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カリスマ仲人士千田英代です。昨日、母が亡くなりました。87歳でした。孫は私だけでしたが、3人見せれました。曾孫は会わせれなかったけど、3人。お葬式には3人とも会ってくれるね。糖尿病もあり、70代ぐらいから、好きなものも、あまり食べれなくなってたね。80歳からは、認知症になり、かなり、困らされたわー、、なんだろ?親孝行はしたと思う、、だからかな、悲しくないんだ、、やり遂げだ感ある。あとは、葬儀を一生懸命するだけ。そして、49日まで、そうしたら、悲しくなるのかな??
よく…実家の片付けが大変だ…と耳にするけど…昨秋ばあちゃんの旅立ちでばあちゃんのお部屋を片付けた……まずは使っていたセミダブルベッドを粗大ゴミにだしたそれから衣類をチェックしたんだけどなんだか……少ないし古いものばかりそのなかでもまだ“ましなもの”を選びあとは処分することにした…“ましなもの”は一応親族に見せてほしいものがあったら持っていって〜と声をかけた小物も同様もらってくれたそんなこんなであっという間に片付いてしまったホントに「楽」
いつか来るとはわかっていたけれど……先月10月下旬母との別れが突然やって来た「母」というより「ばあちゃん」と言った方がしっくりくるので以下ばあちゃんと呼びますねばあちゃんは来年米寿を向かえる予定でした普段はとても元気サークル活動町内の行事には積極的に参加していて…特に陶芸は趣味が実益となり生き甲斐を感じているようでしたラミの散歩以外は引きこもり状態の娘の私よりはるかに多忙でしたきっと100才まで生きるねっと苦笑していたっけそんな人が突然
母の…続きです腹部エコーの結果の話があったのかどんな話が医師からあったのか…私は覚えていません思い出そうとしてみましたが何も浮かんでもきませんでした…母は更に詳しく検査する事になり、検査入院となりましたその検査はERCPといい、内視鏡的逆行性胆管膵管造影法です内視鏡を用いて、本来の胆管や膵管の流れとは逆方向から、胆管や膵管を造影し、その様子を観察する検査ですこの検査にて、胆管、膵管の形や石、腫瘍の有無をチェックします母はERCP検査により膵臓癌が確定しました
読みました。△私の場合との共通点がとても多かった。というか、幸子さんと私の母。特に前半は面白かった。しかしこれは経験者にしか分からないし、男性にはちょいと興味が湧かない話かもしれません。だんだんこの作家さんが自らの心を整理しようとして書いている感じがとても伝わってきました。その分自分の場合との相違点も。。今の時期、とにかく間に合って読み終えようと思い一気に読みました。そして、まだよく分からないけれど、もしかしたら、少しは私は昇華できているのではないかと思ったのでした。やはり血
一年前の一昨日、一緒に住んでいる高齢の母に黄疸が出て、近くの内科を受診。午後、血液検査の結果、総合病院に緊急入院した。4ヶ月の闘いのはじまりだった。胆管が詰まっているということだったが、それは膵癌のためとわかった日でもある。私に知らされたのは6日後だったが。その日が私にとって生涯で一番泣いた悲しみの日だった。姉と夫が周到に準備したシチュエーションで私に知らされたのだが、何時間泣いたか!?黄疸が回復して約2週間の入院後、12月8日に退院。そこから改めて私の母との生活が始まった。障老介護で
最近、母の介護のことでいろんな方々とお話しをする機会が増えた。いつかはいのちの営みが終わるときが来るということを分かっていながら、母に寄り添い、看取りの時間を過ごすということは一見、親孝行ないい娘みたいな感じに見えるけれど、実は私のために母がいっしょに過ごす時間を与えてくれているように思う。母とわたしの間にはやり残したことがある。そう、いま介護度4の母を抱っこしているようで、実は母に抱っこされている時間を過ごしている。アロマを習い始めたので、アルガンオイルに
一日のうちのほとんどの時間を母のことに費やしてる日もきっともう少ししかなくて、、母も家族全員がこんなにも自分との時間を大切にしてくれる体験ってきっと人生で初めてで。1日のうちの8割は眠りについてる母が時々目覚めたときにみせる数秒の笑顔が、元気だったときの笑顔より数百倍嬉くて。こんな感情ってきっと一生のうち今しか体験できないんだろうな。今までも何人か家族を看取ってきたけど、母という存在は誰よりも大きくて、今までに感じたことない感情が次から次へと溢れでてくる。
お葬式よも無事に終わりました次は四十九日それまでお骨と位牌をどうするか?実家に置いておく?papaが「家に連れて帰ってあげようや」と言ってくれましたよかったねおかあちゃん一緒に帰ろう!毎日毎日これでお線香もあげられるよかったそして、四十九日が終わってお墓に骨壺も埋めました父と祖母と祖父が埋っているお墓にやっぱり止めて連れて帰ろうか?そんな事を考えながらひとつひとつの儀式が終わっていくと余計に寂しさが増してきますpapaが「ばーの小さいお骨は家に連れてかえろう
母を葬儀場に送るまでにひとつしないといけないことおくりびとでご存じの方も多いと思いますそう「納棺の義」です葬儀屋さんの手配で納棺師のかたが二人来てくださいましたとても丁寧に優しく母の支度をしてくださいます旅立つ時の着物は決めていました父、母に初めて買ってもらった着物初めて自分のために縫った着物成人式の振り袖の代わりに買ってもらった着物そう、私の着物母の着物姿とても似合っていましたそれをみていると涙が溢れてきてとまりませんというか、納棺の準備が始まった時から泣いてい
もろもろの準備も終わって親戚皆が帰りかけました叔母が泊まろうか?と言ってくれましたが「こんばんは二人っきりでいたいから」と帰ってもらいましたpapaと息子どんも昨晩から一睡もしていないし家に帰って寝てもらうことに母の生まれ育った家私の生まれ育った家親子みずいらずで一晩過ごすことにしましたこの家で寝るのもこれが最後になるかもな話しかけても返事がないけどいろんな話をしました疲れてるはずなんだけど眠たくないんだよなコレが……小さい頃の思出話をしたり息子どんの小さい頃の話をしたり
さて、何処から書き始めたらいいのか我が家の生活形態からかな一人っ子の私結婚して家を出てから父と二人暮らしになった母私が子供を産んでからも働くことを選んだので生後2ヶ月の息子どんの子育てを助けてもらいながらくれてました朝、実家に息子どんを連れていく夜、息子どんを迎えに行くそんな生活を続けていました息子どんが3才になった平成15年の2月父が他界した後もその生活が続きました幼稚園も実家から通いました息子どんが小学校を入学した時から母が息子どんのお世話に我が家に月曜日から金曜日ま