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2023.11.18.@二本松バースカフェ5年振りに主催サポートをしました!もうそんなに経つ??ってなくらいわたしにとって5年と言う月日はあっという間でした新しい仲間とのバースカフェ…主催の萌笑ちゃんも4児の母美花ちゃんもいずみちゃんもみんなお母さん創造性豊かで個性炸裂!笑なのに!調和のバランス感覚が抜群です!!!スタッフはもちろん!参加者様も!!!そんな素敵な女性達と男性達とも沢山出逢い合ったバースカフェ@二本松でしたバースカフェ
3.11と令和元年東日本台風で2度家を流された過去がありますイラストレーターico.です東北では20日朝3時頃から台風がやはり襲来するとのことで自主避難所で一晩明かすことにしました。まず私は福島県福島市在住なのですが市がとても早い対応で感動しました🥺19日午後4時の時点で自主避難所を開設。東北では6時間程しか雨は降らない予報ですが、短時間でも油断できないこと、避難所に行った経験がないことから、とりあえず今回は「娘と2人、一晩と翌日避難所で過ごす」ことに決めました❣️
新しい名刺ができました😊表はイラスト(ハザードマップ見てる)、裏は防災イラストをちりばめて。今日はこれから市主催の避難訓練へ!あらかじめ我が家で決めている避難所が今回の舞台なので、ほんとの予行練習になります。ただ、娘2人で参加なのでドキドキ。いま絶賛イヤイヤ期なのですよー。。でも避難訓練だからって、良い子にしてなきゃいけないわけじゃなく、、災害時にはそれこそギャーギャーもうそこらじゅうで泣き声👶や鳴き声🐶や、、ですからね。「忘れ物ないかな💦」とか準備してるけど、それもまた災
高校2年になった娘が、今年の3.11にTwitterに上げたと言う投稿をシェアします。東日本大震災を経験し、海外母子避難、関西母子避難を経験した子供からの目線の話です。🌿🌿🌿🌿🌿🌿2011年3月11日この日は私にとって色々と人生が変わった日でした。当時6歳だった私は保育園にいました。そこで震度5強の地震を体験し、何が何だか分からずに屋外に避難させられ親の迎えを待ちました。その後体調が急変し長期間寝たきり生活。原因がわからず居たら、病院の先生からとりあえず安全な場所に避
今日3.1111年前のあの日から、私の、私達家族の人生がここまでの経験をする事になるとは、想像すらできなかった。怯えた日々悲しさに埋もれた日々何かを求めた日々そして、光を見つけたかった日々どん底、どろ沼。あれ程の経験の中で何かを掴みたかったけど。全てに開き直るしか無くて、どうする道も見えなくて、『全て手放して笑顔で生きよう❗️』と太陽に向かって誓った途端に、全てが好転を始めた🌱心ひとつで、これだけ私の世界は変わっていった。ネガティブに受け取っていた時は、
10月末日。サラッと誘ってくれた息子とのランチが、サプライズデーとなりました🎁✨息子の紹介でライトワーカー講座11期生となった康司さんのレストラン(神戸三宮)でのランチ✨なんと、コックさんの康司さん自らが目の前でお料理してくれ💕誕生日が近いと言う事で、息子がご馳走してくれました〜〜〜💕そして、康司さんからはおめでとうケーキまで🎂✨ケーキのタイミングで、模試終わりの娘もタイミング良く合流✨突然のサプライズバースデーパーティーみたいになっちゃった😍その後、神戸元町中華
今日は、私の関わってる市民学習会「埼玉リレーカフェ」の主催で、「私が出逢った人たち~原発事故から10年~」というテーマの学習会があった。話し手はフリーライターの吉田千亜さん。(私と同姓だが親戚ではない)昨年、彼女の書いた『孤塁双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)は、日本ジャーナリスト会議賞などを受賞している。今回は、吉田千亜さんの著書の価値を論じたい。「10年前の原発事故は、私達に原発の恐ろしさを教えた」と言う時、私たちはどんな事実をもとに、その「恐ろしさ」を語るだろう?・・・
私のライトワーカー講座修了生第一号の吉岡智佳子さんが、ご本人の設定した4ヶ月の無料モニター期間を経て、いよいよセッションデビューしました彼女は、私と同じく東日本大震災による避難を経験し、その後、当事者団体として支援団体を立ち上げ、多くの苦悩を抱える避難者達に寄り添いながら明るくサポートをしていた素晴らしい方です。私も、当事者支援団体・母子避難サポートAinaを持ちながらも、自分自身の辛さにも向き合う中、彼女とは、多くの事を語り合う仲でしたその中で、スピリチュアル好き同士、盛
6月16日火曜日主人はマヤ暦ではKin179青い嵐と白い犬(因みに、スターシードサロンの主催者のお一人ヨシさんと同じ✨という、何か有難い生まれ✨)これは、後付けで知ったのですが、この日は青い嵐の13日間サイクルの始まる日だった。先日のYさんのチャネリングを受けて、二日間も寝込むくらいのダメージを負った主人。何を思ったのか、相当悔しかったのか。【ライトワーカー講座の最終回チャネリング】の習得を望んだので、私的にも複雑だったけ
5月12日ライトワーカー講座第二号となるTさんの第1回講座が始まりました。この方も、東日本大震災による関東からの母子避難者。私の感覚ですが、避難者さんは、とっても透明な心の方が多く✨ご本人が知っているか知らないかは分からないけど、とってもスピリチュアルな感覚な方々ばかり。あの震災の最中、こどもを守るために必死の覚悟で、母親1人で子供達を抱えて、知らない土地に移住する。それも知り合いもいない、由縁もない。そしてそれは理解者のない中。1人きり。
チャネリング12日目5月1日。朝からペレのメッセージを受け取ったり、サポートの存在が見えたり。友達へのメッセージが、ふと降りてきたりの、忙しい始まりのあった1日。この日のチャネリングは、ブログ記事からチャネリングモニターを申し込んでくださった、避難仲間で避難者支援団体をまとめているYさん♡彼女とは、以前から、避難者支援の話から逸れて、なんとなくスピリチュアルの話とか、できる間柄だった。実は、数日前。なんとなく、
久しぶりに面接まで進めた。(何故か、返事すらこないことも多くって💦)前々日から履歴書や職務経歴書を作成し、髪も染め、スーツをだし。パンプス履いて。行ってきました、面接。某大手百貨店のサービスカウンターのお姉さんになるのかしら?この歳になると緊張もなく。(って52にもなって、カウンターのお姉さんになれるのか?)震災以来、ビックリするほどいろんな仕事をしてきたから、なーんも怖い物はないマウイでは、6つの仕事を掛け持ったしねなんでもやりますよ
半年前に、卒論取材を受けました。それが完成し、無事に卒業したと言うえりさんからの卒論付きのメールが昨日届きました。私を含め、5名の母子避難ママの記録が書かれ、英訳されています。(まさかの英文での提出にびっくり)そして、そのメールに添えられていた彼女の感想に、とても希望が持てました✨私達の様な母子避難者に目を向け、深く取材し、得たものが、、、彼女の中に広がって、それが世界に広がって、大きな気付きや愛に変わっていく事に光を感じられました✨えりさん、
3月20日、春分の日を迎えるにあたって、、、並木さんの言う『ゲートが閉まり始める』って、どんな事が起こるんだろう?とは思っていたものの。こんな風にコロナウイルスが世界に蔓延して、、、、なんて設定、誰もが思いもよらなかったろうと思う。私も、もちろん同じだった。2020年は、大きな変化の年。ってあちこちでみるけど。。。こんなことから始まるとは。でも、1月末、コロナのニュースが始まった頃。そして、その後も、私の気持ちや生活は
あれから9年。他の皆さんと同じ様に、私もここ数日、この9年を振り返る時間が多くありました。でも不思議です。今まで感じていた、毎日に溺れる様な、どこに手を伸ばして掴んだら良いのかわからない不安定さを今は感じていません。その変化は昨年の5月初旬、、、もう、どうにもならない状態に陥った時に相談に行った面談で、、、社協の私の担当者と市役所の若い職員さん達を前に、泣き崩れ、『私の何が悪いのか、私の何が足らないのか、教えてほしい。キツイ言葉
なかなか一気に書き上がらなくて何日にも渡り書き綴っててやっと久しぶりの更新(*´︶`*)♡暑い暑い夏が過ぎてもう9月…ここんところ朝晩涼しくて暑がりのわたしはめちゃくちゃ過ごしやすい!そよそよ窓から吹き込む風が気持ちよくて♪朝晩聴こえる虫や野鳥の鳴き声が自然からもたらされたヒーリングsongだ✨・・・・・・さてさて4月から福島と札幌二拠点になって生活が一変。。。わたしは実家の事業に携わっていていわゆる…「仕事」をしているずっと、社会と言わ
この時期になると。。。ピオーネそして、またピオーネご近所さんから戴けるあーーーーーーーー幸せ東京にいる時には、こんなに頻繁に食べられるものではなく、高級品でしたしかし、ここは岡山贅沢にピオーネを食べることができちゃうんです長男、そして果物アレルギーがある次男もブドウはOKありがたいですね~さて、何故、原発事故による放射能汚染をきっかけに避難・移住をする場所に岡山を選んだのか私も夫も、親戚は関東以外にはおら
タイトルを「言い訳」とさせていただいたのですが、前回の記事が、割と赤裸々で、子供たちが見たらショックかななんて思いまして・・・ブログを始めるにあたり、子供たちには「我が家のこーんなことや、あーんなことを書くよ~」とお伝えし、許可を頂いてはありますし、私より子供たちの方がさすが現代っ子スマホの操作にも長けていますから、見られるのも時間の問題だと思いますと言うことで、今の私の気持ちをお伝えしておこうかと今、子供たちには感謝の気持ちしかありませんって言ったらウソで、そりゃ
福島に帰りたいと思う時もあったどこかに消えていなくなりたいと思う時もあった自主避難してきて集合住宅に住むことになって多分山形で二度目の冬だったと思う同じく福島から避難して来ていたお隣さんは原発がある浜通りからの避難者だったと思うある日幼子三人とその母親たちがお二階の住人の駐車スペースに巨大なカマクラを作ってしまいトラブルに発展お二階に住む若い娘さんと避難中のその母親との口論がすさまじく今も頭にこびりついたまま離れない活発過ぎる三人の幼子を抱え