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明日は晴れるらしいけれど、今日は小雨模様。雨滴とともに桜しべ降っています。桜しべってこういうのです。👇(去年の写真)「だから何なの」って言わないで。「桜しべ降る」って季語なのです。桜をその終焉まで鑑賞する姿勢って、独特といえば独特ですよね。こういう感性が今のどんよりした世に(”どんより”は天気だけじゃない)、黒とでるのか白とでるのかようわからんのですが…。で、少しですが(あくまで、わたし的に)気分上向く話を。一つは俳句の話。池田澄子さんは尊敬する俳人です。
窓の会の常連でない方の参加も歓迎です。池田澄子さんなども参加されます。盛り上がりそうです。
椿咲くたび逢いたくなっちゃだめ池田澄子池田澄子句集『ゆく船』(ゆくふね)furansudo.ocnk.net2,860円商品を見る池田澄子さんのこの俳句を目にしたら、渥美二郎さんの♪椿咲く〜春なのに〜あなたは帰らない〜がリフレイン😅😅😅渥美二郎釜山港へ帰れ歌詞&動画視聴-歌ネット渥美二郎の「釜山港へ帰れ」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)つばき咲く春なのにあなたは歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。www.uta-
季語、ってものが身についていないので俳句は遠い存在だけど、池田澄子さんの俳句は好き。新聞で見つけた。今回のも好き。「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」「寒ければ着重ね恋しければ逢う」池田澄子「池田澄子百句」(創風社出版)より澄子さんは、1936年生まれ👏人生の大先輩なのに俳句を読むとめちゃcute💕かわいい俳句が多い。今度図書館で句集借りてみようかな。
三橋敏雄の句集は2冊目。とはいえ、こちらは師弟関係にあった池田澄子さんセレクト。俳人が俳人のどのような句をえらぶのかを眺めるのもたのしい。俳人という顔ではなく、好きという1点に絞られるときのはずんだ心うちが感じられるからだ。じぶんの歌集や句集ですら出してもいないのに、こんなことを言うと100年早いと叱られてしまいそうだけど、わたしにはどちらかというと自分の歌集や句集より、ただそのへんに転がっているような一塊のファンとなって、すきな歌人や俳人の作品を自由に選び、ゆるされるなら気ままに感想を
第1回「ことばカフェ東京」は以下のように開店します。日時:2023年8月2日(水)14:00受付開始14:30開演場所:公益社団法人緑丘会緑丘会館東京都豊島区東池袋3丁目1番1号サンシャイン60(57階)*眼下に東京が広がります。参加費1000円懇親会費4000円(参加されない方は、参加費のみ)※窓の会常連でない方もどうぞ。テーマ:1、俳句を語ろう対談者・坪内稔典さん×池田澄子さん2、句会(全参加者で句会ライブ)
6月17日土曜日のお昼近く。根川緑道の流れに張り出した四阿でハヤの行列を眺めた後、今一度親水護岸の前を通って下流に向いました。流れに沿ってところどころに句碑が立っています。「初日さす松はむさし野に残る松」水原秋櫻子の作だそうです。新奥多摩街道のアンダーパスをくぐって根川緑道は続いています。下水処理場の北側を通って歩いて行くと、流れが広くなっている場所に出ました。《大池》という表示が目に止まりました。水面から茎を伸ばす水生植物。近寄ってみると、ぽつぽつと黄色い花
春風や言葉が声になり消ゆる池田澄子さんの句です。「増殖する俳句歳時記」より転載です。鑑賞(以下)は小笠原高志さん。句集や歳時記から気に入った句を見つけると、俳句手帖に書き記すようにしています。今回、池田澄子さんの句集「拝復」(ふらんす堂・2011)を拝読しているうちに、すでに23句を書き写しています。これはまだまだ増えそうです。なぜ、池田さんの句を書き写しているのかというと、句が気持ちいいからです。池田さんの五七五には、世界を浄化する装置のようなはたらきがあり、それが気持
河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の句、赤い椿白い椿と落ちにけりこの句はその昔、教科書に載っていたと思います。鑑賞がどのようなものか忘れましたが、句はしっかり憶えています。ネットでこの句の鑑賞を探してみると、今まさに椿が落ちているとする動画的に捉えるか、あるいは地面に散り敷いている紅白の対比(静止画)としてみるかで意見が分かれているそうです。どちらかというと後者だそうです。うん、多分後者でしょうね。動画とすると、その瞬間に立ち会うのは相当困難。教科書といえ
これは2021年2月22日のミモザの花。ということは、もうそろそろ咲くのかな。今年は寒かったのでもう少し先かもしれないな。ミモザを思ったのは昨日ミモザ句を取り上げられたブロガーさんがいらしたから。たくさんのミモザ句のなかには池田澄子さんの句もあり、それは、ゆらゆらの花のミモザとくらくらすいいですねぇ夢でもいいからご一緒にくらくらしてみたい。ということで、触発されて私も一句詠んでみました。幸福を「たとえば…」とかき花ミモザ「こういうのは俳句とは認めがたい、残念
今日は成人の日。自分が住む一宮市木曽川町の成人式は昨日だったようだ。図書館から帰る道すがら、木曽川中学校に向かうスーツ姿や振袖姿の若者を多く見かけた。成人年齢が18歳になったのだが、成人式を18歳の新成人を対象に行った自治体は3つしかないとのニュース。ほとんどは、これまで通り20歳若者を対象にしたとのこと。まあ、なかなか急に、18歳、というは自治体も大変そうだし。とにもかくにも、せっかくの振袖姿が映えるためにも、天気が良かったのは、なにより。で、俳人の池田澄子さんの冬の俳句がおぼろ
元旦から2日続けて、朝は雑煮を食べて、元旦は、娘と息子、家族4人でかみさんの実家へ行き、義母と一緒に、昼は「蟹の花」の豪勢な蟹づくしを食べて、夜は、回転寿司からのお持ち帰り、さらに、本日は、自分の実家へ行き、母親と兄貴の6人で、鰻のひつまぶしを食べに、何とも贅沢な正月を過ごしている。さて、いつもは、会社へ行く時には、朝5時に起き、在宅勤務の時は朝6時10分くらいに起きて、いずれも、7時ちょっと前から仕事開始、となるのだが、正月は、8時起き。単純に寝床に入る時間が遅いと言えばそれ
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」俳人、池田澄子さんの一句。録画してみるテレビ番組の1つ、プレパトの俳句コーナー。その俳句の先生、夏井いつきさんが著作の中で取り上げていた好きな俳人池田澄子さんの句である。過去に夏井先生の著作やプレパトでの俳句などなど、いろいろ見てきたが、この俳句は読んだ瞬間に衝撃が走った。蛍が、誰と会話しているのか?誰の思いなのか?もしかすると、植物と?もしかすると、川辺の花?もしかすると、てんとう虫?もしかすると、、、、じゃんけんで負けていたら、どうなっ
今回も溜まりました大雑把に書きますね🍎🍎🍎『思えば生まれた日以来、母と私は同じ年齢差で生きてきた。時には手本に、あるときは性格の違いに驚いたりしながら生き合ってきた。その人が突然、老人になったのだ』池田澄子さんの「本当は逢いたし」のなか(21頁)でこう書いているそこまで読んで私は立ち止まって自分の思いを探っているこういう気づきに「ふと」引き止められる誰にでもそんな思いに気づくことがあって容易に時に流してしまえない何かを掴もうとしてしまう九十二歳になる母親と
夕しぐれ一生一度の絶命にお約束では井上弘美さん著『読む力』・池田澄子の句の(その三)と銘打つところなのですが、いや、もう、このままご鑑賞くださいと申しあげたくなりました。掲句は池田澄子さん、お母様への追悼句です。母よ貴女の喪中の晦日蕎麦ですよなどの句と共にあるという。生物である人間が死ぬのはあたり前、って理屈では分かっているけれど、その死は、かけがえのない親の「一生に一度のこと」だったと、あらためて気づかされ、その重さに、潰れそうになり
死んでいて月下や居なくなれぬ蛇池田澄子以下、井上弘美さんによる鑑賞文です。〈蛇の悩み舌がヒラヒラ出てしまう〉〈穴に入る蛇の自愛やどうぞどうぞ〉など、『思ってます』には、「蛇」の句が数句登場する。どの句も作者ならではの発想と表現方法で書かれていて面白いが、掲出句は「蛇」の死を据えて鮮明だ。この句は、死んだ「蛇」が月光を浴びて、草むらに白く浮かび上がっているような光景を思わせる。「月下」の「蛇」が闇の中で発光しているような、幻想的で厳かな光景だ。生きていれば、するす
♪WHILEMYGUITARGENTLYWEEPS昨年の8月24日、頭木弘樹さん『絶望名言』から、ビートルズの名曲の数々をご紹介していました。なつかしいな…。その中でも、この曲、この時季にぴったりのような気がして、再び記事にしてみました。※予定の池田澄子さんは明日にします💦(MusicVideo)|SubtituladoenESPAÑOL&LYRICS制作者Galactico4646さんに感謝します。♪WhileMyG
▸春寒の灯を消す思ってます思ってますこれは池田澄子さんの第六句集『思ってます』の表題句。句集の表紙には大きく「思ってます」の文字があり、裏表紙には小さく以下の文言が書かれています。「思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも何かを思っていた。が、思いは、何の役にも立たない」掲出句は、▸三月寒し水も電気も瓦斯も来てという句と並べられています。(以下原文まま)掲出句において「思う」対象は東日本大震災の被災地であり、被災した人々である。「思う」主体は作者を含めて、
こんばんは。今日、長崎原爆の日に思い出す句は、彎曲し火傷し爆心地のマラソン金子兜太そして、泉あり子にピカドンを説明す池田澄子また、歳時記にあった、長崎出身の俳人五島高資さんの句。首上げて水光天に長崎忌五島高資(長崎忌は秋の季語、水光は水面に反射する光)******「HIROSHIMA-ヒロシマ」を歌った西城秀樹さんが、20歳で歌った「平和で美しい国、信じあえる人ばかり」という詞で始まる「ケ・サラ」(Ch
「いのちを脅かすものはみんな嫌だ」戦争と俳人というと、私はまず池田澄子さんを思い浮かべてしまいます。澄子さんに関するインタビュー記事は多いけれど、今年の1月15日付の以下の記事👇新鮮でした。「無心に一句」から厭戦、生死、いのちを詠む池田澄子さん(俳人):東京新聞TOKYOWeb(tokyo-np.co.jp)澄子ファンの私は、これまでかなり記事にしてきましたが、師弟関係、つまり師の三橋敏夫さんと澄子さんが、具体的にどういうやりとりをしていたのだろ
今日は昼前から土砂降りの雨になっているとにかく雷がガラガラとなり。雨は破れかぶれに降っているのだ。市内では避難地域もではじめている。天気予報は世夜中までに、もう一度破れかぶれの雨をふらせるらしい。ライブカメラの近くの河川をみるとなみなみと水をたたえている。あと数時間川さん、がんばってね。私の住んでいるところは昔から、洪水の多いところです。輪中地帯といい、村々ごとに、大きな堤防がつくられていて、隣の村は水につかったけれど、こちらはまぬがれ
以下をごらんください。締切は今日いっぱいです。選者は池田澄子さん俳句、大募集!あなたの句が「週刊文春」の誌面を飾るかもしれません。|文春オンライン(bunshun.jp)急いでください
こんばんは。久々に晴れたので、自転車で図書館、スーパーと回ったら、これまで全く目に入っていなかった、街路樹の百日紅(さるすべり)の花がとても綺麗でした。身近過ぎて気づかないことって、やっぱり結構あるな・・・と改めて思った次第。百日紅(さるすべり)は夏の季語、俳人池田澄子さんの句を思い出しました。百日紅町内にまたお葬式池田澄子池田さんが選者になる「週刊文春」の「俳句、大募集!」があります。俳句、大募集!あなたの句が「週
今年はいつもの蓮池の蓮の花に勢いがない。池にたくさんの雑草などがはびこって蓮の範囲が狭くなったためかな。それにしても花が少なく、小さい。写真も少し疲れた花に見える。残念。いつしか人に生まれていたわアナタも?池田澄子いつかなくなる家よ樹よ蝉しぐれ春風に此処はいやだとおもって居る谷川俊太郎「風穴をあける」(角川文庫)を読んでいて谷川氏の文章が気になった。実は「池田澄子句集」(ふらんす堂刊)にある解説文の収録なのだが句集を読んだ後読んだ印象と感じ
落ち実梅の話どこかの梅の実が落ちていたとしても、もうすっかり土に還っている頃でしょうね。早めに梅雨もあがったことだし―。実家の庭には梅もあったけれど、それより大きな杏の木があって、剪定をしなかったものだから脚立でも届かぬ高さになってしまっていました。収穫はもっぱら落下を待つのみ。風が吹くたびドサッと音をたてて落ち、草が生えているところに軟着陸した杏はキズ一つなく、熟れておいしかった…。いや、「梅の実」の話でした。季語で「落ち梅」は、梅の花弁が散ってるさ
「すべりひゆ」ってどんな草?って訊かれて例えば大写しのスベリヒユの写真を見せてもピンとこないと思います。彼ら地面に這いつくばっていて、あなたはいつも見下ろしているから。それを見せなきゃ👇※写真はネットからお借りしました。「ああ、これなら知っている」って思ったでしょ(笑)地味な草ですよ。ただ、存在感あるんですね…。それどころか秘かに愛されている…。ほら👇すべりひゆ一俳人でしかなく候伊丹三樹彦すべりひゆ蹠がいくさ忘れない保尾胖子すべりひゆ繁
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの池田澄子さん、戦時中を生きてこられた方と知った時、この句がフッと。(ひょっとしたらこのじゃんけんは、戦争の勝ち負けにたとえられたりもしているのかも‥よく夏に映画やテレビに出てくるあのホタルのような‥)そう想ったら、ますますそうとしか想えなくなって胸が苦しくなった。作者の句意とは違うかも知れないけれど‥そうであってもそうでなくてもいい