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こんな美しい妹御のいる殿の元に嫁いだのかと思うと、我が身が縮こまる思いがした。このような女性を見ていたのでは城中の者たちが私を見て内心笑うのも分かる気がする。今さらながら私はどうしてもう少し美しく生まれてこなかったのかと少し悲しくなった。殿は私を見てなんと言うだろう、そう思うとため息しか出てこない。それでも殿のおいでを今か今かと待っていたのだが朝まで続く宴(うたげ)の中にも、殿はとうとう姿を現さなかったようだ。ようだ、と言うのは私がその宴に朝まで同席していたわけではないからだ。今で言えば新婚初
濃姫の里隠し吟醸300mlのミニボトルスッキリと呑みやすい清洲桜醸造清洲城信長鬼ころし|清洲桜醸造株式会社愛知県清須市にある「清洲桜醸造」の公式サイトです。日本酒「鬼ころし」「祥鳳」、愛知クラフトシリーズとしてウイスキー・ウォッカ・ジン、その他にも多数こだわりのお酒を製造・販売しています。onikoroshi.co.jp創業嘉永6年10月(1853年)嘉永6年(1853年)創業以来、長年の伝統と品質本位の姿勢を継続して、「清洲城信長鬼ころし」の銘柄で消費者
くるる様の計らいで、ぱんだふぁとサンデー、セッションの時間を作って頂きました😃先ずは、くるる様😃病院から脱出しての撮影会😊続いて、四条院桜花様フローリスの衣装だったかな?どうかな?😅えもりえもちゃん。同郷という事で😅濃姫の時に会った事あるとお話させて頂きました😊最後はまりいちゃんとツーショット😃
ふみのコメントが、せっかく入れてやったのに、黙殺されました。主は、本体のブログが別にあって、そこへのリンクをアメブロにベタっと貼り付けてる、手抜きで2つのサイトに手を拡げようという、いかにもおスピな輩らしいセコさです。ふみのコメント「STAP細胞はあります」と言った小保方晴子さんと一緒でふみは自信を持って「生まれ変わりはあります!」と言いたいです。あなたやマサイ族が、生まれ変わりはない!と知ったかぶりするのは勝手ですが、ふみ自身、前々々世は清少納言で、前々世は織田信
まげは上天茶筅(しょうてんちゃせん・上を向いた引っつめの髪に括りあげたもの)に結い、胸ははだけたまま、袴の代わりに腰には縄帯をして火打袋を下げ4尺ばかりの太刀を大地に構えてそびえるように立っている。どこの百姓小僧だ、という出で立ちに似つかわしくない長い太刀が妙に様になっている。尾張ではこのように百姓の倅も太刀を持つのかと少し驚いた。「こしゃくな!」先頭の者が切りかかろうとしたときにその若者は太刀を構えた。侍相手にやる気満々という感じだ。見ていて心が躍ってしまった。(なんて面白い!)尾張に
すぐに続けて散歩2日目を投稿しようと思っていたが、やっぱり時間切れ…結局1週間経過してからまとめている始末すでに桜も葉桜になってきているしでも、おかげでもう一度、花がなくてもお花見気分が味わえて…よかった!ということにしておこうでは、続きからスタートそして。。4月7日日曜日もお花見にせっかくだから、少し電車に乗って…こちらは毎年来ているような気がしていたが、実は3年ぶりだったようだ最初に目に入った桜さんに…一目惚れでも、もっと先にはたくさんの仲間がいるはずだから、このまま
その後、私は光秀様に会う機会もないまま、挙式前日の天文18年2月23日(1549年3月22日)、数百荷の嫁入り道具を連ねて鷺山城の表門を出た。媒酌人である母、小見の方の兄・明智光安、重臣の堀口道空(どうくう)ら兵300余人と共に付き添った行列である。その時56歳だった父、道三と36歳の母の小見の方は櫓の上から見送ってくれていたそうだが、母はとんでもないウツケのところに嫁ぐ私が不憫で涙が止まらなかったと後の文に書いて寄越していた。当の私は尾張に通じる道筋の梅の花が満開でちょっとウキウキし
今回の旅行中、旅先で買った果物。苺の「濃姫」。岐阜(中津川)で見つけました。地元のお姫様(斉藤道三の娘で、織田信長の妻)の名前の苺、初めて見たので気になって買ってみました。かなり酸味の強い、昔ながらの苺の味がしました。あと、一緒に「美濃娘」という苺も隣にありました。これも、地元産なのでしょう。次は、和歌山で買った「三宝柑」。和歌山には、柑橘類がたくさんありました。三宝柑も、あんまり馴染みがない名前。割と大きめな見た目、でも、剥くと皮が厚くて、中身はちまっとしてました。ハッサク
期間:2024/03/29〜04/05天井:無し倍率:2倍初回:半額武)柴田勝家:瓶割り柴田武)前田利家:加賀の律義者武)前田利益:大ふへん者射)濃姫:蝮の懐刀©コーエーテクモゲームス
期間:2024/03/29〜04/05天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)射)柴田勝家:学園戦国戦)前田利家:屋上の無頼武)前田利益:大問題児薬)濃姫:噂の美人©コーエーテクモゲームス
そんな私の秘めたる思いを父はきっと気付いている。二人目の夫が父に毒殺されたとしたら、それは卑怯なやり口、武士道はどこに、などと言う輩もいるかもしれない。しかしながら妻の父親の命を狙っていたのだ。むざむざ毒殺されるとはあまりにも警戒心がなさすぎる、と言わざるを得ない。私の父を見くびっていたのかも知れぬが、私から言わせれば愚鈍な男だとしか言いようがない。暗殺はやったもの勝ちだ、出遅れたらこちらが命を落とす、当然のことだ。それを考えられないでいたなら天下人にはなれない。正に勝てば官軍なのだ。それが戦
斎藤道三のお城ですね稲葉山城の戦いにて織田信長が斎藤道三に勝利し稲葉山城から岐阜城に変わりましたそして友好の証として道三の娘の帰蝶を信長へお嫁に出しました美濃の姫なので濃姫と呼ばれるらしいです(信長と帰蝶は仲良しだったとかなんとか…微笑ましい!)信長の「天下布武」の始まりです暖簾の上側の家紋は織田信長、下側にあるのは斎藤道三の家紋当時の石垣らしいです下から見ると圧巻登城は去年の秋です☆
木曽川流域に自生する日本タンポポからの管咲変異個体咲き始めてます。
信長の前で屈しなかった濃姫の決意「濃姫」の夫は、あの魔王「織田信長」そんな信長に直言を入れるものなど誰もいなかったと思いますが、濃姫は違いました。信長が濃姫の兄の義龍を倒した際、義龍の妻に「お前が持っていた有名な壺を出せ」と命じますが、彼女は「行方不明になりました」と答えます。しかし、信長は「嘘だ!」と納得をしません。そこで、義龍の妻は、「信じてもらえないなら死ぬしかない」と答えました。これに呼応して濃姫も「そこまで信じられない
ゆっこんにちは♪(●`v´●)ノ岐阜ご当地タレントやながせゆっこやお♪やながせゆっこの…♡ぎふらー部♡http://s.ameblo.jp/yukko831xxx/第5回濃姫まつり今年も濃姫まつりの季節がやってきました2024年3月16日(土)岐阜柳ケ瀬日ノ出町商店街2024年3月17日(日)マーサ21マーサスクエアhttps://www.nouhime.com/3月17日(日)マーサ会場では六代目濃姫の最終オーディション&審査発表があります
とまあ、ここまでが私が生まれるまでの父と祖父の国盗りの話である。この後、頼芸もとどのつまり美濃から追い払われることになるのではあるが、それはまたおいおい話の流れで挟んでいくということで。父の逸話は話し出したらキリがないのである。でもそれでは「斎藤道三物語」となってしまうので、ここらで私の話に戻すとしましょう。そうして38歳の父は天文元年(1532年)2月19日、明智光継の19歳になる姫を稲葉城の父の館に正室として迎え入れた。この姫が小見の方、私の母である。その3年後、天文4年(153
深芳野様を貰い受けて十月(とつき)が経つ前、大栄2年(1527年)7月8日に深芳野様は男の子を生んだ。これが後の斎藤義龍である。時を満たさず生まれてきたから誰もがその子を頼芸の子だと囁いたが父は何も言わず、その子に豊太丸(ほうたまる)と名をつけて愛しんだ。ただ、父は殿から深芳野様を略奪するほどに愛しく思っていたにもかかわらず正室にはせず側室にとどめていた。美濃で力をつけた父は明智家をも攻撃した。その時の攻撃によって明智光綱(明智光秀の父)は討ち死にしている。それで明智家は父のもとに人質
父は祖父が生きている間から、頼芸の側室であった深芳野(みよしの)様に懸想をしていた。当時、深芳野様は美濃一の美女と謳われていた人である。頼芸の側室として初めて紹介された時から心を奪われていたのだ。頼芸は深芳野様を大層気にかけていて滅多に人には会わせなかったのだが、父には心を許して会わせてしまった。これが運の尽きだった、背が高く細身で類稀なる美貌を持っている深芳野様をどうしても自分の物にしたくなった。深芳野様は身長が5尺7寸あったと言われている。約173㎝、現代でもモデル並みの身長であるから、こ
今日は猫の日マロさんとおまけの半平太濃姫とふじみ一緒にこっちを向いてくれない階段を登るふじみちゃん最後の1段がなかなか登れなくて…暖かく見守ってね。気が付いたら猫が3匹になっていた・・2222年の2月22日はどんな日になるのかな~~一昨日からの熱はもう出なくなり、頭痛も喉の痛みも無くなりました。まだ、本調子とはいかないけれどぼちぼち家事やり出しました。主婦はやっぱり休めない。昨日はコアラ息子が休みで、「
濃姫、開花しましたー真紅のきれいな花明日は次の蕾が開きそうです♪そして我が家に念願のタヌキさんがやってきました8つの縁起があるとのことこれから我が家もよろしくお願いしますぼく、タヌキに似てるけどタヌキじゃないよ~わたちもたぬきじゃないでちー日向ぼっこ中でちこれからもよろしくです♪
🌸「三英傑」の知られざる女性観1⛳実態が謎に包まれている信長の妻たち☆有名な戦国大名の女性関係*武田信玄は何人もの女性と関係を持っていた*毛利元就は一人の女性を深く愛し、亡くなるまで大切にした*有力大名なら、どんな家の娘をそばに置いたかはある程度わかる☆戦国大名の織田信長の女性関係知られていない*冷酷無比なイメージがある織田信長*案外女性に優しいイメージを抱いている方も多いが*秀吉の妻である北政所への手紙がその理由です☆信長には女性に優しい一面があったの
祖父は私の父である息子に自分の後を継がせるつもり、というか自分が成し遂げられなかったら、そのあと、息子が我が意思を継いでくれればと願っていたのだ。その為には学問を身に付けさせねばならない。当時は学校というものはない、代わりに教養を身に着ける場が寺であった。それで父・峯丸(道三の幼名)が11歳になると自分と同じように妙覚寺に預けた。父は勉学にいそしみ何でも吸収して、18、9歳の頃には寺でも秀才と謳われる人物だったそうだ。学問として習える物を全て習い、祖父に呼ばれて美濃国に行った。祖父の新左衛
クリスマスローズ雅「濃姫」ネーミングがかっこいいサブタイトルに「我こそは信長公の妻なり」と記載力強く今年を遅れそうな気がしたので(笑)、即お迎えししました。蕾よ、早く開いてくれこれは、鉢植えでしばらく育てる予定。先日地植えしたクリスマスローズは次の蕾が伸びてます。室内では5~15年目の胡蝶蘭が開花スタート。色とりどりの8鉢すべてまもなく開花なので、満開が楽しみです1か月以上花がもつのもファレノプシスの魅力(^▽^)/こちらも「早く咲け~」昨日はポカポ
「『お市の方』と『濃姫』のオーラを、観てみたんですよ。」と、私が言いました。「俺には『お市の方』と『濃姫』の関係が、良く分からないよ。」と、夫が言いました。「『お市の方』は織田信長の妹です。『濃姫』は諸説ありますが、信長の奥さんですね。」と、私が答えました。「織田信長のオーラに驚いたので、妹と奥さんのオーラも見ることにしたんですよ。」と、私が続けました。「確かに織田信長のオーラに、ピンク色があったので驚いたよ。それで彼女た
(やがては一国一城の主(あるじ)に!)それが祖父の思いだ。そうして祖父は毎年春になると美濃路へ下った。槍で一文銭を貫く芸は、油売りの行商に役立った。白い頭巾をかぶり顔も白い布で覆ってまるで芝居のように見得(みえ)を切る。今で言うと歌舞伎役者さながら、というところだ。柄杓(ひしゃく)で大きな油壷から油を汲んで高く差し上げ、一文銭を左手に持つと、その手を買い手の小さな油壷の約三尺ばかり上に固定して、油を継ぎ始める。油はまるで糸のようにその一文銭の穴を通って買い手の壺の中に注がれていく。一種の曲芸の
インド屋ながらの帰りは、一度、息子を連れて来たかった、濃姫の墓にやって来ました。濃姫の遺体が埋葬されているのではなく、遺体から切り取った髪が埋められたのそうです。いつもキレイな花を供える人がいるのでしょうか。隣接したお社で、うちの初詣。カレーに必ず入れる具材は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
祖父は二十歳の時に還俗して元の姓の松浪庄五郎と名乗って、奈良屋の婿養子となった。祖父は女房殿に自分の思いを話した。「わしはもっともっと高みを目指している。ただの商家の店主で終わるつもりはない。その為には沢山の財がいる。わしの夢の為にこの奈良屋の財を役立てたいと思っているが異存はあるか?」祖父に惚れ切っていた女房殿は二つ返事で頷いた。さて女房殿の許可は出たが問題は舅殿だ。奈良屋の主、又兵衛が健在なので金を自由に動かす事が出来ない、どのような策を練るべきか、などと思っていたらその又兵衛が流行り
ご来訪ありがとうございます✨織田信長……岡田准一さんの信長は…堂に入ってましたね…さて…このコラムでは濃姫…吉乃…等…いわれておりますね…僕は淀君の母だと思います…理由?信長の代名詞である…「うつけ」と「たわけ」ですね…https://toyokeizai.net/articles/-/724129?display=b織田信長の謎に包まれた「女性関係」の不思議有名な戦国大名であればあるほどに、その女性関係は後世に知られているものです。たとえば、武田信玄は何人もの女性と関
父は若い頃、油売りをしていたという通説が後世に伝えられているがこれは間違っている。油売りをしていたのは父ではなく祖父の松浪庄五郎である。祖父は元々武士の家の出であった。京都御所警備の武士の血筋で松波左近将監基宗(まつなみさこんしょうげんもとむね)というのが祖父の元々の名前。父はその庶子で明応3年(1494年)3月、山城国乙訓郡(やましろのくにおとくにぐん)で産まれ。幼名を峯丸と言った。祖父・基宗は12歳の時に出家して京都の日蓮宗の妙覚寺に入った。その時の名を法蓮坊という。祖父はなかなかに
「信秀めが平手政秀を使いに寄越してせがれの嫁にと申し出てきよった。和睦ではなくいきなり縁者になろうって言うんだ。これを断ってはわしも心の狭い大将と思われかねない」などと尤もらしい事を言ってるが、腹積もりはそうではないだろう。あわよくば尾張も手中にせんと目論んでいることは明白。どこまでも欲深しい事よ。「だが信秀のせがれがお前の夫に相応しくないと思ったら、お前自身の手で夫の寝首を掻き切ってもいいぞ」そう言って父は私に小刀を差し出す。もしかして父は、今度は娘を間者に使う気か。どこまでも腹黒い男だ