ブログ記事56件
今日の季語は「夏」終活や遠く在り在りと夏の焼場知微兼題「活」に季語「夏」を合わせて詠んだ。母が亡くなったのが8月。陰暦では秋になるが、陽暦では立派な夏。母の訃報を受けたその日、夜帰宅するまで私はカルピスウォーターを二缶飲んだだけだった。空腹を感じている余裕が無かった。冷たい清涼飲料水と夏服。どこもかしこもクーラーが利いてた。真夏だった。母は、何故もう少ししたら夏が終わるという時に旅立ったのだろう?何故この日なんだろう?と、私はずっと考えていた。母を見送った日から私の終活が始まった。ima
こんにちは父の最期の日のこと。施設から最期の呼び出しが掛かり母が父の元へ向かうと下顎呼吸らしき呼吸が不規則に不安定に続いていたそうです何度も息が止まったようですがその度に「娘たちが向かってるから頑張って!」と呼びかけると息を吹き返すことを繰り返しさいごに私が到着するとふっと笑いました。そして、間を置かずにずっと開いていた目が静かにギュッと瞑り一筋の涙が流れたそうです。私の
他のブログの方の内容で〇葬(ゼロソウ)というのがあるというのでビックリした。焼いた後骨を引き取らんしとあるが残ったものはゴミ?どっちかというと自分はお墓不要派。出来たら草木か魚の餌になると嬉しいと思っているが流石にゴミで捨てられるのはね。そこまで割り切っていない自分を知る。ただ処理しやすいように骨は良く焼いてもらいたい。形あるものを粉にするのも大変だから形が残らないぐらいにしてほしい。ざざっと寄せて袋に入れて草木に撒く樹木葬か海に撒きやすいようにしてほしい。
体力が落ちると自分の「万が一」のときのことを考えることが多くなりました。鬱陶しいブログを見る勇気のある方がいたら・・・⤵😂自力で骨壺。|ひらりんのブログ(ameblo.jp)成人するまでお骨拾いの経験はありませんでした。子供時代、葬儀は経験してはいますが(祖父母4人;4回)当時は伯父叔父、伯母叔母(&その配偶者)&両親というオールスター勢ぞろいだったので子供はここで待っていなさい、ということで別室でずっと待っていただけでした。イトコたちと楽
こうなると、お家を出る時間を早めなきゃならないですよね〜😅冬時間にしてかないと🏎️💨待ちに待った、全1組の焼き芋パーティー🍠快晴の中行われて良かったです😊子ども達「おいしかったぁ😃」「やきいもおおきかったぁ😄」と、目をキラキラさせて嬉しそうに話してくれました🥰ちなみに…レレがいちご組(未満児クラス)の時の焼き芋パーティー😁レレ、すごい服装してる🤣お隣は、幼馴染のみーみー😍おっ、後ろに今よりスリムな⁉️O室先生がいる😁🍠🍠🍠フィニッシュ🍠🍠🍠
まるでジブリの世界公営の焼き場なんにね税金たくさん払っといて良かったぁw
ふぅあ、意外と寝られるもんだねぇなうの、ゆうさんです。特別養護老人ホームへ自分の足で歩いて入所して一年ぽっきりかぁ『ドナドナミッションコンプリート!(別名カミモホトケモアルモノカ)』はぁ♪ある晴れた昼下がり♪なんとか送り込んだー💦💦💦ameblo.jpホーム入ったら、一気に進行するって覚悟してたけど本当にあっという間だったなぁ介護でお悩みの方、ゆうさんブログさかのぼってくださいなゆうさん的には介護をやりきったと思うようにしてます💦
お墓じまいの作業中、古い遺骨が見つかりました。土葬骨です。永代供養の為、お寺さんへ引渡しになります。足や腕など大きい遺骨もありましたから、神戸市役所、兵庫区役所などで行政手続きを済ませて、鵯越斎場を予約して火葬させて頂きました。手続きから火葬まで3週間くらいかかりました。鵯越斎場↓残った遺骨を埋葬供養する施設↓営業時間内なら、いつでもお参り可能だそうです火葬施設↓ありがとうございました。http://nagayamasekizai.main.jp/戒名彫刻・お納骨・改葬の永山石材永
コロナって!こんな話を友人から聞きました親類の方が100歳で介護施設に入居してて今月始めにコロナ感染基礎疾患は無い方だったけど高齢ってこともあって先日亡くなったそうですもちろん施設に入ってたからコロナワクチン接種もしてたのに…話の流れでじゃあお盆にお葬式になるのね←ワタシいやいやそれがまだ亡骸にも対面出来てなくて←友人え?まだそんなんだ!?←とワタシ今はもっと緩和されてたと思ってたわ←ワタシお母さんを亡くした息子←もちろんお年寄り対面も出来ずお葬式も未定…とか
1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っ
腕が陽にあったって焼けている。ひっくり返すと焼けてない。やはり両面ちゃんと焼かないと美味しくないぞ!食うのか?ということで自転車に乗るときは腕を不自然にひっくり返して乗るのだ。危ねえな、事故おこすぞ。そうか、じゃあ片手ずつ交互に焼いていこう。そこ~?そんなにこだわる~🌛
約2時間後、お骨拾いとなりました。待合室でのゴミ他を片付け、斎場のバスに乗って一緒に来ていた職員さん、バスの運転手さん?に、斎場に持ち帰る荷物として渡したのも、私。あいかわらず、雑用係、"嫁"でございます。しかし、お骨拾いも、我が家中心で。義姉子はその他親戚で。まあ、義姉子も、たぶんやっと片付いたくらいにしか思ってないでしょう。私は悔しくて悔しくて、奴等がいないところで、どれだけ泣いたやら…。母や伯母の時には、市町村も違いますから、焼き場でもそのまま、出して来て
出棺時、私をおいてけぼりにしようものなら、バンザイ三唱やな、と思っていましたが、そこは家族葬?、霊柩車、遺族の個人車、親族バスの順で出発なので、誰も見送る人がいない。家族葬なのに、あの金額?と今更ながら思いますが…。家族葬なのに100万超えたらあかんよね。お寺の支払い別なんだから。私は誰か個人車両でついて行った方がいいと言うので、霊柩車の後を、遺影もった息子と一緒に愛車で続きました。私の愛車に、写真と言えど、乗せたくなかったのですが、アウェーな親戚バスに息子を乗せて、何か言われ
父のお骨拾い。父の骨は、見るも無惨だった。殆ど骨が残っていない。長年、放置された遺体が発見されたような感じだった。全身に転移した癌と、父の闘いの結果だった。焼き場の管理人がいた。彼は酔っ払っていたようで、フラフラしながら呂律の回らない口で、父の死因を話していた。長年、管理人をしていると、この人が何でなくなったか、遺骨の状態でわかるのだろう。彼の言葉は、殆ど当てはまっていた。叔父(父の実弟)が、ボソリと言った。「呑まないと、やっていけないんやろな」生前、歯が丈夫なのを自慢して
写真は浜離宮恩賜庭園です。●11/12亡くなった父**だ(←父の名)(あ、お父さん、こんばんは。ノートを取ってきます…どうぞ)一つ、疑問に思うところがある。(なんですか?)死期が近い。したいの処理、焼き場と葬儀屋の仕事が多くなっていく。単に今までとは違う事態になっていくのが、疑問だ。(ああ、得体のしれないワクチンを接種させれているからだと思います。国民全員に打たせようと躍起になっています)何年…(ここで、聞こえなくなりました)●11/13亡くなった父(み
今日は、エコー検査の為、朝食抜いた!昨日の留守電を聞いて、気付いた!ゴミの日!近所の掃除した!綺麗になり、良かった!暑さが和らぎ、助かった!終わって、入浴着替えし、生協おだわら診療所に行き、エコー検査と定期検診受けた!血圧は、以下の通り。相変わらず!緊急入院水準とは、程遠いので、一安心!体重が、0.6kg減り、良かった!終わって、薬をもらい、帰って、薬類を起き、洗濯物干した。農家カフェシエスタに行き、昼食食べた。おまけ美味しかった!栄誉バランス取れ、無農薬野菜で、地産池消
早朝、5時半に家を出て、小田原市沼代の蜜柑畑に行き、片付けと焼却処分をした!綺麗に片付き、良かった!草刈りの方は、草刈り機を持って、蜜柑畑の上まで上がった時に、へばり、諦めた!蜜柑畑に傾いた枯れた竹の切出し、焼き場への運搬した!時間なく、小田原市沼代の蜜柑畑を出た!帰りに、すき家小田原東店に寄り、朝食を食べた!美味しかった!帰って、赤旗日曜版配達の杉山さんが家に訪れ、集金し、雑談した!久しぶりに会えて、良かった!フィットケアラボのアスモケアの医療機器購入の事で、後見保
倉持医師こそ専門家2021-08-06テーマ:ブログ焼き場に立つ少年毎年この時期になると死んだ弟を背負って立つ少年の姿を見て胸が痛みます焼き場に立つ少年2020-08-09テーマ:ブログ~自然風景写真~不忍池(東京都・上野)にて*********ぐーぐるから「焼き場に立つ少年」は1945年9月に佐世保に上陸した米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮影した。死んだ幼子を背負い火葬場に現れた少年
こんにちはバルコアです。もう、どんなに年をとっても、自分の生命からそれを失ってはいけない。その気持ちが、薄くなってしまったら、もう戒名書いてもらって、さっさと焼き場へ行ってしまった方がいい。そんな者は、居たって、何の役にも立ちはしない。この世の中に、造糞器は要らない。もう立派に化学的肥料が出来ている。とにかく、生きている間は、造物主からの力を受け入れる口を、自分で広く、伸び伸びと広げなさい。そうするには、常に、自己向上を意欲として、健康や運命を完全にするという、本当に成功の
思えばラフな設計図を書いたり図面を見るのが好きだった気もする。まぁ設計図通りやらないんですけど(笑)間取りとか書いてあるアパートとか中古物件の広告も好きだった気もします。えー!?600万じゃん!大人になったら買えるじゃん!!みたいな。。(笑)3畳の自分の狭い部屋も何度となく模様替えしたり。設計図好きだったかも知れませんが人生設計とか考えた事もなかったし(ロックスターになる!みたいな漠然としたものは除く(笑))学校の地理とかもめちゃくちゃ好きだった訳でもない(まぁ社会の先生の責任
薬飲もうか迷ったが、何とか踏ん張り、座椅子で踏ん張りブログ書いた印佛もやってた何だかんだで、6時に成り、やはり睡魔が全く出ないソファーに横になって、何時もの様に時計を見ながら又スーーっと寝ていた断眠で有ったし、10時半に目覚める直前迄、夢を見ていたトイレ行っただけ戦争も呪いだー戦争するよーい◯うの戦争するよーこの声はのーろいだーの声⁉️病院の病院ののーろいだーのーろいだーだったと有るブログ記事に呪われた土地…………と有ったがここも呪われている⁉️鬼門に淀んだ小川、そ
冒頭に掲げた写真は、ある墓地に置かれている石造の十三重塔です。実はこの場所、以前には火葬場が設けられていて、それがなくなった跡に、いわば供養塔のような形で十三重塔が建てられているのだそうです。もちろん、近代的な施設の伴った火葬場ではなく、遺体が運ばれてきた時にその都度その都度、一日がかりで焼くという、「民俗的火葬」と呼ばれるタイプの火葬を行なう場所だったのだと思います。こちらの墓地の火葬場が、年代として具体的にいつ頃からいつ頃まで運用されていたものか、わたしは存じませんが、こう
先日、新たな焼き場中間補給基地を求めて散策しました。姫路に引っ越した後、利用可能な土地を求めて散策しました。あの当時の基準としては、耕作可能なとこいうことじゃった。遠方に運送業者の敷地の跡地をみつけ、そこでセイタカアワダチソウを焼き始めた。通うには遠かったんじゃけど、そこでサツマイモを植えて収穫したりもしとった。その後、そこが新たな運送業者の敷地となり、使えんようになったのと、近場を開拓して行く必要がなくなった。あれから数年、カイアポの作付け場所が増えて使用す
光おやおや、香ちゃん、「べそかいて.」るの?それとも「怒ってる」の?香お父さんと「もめた」から、ちょっと情けないのよ。光え~っ?こんなに可愛い「香ちゃん」でも、もめる事あるんだ?香ね、先生聞いて!私が間違ってるかしら?光香ちゃんの事なら「何でも」聴くさ!香お父さんがね、「香、50万円貸して」っていうのよ!光へ~?そんな事が有るの?でもいいじゃん「お金持ち」なんだから。香貸せない事はないですけど、「使い道」が問題で「もめた」のよ。
厨房設計/繁盛店づくりの新しい厨房計画を理解する/地鶏居酒屋-1地鶏といっても国内で肉用として生産されている鶏の多くは、若鶏といわれる肉用専用主であり、この他に国内銘柄があることです。これらの国産銘柄鶏の定義によって生産されており、鶏種、肥料、飼育法、出荷日齢などについて一般の鶏と異なる特別なものが、地鶏と銘柄鳥に分けられている。地鶏とは、在来種(しゃも、比内鶏、名古屋種など)由来の血液が50%以上のもと)ひな鶏を80日以上飼育したもので、平飼いなどの工夫を加えられたものをいう
カイアポの畑が広がった関係で、セイタカアワダチソウの灰がタイトになってきました。既存の焼場だけでは足りんけえ、先日は新たな焼場を開拓しました。とりあえずセイタカ灰を確保すべく、セイタカアワダチソウをブッコ抜いて放置。次の休みにでも焼きましょうか。そのうちの一ヶ所で、河川敷を掃除しとるオバハンを調略した。河川敷ではバーベキューが行われており、ゴミの放置がひどいと嘆く。草むらや木の根元が見えにくいんで、そこに捨てていくとか。そこで刈り込もうと思うんじゃけど、