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昨日から突然突如、くしゃみが止まらない。アレルゲンが何なのかわからない。とにかく昨日の朝からくしゃみの連発が止まらない。くしゃみをした瞬間は一瞬気持ちがいいとはいえ、それで好きでくしゃみをしていると言われると心外だ。いくら抑えようとしてもとまらない。愛する人を失った悲しみが泉のように湧き出てくるのも同じだ。好きで哀しんでいるわけではない、少なくとも私はだ。哀しみを楽しんでいるわけでもない。それはとんでもない誹謗だ。例えば自分の持病の薬を飲んでいる
ここしばらくずっと野菜サラダ、時々納豆。今日は野菜炒めを食べた。ソーメンとコロッケも時々食べる。持病の薬を飲まなきゃいけないのでお中に押し込んでいる感じ。テレビでどれほどグルメを紹介しても、ごちそうのCMが流れても「おいしいものが食べたい」という気が全く起こらない。亡くなる直前に母が味わった苦しみを考えると食べている場合ではない。3か月前に比べまだお中に入れてるだけましか。母が一緒でないと食事も面倒だ。愛する人を失うとここまで壊れるものなのか。
母親のいない寂しさを思い知らされる。介護を頑張ったと言え、自己満足の部分も多々あった。母親にもっとできたことが次々と思い浮かぶ。いなくなれば何もできない虚しい時間を過ごすしかない。もっといろんな所へ連れて行きたかった。
夫を亡くされた女性が謎のスイッチが入ってたびたび号泣すると書いていらっしゃいました。今日はそれこそ8時になったころ、「今何放送してんだろ?」と突然テレビのスイッチをつけました。すると中村雅俊が「ふれあい」を歌う場面でした。「俺たちの旅」の挿入曲で当時はそれほどでもなかったのですが…歌詞を聴いていてスイッチが入りました。哀しみに出会うたびあの人を思い出すこんな時そばにいて肩を抱いてほしいと慰めも涙もいらないさぬくもりが欲しいだけ人はみな一人では生きて
自損事故を起こしてしまいGW前に車をあずけようやく戻っていました。車屋さんが帰った後にGSに向って久しぶりに乗った自分の車の懐かしいこと。代車はホンダのフリーダでまだ3000㎞も走っていないほぼ新車でハイブリッド。でもやっぱり自分の車がいい。懐かしいハンドル感覚に走行性能。しかしながらGSで燃料を入れているときにまた別の懐かしい思い出がよみがえってきました。いつも助手席でその様子を待ってきた母親の姿です。帰り道には母がコロナワクチンを受けに行った病院の前を通ります
あなたはあなたらしく生きて輝いてますか?目醒めサポーター✨ミラクルなライトワーカーAyuです🌈⭐️💖😆ご縁に感謝します🌈🌈あなたにとっての必要な癒しと気づき、目醒めと祝福が届きますように🌈⭐️Ayu⭐️幼少期の大きなトラウマをヒプノセラピーで癒したことをきっかけに2022年2月22日突然のスピリチュアル覚醒🌈自分がスターシードでライトワーカーであったことを思い出し、そこから思わぬ方向に人生が開きました💓体と心と魂を繋げるスピリチュアルヒーリングセッション✨あなたのハイヤーセルフと繋
数年前の写真を眺めていました。いろんな旅行先の写真です。80代まで杖を嫌がっていましたが、それでも90代になると杖を利用しだしました。そのあとすぐにシルバーカーになりましたがこれが結構お気に入りで「コロコロ」と名付けてあちこち歩いていました。やがて車いすになりました。それでもそこに母がいます。「お母さんがいてるううううう、お母さんが笑ってるううう」と叫び突然滝のように涙が溢れました。整形外科の先生が慰めてくれましたお母さんとの思い出は最高のプレゼントですね、と
母の傍らで、100%天然無邪気な笑顔の幼き日の私と弟。事業で失敗した父との離婚後、病でやつれた母の姿が痛々しい。母の悲しみ・苦しみを知るべくもなく、あまりにも子供だった私。あの時代の母を抱きしめてあげたい。大好きだよお母さん。天国の母に届け!母の日に寄せて
早着で、先日母の日のお花が母に届いたのだけど、今日改めて、母に感謝を伝えたなんか、照れ恥ずかしいね母の日が終わったら、このワンちゃんも、ここに仲間入りするとのことで、歴代マスコットの写真が母から届いたにぎやか来年も新しい動物で販売されるといいなぁーーーーーーーーーーーー今日の私は桃色優しくてあったかい、ありのままの私を包み込んでくれる愛や思いを感じるなぁ
今日は、母の日…母の日の定番、カーネーションの花言葉は基本的には「無垢で深い愛」等ですが、カーネーションの花の色によって、それぞれに細かい花言葉がある様です。赤は「母への愛」、ピンクは「感謝」、白は「純粋な愛」、黄色は「軽蔑」、紫は「気品」、青は「永遠の幸福」だそう。白は、亡くなった母親の墓前等に使われる事が多いですね…母の日の起源も、白いカーネーションでした。紫等、黒に近い色は一般的には、ネガティブな意味合いを持ってしまうそう…花言葉一覧リンク先…http:
寂しい思いをさせたくなかった。苦しい思いをさせたくなかった。ずっと24時間付き添って看護をしたかった。もっともっと頑張る決意でいたし、その場面を想像していたし、そのつもりでいたし、実際もっともっと頑張れた。おかあさん、ごめんね、ほんとうにごめんね。あれだけ大切にしていたのにねあれだけ宝のように大事にしていたのにね、あれだけ目を離さないですべてをつぎ込むつもりだったのにね。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんなさいこの気持ち、だれとも共有できない。
昨日5/4は母の89歳の誕生日。5/2に急な体調不良で入院してしまった母。面会時間が15時~17時の間、患者1名につき家族のみ、1日一回で2名まで。もちろん検温&マスク着用。コロナが一段落したとはいえ、かなり厳しい。平日だと仕事で面会に行けない私も連休のおかげで面会に行けている。昨日の誕生日も「お誕生日おめでとう🎉」を伝えたくて面会に行ったけれど母はベッドで眠っていて‥。起こすのもしのびなくサイドテーブルにあったメモ用紙に「お母さん、お誕生日おめでとう‼️生まれて
先週まで放送していたNHKの「天使の耳」。交通警察官を描いたドラマだったが、15年前に妻を亡くした交通警官が、明かりのともっていない部屋に帰っても、毎晩「ただいま」と言っていた。そしてある時思いが爆発し、もう一度「ただいま」と大声で叫んだ後に「なんで答えてくれないんだよ!!」と大号泣するシーンがあった。誰もいない部屋で誰とも会話もできない。以前は「お帰り」と言ってくれた妻がいなくなって15年もたつのにそれでも「ただいま」と言い続ける。演じたのは安田顕。名演技だった。子供も
母の世話をしなくなったということは家事を行わなくなってきた。母の身体を支えたりすることもなくなった。仕事もしなくなったし家で何もしなくなった。筋力が落ちている。体幹も弱くなった。母がいなくなれば楽になると思っていたことまで母に対して詫びたい。楽になったが楽しくなくなった。楽=楽しいではない。同じ漢字なのになあ。
昨年まではたとえ二人だけだとは言え高めのショートケーキを買って祝ったものだった。誰と話をしないまま、何もなく終わろうとしています。母を看取った後に、自分も逝きたかったという思いがよぎる。親子に深い愛を与えた神は残酷だ。私はずっと神には手を合わせ日々の糧と命に感謝をしていた。しかし日々の糧も味気なく、命の持っていき場がないくらい寂しくてつらい。神に感謝することがなくなった。母の誕生日がこんなにつらいものになるものだとは昨日まで思わなかった。
母の誕生日に思い出すのは母と旅行に行った数々の場所。家になかでの母の様々な笑顔。だめだ。おかあさん、おかあさん、おかあさん。。。枕や抱き枕、そしてマットなど部屋中であるものを抱きしめ、母が横になっていったソファーやベッドの上で転げ回って号泣。ずっと見なかった生前の母の写真を見て大声をあげて泣いた。亡くなって3か月。苦しい日々が続く。
7年前に車を買った時に迷ったことがあります。それはナンバープレートを私の誕生日にするか母の誕生日にするか。結局自分の誕生日にしたのだけれど今後悔しているのは母の誕生日にすればよかったということ。どれだけうれしそうな顔をしただろうかと思うと悔やまれる。色も赤にすればよかった。母の誕生日に思ったこと。母さん、生きてほしかった。
母の誕生日だったから。でもおかずはタマゴかけご飯に味付け海苔に佃煮。いずれも母がニコニコして食べていた。食べながら涙が止まらない。衰えれば衰えるほどあなたへの愛は深まっていたんですね。失って3か月。悲しみは深まるばかり。以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなった。何をしても楽しいことなど何一つない。母が横にいればそれだけで安心して何があっても楽しかった。生きているのがめんどくさい。
今年で98歳やな、100歳まであと2年頑張ろうな。なんかおいしいもの食べに行こか?…亡くなった子供の歳を数えるという言葉がありますが、私は亡くなった母の歳を数えます。冷蔵庫に会ったパン粉は捨てました。パン粉は母の好きなカツやハンバーグを作るときに使っていたものです。もう作ることはないですね。揚げるときに使っていたこめ油も昨年12月から使ってません。よく使っていたすき焼きのたれも5本くらいそのまま。2月3月は炊飯器は一度も使っていません。でも今日はご
生きていたら98歳。ニコニコしてつつじ園に行くだろうな。明日は一日泣いている気がする。おかあさん。寂しいよ
私は母をこの両腕の中で安らかに寝息を聴きながらその寝顔を見ていたい。それができないから時々枕を抱きしめる。なぜ人は両腕を使って愛するものを抱きたくなるのだろう。人間だけじゃないだろうか。
夜中に目が覚めたのでもう一度寝るとまた変な夢を見た。母親を病院に連れて行って車いすを押していたのだが、なかなか駐車場にたどり着けない。ようやく車を見つけて駐車料金を千円札で支払うと、釣銭のところから万札が数枚出てきた。数えると8万5千円。母には黙って車を出して目が覚めた。
今日は妙な夢だった。若いころに心底惚れぬいた女性がいた。片思いだったけどその人を好きになったせいでそのあとであった誰とも結婚に至らなかったほど好きになった女性だった。そして母も夢に出てきた。片思いの女性は若いままの姿。母は晩年の年老いた姿。でも母が夢に出ると安心感で満たされた。そこで目が覚めた。振られた女性と仮に結婚して歴史ができれば事情は異なったかもしれない。でもやはり母を失ったことのが大きかったと目が覚めて実感した。母はやはりしゃべらない。母と
夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
もっともっとしてあげられることがあったのに、ついつい先延ばしにしたこと。時間はあったのに。最近それを考えると心がえぐられるほど苦しい。私は本当に母を愛していたと母を失って始めて思い知らされる。正月も、桜も、つつじも、紫陽花も冥土の旅の一里塚。めでたくもありめでたくもなし。
そりゃ人を愛すればこそ、美しいドラマは生まれる。でもその美しさは愛する人を失ったときに残酷なドラマになる。愛は生きていく力を与えるが、愛を失うと生きていく力を失う。男は女を、女は男を、夫は妻を、妻は夫を、親は子を、そして子は親を…自分のすべてを愛した人を失うのはすべてを失うということ。失って何が残る?何も残っていないのになぜ生きる?愛する人がいなければもっと楽しめるのに。神は慈愛に満ちている。でもだからこそ残酷だ。善人だけが永遠に生きるよう
もちろん今まで何度もいろんな人の死に直面したことはあります。そのたびごとに嘆き悲しみ、また悲しむ人を見てきました。私も母との別れはいずれ経験することはわかっていました。それでもここまで自分を破壊するだなんて夢にも思いませんでした。確かにその時々の時間で忘れることはありますが、すべてから元気です。おいしいものを食べてなんになる?旅に出かけてなんになる?なんもない。なんもしたくたい。思い出すのは母のかわいい言葉やしぐさだけ。1リットルの涙なんてもんじ
今日はあまり寝ないでクルマで1時間ほどかかる病院へ朝に出かけました。阪神高速湾岸線が工事のために通行止めになっており渋滞していました。「眠たいなああ」とつい口に出しました。今まで横にいた母は「ねんといてや」と言っていましたが、その声を聴くことはありません。そのことを思い出して「何で何も言うてくれへんの、お母さん」と何度も繰り返していると大号泣。おかげで目が覚めました。母の思い出が守ってくれたんですね。
何にも食べなくていいし、トイレも行かなくていい。寝てるだけでいいし。人と接しなくていいし。髭でも生やすか。
机の引き出しなどを整理していると母親を連れて行った病院や診療所の領収書が見つかり、皮膚科や内科でいろいろもらった薬が見つかります。まえにも書きましたがこれらはすべて母とともに病気と闘った結果。でもいなくなると費やした時間と努力がすべて無になってしまう。いまウクライナで戦う兵士たちの勇敢な犠牲を称える報道がよく見られるし、ロシアのプーチンも自国の兵士を称えている。でもいくら勇敢に戦っても死んでしまったら何にも戻らない。テレビでは遺族の死を悲しみはするが自国の誇りを持ち