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大河ドラマ「光る君へ」18回「岐路」の感想です。まひろ家を訪れた藤原宣孝とまひろ、父・為時との団らん。藤原宣孝はまひろの受け答えに感心し、「打てば響くよい女になったのう。」とほめる。(なんとなく、口説いているようにも聞こえる。)「年を重ねて色気を増した」などとも言う。(やっぱり口説いているなぁ)筑紫に国司として赴任していた藤原宣孝。宋との貿易で手に入れた薬や紅などをまひろに見せた。まひろは紅(べに)に興味を惹かれる。藤原宣孝は「紅をさしてみ
平安京内裏の建物跡にいきました。一部は町家風のゲストハウスになってました。山中油店さんの経営のようでした。源氏物語では、清涼殿で光源氏が元服(成人式)したと描かれています。
京都の旅の続きです。こちらは紫宸殿。承明門の方を眺めて。特別公開の時なので,外からですが、内側の様子を見る事が出来ます。こちらは清涼殿。こちらは別の場所だったと思いますが、十二単などの展示もありました。御池庭。御常御殿。御内庭。こちらのお庭も素敵でした。御三間。今回の特別公開、こちらの御三間が素晴らしかったです!少し遠目ではありましたが、上段の間、中段の間、下段の間、すべて光り輝やく美しさでした!その後は,閉館時間が迫っていて,アナウンスもあっだので,足早に見ながら門
地下鉄・今出川駅で下りる用があったので、久しぶりに御所を訪ねた。以前は、宮内庁事務所で受付をしなくてはならなかったのだが、今では、フリーになっている。そりゃそうだな。清所門前に、並んでいる観光客は、日本人よりも外国人のほうが多い。手荷物検査の後、御所内に入る。清所門から入ると参観者休所があり、いろんな国の言語が飛び交っている。平安遷都時の内裏は、現在の京都御所よりも1.7キロ西の今の千本通りにあった。現在の京都御所は、もと里内裏として、内裏が火で焼失した場合などに設けられる臨時の内裏の
漢竹・呉竹鶴岡八幡宮の漢竹(右)・呉竹(左)は京都御所の清涼殿のものを模したもの源氏池畔の神苑ぼたん庭園に置かれています。漢竹は、府中の大国魂神社の矢竹を株分けしたもので、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りをする際に挿した矢が根付いたものと伝えられています。京都御所の漢竹京都御所の呉竹京都御所は、1331年(元弘元年)、鎌倉幕府が擁立した光厳天皇が即位して以来、1869年(明治2年)に明治天皇が東京に移るまでの約500年間、天皇の御所として使用されました。漢竹・呉竹は、それ以
光る君へ第10回放送の最初のシーン、藤原兼家の策略会議から始まりましたね。目的は花山天皇を元慶寺で出家(退位)させること。しかも真夜中の2時間で華山天皇を内裏から連れ出し剃毛させたのですから、かなりずるがしこい作戦ですよね。第10回放映の前日(2024/3/9)には所要があり上洛していて物語の舞台となった平安宮内裏をウロウロしていて「源氏物語ゆかりの地説明板」などの写真を撮っていたので「罠に嵌った花山天皇がたどった道」を紹介しておきます。まずは内裏内部のイメージ図を紹介します。①は花山天
おはよう!週明けの月曜日、天気は快晴さてと今週もぼちぼちはじめましょふぁいと~平安京跡を歩いて、次は京都御所今の御所は南北朝の頃からのやけど、構成は平安京とほぼ同じだろうってことでさらっとおさらい建礼門承明門承明門の内側と回廊紫宸殿清涼殿庭御常御殿これは平安京内裏にはなかった?そっから先は入れないけ
元慶九年一月十八日(885年)、源定省(さだみ)の第一王として源維城(これざね)が誕生しました。旧暦では、1139年前の本日のことです。※改暦は何度もありましたのが単純に旧暦にあてはめています。臣籍降下していた源定省は2年後皇籍復帰し、父帝光孝天皇の崩御により即位されました(宇多天皇)ので維城も皇族となり5歳の時に親王宣下を受けその翌年には敦仁と改名されました。そして13歳で立太子、宇多天皇の譲位により即位されました(醍醐天皇)。醍醐天皇は、臣籍に生まれ即位された唯一の天皇です。
旅行最終日、お天気も良く、のんびり歩いていましたら、通りかかった京都御所が開園していたので、立ち寄ってきました。中に入るのは初めてです。みやびな建物の数々。。。かつて天皇が暮らしていたという清涼殿。暖かい日が続くからか、梅がとても綺麗に咲いていました。とても良い香りでびっくりしました。朱塗りの柱も美しく。。。のんびりお散歩をして、楽しかったです。
光源氏が生まれ育った場所であり源氏物語にも出てくる紫宸殿清涼殿飛香舎などが当時の雰囲気を伝える。じつは紫式部の時代の京都御所は現在よりも西に位置し、現在は西陣の市街地に埋もれている
平安京内裏跡からちょっと離れていますが北山の植物園へ。道中足早に、あまり寄り道せずに歩きました。まず蝋梅を探します。ありました。1本目。かなりの大木です。花の中が赤い和蝋梅でしょうか?それほど香りません。とてもたくさん咲いており、みんな下を向いて咲いています。花びらが半透明で細長く、より薄い感じ。曇り空でこんなモノクロ風になりました。2本目も大木で、素心蝋梅。花が丸っこくて先週京都御苑で見た種類です。たくさん咲いていて、香りが強く、横向きに咲いているものが多くて撮りやすい!大きな梅林
903(延喜3)年2月、菅原道真は都からはるか西の大宰府で死んだ。宇多法皇は、醍醐天皇と藤原時平の新政権に遠ざけられ、真言宗の阿闍梨として仏道に傾斜してゆく。時平ら藤原氏は、基経以来のわが世近しと欣喜雀躍していたことだろう。しかし、現代からみればバカバカしいことかもしれないが、ひとりの男のタタリが平安の世を不安のどん底にたたき落としてしまう。菅原道真道真は死の直後、神号を得て神となっていた。徳川家康が死んで東照大権現という神になったように、道真は天満大自在天神という神になった。いま
大宮八幡宮に着きました。相変わらず車の長い列!やっと車を駐車場に入れて清涼殿へ先ずは御祈祷!勿論…身体健勝❣️今年も大きな熊手を有り難く頂きました。宮司さん達と直会をして干支の前で記念撮影。今年もお願い致します✨✨✨
11月22日から26日まで恒例の京都御所秋の無料一般公開が行われましたこれまでも何度か行っていますが、まあお近くですから(#^^#)人の少ない午前中にちょこっと行きました。1週間前にお茶会に行ったばかりなんですけど…御車寄せ公卿を始めとする高位の貴族などが、儀式や天皇との対面のため参内した際に使用した玄関です。諸大夫の間や清涼殿、小御所等と廊下でつながっています。御所の一般公開はあくまでも外から建物を見るだけで中に
昨日は一日中、京都の冬らしい〝時雨〟が降ったり止んだりするという、いかにもすっきりとしない空模様だった。私も少し買い物で出掛けただけで、後は引き籠っていた。そして、〝秋の終わりを感じさせる休日〟となった今日の日曜は、昨日とは打って変わった好天だったので、私も午前中に「京都御苑(京都御所)」に出掛けていた。京都御所では、現在秋の特別公開として、「京都御所宮廷文化の紹介」が行われている。当然、観光客も多いだろうけれど、何しろ場所が広いから混雑を感じなくて済む。ということで
修学院離宮の上離宮にもう1棟ある、窮邃亭へ。窮邃亭は浴龍池の中の小島にあるので、高台の見晴らし抜群の隣雲亭から下って行きます。その道がまた滝あり橋ありで楽しいんです。次々変わる絶景にワクワクします!隣雲亭の裏庭はちょっと無いような美しい苔の庭で、横を通るだけで入れませんが雰囲気は充分伝わります。そして庭を過ぎると迫力のある滝が現れて、浴龍池に流れ込んで行きます。静かな中で水音が響きます。浴龍池に出ました。蓮の花が咲いていたんですね!夏に来ていれば見れてましたね!残念。窮邃亭のある島に渡る楓
雨は降り止まず。で、再開。『清涼殿』。「平安時代中期(10世紀頃)から、天皇の日常のお住まいとして定着した御殿であり、政事・祭事などの重要な儀式もここで行われた。」(パンフレット)清少納言の『枕草子』を読むと、生き生きとした暮らし、そのなかの人間関係が描かれて。もちろん、そこには、清少納言の『意図』があり。そして、『滝口』。御溝水の落ちるところなので、『滝口』と呼ばれ。しかし、近づけません。ここを拠点として、警備をおこなっていたのが、『滝口の武士』。『清涼殿』を見終えて。『
御苑の西側を歩く時はたいがい御所にも入りますでもま、いっつも同じなんで、写真は主なとこをパラパラっと。新御車寄せ建礼門の内側承明門なんか門ばっかりやけど・・・・紫宸殿御所での儀式はここで紫宸殿の裏側清涼殿小御所建春門御池庭御内庭
…蔵人・公卿だけが昇る事が出来る「殿上の間」のある殿舎は何か?平安宮・内裏に在り、南廂(ショウ)に「殿上の間」を有するのは「清涼殿」である。平安前期には、天皇の日常居所として仁寿殿(ジジュウデン)や常寧殿(ジョウネイデン)が使用されていたが、平安中期より「清涼殿」が専用とされた。「殿上の間」は南廂(ショウ・ヒサシ)にあり、殿上人らは「殿上の間」の南西側にある沓脱(クツヌギ)より昇殿した。
紫宸殿久しぶりに…(何十年振りか計算できません^^)…御所を参観しました。現在の京都御所は築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形です。先ずは最も格式の高い紫宸殿です。朱の門は承明門。向かって右側の樹が左近の桜、左側の樹が右近の橘です。清涼殿天皇の日常のお住いの御殿。重要儀式も行われた。春興殿大正天皇の即位礼に際し神鏡を一時的に奉安するために建てられたとあります。三種の神器は大変な重みがある…。小御所将軍や大名などの武家との対面や儀式の
落雷の瞬間を見たことある?あります▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう雷記念日(6月26日記念日)930年(延長8年)のこの日(旧暦)、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫(ふじわらのきよつら)が亡くなった。平安京では長い間日照りが続き、公卿たちが清涼殿に集まり雨乞いを行っていた時の出来事だった。この落雷は政治的な策略によって京の都から太宰府に左遷され、そこで亡くなった菅原道真(すがわらのみちざね)の祟り(たたり)であると
なんでも930年のきょう、平安京清涼殿に…落雷どっかーん!そのせいで、大納言の藤原清貫さんが亡くなられたんだとか!ちなみにこの落雷は、太宰府に左遷されちゃって亡くなられた…そうでちゅ!菅原道真さんの…たたりじゃぁ!らしいんでちゅー!ちなみにきょうは…いやーん!露天風呂の日でもあんでちゅー!こちらは、1897年に岡山県の湯原温泉さんが…制定マンボぉ!もちろん…6(ろ)・(てん)2(ぶ)6(ろ)のぉ…ご・ろ・あ・わ・せ!それにしても語呂合わせの『・』が、なんともシャレオツやのぉ
おはようございます。梅雨とはいえ、中休みで青空が広がると気温はあがりますね。今日も、暑さのところが多いという予報が出ています。そして、今日は九州では雷の予報も出ています。今の時期、「雷三日」という言葉を耳にします。これは上空に流れ込んだ「寒気」によって雷が発生すると三日ぐらい続くことから言われている言葉です。さて、今日は「雷記念日」です。930(延長8)年のこの日、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなったとか。この落雷は太宰府に左遷されそこで亡くなった菅原道真のた
今日はこんなところの見学会に行ってきました。ここ一度中に入りたいと思っていたので、色んな体験ができて楽しかったです♪GW明けということもあり京都も今日は日本人観光客の姿は少なく、やたら外国人観光客の姿が目立っていましたが来月になったら海外では夏休み。外国人観光客、もっと増えるかも??そんな私の今日のブログは三月に福岡の友達と歩いた京都ぶらぶらの続きです。京都御苑も梅が満開。京都御苑は東西約700m、南北約1300m、総面積は92ヘクタールもある広い公園
東京には昨日戻りましたが、配信コンサート前日土曜日は、早めに京都に入って、久しぶりにゆっくり歩きました。その時に行った場所をいくつか。まずは京都御所へ。修学旅行以来で御所に来ました。当時は宮内庁に往復ハガキを送って事前申請しないと見学できなかったけど、今や入口で持ち物検査はあるもの、見学時間内ならいつでも無料で入れます!素晴らしい!圧巻の紫宸殿、左近の桜は葉桜でしたが、佇まいが素敵。平安時代のファン(笑)なので、清涼殿とか、藤壺とか飛香舎とか、もう文字を見るだけでテンションが上がり、
[京都御所]清涼殿小御所御学問所御池庭-END-
桓武天皇が794年(延暦13年)に遷都したときの御所は現在地の西方にあって、現在の御所は内裏が火災で焼失した場合などに仮の皇居として用いられていました。1331年(元弘元年)に即位した光厳天皇から御所として使用されるようになります。紫宸殿紫宸殿(ししんでん)は、内裏の正殿。現在の建物は江戸時代のものですが、平安時代の建築様式で造営されています。清涼殿清涼殿(せいりょうでん)は天皇の住まいとして使用されてきた御殿。紫宸殿と同じく江戸時代に平安時代の建築様式で造営されています。御所は
2022年12月25日今回は三年前の記事の振り返りです。三年前は京都御所の高御座と御帳台を東京国立博物館に見に行っていました。なお、京都御所は今年行き、清涼殿も訪れています。今年の清涼殿の写真を再掲します。残念ながら高御座は普段は見れないんですよね。でも京都御所はさすが皇室の伝統を感じさせる素敵な場所です。京都に行かれたらぜひ訪れてみてください。
母と子の森初めて散歩コース小さな図書館みたい、、子供向きの本がたくさん置いてありますベンチに座ってお母さんと本を見てる子もいます塀にモミジ🍁イチョウの大木も根本は黄色の絨毯よここを抜けて京都迎賓館へ受付に行ったら今日の予約は終了と言われましたちょっと残念😅そのまま歩くと仙洞御所へ長~~い仙洞御所の塀こちらも見学の予約券、終了、、御苑の中は広々~人との距離は十分よ今日は混んでてこんな感じですのよ御苑の中は木々も見目麗