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先日我が家の近所の持宝院でお涅槃の会に参加してました。ご住職がありがたーいお経を唱えて頂きました。私も日頃の汚れを落として来れたようです。あっという間にお昼になりましてお楽しみのお食事です。南無南無した後ですからご飯の美味しい事😁ご住職の説法も楽しく聞かせて頂きました。さーて清らかな心になってまたがんばろーっと⛳
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)301〜302頁また次に仏子よ、この菩薩大士は如来の涅槃を下(しも)のごとく知見する。それは無量無辺であって、法界を究竟して障礙するところなく、不生不滅であって浄(きよ)きこと虚空のごとく、実際に安住し、その所応にしたがってこれを示現し、本願に支持せられて、一切の衆生・一切の仏国・一切の諸法を棄(す)てたまわぬ。』と。(旧字体わ旧仮名遣いは改めました)
私は悟ることが出来たかも知れません。自己超越したような気がします。自己超越とは、他者を自分と同じような感覚で感じることです。自分より離婚した元妻を大切に感じるのです。元妻を今でも愛していますが、元妻が違う男性と再婚して幸せになるのであれば応援したいと感じます。元妻の幸せを自分の幸せより大切に感じているようです。涅槃を感じます。涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナ。ニル消えるヴァーナ炎つまり、煩悩の炎が消える状態を涅槃と言います。大乗仏教の深層
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)300〜301頁また次に仏子よ、如来は般涅槃を示現したもうとき、まず不動三昧に入りたまい、すでに三昧に入って、一一のおん身からそれぞれ無量億千那由他の大光明を放ちたもう。その一一の光明にそれぞれ無量阿僧祇の妙宝の蓮華が花咲き、一一の蓮華にそれぞれ不可説不可説の妙宝の花蘂がそなわり、一一の華蘂にそれぞれ宝の獅子座があって、一一の座上にそれぞれ如来がおわして結跏趺坐したもう。そのとき示現したもうもろもろの如来のおん身は、ことごとく一切衆生
昨日から本覚寺の倉庫の整理を行っています。平成8年に本堂が建設されて以来、殆ど手をつけていなかった昔の書類や資料を分別し、残すものと処分するものに分けました。午後からは再びお彼岸の買い出しや掃除など、色々なタスクがあります。今年はお彼岸が終わってもスケジュールが詰まっていて、あっという間に4月になってしまいそうな気配ですね。
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)299〜300頁また次に仏子よ、たとえば幻術にくわしい大幻術師があって、その術に安住し、三千大千世界のあらゆる都市・村落・王都において、あまねく幻の身をあらわし、幻の身をたもって命を終らしめないとする。その幻術師が都市・村落・王都のいずこにも、事の終るにしたがって、幻の身を棄てるとする。諸大士よ、何(ど)うおもう?彼は三千大千世界における幻の身をことごとく捨てたのであろうか?答えていう、「いな」と。如来・応供・等正覚もまた此の
お涅槃や座敷に一本射すひかりあばらより経読む風が涅槃仏酒ものうていかにも寝釈迦枕頭す涅槃会に黒傘ひとつ忘れられ三日ほどは餓えもせずに涅槃粥【笑い仮面】俳句を詠みはじめたころ、歳時記で《涅槃》という季語にあたって、びっくりしたことがある。ぼくも、あたしもってかた、けっこう多いんじゃないだろうか。季語でいう涅槃っていうのは、平たく言っちゃえばお釈迦さまの入滅された日、ようするに命日のことだって知って、思わずぼくは、ううんって頭をかかえこんだもん
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)299頁仏子よ、たとえば大火は、あらゆる世界において火事をおこし、草木を焼き尽さぬと云うことはない。然しながら、その火も、草木・都市・村落のない処に行くときには、おのずと消滅する。諸大士よ、どう思う?そのとき、あらゆる世間の火はことごとく消滅してしまうだろうか?答えていう、「いな」と。如来・応供・等正覚もまた此のごとく、あらゆる世界において仏事をなし、あるいは一仏国土を教化しおわって、あまねく涅槃を示現したもう。諸大士よ、何(
今日は以前から気になっていた本堂の配線の修理を、いつもお世話になっている電気屋さんにお願いしました。お陰様で、元通りになって一安心です。また昨日に引き続き、お彼岸法要の準備を行っています。今年はとても順調なので、気分が良いです。
おはようございます。風の強い日が続いていますね〜いよいよ明日3月15日から『春の御開帳』『猫入り涅槃図』の御開帳が始まります。『涅槃』とは、サンスクリット語『ニルヴァーナ』のことで『煩悩が吹き消された安らぎの境地』などと解釈され、お釈迦さまがなくなった『入滅(にゅうめつ)』の意味に用いられています。お釈迦さまの入滅がインド暦の第2の月である『ヴァイシャーカの満月の日』とされたので2月15日の満月の日となりました。暦には、新暦と旧暦、そして月遅れなど色々な日付けの設定がありますが、清瀧寺
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)298〜299頁仏子よ、たとえば日があらわれて世に照りわたり、円満明浄なること法界とひとしく、あらゆる世界の浄水を盛った器のなかに、その影を宿さぬと云うことはないけれども、日は「自分はあまねく一切の浄水にうつる」とは思わない。仏子よ、そのとき、もし水を盛った器が破れたならば、日は影をそのなかに宿さぬだろう。諸大士よ、どう思ふ?影を宿さないのは、日の咎(とが)であろうか?答えていう「いな、水器が破れたために日が映(うつ)らぬのである」
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)298頁仏子よ、如来はただ衆生を歓ばしめんがために世に出現したまい、衆生を哀慕せしめんがために涅槃を示現したもう。が実には如来に出世もなく、また涅槃もない。なぜなら如来は法界のごとく常住であるから。如来はただ衆生を教化せんがために、涅槃を示現したもうのである。(旧字体、旧仮名遣いは改めました)
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)297〜298頁宝王如来性起品(四)仏子よ、菩薩大士はどんなふうに如来・応供・等正覚の大般涅槃を知見すべきかと云うに、仏子がたよ、菩薩大士にして如来・応供・等正覚の大般涅槃を知見しようと思うならば、まさに次のごとく知るがよい。如来の大般涅槃は、真如の般涅槃のごとく、実際のごとく、法界のごとく、虚空のごとく、実性のごとく、離欲の際のごとく、無相の際のごとく、我性の際のごとく、あらゆる法性の際のごとく、真実際の般涅槃のごとくである。なぜ
実はこの練炭ストーブ、勝手に短い煙突を着けた。だがしかし、ただの煙突ではない。中に触媒をたっぷり詰め込んでるのだ。プラチナやロジウムをグラスファイバーに坦持させたよくある触媒なのだが、これがまたメチャクチャ強力。銀座島は一酸化炭素ですぐに頭が痛くなるタイプなのだがこの煙突が熱を帯びた瞬間からいきなり鼻が通る感覚に陥る。陥るというと完全にネガティブで涅槃で待つっぽい感じだけど、とにかく空気が綺麗になるのだ。たぶん空気中の見えないチリやホコリをついでに燃やしてく
「2001年宇宙の旅」という映画は、主人公である宇宙飛行士ボーマン船長が宇宙に浮かぶ謎の黒い石板の中に入ると、白い部屋の中で歳をとり、最後は宇宙に浮かぶ胎児の映像という唐突な終わり方で、当時(1968年)かなり物議を醸し出したようです。人間がさらに進化すると、次の段階は「宇宙の精神体」になります。いわゆる「神」です。「仏」と言ってもいいかもしれません。人間という肉体を脱ぎ捨てて、「精神(スピリチュアル)のみ」になる。果たして、そこは涅槃(ねはん)なのでしょうか?涅槃という概念に
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)293〜294頁仏子よ、菩薩大士はどんなふうに如来・応供・等正覚の転法輪を知見するかと云うに、仏子よ、この菩薩大士は、如来は心の自在力をもって起すことなく、転ずることなくして、而も法輪を転じたもうと知見する、一切の法はつねに起ることがないと知るから。三転をもって断ずべきを断じて法輪を転じたもうと知見する、一切の法は辺見を離れていると知るから。欲の際と非際とを離れて法輪を転じたもうと知見する、一切法の虚空の際に入るから。言説をはな
長い涅槃(ねはん)へ向かう旅もようやくひとつの結論に至ろうとしています。とにかく煩悩を燃やし尽くしてしまおう、というわけです。学校教育やTVCMとかによって作られた煩悩だと、人の家のゴミを燃やしているようなもので、自分のオリジナルの煩悩は心の隅でくすぶったままになっています。徳永英明じゃないんですから、人の煩悩のカバーをやってる場合ではありません。そうは言ってもオリジナルの煩悩、ひいては純粋煩悩を見つけ出すのは容易ではありません。私自身もまったく迷いの真っ只中にいるレベルです。とに
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)289頁仏子よ、如来はその御身のうちに、ことごとく一切衆生の菩提心をおこし、菩薩の行を修め、等正覚を成就することを見たもう。ないし、一切衆生の寂滅涅槃することを見たもうこともまた同様である。皆ことごとく一性でしかも無性であるから。無相・無尽・無生・無滅であるから。我も我性でないから。衆生も衆生の性でないから。覚(さとり)も覚(さと)るところがないから。法界も無自性であるから。虚空界も無自性であるから。かように等しく一切の無性をさとり、
結局、「悟り」とか「涅槃(ねはん)」は、「煩悩」の反対側にあるものではなく、「煩悩」を超えたところにあるのではないでしょうか?人はこの世に「煩悩」を燃やすために生まれ、そして死に、そしてまた生まれる。「煩悩」を燃やし尽くして、あしたのジョー的に言えば真っ白な灰になって初めて「煩悩」を滅することができるのだと思います。「杜子春(とししゅん)」の話はご存知ですよね?お金がなく街でさまよっているところへ仙人が現れ、杜子春を大金持ちにします。杜子春は、大金持ちになってはお金を浪費して遊び、
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)288〜289頁仏子よ、一切諸仏の菩提は、いかなる文字をもっても記すことができず、いかなる言葉をもっても説くことができず、どんな者をもっても譬(たとえ)とすることができない。ただ所応にしたがって、如来は彼等のために分別し演説したもうのみ。仏子よ、如来・応供・等正覚は、菩提を成就したもうとき、ほとけの方便に住して、一切衆生の量に等しい身をえ、一切法の量に等しい身をえ、一切の国土の量に等しい身をえ、一切の三世の量に等しい身をえ、一切の
そうなんです、日本は弱体化させられてます。テレビはもはや洗脳道具に成り下がっています。学校の教育も国にとって都合のいい人間を量産するシステムになっています。そうですね、陰謀論です。でも「幸せ」って、なんでしょうか?「幸せ」もまた「空(くう)」です。「幸せ」とは「空」であり、「煩悩」もまた「空」です。それは最新のスマホとか、60インチのテレビとか、駅近の高級住宅なのでしょうか?「何がキミの幸せ?何をして喜ぶ?」とアンパンマンマーチが問いかけます。問いかけは、大事です。紙にやりた
2024年3月17日(日)午前10時より法要午前11時より檀信徒総会参拝者には総供養がございます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。本日は、先日の厨房の断捨離で出た大量の食器などを全て処分しました。お陰様でやっとスッキリしました。
迷走する煩悩には、ベタですが、まず「瞑想」というのが挙げられます。瞑想と一口に言っても、坐禅(そのやり方も宗派などによっていろいろあるようです)、マインドフルネス、ヴィパッサナー・・・などなど瞑想法一覧|YogaFullINDEXイメージ瞑想ヴィパッサナー瞑想呼吸瞑想慈悲の瞑想(慈愛の瞑想)チャクラ瞑想トラタカ瞑想マインドフルネス瞑想(気づきの瞑想)マントラ瞑想イメージ瞑想自分の好きなこと、人、物などを思い浮かべなが[…]yoga-lava.comやり方にし
こんにちは。いつもありがとうございます。九八さん、今日は縁覚を本当にどうもありがとうございました。一切知らず、わからないまま、声そのものになっている、、、絶対離れない、不二の確かさのみ、、いつしか、認めて、育てて、守ってきた、自分という観念のビッグボス、、本当にただの錯覚、でっち上げ、作りごとだったと、、あらためて驚愕し、涙が溢れました。。強烈な疲れのような、脱力感。。仏に逢うたら仏を殺せ父母に逢うたら父母を殺せ、、、ありがたく、やることは、それのみ、、ありが
「必要は発明の母」ということわざがあります。今の日本では、必要なものはお金を出せばほとんど手に入るようになりました。マズローの五段階欲求の「生理的欲求」や「安全欲求」はほぼ満たされていると言っていいと思います。そして、家族、学校、会社などの集団の中にいたいという、第三段階目の「社会的欲求」も、いろいろな問題を含みつつも少なくともこの文章を読んでくださっている方はクリアできているのではないかと思います。「マズローの欲求5段階説」とは?内容やビジネスへの活用例もマズローの欲求5段階説につい
こんにちは、Katiesblogへようこそ!本日紹介する曲は、Valley(ヴァリー)の”Cure”です。Iwannafocusonyouandforgetmypast君に夢中になって、僕の過去なんて忘れてしまいたいYou'vebeenonmytodolistandwecanchangethat僕のTodoリストに君のことを書いたんだ、だから僕らなら変えられるさIjustwannabeyourcure僕はただ君の癒し
「美味しいものを食べたい」という煩悩。これだけだと「純粋煩悩」と言えるでしょう。これに「貪(とん)」「瞋(じん)」「癡(ち)」の煩悩3強が絡んでくると、やっかいな、いわゆる「煩悩」になります。しかし、「じゃ美味しいものを作ろう!」というクリエイティブな「欲」が重なるとプラスの方になると思いませんか。それを「楽しんで夢中でやる」ことが、三昧(ざんまい)、あるいはフローへ、そして菩薩の境地に至るのではないか、というクリエイティブ煩悩仮説です。略して「クリ煩仮説」(一気に軽くなるなあ
欲という字をよく(シャレではない)見てください。「欠けている」という字が入ってますよね。つまり、欠けているものを求めるのが「欲」ということになります。「煩悩」は思考的なものでしたが、「欲」は本能的なものです。例えば、食欲、睡眠欲、性欲などは本能的な欲ですよね。特に、食欲と睡眠欲は欠乏すれば死に至ります。性欲は死にはしませんが、これがなければ人類が絶滅します。マズローの五段階欲求というのをご存知でしょうか?「マズローの欲求5段階説」とは?内容やビジネスへの活用例もマズローの欲
30代や40代になると、人間関係に悩むことは少なくありませんよね例えば仕事や家庭、友人関係など、さまざまな場面で人とのつながりには悩みがつきものです。しかし、仏教の教えには人間関係を改善するための叡智が含まれています。ここでは、仏教用語を取り入れながら、人間関係をより健全に整えるためのヒントを提案します。涅槃を目指して悩みや苦しみから解放される境地である涅槃を目指しましょう。人間関係の悩みも一時的なものであり、その先には平和な心が待っています。涅槃という境地は、人間関係の悩
隣々区の河内貯水池、❝稟❞を荼毘にふす場所。深い霧に包まれてます。お骨になった時分には、スッカリ晴れ。お骨は、住み慣れたトレーナーの住まいでおやすみ。涅槃の世界で、ユルリとしてください。--------------------------------------------------------------------------------------------------きょうのジム明け一番は、女性ジム友・Palさん。お腹・腰回りの体脂肪を気にされてますけど