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私は、結局、37歳まで、24時間父と一緒に居ました。37歳までと言うと、短い親子の時間だったような気がしますが、おしゃべりの父のおかげで、濃密な父娘関係を過ごしてこられたので、そんなに短いとは思わないです。たくさん話をしていたおかげで、父が病気になって、余命がわずかになった時も、父の生き方を姉妹で理解していたので、父の望むようにしてあげられたと思います。ただ、すごいパワーで、私たちを守ってくれていた人だったので、亡くなった時の悲しさは、言葉に
うちの父の良い所は、思った事を口に出すところで、褒めるときは、聞く方が恥ずかしいほど褒めてくれました。生きている間、たくさんたくさん、私と姉に言葉を残してくれました。とにかく、本の好きな人で、寝る前は、自分の寝室で、ライトを照らして、毎日毎晩、小説を読みながら寝てました。2階の倉庫には、父の読み終えた蔵書が、底が抜けそうなほど、すごい量残っていました。「徳川家康(初版本)」、「華麗なる一族」、「芥川龍之介全集」日本文学全集、アガサクリスティー、
最初は、次の会社が決まるまでの小遣い稼ぎくらいにしか思わず、軽い気持ちで座った事務所の椅子でした。父も、そのくらいの気持ちだったと思います。いつ、「もう、辞める~」と言って飛び出して行っても良いと思っていたでしょう。私が、生まれた時、「また、女か~」と言って、病院に顔を見にも来なかったのに、私が、思いのほか、身体が弱かったので、怖かったらしく、本当に大事に可愛がってくれました。姉が生まれた時は、まだ、父も26歳で、「父親」の自覚も持てなく、遊び歩いていたそ
今日は父を病院に連れて行きました父と会うのは1年ぐらいぶりで私が会うのを避けてました🤣それは父と母と会うのが緊張するからなぜ緊張するのかというと怖いから💦何が怖いのか?というと(父や母が)急に怒るのが怖いからなぜ怖いのかというと小さい頃私が泣いた時(兄におもちゃを取られた)時に父が兄にものすごく怒って兄が号泣したのを見て怖いと思ったのが最初だったと思うそんなことを最近の出来事から思い出したりしてた時に父から電話があり病院へ連れていくということになりました病
実家に住んでいる為、まだ何とか生活は出来ても、師走となれば墓掃除が待っているアラフォーです私の働いている店、大晦日とか元旦に営業しない超絶ホワイトなんで昨日の休みは、父から坊やへのクリスマスプレゼントを買いに、2人してチャリデート🚲の前に、父が「昼ご飯食べてこい」と渡してくれたお金で、くら寿司🍣このビッくらポン、、、確率悪過ぎ無い?ラーメンとか味噌汁もカウントしてくれれば良いのにしないから、高級寿司並の値段になる因みに最後は苦し紛れのかっぱ巻き値札がもろ付いてるけど、坊やが選んだの
昨日は夕方から父とお出かけでした。母と二人はよくあるけど、父と二人は珍しい。行先はNHK大阪ホール、上方落語の会の公開録画です私の両親が落語好きで、その影響で私たち夫婦も長男も落語が好きになりました今時はテレビやYouTubeでも色々見られるんですが、好きな落語家さんの会とかは生で聞きに行きます。で、NHKは毎月「上方落語の会」という落語会を開催していて、その録画をTVやラジオで流してはるんです。で、観覧希望に毎回家族全員の名前で応募してるんですが、これがなかなか当選しません応募して
ホンマに勘弁して💧我が家は和風の家です木造住宅です。けど部屋の中まで和風なわけではありません✋毎回父が祖母宅から持って帰ってくるものにブチ切れてます←ꉂ🤣𐤔今回はこちら⬇蓋置き!山崎実業towerお玉&鍋ふたスタンドタワー(タワーシリーズお玉スタンドお玉ホルダー鍋蓋スタンドお玉置きお玉立て蓋置きふた置き鍋フタスタンド鍋ぶたスタンドキッチンツールスタンド白黒)楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鍋ふたラ
誰にも言えない恥ずかしい話もひとつ残らず笑って言えそうよ良いよね今夜は久しぶりに会ったとりあえず飲んで天使の休息by久松史奈「天使の休息」より…上司やお得意様まで巻き込んで夜通し耳タコで聴かせた歌が今は切なく鳴り響くどうも、あたしです。ご機嫌麗しゅう。…父が猛暑の中旅立ちました。葬儀には生前に銀座のクラブで歌いまくっていた歌を生演奏で演奏し無宗教故に彼らしい葬儀を無事に終えました。…まだまだその事に向き合えてはいないものの前に進み
鳥居ミコですこのところ少しずつ断捨離を始めました。一番手をつけにくいと思っていたのは2年前に亡くなった兄の遺したものでした。紙類って書類やなんかをひとつひとつ見ていかないといけなくてなんだか億劫で段ボールの中にごそっと入れっぱなしにしてあったのです。でも突然ある朝起きたら(今だ!!)と思い立って急に
息子の発達障害がわかるまで③(入院編)入院中の私のもう一つの楽しみ・・・それは父の面会でした。私が子どもの頃の父はとても厳格で、いつも怒られて泣かされていた記憶が大半をしめます笑でもその怒られて泣いた記憶の中に、*保育園の運動会で父が一生懸命親子リレーで走ってくれたこと*小学生の時の宿泊学習でお弁当を忘れた私の元に、授業参観なんて来たことなくて教室の場所も知らないはずなのに急いで届けに来てくれたこと。*受験生で夜勉強している時に必ず夜食を買ってきてくれたこと怖いって思っ
ご訪問ありがとうございますm(__)mいつも異なる記事を読んでいただき感謝いたします🙇いいね&コメントありがとうございます☺️毎度違う事をテーマに投稿してます。ご興味ない方はスルーしてください😊今回は過去の思い出です私が生まれて初めて映画館に観に行った映画作品は「アニー」(1982年)でした🎞7歳の時に、父とふたりで観に行きました。父と観に行ったのはもう天国にいるので、これが最初で最後でした。といっても父と二人きりで出掛けることは滅多に無かったので、
小学校6年生の時の懐かしい文集が出てきました。黄ばんでいます。始まりは~~~~~~~~~~~~年末に父と私は、イズミヤにハチトラのカラオケのテ―プを買いに行った。だいたいほしいと思った曲の名前を書いてもっていった紙をレコ―ド屋の人に渡して、探してもらった。えん歌ばかりなので一つぐらいほかのも買ってほしかった。でも父は、とてもえ
「おーいさんぽいくぞ」お誘いから始まる田舎さんぽ誰も会わんしめっちゃ適当でビーサンの私とちょっとおしゃれするかわいい父わざわざ家で話すようなことでなくても横に並ぶとなんとなく出てくるたわいもない話通り道にある畑の野菜たちや道端の草花たちが新鮮でなんとも穏やかな1時間これが我が家の至福時間なんだな
こんにちは今週に入り娘が新しい塾に変わったり、息子の楽団、通学の送迎...などが小刻みに入りゆっくりする時間が取れず正直しんどい日が続いていました。塾は週一なんですが自習スペースがあってもうすぐ中間テストということもあり毎日行くように!今までそんなにする子じゃなかったのに...と言うより家に入ると途端に眠くなるし誘惑がたくさんだし、で環境がよくなかったのかも。これで少しでも結果がでれば嬉しいだろうし、本人の自信にもなるだろうな私は中学まで塾に行かず私が勉強するのを父が見張り役
今日は父親の誕生日。もし生きていたら73歳。60代で突然逝ってしまった。知らせを受けて呆然したのと同時に父らしい最期だと思った。こどもの頃霊柩車を見かけた時きちんと親指を隠していたのに死に目には会えなかった。会えた時はお骨を拾うときでしばらく実感がわかなかった。複雑な想いは今も抱えているけれど私なりに向き合ってきたので後悔はない。人間的な視点で見るとどうしようもない人だと思う部分が多かったけれど、今年
私(と夫)の自己紹介記事『◎ぽんずです、おこげです。【自己紹介+α】』自己紹介後に申請に関する記載してます。最後までお目通しいただければ幸いです最終更新:2023.2.27自己紹介【妻】ぽんず◎年齢'94(93)¦早生まれ…ameblo.jp申請に関する考え等の記事『◎申請と関係性(改めて伝えたい事)』↓初めましての方はコチラ↓『【自己紹介】ぽんずです!おこげです!【移転しました】』最初なので自己紹介がてら私達のことを綴っていきます𓂃𓈒𓏸自…ameb
似たもの親子ー父きみじと私ー(前編)にて、父きみじと私の類似点を3つほど取り上げたが、後編では、さらにその続きをお伝えしようと思う。《似ているところ》【その4:効率の良さをつねに考えている】私は、家事をしながら、どうすれば無駄なく全て終わらせられるかを考えるのが好きだ。仕事では無駄に働かないよう、勤務中はこれでもかと集中し、定時にぴたっと終えるタイプである。父も昔から段取りが大好きで、先の先を読んで、なんとか得をしようと考える。しかし、時々もくろみが失敗に終わり、電
ローカル話題これまでも衣料スーパーハゼヤマについては何度も書いてますがハゼヤマちゃんは、ただでさえ安いのに【3割引き!】の幟が出てる日もありました。衣料スーパーハゼヤマwww.hazeyama.comでも最近はその幟は見かけなくなり、その代わりホームページのちらしで【50%オフ】の文字を見かけることも多くなってきてました。なかなかここ数か月はゆっくり見に行けなかったんだけど、去年から私がいろんな店で探してるけど見つけられない”あるもの”をハゼヤマちゃんに探しに行って
母親曰く、私と父きみじはとても似ているらしい。似ているといっても、顔ではなく、性格だそうだ。《似ているところ》【その1:鼻歌を絶えず歌っている。】家事をする時、たいてい「ふんふんふ~ん♪」鼻でメロディを奏でているらしい私。父親は、時々鼻歌に加えて、自分を讃える歌を歌っている。自分賛歌で、たいてい母親を憂鬱にさせている。【その2:アウトドアが好き。】私は小学生の時、探検クラブに入り、毎週山にでかけていた。現在も、登山にハマっている。父は、
・”まさか?”男は驚愕しました。”この声は聞き間違えるはずもない、あの時あの言葉どれだけ俺の脳裏に響き渡ったり刻まれたことか”その声の女性はあの教授の娘だったのです。”なんという運命の悪戯だ!こんな場所でこんな姿で彼女と再会することになろうとは、、、”彼女には彼が誰だか分かりませんでした。男が一方的に彼女に恋心を抱いていただけで、もともと恋人ですら無く、父親の教え子の、ただ
人生初めてブログというものに挑戦します。とはいえ今までルーズリーフに書いていたものを携帯で入力することで、消しゴムを使う必要がなくなったくらいかな(ᐛ)𐤔私が書こうとするのは88歳の父のことです。普通は母が他界し娘と暮らすようになり、身の回りのお世話されつつ穏やかに老後を送っているのでしょうが…、お世話されているのはこの私です(;;^_^)仕事から帰ると冷蔵庫にはお盆に何品かのおかずが用意され、お風呂が湧いている旨が書いてある交換ノートを読むのが日課なのです。父の作ってくれた夕
お父さん見てー昨年もらったチューリップの球根丸一年植えっぱなしにしてて気づいたら伸びてきたよ父はボランティアで地域のチューリップ公園の球根植え替え作業や掘り起こしなどしていた・・・・・自宅からのzoom面会で庭のチューリップの様子をパソコン越しに見てもらったのが水曜日咲いたらまた見せて下さいねそう父は言ってくれたのに…・・・・・金曜日娘との晩ご飯が終わる9時ごろ母から突然電話で…今病院息しなくなり呼吸が止まってるらしい…と連絡があったなんで?そんなに急なん
スマホじゃなくて…今…初めてがガラケーデビュー?ですか?って感じですが・・・・私と父と家族の話ガラケーが必要となりました・・・・私の父はスマホもガラケーもいわゆる携帯電話という物を待っていなく今まで持ったこともない倒れ緊急入院した時連絡手段が…全くなかったのです今は携帯用電話機を持っているのが当たり前のようになっているのでしょか?病院にも公衆電話が1台しかなかったようです病院で直接面会できない状況の中何をどう持っていくか…体調や状況が少しでも話せないものか…と
時計の針を巻き戻したいと思う時もあれば進ませて…良き方向を過ごしたいそう思う時もあるそんな時間のあの時に…や…もう少しや、今…を思うことってきっと誰でも1度でも2度でもあるような…*・*・*・*・*・私のブログにはほぼ登場したことない私と実家の父の話…*・*・*・*・*・学生時代を含め父からサポートや一緒に出掛けたり(釣りや植樹イベントなど…)私が40代になってから母には言えなかった自分の感情を素直に伝えることができた父2週間前にいきなりの体調不良で病院に即入
デッカイ5円玉やん🧧父です・・・ここからは、向かいの坂を登ります✨どうやって回すんだろう・・・ここは、目の神さま👁🗨父は、とっとと降りて行ったからゆっくり見れん😑
なんとなく撮ってしまう大きいものと小さいもの順に美味しい晩白柚京都水族館の貝🐧もいます再登場のマトリョーシカチョコ卵は大きい方は黄身が2つ🙌最後は靴誰かと誰かの靴😢💦
実家父ん家のこと。食材お届けしながらすこーし整理整頓❣️生き活片付けを、ネ。娘の私がやらずに誰がやる⁇母家は無関心だから、、、ほっとかれる父を案じる!恐るべし兄嫁&孫(40独身男子)今日もやらなくていい雪片付けしてるし…少しお手伝いしたけど…私がヘロヘロよ90過ぎの父と61の私ヨ今日のお届けもの。鯛めしグリル焼きチキン手羽先父の冷蔵庫みたら買ってきた手羽先焼きがあってワタシも焼いてみた。買ったのは5個入¥498ワタシのは10個入¥250父とババ(義母)
桐生で父と。父いわく『今日は風がつえ〜のに友達に誘われてテニス久しぶりにやっちゃったよ』と。身振り手振りを交えて。『すんごいんね』と私。御年87歳。若いよおとーたま。大好き。『さわい』さんの美味しいお料理を食べながら、話が止まらない。下仁田ネギのスープ😍牡蠣のムニエル✨父といるとホッとする😊••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••フォローありがとうございます(⁎ᵕᴗᵕ⁎)《ツイッター》最近呟き出しましたhttps://mobil
第五話【親子三人初めての旅行】その時は、私が一歳に成るか否かぐらいの頃ですお座りは出来て居ましたが、歩いて無かったからね常に両親に抱かれては、すやすやと眠る私を二人は交代で抱いて居ましたよ向かう先は母の育ての親と成る紀州の祖父と祖母ですからねそこに着くまでが大変でしたよ私は常に両親に抱かれ乍でしたからね眠って居る時は、未だまだ天使の様に幽体離脱しては、外に出て周りを見ていました鉄橋林山や川海も見えたかな?名古屋から紀州までの長い時間で
実家の近くに住む叔母から連絡があり父が酷く元気が無い、と言う。叔母の口ぶりからSOSと察した。こういう時に限って週末までに仕上げねばならない仕事が立ちはだかる。途方に暮れる。PC持参で向かう。もともと少食の父はその日は殆ど食べれていないと言う。今晩は泊まって明日病院に連れていこう。その矢先。お風呂から上がると父の部屋から苦しそうに大きく息をしているのが聞こえる。一瞬いびき?にも聞こえた。ベッドで真っ白な顔で体をくの字に横たわる父。私の問いかけに反応は薄い。すぐに救急車を呼ぶ