前からカリカリを嫌がるようになって老犬用のドロドロしたエサをお母さんが買ってきてくれて土曜日と日曜日に少し食べただけ。10月21日に長女が手であげた
うちの親戚は仲が良かったほうだと思っている。主に母方の親戚ですが、夏休み、冬休みなどいつもいとこ7人が揃ってた。危惧していたことではあったけれどそれがばあちゃんが亡くなってから一変。母の兄がばあちゃんの遺産を1人で横取りしたままになっている。(私の弁護士さんに依頼済み)この亡くなったばあちゃんの妹。このおばちゃん夫婦はうちの真横に住んでいた。ばあちゃん家は真向かい。このおばちゃん夫婦の一人娘、Aちゃんは私が物心着く頃にはすでに東京に住んでいたからたまに会うと「わぁ〜都会
長期療養していた同僚が先週亡くなった。職場では二人組だった一人。台湾に医師と看護師さんを連れてベッドごと帰国したのが9月。少し良くなったと聞いていた。指も動くようなり、携帯でタイプできると。まだ化学治療を受けていた。今月、58歳になったばかり。心で覚悟はしていたけれど、やはり涙が出る。なぜか?それは彼女が苦しんだ期間が長かったから。そして友人だった期間が長かったから。その日は早めに帰宅し、秋の夜長、ロンドンで買ったローズティを入れる。このお茶は、カフェインが多分入っていな
岡山市の家族介護教室に妻と一緒に参加しました。「妻を看取る」~在宅介護16年3ヶ月の軌跡~講師は本村昌文さん。33歳で結婚し2年後に奥様が倒れて自宅介護生活に。職を失い、奥様の症状にあった医療施設を探して岡山に。定職に就くも2年前に16年と3ヶ月の介護の終焉…奥様を看取る、、、その壮絶な介護生活を淡々と聞かせて頂きました。最後に本村さんから人生には「余白」が必要です。介護にも仕事にも経済的にも人間関係にも時間的にも…介護だけの人生にならぬ様に自分が先に逝くか