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とても楽しみにしていたチェンジジャパンのライブ放送でしたが、仕事が押しに押してしまい、後半のわずかしか見る事が出来ませんでした。放送終了後、見なおしてみて新たな発見!みよこさん💫ウィズ・セイビア@BQfxBEcc7Spg51L10/20ライブ配信#チェンジジャパンhttps://t.co/NgoXz7uTYl@YouTubeより今日は仕事が押しすぎて、ライブ放送の終盤の10分程しか観れませんでした😭後から観直して気付いたのですが、及川さんはジェ…
※サンスクリット語で書いてある所もあります!このサーハ世界(沙婆世界)に一大事因縁(いちだいじいんねん)、ただ法華経を衆生に説く為にお生まれになったシャーキヤ・ムニ如来(釈尊)。。。そのお釈迦様の説く法華経を聴きたく・・・遥か彼方の浄光荘厳世界(じょうこうしょうごんせかい)から浄華宿王智佛(じょうけしゅくちぶつ)の許可を得て来られた妙音菩薩。。。正しい悟りを得たシャーキヤ・ムニ如来(釈尊)にお会いし、また、悟りを得ようとして修行しているかのマンジュシリー法王子(文殊師利)、
鈴木修学著無量義経略義無量義経説法品第二〔佛の言(のたま)わく、善男子、是の一の法門をば名けて無量義と為(なす)。菩薩、無量義を修學することを得んと欲(ほっ)せば、應當(まさ)に一切諸法は自(おのずか)ら本・來(らい)・今(こん)・性相空寂(しょうそうくうじゃく)にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不信・不退、猶お虚空(こくう)の如く二法あることなしと観察すべし。〕次回に続くその一つの法門というのは「無量義」というのである。無量義というのは、数限りないいろいろな善い行いという
写真はお借りしました鈴木修学著無量義経略義無量義経説法品第二〔佛、大荘厳菩薩及び八萬の菩薩に告げて言(のたま)く、善男子、一の法門あり、能よく菩薩をして疾とく阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得せしむ。若し菩薩あって是の法門を學せば、即ち能く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。〕佛様が言われるには、一つの教えがあって、それが菩薩をして正覚を成ぜしめるものである、若し菩薩が此の法門をまなぶならば、即ち佛の智慧を具えるようになるのであると。【佛様は「よく大事な事を聞いてくれた」との思いでし
写真お借りしました。鈴木修学著無量義経略義無量義経徳行品第一〔顚倒亂想(てんどうらんそう)、復入(い)ることを得ず。靜寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)に志玄虚漠(しげんこまく)なり。之(これ)を守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。〕次回に続く「顚倒」とは、自分の本性を忘れて、他人はどうでもよいと考えることで所謂心が顚倒していること。「亂想」とは心が一定せず、つまらない事ばかり考えることです。「靜寂清澄」とは、自分の心が世の中の動揺に制せられず、一切の罪穢れを離
【転重軽受法門】【御文】涅槃経に軽重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱっときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候(新編日蓮大聖人御書全集1000P3~4行目)【訳文】涅槃経に軽重軽受という法門がある。宿業が重く、今のこの一生に尽きないで、未来世に地獄の苦しみを受ければならないところが、今のこの一生でこのような重い苦しみにあったので、地獄の苦しみがぱっと消えて、死んだら、人・天や声聞・縁覚・菩薩の三乗
上野殿後家尼御返事(別名地獄即寂光御書)【御文】法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし【訳文】法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです。天台大師は「藍よりして而も青し」といわれています。この釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くな
2ー14秘事法門の御文BomdiaRitomatinaldoTemploemMarília.ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り中継ライブおはようございます!今日はゆったりの日でした。もう5月だね!早いものです。引き続き1日1日を大切に過ごしていきたいものです。それでは一緒にお勤めしましょう!梵文和訳無量寿経・阿弥陀経Amazon(アマゾン)7,150〜19,883円今日は阿弥陀経のお勤めです。伽陀阿弥陀経8ページ短念仏和讃十方微
以前、前もって建てたから御遺命破壊という事について、色々書きました。前もって建てるのが御遺命破壊といいますが、であるならば、そもそも大聖人様以外の方が勝手に法門を建てる事自体が、御遺命破壊というのが前提としてあるべきではないでしょうか。つまり逆説的に考えて、大聖人様が既に法門を建てていなければ、全てが御遺命破壊となりうるはずです。要は、大聖人様が事の戒壇を建立されていなければ、全てが御遺命破壊になるべきではないでしょうか。ここにキッチリ、大聖人様が法体として事の戒壇が建立されているという
世尊は菩薩たちに向かって「こうして六趣(六道)を輪廻している衆生を見たら、菩薩たちは大慈悲の心でその世界から救い出す気持ちを強く持たなければなりません。そのためにも菩薩たちが一切のものごと(法)を深く知らなければなりません。それが深くわかればこれから先どんなことが起こるか(生)もわかってくる。ものごとはしばらく変わらないで続いていくだろうということ(住)もわかる。またものごとが変わっていくありさま(異)もわかる。そしてものごとはいつかはおしまいになるということ(滅)もわかる。こうしてよいものごと
この不親切なタイトル、不可思議解脱というのは何か?今日こそご説明致します(できるのか?)。『維摩経』の別名を『不可思議解脱法門経』というように、これが維摩居士の教えの最重要テーマであった。本当はいなかった説で有名な聖徳太子の『維摩経義疏』にも、「小乗仏教の人たちには到底解らんだろうから、不可思議というんじゃ」という、わりと失礼な説明がなされている。つまり、「エリートさまには、お解りにならんじゃろ」というのだ。大乗仏教は小乗仏教を批判的に継承したもので、それ故小乗仏教に対するフラ
『幸せ探しもほどほどに』このタイトルですけど、いや遠慮しないで探しましょう幸福を。人はみな幸福の追求のために生きておるのです。でなきゃ生きてる意味ないじゃん。死ねば。ほどほどという意味は、がっつく人いるじゃないですか。ご利益とか、スピリチュアル的な幸運とかに。典型的なのがパワースポット巡りね。これに対する批判はときどきブログに書いてますけど。有名神社をパワースポットとして詣でまくってる人とか。いますよね。バカですから。そういう人は私生活無茶苦茶です。人間関係無茶苦茶。仮面
著者:岡元錬城[日蓮のことば365日]より【十一月五日】「此法門当世(とうせい)の人上下を論ぜず信心を取り難し。其故は仏法を修行するは現世安穏後生善処等と云云(うんぬん)。而(しか)るに日蓮法師、法華経の行者と称すと雖(いえど)も留難多し。当(まさ)に知るべし仏意(ぶっち)に叶わざるか。」[波木井三郎殿御返事]745「『法華経の行者日蓮』として主唱する法華仏教。日蓮の法門は世人の多くから疑問と批判がよせられたばかりか、迫害弾圧を招くにいたった。生命の危機にいく
著者:岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【十月十七日】「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業(せんごう)の重き今生(こんじょう)に尽(つき)ずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値候(あいそうら)へば地獄の苦はつと消えて、死に候へば人・天・三乘の益(やく)をうる事の候。」[転重軽受法門]507「『涅槃経』は『法華経』の補説・流布分。その価値は法華経に相似し、従って日蓮は『法華・涅槃』と並記すること多く、また行動の支えを涅槃経に求めもした。『転重軽
浅井昭衛氏などの異流儀団体などが忘れている根本的な事。常随給仕です。第二祖日興上人、第三祖日目上人は、常に大聖人様に随ってお給仕なされていました。何故か、分かりますか?大聖人様の仏法をお側で見て、学び、そして正しく理解する為です。その為に正しい師匠の元で仕えながら、その姿を見て学ぶ事が大事ではないでしょうか。世間一般でも同じです。会社などで先輩の元、仕事のイロハを聞き、見て、学びます。浅井昭衛氏、池田大作氏などは唯授一人血脈相承たる御法主上人猊下及び末寺住職指導の下、常随給仕をし
著者・岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【九月二日】「よきもたのまれず、あしきもにくからず。此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り、名をば十方世界の諸仏の浄土になが(流)すべしと思い儲(もう)けし也。」[一谷入道御書]990「『此法門』とは、日蓮が到達し確信し開宣した法華経信仰。南無妙法蓮華経な収約された法華至上・題目專唱の主張。法門の発表公開は茨の道の開拓であり、前途は苦難にあふれるものであることが、ほかならぬ法華経にあかされていた。それゆ
著者・岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【八月二十六日】「法門によりては、設(たと)い王のせめなりともはばかるべからず。何(いか)に況(いわん)や其已下(いげ)の人をや。父母師兄等(しけいとう)の教訓なりとも用(もち)うべからず。人の信不信はしらず。ありのままに申すべしと誓状(せいじょう)を立てし。」[破良観等(はりょうかんとう)御書]1284「仏の教え、それが法門だが、ここでは日蓮の把捉信受した法華経至上の日蓮仏教。信仰とは、純一無雑、あれもこ
著者・岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【八月七日】「諸師の釈、皆一分々々経論に依って勝劣(しょうれつ)を弁(わきま)うようなれども、皆自宗を堅く信受し先師の廟議(びゅうぎ)をたださざるゆえに、曲絵私情(きょくえしじょう)の勝劣なり。荘厳己義(しょうごんこぎ)の法門なり。」[開目鈔]584「諸国遍歴・修学研鑽のなかで日蓮は、『本よりの願』とまでいうように堅固な習学の姿勢・態度を身につけていった。諸宗諸師の仏教理解をそれぞれに学び肝要を把握していったが、そ
著者・岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【六月三十日】「爾前(にぜん)の経々の心は、心のすむ(澄)は月のごとし、心のきよき(清)は花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ。花こそ心よと申す法門なり。」[事理供養御書]1263「前項につづけて爾前経と法華経の思想・観念の相違をのべている。心が澄むのは月のようであり、心が清いのは花のようであると爾前経はいう。けれども法華経はそのようには見ない。月は心の現れだとか、花は心の表現などといわないのである。月こそ心
著者・岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【六月二十日】「仏教に入(いっ)て五十余年の経々八萬法蔵を勘(かんが)えたるに、小乗あり大乗あり、権経(ごんきょう)あり実経あり、顕教密教(けんきょうみっきょう)、なん語そ語、実語妄語、正見邪見等の種々の差別あり。但法華経計(ばか)り教主釈尊の正言(しょうごん)也。[開目鈔]539「釈尊五十年の所説の法門、総じて八萬法蔵。一切経はその数おびただしい。それら経々の内容を分析すればいくとおりかに類別可能。まず
著者・岡元錬城日蓮のことば365日より引用【六月十九日】「仏陀は三十成道(じょうどう)より八十御入滅にいたるまで、五十余年が間(あいだ)一代の聖教(しょうぎょう)を説き給(たま)へり。一字一句皆真言(しんごん)なり。一文一偈妄語(いちもんいちげもうご)にあらず。事(こと)と心と相符(あいふ)へり。大人(たいじん)の実語(じつご)なるべし。」[開目鈔]538「十九出家、三十成道、八十入滅が仏陀の一生。五十年の仏としてのご活動があり、あまたの聖教、衆
著書・岡元錬城日蓮のことば365日より引用【五月二十八日】「法然・善道等がかき(書)おいて候(そうろう)ほどの法門は、日蓮らは十七、八の時よりしりて候(そうら)いき。このごろの人の申すもこれにすぎず。結句(けっく)は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候なり。」[南条兵衛七郎殿御書]326「日蓮は、当時絶大の教勢を有し都鄙(とひ)に席巻(せつけん)する法然房源空の浄土教・念仏宗に、真向対決しその非を鳴らした。仏教とは釈迦仏が教主・教師・教親である。この鉄
もう日付が変わってしまいましたが、11日の朝参詣後に出発し12日、千葉木更津妙蓮寺様の新本堂落成式にお呼ばれして、参詣させていただきました。千葉妙蓮寺の竹村日愛ご住職は根性と情熱の塊で、まっすぐな信心、お題目口唱を徹底的に貫かれるお方、本当にご尊敬申し上げています。今まで二回電撃参詣させていただき、本泉寺にもお会式のご奉修をいただき、久美子奥様や当時は野球少年だった息子さんの随教師、今日もご奉公や体を張った寸劇にご活躍のご信者様方とお参りをいただき、当時も熱い話を語り合って濃密な時間
月曜日と火曜日は小田原。荻窪の法正寺で神奈川県と静岡県の僧侶が集い、修学塾という勉強会でした。いいお天気でしたー。小田原城の桜、素晴らしかったです。お城のある街、いいですねー。初日は研修学。法正寺のご住職で支庁長の澤田日義御導師から講義をいただき、翌日は法門学で丸山日印御導師から講義していただきました。約20人の僧侶は東横インに泊まらせていただきました。泊まらせていただきながら東横インならではの細やかな気配り感動と感心。そこに流れる「イズム」の大事を実感しました。法正寺は妙深寺と同じく