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\香港のリゾート地で生活中!/日本全国♡世界を飛び回るシンデレラ起業塾主宰*起業プロデューサーの上野由美子(プロフィールはこちら)ですわたしの人生はいつだってジェットコースター!なのを、そろそろ卒業したく…そんなこれまでのジェットコースター人生を少しずつ振り返っていくことにしてみようといきなり思いました!過去のことを振り返って感情を整理してみようかなって。まあまあヘビーかな?と思います^^;まず両親のことについて。。。父はアルコール中毒で母に
父の酒乱・DVに母は苦しめられていました。小学3年生の夏、父と母は一週間温泉に行き姉と妹二人で留守番。その間、4歳年上の姉が二階の屋根を伝って隣の男性の部屋に通うという不祥事。両親が温泉から帰宅するのを待っていたように近所の方が母に忠告。母の報告をお酒を飲みながら聞いていた父がスッと立って階下へ行ったので、てっきりトイレへ行ったと思っていました。部屋に戻った父は私の前に仁王立ちになり丹前の懐から出した短刀を鞘から抜いて振り上げ○○(私の姉)の監督をしていなかったお前
60歳が近づいてきて思うことのひとつ。母への想い。それは感謝しかない。母がいなければ、今ごろどうなっていたかな……と思う。もちろん、産んでくれたこと。乳を与えてくれ、オムツを替えてくれたことなどの身の回りの世話や言葉かげなどの情緒面も……普通のことだけど、それが当たり前のようで1番有難いことなんだと最近は思う。初めの結婚でわたしは駆け落ちまでしたが何もわからない子供が(成人してたけど)見知らぬ九州へ逃げ、絶望的なシーンがいくつかあり、どうしていいか分から
私には私を心から愛してくれた祖父と祖母がいました。今は天国に住んでいます私は今までいろんなことがあり、祖父と祖母が亡くなったのは私にせいだと思っていました。二人は私を怒っているのだと。でも最近私を愛してくれた二人が私を怒っていたり、恨んでいたりするわけがないと思うようになりました。むしろそんなことを思っている方があの二人が悲しむのではないのかと。いつも祖母と祖父は私の幸せを願っていて、私の涙を嫌う人たちでした。今まで私は大変な人生を生きてきました親の離婚、母の虐待、母の入院、貧困、いじめ、障
私なんかのブログをたくさんの方に見ていただいて、本当にありがとうございます。なので、ようやく「適応障害の始まり」の続きを書いてみる勇気が出ました。よろしければ読んで下さい。一番の原因は、幼い頃の母からの虐待と大人になってからも支配されていたことです。この話はある機関紙のエッセイに載せられ、それを小橋広市さんのブログに載せていただきました。今回は、夫のことです。私は夫とは、母の友人の紹介で知り合ったんです。収入もよくマンションも持っている。顔は嫌いな感じ、でも何かグイグイ来られて母を
時々、重たい話も書いてます。自分と向き合い、受け入れ消化する為に書いてますので苦手な方はスルーして下さい。認知症で胆管ガン母は入退院を繰り返し今度の入院は長くかかりそうです。そしてとうとう面会禁止になりました。家に帰ってきたら帰って来たでいつも気にしてなきゃいけない入院してても毎日顔を見せてやらなきゃいけないそんな思いに囚われていたけど面会禁止になって思った事は「悲しい。寂しい。」でした。私は「やらなきゃいけない」で母の様子を見に行ってた訳じゃなかったんですね
たった1枚の家族写真。それは果乃にとって一瞬の幸福だった。部屋から一歩も出してもらえず、母の虐待を受ける日々の5歳の果乃。ある日、「新しいパパよ」と母が男を連れて帰った。そして、妹・莉乃が生まれるが、母の虐待に加え、父からも暴力を受けるようになった。父は母を捨て、母も幼い子供二人を残して出て行った。誰にも助けを求められず、姉妹は飢えと孤独で命の危機にさらされて?サクラ色の傷痕1【電子書籍】[かわちゆかり]660円楽天
永遠の親子解放セラピー親から受け継いだ思考パターンを自分世代で断ち切り生涯の幸せ連鎖をつくる木村友美です。今日のお話は、はじめてインナーチャイルドに会った私の体験、の続きです。(前回のお話はこちら↓↓↓https://ameblo.jp/smile-tomomi/entry-12567609837.html←クリック!)チャイルドちゃんの衝撃の告白に驚愕する私。母の仕打ちや拒否られる毎日に、普通に会話して甘えたかったと
寒くなりました。すごく寒いです。夏はだいすきだけれども、冬はクリスマスソングが苦手で(クリスマス前は母の虐待が過激になってました)でメルカリんとんとこのEから始まるヤツから登録してくれるとめちゃくちゃ助かるし、喜ぶし、嬉しいです。頼める人、家族以外いないし、お願いします┏○ペコッもうね、色々遠慮しとったんやけど、絶対自分一人でどうにかなんか出来んし、みんなに頼ろう!と思って。思って、どのくらい人って助けてく
※この記事は、私(お母ちゃん)の子供の頃のお話です。おじさんと連れ子との生活…やっと新学期が始まる。すでに新しい制服(公立小学校でしたが、制服でした。)も出来上がってきているし、持ち物にも記名して準備が整っていました。母は、上履きに書いてある苗字を「Y」から、おじさんの苗字の「K」へ書き直すように命じました。(まだ、離婚後の経過日数が浅いので、入籍はしていないはずでしたが、ゆくゆくは「K」を名乗るので、学校に申し出たようです。)新しい上履きに二重線で書き直すのが嫌だったので、買い直し
こんにちは。楓えくぼの岡村柚未子(ゆみこ)です。令和元年、私は50歳を迎えます。人生のターニングポイントに立った今、決して平坦ではなかった私の半世紀を振り返ってみたいと思います。よろしければ、私の人生のストーリー、ご覧くださいませ^^☆初めての方はこちらからどうぞ☆16話がこちら『第15話「不思議の国のアリス症候群」』こんにちは。楓えくぼの岡村柚未子(ゆみこ)です。令和元年、私は50歳を迎えます。人生のターニングポイントに立った今、決して平坦では
父の酒乱・DVに母は苦しめられていました。小学3年生の夏、父と母は温泉行きました。その留守の間、4歳年上の姉が不品行に及んでいました。両親が温泉から帰宅するのを待っていたように近所の方が母に忠告しました。母の報告をお酒を飲みながら聞いていた父がスッと立って階下へ行ったので、てっきりトイレへ行ったと思っていました。部屋に戻った父は私の前に仁王立ちになり丹前の懐から出した短刀を鞘から抜いて振り上げ○○(私の姉)の監督をしていなかったお前が憎い殺してやると~恐ろ
こんにちは。楓えくぼの岡村柚未子(ゆみこ)です。令和元年、私は50歳を迎えます。人生のターニングポイントに立った今、決して平坦ではなかった私の半世紀を振り返ってみたいと思います。よろしければ、私の人生のストーリー、ご覧くださいませ^^☆初めての方はこちらからどうぞ☆【私の人生ストーリー番外編】「母から卒業できない体と心の関係とは」第1話母と会わなくなって、10年近くが経とうとしています。私が40歳になった年だったでしょうか。いつ
お赤飯炊くぞ!!…いや心と病気のつながりを知るべくザ・シークレットに出ておられるDr.ジョン・ディマティーニ考案のディマティーニメソッド®︎その流れをくむ「生命力覚醒講座」を受けております岩田先生のブログですありがとうございます😊💓一部アウトプットしております私のブログです♪そして、まるで、それは♪「心と身体のつながり」は「感情と細胞のつながり」♪お母さんにさわりたかった〜天命を知る〜♪私を潰すな〜嘆きの裏の欲求〜♪我慢や諦めや過去の書き換えでもない「技術」*……*……
こんにちは、やまがみてるおです(*^-^*)♪今日も、きてくれて、ありがとうね!*****幼いころ、僕は母の虐待を受けていた。それを虐待と気づけたのは、ほんの数年前のことなんだ。母は僕を打ちながら、それを教育だと僕にいっていたので、僕はそれを教育だと信じこんでいたってわけ。(僕の母は、それを本当に教育だと信じて行っていたんだなって、いまは感じてるよ)数年前のこと。ニュースで、僕の母と同じ行為を自分の子どもにした母親が、傷害容疑で逮捕されたという報道を見た。
親の都合や期待で怒られてばかりいる子供への影響…「こうしなきゃだめでしょ。」「何やってるのよ、早くしなさい。」と怒られてばかりいる子供は、どんな気持ちで毎日を過ごしているのでしょうか。子供は親が大好きです。たとえどんな親であっても、愛されることをとても強く望んでいます。世界で一番愛されたい人から怒られてばかりいると、自分が否定されていると感じるようになってしまうのは、不思議なことではありません。自分を否定されていると、心の中にはいつも不安があるので、落ち着いて自分の感情をコントロールした
日常茶飯事に殴られて幼少期の記憶をたぐっていくと、その先に浮かびあがるのは、いつも頬を平手打ちされ、泣いている自分の姿である。そして「自分が悪いんでしょ。はい、わたしが悪かったです。ごめんなさいって謝りなさいよ!」とヒステリックに怒鳴る母の姿である。母には毎日のように殴られた。「ただいま」と言って家に帰るなり、まだランドセルも降ろしていないうちに、いきなり平手打ちをされたこともある。理由はわからない。漢字テストが95点だったことに腹を立てた母に、「どうしてママに恥をかかせるのよ!」と罵られ
さわでぃーかー❗ひぐまよ❤皆はどんな時が素の自分かしら?皆はどんな時がありのままの自分かしら?虐待、毒親サバイバーのヒグマは一人の時が一番素の自分だったわ自分のことは自分が一番理解してたしそれなり内省もできてたし客観的に自分の状態も見えていたわ寂しさはあったけれど独りでいるときはなによりも他人の目を気にして自分の心を偽らなくてよかっただから寂しいけれど他者の視線を気にしないですむそういう状態だったと思うのわたしのことを好きになる人は皆わたしの持ってる何かが好きな
おはようございます!最初に、お詫び申し上げてからブログを綴りたく、思います。此から、ブログを綴るにあたり、汚い言葉遣いに為ると思います。「~らしく無い言葉遣い」を気を悪くさせると、思います。お許しください。何処迄、私を追い苦しめるか?馬鹿野郎ども~✖✖✖✖私は、夢の中で悪態ついて居ます…時代背景は、小学3年の私と、高校生の私に、社会人に為った私、そして現在(いま)の私が、交錯する事をお許しください。私は、(๑•́₃•̀๑)モゥ過去を振り向かないと決めて、居ます…然し乍ら私の悪魔共は、そう
ずっと自分以外の人間が怖くて上手く話せなくて困って来たのですが昨日の記事を書きながら、ふと気付いたのです母のやって来たことは人見知りの英才教育だったなあ、と。家の中で私が許される発言は返事や、連絡事項だけでした。自発的な発言は一切許されませんでした。幼稚園に入るまで他人と接したこともなく園で友達が出来るわけでもなく降園してから友達と遊ぶわけでもなく休みの日は家族と過ごしてこれで一体どうやって人との関わり方が学べるというのだろう。他人が怖いから、母の虐待を打ち明けることもなく耐
まず一言。日に日に読んでくださる方が増えて、とても嬉しいです。このブログは私のAAのようなものなので、心強い限りです。ありがとうございます!さて、私の幼少期の家庭環境は暴力とアルコール、虐待が渦巻いていたように思います。母は浪費癖が激しく、宝塚にハマり、地方まで追いかけて私と弟を放ったらかしにしました。離婚時は借金が1000万以上あり父親が返したとのこと。母が家にいたとしても弟だけを可愛がり、私を目の敵にして布団叩きで殴る、素っ裸にして真冬のベランダに出す、食事を与えない等、安心出
ご訪問頂いてます皆さんありがとうございます。おはようございます!ともあれなんで占い師、鑑定士なんです?簡単に言うとコミ障害あるんで幼少期から悩み事の根本が人間関係で相手との関係性のとり方自分の転ばぬ先の杖転ぶことへの気構えを知りたかったからあ!一つ調べれば疑問も出てそれを探るべくまた一つ調べて気がつくと暦3種カード3種死生観調べればッテ祖父が坊主だったんで死んだけど幼少期から母の虐待受けてたからほとんどそこで育っててこれに気がついたのが
前回書ききれなかったつづき⏩韓国人彼氏の求婚攻撃真面目な話つづきますふと彼にしてもらったことを思い出した留学先で入院中パソコンを持ってきてくれたこと⏩ここに書いてます^^出会って1ヶ月の外国人に自分のパソコンを人に渡すって簡単なことかな?特に男性!あるでしょ(私が)つまらないって言ってたからとかいっていたけどどこかこの人の境界線は私の常識から外れていたまぁ無職の彼を追い掛けるなんて私も常識外れてますが…一番は優しさの部分でもこの間聞いた彼の過去はまぁまぁ暗かっ
MCS認定マザーズティーチャー渋谷クロスFM「ママ夢ラジオ」MCyukko(ゆっこ)です!初めましての方はこちらを読んで頂けると嬉しいです✨自己紹介(ダーク&ブラックな過去)✨昨日は、ママ夢ラジオ♡プロデューサーたけおかのぞみさんが営業するCafe『縁en』にて助産師きくゑさんに「命と性のお話」聞いてきました!ご存知ですか?・日本の性教育は、18ヶ国中17位・15歳未満の妊娠数は増えている・産まなきゃならない大きさまで気づかずに産んで、母の虐待0ヶ月
義父は夫にメールを送っていました。「今ここで施設入所に判を押すことは施設入所に納得するということになる。とすると、母の虐待を認めたことになる。それでも裁判で争わず児童相談所の言い分に従うなら妻子を失う覚悟をしろ。」ということです。確かに児童相談所の言い分を認めることが出来ない。そう思ったので家族一丸で28条審判に挑むことが出来ました。義父はこうも言いました。「法治国家だからそこまでひどいことにはならないのでは?」と。ま、児童相談所は法治国家の斜
実父が数年前から終身準備をし始めた。家の片付け。それはもう大変で、キチママ母は何もせず、何でも取っておく輩。その為、必要なものも奥の方に仕舞われてしまい出せない状態がずーっと続いていたらしい。実父はあと10年生きれないかもしれない。生きれたとしても、片付けをする体力と、気力と、判断力は今しかない。と思ったんだと思う。私と兄弟は、キチママ母に虐待されて生きてきた。その結果、私も兄弟もママ母とは縁を切った。絶縁して9年、困った事は何もない。私も余計なことを考えなくてよくなって、
呪詛抜きダイエット1,080円Amazonこの本を改めて読んでからいろんな思いが湧き上がってきた。私は小さい頃、本当にママっ子で、親離れができなくて、幼稚園に行くのも嫌で毎日泣いていたりした。本当に甘えん坊だったのだ。本当にママからとにかく愛されたくて、愛されたくて、頑張っていたのだ。でも愛されてない、どんなに頑張っても、ママは自分を見てくれない…って思っていた。愛情はたくさんもらっていたのにね。ヒステリーを起こす母の虐待はつらかったはつらかった。だけど色々当時