ブログ記事122件
一話完成です‼︎やっとXとnoteにアップできる。ここも他の自分のアカウントの中で一番アクセスがあります。見てくださってありがとうございます♡他に制作しなくてはならない絵もあるので2話の出だしは少し遅くなる予定です。と言いつつも、描きたいとつい優先して描いてしまうかも。2話のトビラだけ描きました。水彩入れた一枚絵と並べると、ペンの漫画の未熟さが浮き彫り。子どもを愛せない親は残念ながらいます。しかし親を愛せない幼児はいません。1話の主人公は完全にピュア幼児です。子どもを愛さ
ここでは思ったことを徒然と。補足なども。漫画が難しいと思うのは映像でイメージする必要があるからなのだなと思った。平面に配置するイラストとはかなり違いがある。映像を脳内で再生し、自分がカメラマンになったようにキャラクターを撮影するようにコマに割ってゆく。よくある漫画原作の実写化って、他のいく人もの手で映像に戻してゆくことなんだなあと。
エッセイ漫画でも説明的でなくお話にしたい。緊迫した雰囲気とか出したいな〜。そう考えていた時に『血の轍』という漫画を読んだ。才能に圧倒された。無理描けない・・・。でも逆に描きたい!とも拍車がかかって。男の子で支配コントロール系だとこんな感じなんだ。女の子とはまた違った怖さがある。ペースが遅すぎて漫画が読めるハッシュタグ付けるの申し訳ない(^^;;
終わりです。「姉ちゃんは怖い、と、テツが言っていた」、、、、と、誰か(弟嫁だったかな?)から聞いたことがあります。私が母に反抗しだしたのは10歳頃。その時、弟は7歳。確かに、その年齢で、姉の気が狂ったような言動を見たら、そんな思いを抱いてしまうのは有り得たかもしれません。母に何も言わない弟にムカついて、睨んだりキツく当たったこともありましたから。弟が助けてくれなかったのは、私の自業自得なんでしょうか?10代の私にそんなこと分かるわけないよねぇ。。。今回のように、直接言えよ
つづきます。
弟が母に抵抗したのを(私が)見た、唯一の現場。これって・・・どっちもどっちだよねぇ・・・「お姉ちゃんが」っていう母も母だし、襖あけて「してへんやん!」っていう弟も弟・・・・前回書いたように、弟は普段は全く反抗しません。なのに、なんでよりによってこの時??これじゃあ、母より私が悪いみたいじゃん。。。もしかして、私の知らない所で、「お姉ちゃんは」「お姉ちゃんは」って言われてたのかもしれません。だとしたら、この時の弟の気持ちも行動もよく分かる。だけど、この時の私はそんなこと思い
終わりです。「だけ」「だけ」って、当時は思ってましたね~・・・。その考えのまま成長してしまった。今思うと、弟は弟で、どうすればいいか分からなかったんだと思います。毒親育ちの息子は、娘と違って、黙って耐えている子が多くて、働ける歳になったら、ふっと家を出ていくパターンも多いそうです。弟の場合はそんなこともなく、結婚するまで家にいて、結婚後も母の言いなりで実家の近くに棲んでたし、いつも呼び出されては、嫁のグチや相変わらずの小言を言い続けられていて、相変わらず黙ーって聞いて
終わりです。自分の子を、他人に褒められたら、親は嬉しいものだとは思います。それはよくわかる。今思うのは、母の場合は、もしかしたら、子育てに自信がなかったから、人に褒められたら、人一倍、うれしかったのかもしれないですね。(実際、私も弟も変なふうに育っちゃったし)私も、母にちょっとでも褒められて育っていたら、母から伝えられる他人の褒め言葉も素直に嬉しく感じたのかもしれません。
叔母の話を描いているうちに、なでなでしてもらったことなんてないな~・・・なんて、感慨にふけってしまいました。41話のように、何かのひょうしに手をつかんだり、体に触ったことは何度かあったと思いますが、ほとんど記憶がないんですよね~。。。母もそうですが、父はもっとなかったな。年頃になって、お父さんと手をつなぐってことは、普通の父娘もないかもしれませんがw小さい頃は、いつもいつも父と手をつないで歩いてた。どちらも、介護が始まって、触れ合うことが多くなって、それが唯一、両親との思い
自分も、かわいいと思ってもらえない部分があったんだろうな~と、今は思います。でも、それは今になって分かることだからね・・・・。当時はどうしようもなかったし。かといって、気に入らないからって、ほっぺたツネることないんじゃね?と思いますし。イヤミな言い方せずに、もう少し明るく、「あるみちゃん、手伝ってくれる?」とか「一緒にごはん作ろうか!」とか、言えばいいじゃん、とも思うし。。。反省しようと思っても、しきれない面はありますねww
終わりです。私の両親、叔母夫婦、叔父夫婦・・・・ぜんぶ、違った形の家族模様だな~、と思います。なんやかんやと、叔母の家が一番幸せそうで・・・ハラ立ちますわwwwびっくりしたのは、親の葬儀で40年ぶりくらいに話をした伯父さんの息子さんが、実は毒親育ちだったということ。自慢話をしていたのは伯父さんで、伯母さんはおとなしくてあまりしゃべらない人だと聞いてはいたのですが、その伯母さんがすごい毒親だったそうです。確かに息子(長男)さんと、話をしていたら、「あ・・この人ちょっと変わ
終わりです。あくまで、私視点のみの考察です。裏はとっていません。もしいつか、裏がとれて、私の勘違いなどが発覚したら、訂正したいと思います。この姉妹の、毒親タイプの違い・・・なんでこんな違いがでたのかな、と考えたら、やはり家族同士のつきあいがあったからじゃないかな、って思い至りました。もしつきあいがなければ、叔母はそれでも、仲のいい親子関係を築いたかもしれませんが、少なくとも、姉家族と張り合う、って思考には囚われなかったのではないかと思います。姉の家族よりうちが!姉の子供より
独身で親と同居は私も同じでした。でも、結婚できない理由が、180度違う気がする・・・叔母の長男とうちの弟は既婚。(弟はその後離婚)もし4人のうち、私だけが独身だったら、それをエサに叔母にいたぶられていたと思うと、ぞっとします。K君に感謝やわwwつづきます。
終わりです。1~3回目の年齢ははっきり覚えていないのですが、4回目は42歳の時でした。つまり、最初の私の失態をエサに、約20年に及び、葬式の度にジメジメと嫌味を言い続けていたというわけです。これはワンエピソードで、叔母は大概こんな陰険な感じです。ズバズバものも言いますが、それも天然というより、明らかに傷つけてやろうという意図を感じるものです。なぜ叔母のことを描いたかというと、こんな叔母に、私は20代の半ば(1回目の葬式のあと)に、とんでもないことをしてしまったからです。その頃
お葬式に関しては、共感してもらえることだと思いますが、葬儀とと出棺と火葬の時以外は、みんな結構笑って会話をしているものです。最初から終わりまでずーーーっと悲しい顔をしている人はあまり見たことはありません。私も何度かお葬式に出席して、それが分かってきました。現に、叔母だって、葬式の合間など、誰かとにこにこと笑って話している現場を私も見ているんです。うちの親の葬式の時ですら、みんな笑って会話をしていましたほんとに、ただただ、嫌いな姪に何か言ってやりたい、ってだけだったんだと思います
前の葬式から、5~6年は経っていたと思います。言われた時はとてつもなく、気持ち悪い違和感を感じました。なんか、会社のイジメでこんな感じのありますよね・・・・。つづきます。
叔母は、直接「それはしてはいけないことだよ」とは言いません。今回だけの話ではなく、小さい頃からそうでした。皮肉や嫌味の形で言うことはありましたが、子供に裏の意味なんて分かるわけもありません。だから私はいつも、叔母の言動に、母とは違う角度で混乱していました。そして、20年以上もつきあっていると、「この人、うちの家族の悪口、家でいいまくってるな」というのはなんとなく分かっていました。つづきます。
やらかしました・・・・これが何歳の時だったか覚えていないんですが、たぶん20代のはじめくらい。こういう発達障害的なこと、マシにはなりましたが、今でもやってしまいます。周りが見えなくなる状態・・・話下手なのに、沈黙が苦手で・・・・焦りや、いっぱいいっぱいにてんぱった時とか、そうでなくても、空気が読めない、ということが今よりもよくありました。つづきます。
出た。いじめっ子の逆切れ。・・・って感じですねw思えば、両親を睨むようになったのは、10歳くらいからだから、誰かをこんな風に睨んだのは、叔母が最初だったんだな~。。。と、これまた描いていて気がつきました。それにしても、母もなんで叔母にチクるかな。それはほんとにショックでした。「あるみがあんたのこと嫌い言うてたで~」と、おもしろ気に言ったんだと思います。というのも、これは後々分かるのですが、この姉妹、実はむちゃ仲が悪かったんです。だから、母にとっては、娘が妹を嫌いと知って、
「そういえばいつも二人きりの時だった!」、と気がついたのは、ごく最近です。つねられる以外にも、私が一人の時に、こそっと近づいてきて、いやなことを言われた記憶もあります。毎年毎年、つねられていたわけですが、弟はつねられた覚えはないそうです。叔母の息子二人に確認はしていません(いつか聞こうと思います)。つづきます。
「もうひとりの毒母」というタイトルは、今回マンガを描いていて思いつきました。思いついて、「そういうことだったのか」と、改めて気がつきました。幼稚園くらいの頃からの記憶です。私は色々いやなことをされたのですが(今もですが)、弟はあまりそんな記憶はないそうです。叔母は、母と同じ「毒親育ち」と考えられますが、自分の息子二人には毒母ではなかったようです。叔母親子、とても仲がいいのです。。。つまり、いやなことをされていたのは、私だけ・・・?つづきます。
今だと分かるんですけどね・・・・嫌いな人に笑顔を向けられても、気持ち悪いだけだってw勉強も運動もできなくて、話せばオドオドして、だけどニヤニヤ笑っている子を、好きになんてなれないですよねwwでも当時は私自身は、人とうまく話ができないことを悩んでいたし、なんでこんなに人が怖いのか分からなかったし、いつのまにか人に嫌われているのも全然わからなくて、そして、家に帰れば会話のない家庭、口を開けば怒ってる母・・・なんか、いろんな悩みを抱えていたのに、「なんだろう、これ?」という感覚で
13歳くらいです。これだけを読むと、「これが何か?」っていう他愛もないエピソードですが、私にとっては、重大なことでした。母はこういうことを何度かやりました。私がやったら絶対に怒ることを、他の人の話はこういう感じで笑って話しました。小さい頃から、「17話母の怒り方」みたいなことをされ続けていた私は、この頃すでに、善悪の境があいまいな状態でした。これはしていいことなのか、悪いことなのか?これをしたら怒られるのか、怒られないのか?これを言ったら、相手は喜ぶのか怒るのか??そん