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中山世譜序私は、「夏、殷、周の三王朝では、徳によって民を感化する政治を執り行ったので、天下の人々は褒め称えたのだが、それが衰えてしまったら、政治を行う者が天に背き権力を乱用して私腹を肥やした。そうして多くの民に深い悲しみと不満が生じたのだ」と聞いている。全て自然にそうなったのだ。或いはこれをきっと天の為せるわざと言うのであろう。『書経』は、「君主が、自ずから君主の勤めを果たすものであることは難しく、臣下が、自ずから臣下の勤めを果たすものであることは難しい」と説いている。『詩経』は、「
はいさいぐすーよーちゅうがなびらっ(皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか)先日の投稿で「楊姓門中」のことや琉球歴史について触れたのですがその内容をちょくちょくInstagramに投稿していたところ・・・ここ最近になって同じうちなーんちゅ(沖縄の人)からメッセージをいただき、直接お会いしたりと交流がかなり増えてきました最初は「ワタクシと同じようなマニアもいるんだなぁ」と思うくらいでしたが琉球歴史を投稿すればするほどいろいろなアクションをいただくことが増えこ
!【緊急対談】開かれます!「世界10万人の祈り」へ向けて、必須な対談企画を開催します!!◆小林芙蓉先生&大石和美さん緊急対談◆【日時】地球時間2023年9月25日銀河時間白い倍音の魔法使いの年電氣の月6日KIN235【場所】流水堂(大阪府豊能郡能勢町)http://ryusuido.com/access/【時間】14時〜16時を予定(13時30分~受付開始)【会場参加費】2000円+1000円(流水堂入場料)流水堂年間パスポートをお持ちの人は参加費
「世界10万人の祈り」へ向けて、必須な対談企画を開催します!!◆小林芙蓉先生&大石和美さん緊急対談◆日時:地球時間2023年9月25日、銀河時間白い倍音の魔法使いの年電氣の月6日KIN235場所:「流水堂」(大阪府豊能郡能勢町)http://ryusuido.com/access/時間:14時〜16時を予定(13時30分~受付開始)会場参加費:2000円+1000円(流水堂入場料)流水堂年間
琉球国の国王にでもなったつもりかな。こいつが動いて何かが変わったことがあるんだろうか?要するにタマキンが公費で大名旅行をする理由づけだわね。。デニー知事が3月訪米へ米国務省や国防省などにPFAS問題訴え「訴え続けること重要」玉城デニー知事は10日の定例会見で、3月上旬から中旬に訪米する方向で調整していることを明らかにした。米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古新基地建設に反対する県の考えを伝えるほか、基地周辺の河川や地下水...ryukyushimpo.jp
(この記事は、2020年5月15日の記事を再編したものです)今日は、沖縄がアメリカから日本に返還されてちょうど50年になる日です。これだけ見て、ピンとくる人とこない人がいると思います。今日は少し、沖縄の歴史を振り返ってみたいと思います。歴史上で、沖縄の前身である「琉球国」が確認される最初の記録は、中国の『隋書』にある「流求国」の記載です。その頃、大和朝廷は推古天皇(日本初の女性天皇)の治世、つまり聖徳太子が摂政を務めていた頃…遣隋使が送られていた時代です。隋書には、流求国では隋の言葉
1700年代中期に描かれた「琉球国惣絵図(間切集成図)」。現在の地名とリンクさせると色々なことがわかるので面白い。もちろん、1609年の島津侵攻後の地図なので後期琉球国であり、島津干渉琉球国である。そんな時代にも関わらず、現在の糸満市の名城と真栄里の間に「崎中城村」が存在していることがわかる。現在、「中城」といえば、沖縄本島中部の東にある「中城村」「北中城村」となる。もし、この「崎中城」が元祖中城だったとしたら、沖縄史は大きく変わってしまう。「崎中城」=「
琉球王国の王府が編纂させた最古の地誌、琉球国由来記、より、みきとは何か?探っていきたいと思います。琉球国由来記-Wikipediaja.wikipedia.org琉球国由来記集|琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ琉球大学附属図書館の琉球・沖縄に関する古文献資料の教育研究資源を、社会的資源として、市民がこれら資料に気軽に親しみ、学習できる環境の整備と資料のデジタル化等を充実させることにより教育・研究の進展と文化資源のグローバルな利用を図ることを目的として、
画像は、沖縄県教育委員会発行「沖縄県史」図説編前近代。ご覧のように「龍柱」はこのような向きとなってます。この龍の柱がどこを向こうが上を向こうが、左右非対称だろうが、どうでもいい問題。しかし、沖縄のレベルの低い有識者たちは、この向きについて議論を繰り広げている。そもそも、首里城の誕生に関して、極めて曖昧であることを知ってもらいたい。1300年代なのか、1400年代なのか。霊山であるこのエリアを察度や金丸が王府とすることは有り得ない。現在、最も有力な説は1600年代
RBCの大盛伸二写真展開催RBC琉球放送RBCで多くのドキュメンタリー作品を手掛けた大盛伸二さんの写真展が浦添市で開かれています。浦添市城間の平敷兼七ギャラリーで開かれている...1960、70年代の琉球弧穏やかさの裏の過酷、東京で写真展中日新聞新規収蔵作品を中心に、沖縄に限らず、奄美群島から八重山列島にかけて弧状に連なる島々「琉球弧」で、主に一九六〇〜七〇年代に撮影された白黒...芥川賞作家の大城立裕さん死去作品で沖縄を問い続けるYahoo!ニュース中国・
文春文庫『天地に燦たり』川越宗一|文庫新直木賞作家、驚異のデビュー作日本、朝鮮、琉球。東アジア三か国を舞台に、侵略する者、される者それぞれの矜持を見事に描き切った歴史小説。松本清張賞受賞作。books.bunshun.jp作品紹介:文藝春秋BOOKSオンライン()よりの引用『熱源』にて第162回直木賞を受賞した著者の、第25回(2018年)松本清張賞受賞のデビュー作です。戦を厭いながらも、戦のなかでしか生きられない島津の侍大将・大野七郎久高。被差別民の靴職人でありながら、儒学を修めたい
公式様より発表がされました新刀剣男士一部公開発表が(*≧∀≦*)鬼綱さん以来の久しぶりの新刀剣男士になりお迎え出来るか分からないけど😅こちらの新刀剣男士もぜひぜひ我が本丸へお迎えせねばならない(`・ω・´)キリッTwitter刀剣乱舞公式様より引用しております。【新刀剣男士一部公開】本日、新たな刀剣男士の情報を入手しました!先行してビジュアルの一部のみ公開いたします!ゲーム実装時期などの詳細は今しばらくお待ちください△△#刀剣乱舞#とうらぶ#新刀剣男士審神
沖縄凄かったなぁ行く度に違う景色や違う香りがする春分明け、光があまりに濃くて美しかった海が冷たくて足をつけたらすごく気持ちよかった沖縄皆、ここに来ると一様に懐かしい気持ちになるのはなぜかしら帰ってきたそばからもう行きたくなるだから何度も何度も訪れることになる大好きな海ぶどうアグー豚アメリカンビレッジ日本でありながら琉球国である龍球でもあるヤハラヅカサの白いペンキも見れたし〔笑〕これも三十年たてばいい味がでるというものだわヤハラヅカサ事件▶︎こちらすべて
宮崎道場八尾木曜テクニッククラス窓を全開でセラ水【次亜塩素酸】をガンガン噴射!負けずにキック!パンチを発射!!!どんな時でもがんばろっ!かつて空手道は畳一枚の広さがあれば稽古できると言い。そのまたかつて薩摩藩の禁武政策により当時統治されていた琉球国(沖縄)に広まっていた武術を抑制されていた時代に一人こっそり修練するために作られたのが型であったと言います。。。。。。てなことを言いながら!手洗いしっかりとね!。。。。。世界を見渡すと30億人自宅で手洗いが出
西洋建築の日本伝播という文明史の根本的意味を問うた画期的な日本近代建築史エキサイトニュースようするに、日本は西洋建築のガラパゴス諸島だったのである。「そしてヨーロッパ建築の地球大旅行が終えたところから日本の西洋館の歴史がはじまる」。巧みな...3人の地震学者にきいた「子どもができる防災対策」から生まれた本『地図で見る日本の地震』時事通信本書ではこれに応えるべく、過去に日本で起きた大きな地震を網羅。...主な著書に『地震考古学』『地震の日本史増補版』(中公新書)、『秀吉を襲
沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)というところに行って来ました。ここは、琉球国を作られたアマミキヨ様という神様が降りられた、沖縄の皆さんにとっては、最高に神聖な場所なんだそうです✨✨お邪魔して帰る途中、道をとっとこ歩く猫ちゃんに出会いました。話しかけたけど、急いでいたみたいで、振り返りもせずに行ってしまいました😿💦💦
琉球舞踊の上り口説(ぬぶいくどぅち)にも登場する史跡『祟元寺』(そうげんじ)事務所から徒歩5分以内の場所にあるのですが、戦争で全焼。いまはただの広場。琉球国時代、歴代王の位牌を納めたお寺だったようで、この門の前は、位が高い人でも馬を降りて通過しなければならないと、注意喚起の古い石碑が残っています。入り口の石門だけは、綺麗に残っており、荘厳な佇まいで、門が空いていれば、中はチラッと見える程度。門が閉まっていた時期もあり、益々怪しいイメージでした。(笑)最近は、
元日は初詣でしょて事で、徒歩圏内の波上宮へいや~賑やかでしたてかね、寝所も繁華街にほど近い場所だった為に夜中もずーーーーーっと賑やかでした若者の嬌声とたまに来るパトカーのサイレンとマイクを通した声カウントダウンやけんしょうがないよね·····。寝れんな〜と思いうつらうつらしながら来る事3.4回。オマケに泡盛飲み過ぎた夫のいびき···。間違いなく寝不足そして、波上宮には絶対オールしたやろそして、そのまま今飲み続てるやろな若者も多数若いなぁー。おばさんには無理です。波の上ビーチも
おはようございます。いきなりですが、陰謀(首里城火災)の香りがしていたのは、私だけではなかったようです。そう思う人は多いんじゃないでしょうか?この方たちもユニークな見解で、そう思っているみたいです。沖縄人のトーマイタルさん、越智啓子先生、富士山ニニギ先生、他...↓以下は、富士山ニニギさんの日記よりシェアさせて頂きました。[mixi]富士山ニニギさん|沖縄のシンボル世界遺産の首里城全焼。テロの可能性。https://mixi.jp/view_diary.pl?id=19734
正観さんによると…。●「シュリ」は「一番のところ」という意味~後編島津藩の収奪はひどいものだったのですが、同時に、「琉球国を装わせる」という方針のゆえに、琉球文化が残った、と言えるのかもしれず……。ところで、首里城の入口には、「守礼の門」も復元されています。守礼の門にからめて、以下のことをどうしても書いておきたいのです。琉球の語源は何か、ということです。魚を「イオ」と発音することがあり、昔は琉球を「イオノ国」とも呼んだらしいのです。その「イオノクニ」が、中国の人に
こんにちは愛知県岡崎市フラワークラフト教室アトリエMフラワーのさとうえみです2日目は沖縄南部ドライブへまずは斎場御嶽へ聖地としてされてます岩や香炉があり、昔から今でも祈りの場所とされていますここから、久高島が見えて琉球国時代は拝んでいたそうです祈りの場所メインである場所↓大きな岩から作られた三角の通り道ここを抜けると、素敵な風景が美しい。近くにある知念岬公園↓
沖縄旅も3日目今回は、4泊5日の旅ですホテルも沖縄中心部の那覇に移動します真栄田岬へ〜ダイバーの方々が沢山いました風と波も強そうです以前札幌の講演会でお会いした越智恵子先生沖縄にある天の舞に足を運んで見ました沖縄に来ることがあれば行きたいなと思ってたので嬉しかったです石なども多数販売してました入り口入って正面になります先生は、🦉が好きなのかな天の舞の店内奥にはカフェ🍰☕️があります天使の羽の前で記念撮影してきましたここで、店員さんからとあるメッセー
沖縄の信仰これからお話する事は沖縄の信仰についてです。沖縄は実は琉球という1つの国でした。本土復帰という事で沖縄という名前に変わりましたが沖縄には琉球語と言う独特な方言もあります。琉球国は武器を持たずにアジアの国々と貿易をしたと言うのは有名なお話ですよねそれは、沖縄には琉球風水と言うものとヒノカンと言う神々のお力によって自国を守ってきたと言う斎場御嶽や首里城の神々が居たからです。それらの神々は久高島や粟国島そして、伊平屋島、残波岬におられる神々と繋がれそれら
首里城この建造物の一群が焼けてしまって1週間経ちますね。ここには、2008年に出向いています。那覇での初めてのダイビングを経験し、体内の窒素抜きのため、最終日はダイビングをせず、市内観光をしたのですね。タクシーの運転手と交渉し、昼まで半日案内してもらうことにしたのです。最初に連れて行かれたのが首里城。指定の門から入り、今回火元となった正殿の内部の見学をして、指定の門から出るとそこにはタクシーが待っていてくれ、次のポイントに連れて行ってくれました。首里城は、戦災で焼けてしまったのを
日曜日の午後です地下街のわしたショップに行ったら演芸会をやっていましたよ恋愛の歌が多い毛遊びのあるところだからきょうは離ればなれになった恋人の悲哀むかし琉球では米がとれませんでした米の作れる土地に強制移住させられました残された女性は嘆き悲しみますさんしんは三味線より昔からありますハブの皮を人間が音にするさわる人によって色は変わります見えないその色は音色といいます琉球は海を渡った所と交易をしていました穀物は技術と時間をかけて酒になりました植物