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○観音寺かんのんじ(春日町・野瀬/曹洞宗)桃花渓観音寺(千手観昔)曹洞宗、円通寺末。慶長8年創立、開山円通寺23世寂道和尚だが、先師円通寺15世喜伯和尚を勧請開山としている。文政2年、徳宗和尚改築す、寺の襖の書は著名な足立芦月の筆となる。裏山に赤松家の祖先の墓がある。当地に赤松氏名字の村民が多く住み、春日部庄領主赤松貞範の後裔だろう。丹波志に細見将監子孫細見佐渡の記事がある。○神池寺じんちじ(市島町・多利/天台宗)養老2(712)年、妙高山(565m)に開基。
盛岡日帰り旅、思ったよりもとても楽しく充実してましたブログにポストしたい事も次々と思い出してしまい、結構長々書いてしまいました正直、行く前は東北ってひとくくりで、首都と言っても、仙台以外は何もないんじゃないかとさえ思ってました。もりおか歴史文化館で手に入れたリーフレット「もりおか河南&中津川エリア地域探検マップ」が見やすくて、内容も充実していて、とても良かったです。あらためて見ると、まだまだ行きたい場所色々あるなぁって思います日帰りでもせめ
○文保寺(味間南/天台宗)縁起によると文保寺の前身は聖備山長流寺と称し、大化元年(645)法道仙人により開基され、本尊に自作の聖観世音菩薩を安置したとされている。最盛期堂舎21坊を数えたと伝えられる。往古の堂舎の名称は、自光院・龍花院・真如院・観明院・源智坊・行定坊・一乗院・吉祥坊・西教坊・常光坊・中蔵坊・教蔵坊・善光坊・宝住坊・本性坊・本仙坊・泉蔵坊・山本坊・極楽坊・持正坊・理教坊の5院16坊で、元禄6年(1693)の寺社改帳に記されている。天暦の乱に堂舎ことごとく焼失
(”コーヒ・ブレイク”小話:(電話・はがき・SNS)”での情報です)〇河南(かんなん)10.兵庫・丹波市(かんなんTさん)当家墓所に“河南土佐”石碑あり/家紋:違い柏の葉紋/家伝書・家系図なし/東西“河南”→当家は東(“西”は“そえ株(名字をもらう)”と聞いたことあり)/観音寺住職:5~6年前静岡から養子として→新しい11.兵庫・丹波市(かんなんHさん)下がり藤紋/先祖、篠山から来た/”かんなん”読み方:わからない/息子も大阪では
○西蓮寺(さいれんじ)(東吹下/浄土宗)寛永の頃(1624〜1644)河南友房の3男長三郎が小庵を建立、後に厳誉上人が中興し、西蓮寺と改めた。当寺の裏山の墓地内に、宝永5年(1708)に建立された、篠山藩の長刀指南であった天道流剣客、日夏弥助の墓がある。墓の碑文には、弥助の出生と松平家3代にわたって指南役を勤めた経歴、貞享3年(1686)6月29日篠山で没したことが記されている。○大国寺(味間奥/天台宗)縁起によると大化年間(645〜650)空鉢仙人の開基と伝える。
篠山・丹南の寺院○念仏寺(北野/浄土宗)・・・近世の丹南/寺院・神社『篠山領地志』によると、覚山天誉上人の開基としている。本尊阿弥陀如来立像は、北野にあった大山城主(長沢一族)の菩提寺、常楽寺の本尊であったといい、丹南町の指定文化財となっている。本堂につるす半鐘には、浄土寺と同じ元禄10年(1697)9月の銘がある。最近、本堂床下を修理した際、宝篋印塔、五輪塔の残欠が発見されている。なかに弘治年号(1555〜1558)のある宝篋印塔があり、長沢一族の供養塔で
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○霊泉寺れいせんじ福井市・・・・福井県の地名"福井市呉服町(春山町)。北陸街道沿いの町で、その東裏に河南霊泉寺(臨済宗妙心寺派)がある。寺内に吉田修理の石塔がある。また17番千手観音がある。元和4年(1618)、万町(よろず)の地に府中(現武生市)の本多伊豆守冨正が建立した宝泉寺の後身。万治2年の大火で類焼後当地に移り、享保9年(1724)9代藩主松平宗昌が没すると、その法名豊仙院をはばかって改号。その後跡地にできた町屋を同寺開山の河南宗徹にちな
○医王渓と三角庵京都府亀岡市・・・・・・・・丹波の伝承亀岡町字下矢田の景勝地・医王渓に、旧藩主の松平氏が薬種を栽培したことは、瀋儒中島雪楼や同地の書家・河南美南畝の詩、「医王渓畔当蹊斜至處䍮樵三両家誰識当年栽薬地如今唯採款冬花」によって知ることが出来る。この医王渓に住んでいた名医・丹波康頼は、天元5年に「医心方」30巻を著したと伝えられている。又末裔にも名医が名を連ね、中でも雅忠は、高麗国の妃の病治癒を懇願されるほど高名であった。(おわり)
(”コーヒ・ブレイク”小話:(電話・はがき・SNS)”での情報です)〇河南(かんなん)6.兵庫・丹波篠山市(かんなんTさん)家紋:丸に一文字に違い梶葉7.兵庫・丹波市(かんなんKさん)菩提寺は「観音寺」/由来わからない/家紋“下り藤”8.兵庫・丹波市(かんなんUさん)(電話不通!)9.兵庫・丹波市(かんなんKさん)菩提寺は「観音寺」/家系書・過去帳→寺火災のため消失/家紋:丸に五三桐/当地“河南”ややこしい(二つに別
○聖福寺佛殿記しょうふくじぶつでんき福岡市博多・・・・・・群書解題作者は河南陸仁。陸仁は南北朝前半期の臨済宗の僧。その伝は不詳である。南北朝の初期に中国に留学し、かの地において福寺住持の無隠と親交があった。博多・聖福寺は、栄西が再度の宋留学から帰国してまもなく、建久6年(1195)創建した日本で最も古い禅刹のーつである。その後南北朝動乱で荒廃した社寺再建工事の終了した翌年、正平23年(1368)に、住持無隠の要請をうけその再興の経緯を執筆したものである。(おわり)
HandofBuddha(MountFuXi,China)pic.twitter.com/mRAzwzRYNr—HumanNature(@Human101Nature)November22,2023一言:私には絶対に無理!種を明かすとこんな具合になってます。でも網があるから安全なんてこの国じゃ通用するかな?河南省鄭州市新密市伏羲山第一视角带你感受伏羲山网红佛手第一视角带你感受伏羲山网红佛手!伏羲山夏日傍晚宛如童话梦境【跟着图尔去旅行】欢迎订
○円福寺(旧河南寺)えんぷくじ徳島市下八万字山・・・・阿波誌・名東郡真言宗で慶長12年宥尊上人によって開かれた。当初は河南寺と称し、下八万村の橋本名にあったが、元禄7年(1694)現在地に移転し、現寺号に改めたという。江戸時代から明治初年まで南に隣接する蛭子(えびす)大明神の別当寺としても知られた。○鬼神岳城きじんがだけ徳島市上八万・・・・・古城諸将記上八万町大里の東方、水落(みずおち)にあって、西の岳下には園瀬川が流れ、そこは絶壁で、「鬼神が淵」の名
〇神南かんなみ、かみみなみ・・・・姓氏家系辞書・大田亮"武蔵国多摩郡の名族で、源姓である。神南左京大夫源正照の旧屋敷は本郡河内村にあり。又甘南備とも通じる。(現地名:東京都多摩市宮下/神南せせらぎ通りがある)"(神南せせらぎ通りの先に、武蔵の国一之宮”小野神社”がある)〇神並かんなみ・・・・姓氏家系辞書・大田亮河内国河内郡神並荘、当宮綠事抄に石清水八幡宮寺領(保元3年)とある。今神並邑。
(”コーヒ・ブレイク”小話:(電話・はがき・SNS)”での情報です)〇河南(かんなん)3.兵庫・丹波篠山市(かんなんSGさん)当家270年前(宝暦年間)の墓碑一番古い/河南株だけの墓所あり/家紋めずらしいもの(ちょうちん作るとき、家紋の本になかった)→略図、はがき送付願う(違い梶葉紋)/氏神:二村(フタムラ)神社→河南一族。諏訪神社→若狭一族/二村神社由緒→ミコシ谷4.兵庫・丹波篠山市(かんなんAさん)先祖の古い墓で100年前(菩
〇河牟奈備神社かんなびじんじゃ綾部市十倉・・・「日本の神々」『延喜式』神名帳に何鹿郡「珂牟奈備神社(カムナビ)」とあり、由良川支流の上林川(かんばやし)の西方山麓、口上林と中上林の境に鎮座する。社地の名称を古気良(こけら)といい、近世には「大宮一宮大明神」または「大宮」とも呼ばれた。この地域には縄文遺跡・古墳が多数ある。<神奈備山>神社の後ろの山は神奈備山と呼ばれている。古来、カンナビ山とは神の宿る山の意で、丹波のカンナビ山として有名であったらしく、『千載集』に次の
○神奈備山かんなびやま奈良県神の鎮座する山。神社のある山。(転じて)神の鎮座する山の性格をもつ各地の山の異称。奈良県生駒郡斑鳩町にある三室山(みむろやま)及び、同県高市郡明日香村にある三諸山(みもろやま)の異称。歌枕。・万葉集:「三諸の神名備山(かむなびやま)に五百枝(いほえ)さし繁(しじ)に生ひたるつがの木の<山部赤人>」・万葉集:「大夫(ますらを)の出で立ち向ふ故郷(ふるさと)の神名備山(かむなびやま)に明け来れば柘(つみ)のさ枝に夕されば小松の末(うれ)に<古歌集>」
○神奈備かんなび〖名〗(「かむなび」と表記。「かん」は「神」、「な」は「の」の意、「び」は「辺」と同じく「あたり」の意か)神のいらっしゃる場所。古代信仰では神は山や森に天降(あまくだ)るとされたので、降神、祭祀の場所である神聖な山や森をいう。特に、龍田・飛鳥・三輪などのそれが有名。かみなび。かみなみ。•万葉集「神名火(かむなび)にひもろき立てて斎(いは)へども人の心はまもりあへぬもの<作者未詳>」•万葉集「甘南備(かむナビ)の三諸(みもろ)の山は春されば春霞立ち<作者未
○甘南備神社かんなびじんじゃ広島県府中市708年(和銅元年)に悪疫が流行したとき、当時備後国国司だった佐伯宿祢麻麿(さえきすぐねまろ)が、出雲国美保神社から事代主命(ことしろぬしのかみ)の分霊を勧進したとされる。悪疫退散を機に大国主神、少彦名神、龍王神を合祀。878年陽成天皇より、備後国では最高位の「正五位上」に昇進した。この神社は山陽と山陰をつなぐ古代からの交通の要所上に位置するため、人々は吉備系の南宮神宮(府中市栗柄町)に対し、出雲系の神を勧進してここに祀ったとされる。戦国
〇甘南備かんなび京都府田辺市<甘南備山>田辺町大字薪の西南端、河内国との境近くにある。富士山に似た山容と相まって神の山と信仰され、大和竜田の三室山、飛鳥の三諸山とともに神(甘)南備山とよばれてきた。山頂には式内社に比定される甘南備神社があり、かつてはそばに甘南備寺もあったと伝えられる。<甘南傭寺>現在は集落近く酬恩庵の南東にあるが、かつては甘南備山の中腹にあった。医王山と号し黄檗宗。役小角が修練したとも、行基が天平年間(729ー749)に開いたとも伝える。<神奈備(
(”コーヒ・ブレイク”小話:(電話・はがき・SNS)”での情報です)〇河南(かんなん)1.兵庫・丹波篠山市(かんなんSさん)由来わからない(以前東京の方、同じ問合せ)/“河南”それぞれ違う→過去帳で調べたら/“カンナン”読み方由来わからない/おばあさん昔話→①昔このあたり沼地で、“石山”という所で漁をしていた。“網掛”の地名も網から。②篠山市内「河南」さん、丹南から出た人達でしょう。2.兵庫・丹波篠山市(かんなんSTさん)先祖は毛利元就/家紋:一文字
〇甘南傭かんなび富田林市甘南備<甘南備保>平安~鎌倉時代。甘南備に設定された造酒保。朝廷に献上する造酒米を大和•河内・和泉・摂津などの特定の郷に割当てていた。この地域は「保」とよばれた。<甘南傭村>石川郡に属し、現富田林市域の最南端、竜泉村の南にある。竜泉村南部を佐備川が流れる。元文2年(1737)の河内国高帳では700石余。以降高の大きな変化なく、領主も変わらず幕末に至る。楊梅が名産。<観音寺>産土神は咸古佐備神社と竜泉寺の咸古神社があった。寺院には遍照寺・浄
〇川南村かわなみむら大阪市〔近代〕明治22~30年の西成郡の自治体名。明治22年に24大字が合併して成立。役場を市岡新田に設置。村名は安治川の南に位置することによる。明治22年の人口7,798(西成郡史)。同30年津守新田を除く,木津川以西の23大字は大阪市西区の一部となり,川南を冠称して同区の大字に継承。津守新田は自治体を形成。○河南郷かわみなみのごう兵庫県加東市東条町中世南北朝期~戦国期に見える郷名。播磨国加東郡吉田荘のうち。観応3年10月の清水寺御油田日記案に見え
<富山県立図書館>〇河南荘かなんのしょう/かわなみのしょう富山県滑川市・・・・越中志徴〔中世〕室町期に見える荘園名。新川郡のうち。小幡家譜に、松倉城主・椎名泰種領分、新川郡加積郷河南庄、18万3千石とある。領地は小出川より境川に至るという。河南庄の名は現在なく場所も比定できない。ただ小出川の北、境川の南方の集落を庄内というので、河南庄と呼んでいたのかもしれない。<河南神社>滑川市神家町。北流する中川の
〇河南荘かわなみのしょう摂津国〔中世〕鎌倉期~戦国期に見える荘園名。摂津国のうち。大和興福寺領。承久3年の興福寺解状案(春日神社文書)に「興福寺領摂津国河南荘」とあるのが初見。文明11年頃、興福寺竹林院領は光明院が代わって知行した。"「雑事記」文明3年では,この時期当荘が不知行となったのは応仁・文明の乱のためとしている。「雑事記」文明14年によると,同年細川政元は国人らに押領された摂津の本所領再興のために出陣するが,当荘もその対象となっていた。戦国末期まで一応興福寺領荘園としての
〇長沢ながさわ(「角川日本姓氏大辞典/兵庫県」による)8.秀郷流藤原姓・小山氏族”長沢”長沢氏にして、久下系図には「俵藤太秀郷八代の孫小山下野大掾政光━直光(久下権守、猶子、実は源義隆の子なり。或は成木大夫の子とも云う。住丹波)━実光━光重、弟重家(長沢氏)」と見える。氏人は太平記に「丹波国の住人・久下長沢の一族等」と載せ、また氷上郡に存し、籾井日記に「七頭の家と申し候は、第一は久下の城主久下云々、第二には小山の城主長沢治部
〇長沢ながさわ(「角川日本姓氏大辞典/兵庫県」による)7.藤原北家・日野氏流”長沢”江戸幕臣にして、日野弘資の子外山大納言光顕の二男要人資親、徳川氏に仕え、1400石を領す。その子「要人資祐(資顕)━主膳資倍(則種)━滋太郎資武━鎌次郎資始(要人)━滋丸資摸」。家紋鶴丸、子日松丸。寛政系譜に見ゆ。(おわり)https://profile.ameba.jp/me
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〇長沢ながさわ(「角川日本姓氏大辞典/兵庫県」による)5.清和源氏・武田氏族”長沢”甲斐国巨磨郡長沢邑より起る。伝へいう、逸見光長の遠孫駿河守昌景の男八左衛門昌綱・逸見長沢村に居り氏とすと。後主膳正武と改む。家紋花菱。6.清和源氏・今川氏族”長沢”尊卑分脈に「今川四郎国氏━五郎経国(本常氏)━三郎顕氏・・彦三郎兼氏(刑部大甫)・・彦三郎満幸(刑部大甫)・・直幸(長沢)」と載せ、中興系図に「長沢。清和、関口五郎国経が5代直幸・これを称す」とあるもこの流也。後世、駿