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暖かく…を通り過ぎて初夏のような陽気がいきなりやって来たので、薄い布団に変えました。バルコニーに置いている鉢植えの葉っぱもワッサワサになったので、テキトーに切り戻しました。このビオラとガーデンシクラメンは、昨年の11月ごろに母が植えたいというので一緒に買いに行ったものです。つい水やりを忘れそうになるのですが、なんとか頑張ってくれています。母が1月3日に亡くなって、もうすぐ4か月になります。先日4月11日が「百か日」でした。…って、特に何をするということはありませんでし
もうすぐ、母の日なのですね。街を歩けば、嫌でも耳に入り、目に入り、とてもつらい。母を亡くして初めてわかりました。母のいない人の母の日のつらい気持ち。私なんて、高齢の母だから仕方ない気持ちもあるけど、小さい時に亡くした方は、もっとつらくてそれがずっと続くのかと思うと結構つらいなと感じています。今年の母の日は、私にとってかなりのダメージで、今、弱っていますお母さんが現在な方には今年の母の日も、私の分まで楽しんでいただきたい。楽しい思い出を作って欲しいです。
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。最近テレビを観ながらよく笑うようになったなぁと思います。以前はバラエティ番組を観ても面白くないわけじゃないけれどだからと言ってガハハと笑うでもなくクスッと軽く笑う感じでした。それがこのところ気がつけば声を出して笑う自分がいてそんな自分に自分が驚いています。お母さんを失ってしばらくはバラエティ番組を観ることはまずなかったし笑いに感情が向かうこともなく何より笑うことそのものを自分に禁じていました。笑
もっともっとしてあげられることがあったのに、ついつい先延ばしにしたこと。時間はあったのに。最近それを考えると心がえぐられるほど苦しい。私は本当に母を愛していたと母を失って始めて思い知らされる。正月も、桜も、つつじも、紫陽花も冥土の旅の一里塚。めでたくもありめでたくもなし。
忘れられない日忘れたらいけない日2024年4月15日母が4月15日14:20に永眠しました🙏去年股関節を骨折して車椅子生活認知症もあり施設に入居してて3月に急遽血圧の低下で入院して調べたら右の足は血が通ってるけど左側は血が流れてないと言われ手術をする場合は足を切断しないといけない。しかし、高齢なのでそこまでは……可哀想かナ。と弟に全てを託し切断はしない事を決めいつどうなってもおかしくない状況と連絡が来たけど病院に入院してるからまだ大丈夫だろうと思っていて5月
※BGMでも聴きながらお読みください。You'llNeverWalkAlone.Whenyouwalkthroughastormあなたが嵐の中を歩く時はHoldyourheaduphigh頭を高くしてAnddon'tbeafraidofthedark闇を怖がらないようにAttheendofthestorm嵐が終わればIsagoldensky黄金
この方のお母さんのように施設で亡くなられた人は、かなりの人数いたのだと思います施設で働く人も打つように圧をかけられたかもしれないし入所者の意思を尊重しないまま打たせている状況に違和感を持った人もいたと思います逆に、自分が打つことも含め何の疑問も罪悪感も持たなかった人もいたでしょう外部と切り離された狭い世界で何が行われていたのか想像すると恐ろしいです母の死に納得がいかず、施設の介護記録と施設の担当医にカルテの開示をお願いしました母のワクチン投与、聞い
突然、母に激痛がきて、闘病生活が始まった。入院して、ステージⅣの末期癌がわかって、すごい早さで毎日悪くなっていった。母の激痛が始まった日から、亡くなるまでの2ヶ月。私はごはんが喉を通らなくなった。心配で眠れないし。私が看病しなくてはならないから、絶対、倒れられないから、ちゃんと食べて、ちゃんと寝ないとと思っているに、全然、だめだった。私は子宮内膜症で手術をしていて、再発予防のために17年前くらいからピルを飲んでいる。40歳を過ぎて、ディナゲストというピルに変わ
先日、地元の友人が✈️で私の住む地域まで家族旅行にきたので、空港まで顔を見にいってきました。(不安障害がありますが、少しずつ電車も練習中です🚃)高校時代にとても仲が良かった友人なのですが友人と最後に会ったのは、5年前。母の葬儀に来てくれた時以来でした。久しぶりに会う私を見て友人は、『大丈夫?やつれたね…』と声をかけてくれました。私としてはずいぶん元気になったつもりだったのですが元気なときの私しか知らない友人からしたら、やはり、やつれて見えるのですね展望台で飛び立つ飛行機を見な
今日はあまり寝ないでクルマで1時間ほどかかる病院へ朝に出かけました。阪神高速湾岸線が工事のために通行止めになっており渋滞していました。「眠たいなああ」とつい口に出しました。今まで横にいた母は「ねんといてや」と言っていましたが、その声を聴くことはありません。そのことを思い出して「何で何も言うてくれへんの、お母さん」と何度も繰り返していると大号泣。おかげで目が覚めました。母の思い出が守ってくれたんですね。
ちょっと更新の間が空いてしまいました。本当はもうちょっとこまめに更新したいのですが、なかなか気分が乗りませんでも日常のこと、何よりもマルコのことを書き残していきたいので、頑張りたいですね。さて。先週末に、こんなに華やかなお花を母にいただきました。母が好きそうな、華やかで可愛いお花です。我が家でたこ焼きパーティー=タコパをやったのですが、そのメンバーが持ってきてくれました。母が居なくなってから、マルコと二人だけになった我が家。私を入れて総勢7人!!
自動更新記事です。数か月社長からのパワハラで鬱状態でした。休日や退勤後やお昼休憩中の鬼電や暴言に加え休暇申請も何度か却下されそうになりました。仕事とは関係のない仕事まで脅迫して強要させられました。スタッフ一人補充依頼したら社長から泥棒猫呼ばわりされ怒鳴られたので社長に、社長のパワハラが原因で辞めることをメールで送りました。社長は一度も暴言を吐いたことはないし、すべてのパワハラ疑惑は何かの誤解だといいました。社長は私に何もひどいことを言ったことがないのに私が幻覚や
皆さん、こんにちは!蒼野温子です。今日から、私にとって特別なストーリーを何回かに分けてお話したいと思います。「蒼野温子のストーリー」このシリーズでは、私がこれまでの人生で経験してきた様々な出来事を、皆さんと共有したいと思います。それぞれのストーリーには、私の心からのメッセージや、皆さんに感じてほしいことが詰まっています。喜び、悲しみ、希望、絶望…人生には様々な感情があります。私は、これらの感情を全て受け入れ、自分自身と向き合うこと
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。大丈夫。そう言うと他人事だからそんな風に簡単に言えるんだと思われるかも知れませんね。不安を抱えている人にとっては現状のどこにそんな大丈夫と思える要素があるのだと怒りすら覚えるかも知れません。けれど他人事だから自分とは関係のないことだから安易に大丈夫と言っているのではありません。大丈夫とは信じると同義語です。今は不安にかられ目の前が暗闇に見えていてもいつか必ず光を見つけられると信じているから
こんにちは✨ゲーム大好き、化粧品大好き、(オシャレじゃないけど)オシャレも好き、料理もお菓子作りも好き(片付けは苦手)な主婦トッチ〜です。夫と息子と娘の4人家族ずっと治したかった🦷アラフォーですが2023年4月から歯列矯正スタート▶️(私)そしたらまさかの息子も秋から矯正スタート予定🫠💸自分も色々とブログやSNSで矯正の情報を調べていたので、忘備録として矯正の事も書いていきたいと思います。4月になってしまいました〜。新学期も始まり、今だけですが学校の帰宅時間や幼
私の母は、私が9歳、小学3年生の時に亡くなりました寒い冬、2月のことでした突然死…医師には心不全と伝えられました朝、学校に行く時に行って来まーすと一言、行ってらっしゃいそれが最後のやり取りでした1時間目、算数の授業中、救急車のサイレンの音がしたのを今でも覚えています教室横の廊下の電話が鳴り担任の先生が出て、何やら深刻な表情…先生から呼ばれたのは私でしたお母さんがちょっと大変なことになってるみたいだから…と言われ先生に校庭に連れて行かれそこには一台の車…
お母さんと昨年過ごした最後の桜🌸の季節が、今年も終わりました。桜のように可憐で美しかった。桜をみれば、あなたを思い出し、つつじをみれば、どの色があなただろうと想いを馳せます。私は、一人ではない。自然のなかに、あなたを感じ、生かされていることを一生懸命咲いている花をみて、教えられるのです。あなたは、もうこの世にはいませんが、自然のなかに溶けこんで、私を見守ってくれています。お母さん、ありがとう🤗✨https://profile.ameba.jp/
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。朝目覚めると意識せずとも決まりきった『いつもの』行動をされている方も多いと思います。私も朝目覚めて食事の準備が出来たらテレビをつけていつもの番組を観ていました。その番組を観ながら内容云々というより時間をチェックし今日のお天気をチェックしていたんですね。でも例の通訳さん関連のニュースを連日するようになってからその番組ではなく違う番組を観るようになりました。何が事実で何が真実かもわからない中色んな
2月初旬のお天気のいい日曜日豊田市にお出かけしてきました。「河井寛次郎記念館開館50周年記念」という美術展へ写真が見切れてしまった書や焼き物が沢山展示されていました敷地内に、こんな素敵な洋館2階の窓にはかぶの飾り「かぶが上がる」という意味かなお庭にはこんなものが・・・なぜに「あ・うん」蔵のある家、いいなあ。少し小寒い所を歩いていると・・・すぐトイレへ行きたくなる高齢者困ったもんだ。ト
どうもどうも本ブログも見てほしいです★天使びより。ゴリラ豪雨おはぎさんのブログです。最近の記事は「【漫画】この恥ずかしき日に祝福を!!⑨(画像あり)」です。ameblo.jp前回の続きからです『ミギとダリ感想あらすじ』サブブログからだと皆さんお久しぶりです!!なんやかんやでかけていなかったのでちょっと前に見た「ミギとダリ」というアニメの感想をつづりたいと思います★「ミ…ameblo.jp「ミギとダリ」アニメ公式サイト佐野菜見が描くミステリアス
『夏はレモンのピアス』すっぴんでのくまがひどすぎて写真載せようとしたが無理だった(笑)せめてコンシーラーか下地を塗らなきゃ写真がホラーになったくまは小学生の時から悩みだよいつも顔色…ameblo.jpこの2016年の夏に母とおじとおばとランチ食べたときうちのおば、母、おじは本当に今の時代、珍しく仲がいい3姉弟みんな奄美大島出身この黄色の服が母にすっごく似合っていて。とっても母らしくて可愛いかったのすごいかわいい、似合うね!って褒めた気がするなんとなくだけどこれを撮った日当
机の引き出しなどを整理していると母親を連れて行った病院や診療所の領収書が見つかり、皮膚科や内科でいろいろもらった薬が見つかります。まえにも書きましたがこれらはすべて母とともに病気と闘った結果。でもいなくなると費やした時間と努力がすべて無になってしまう。いまウクライナで戦う兵士たちの勇敢な犠牲を称える報道がよく見られるし、ロシアのプーチンも自国の兵士を称えている。でもいくら勇敢に戦っても死んでしまったら何にも戻らない。テレビでは遺族の死を悲しみはするが自国の誇りを持ち
映画女優1987年1月17日公開日本映画史にその名を残す大スター田中絹代の映画デビューの頃から41歳までの半生を描く。あらすじ大正14年。女優を志す少女・田中絹代は蒲田撮影所の大部屋女優として採用された。新人の監督清光宏の強い推薦のおかげだった。上京に当っては母のヤエ、姉の玉代、兄の晴次と洋三、それに伯父の源次郎までが関西の生活を捨てて同行することになった。大部屋の給料が10円~15円だった当時、破格の50円をもらい、清光作品ではいつも良い役がつく絹代に、同僚の嫉妬が集まったが、小さな身
お母さん、春になったよ。お母さんのいない初めての冬が終わって、春になったよ。お母さん、見える?お母さんが大切に育てていたお花が咲いたよ。すごくキレイだよ。冬の間は、もう枯れて終わっちゃったのかなと思っていたけど、すごいね、元気に咲いているよ。母に見えるように、仏壇に飾りました。すごく映えて輝いて見えます。お母さん、見えるといいな。秋に咲いていた時は入院中で、見れないって、ガッカリしていたね。冬にもシクラメンが咲いたんだよ。お父さんが大事に育ててるよ。咲いて喜んで
「100まで生きる」とにこやかに語っていた母が亡くなった。私はもう生きる意味も楽しみもなくなった。何年後かしらないが私は死ぬときに必ずこう思うだろう。「俺の命は65歳で終わっていたのだ」
数秘であなたの魂の望みを叶えるアドバイザーイレブンです♪プロフィール①数秘セラピーと私♪子供時代の素朴な疑問から魂の望みへはコチラから♪TVドラマや雑誌の中の世界に憧れ東京へ出たい!という願い叶わず…おまけに就職氷河期で出版社を2社受けましたが撃沈。なんとか地元企業に事務職として新卒採用されましたが毎日の仕事は楽しめず…数年後に退職しました。それから半年後…たまたま見かけた求人からアパレルのアルバイト販売員になりました
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。昨日は両親の結婚記念日でした。カレンダーにもしっかりと♡をつけておいたのにお出掛けから戻って来て一息つくまですっかり忘れていた私。。。そのことに気づいて忘れていたことに対する動揺と何をしよう?と焦る私にそっと優しく囁く声が…。思い出してくれただけでいいよ。忘れていてもこんな風に気づくように思い出すようにサインを送ってくれているんですよね。それでも慌ただしくしていたらきっとそのサインを受け取れなか
普通にしているはずなのに、たまに抜け殻になっている。ちゃんと話を聞いているはずなに、何も覚えていない。何もしたくない。何もかも、もうどうでもいい。まだまだダメみたい。早く寝よう。
笑いは最強のチカラ、人生は楽しんだもん勝ち‼️仏の説かれる道へ日々精進🎶やっと。ブログに書けるまでになりました。3月3日(日)13:1388歳私の母が永眠いたしました。まさに、吸う息・吐く息…どちらかが止まった瞬間を兄妹4人で見届けることができました。これこそが奇跡でした。決して仲良しではない兄妹です。普段から顔を合わせるのも拒んでいましたしね。あの日から…まだ1ヶ月と少し。私の中では、この時間の流れが理解できてません。ものすごく前の気もするし、でも気持ちはまだ
47歳バツイチ入退院を繰り返す難聴の父(80歳)と認知症で要介護5の母(80歳)と同居ピンチから学んで、出会った人々の教えを復習して、新たに勉強していることを実践して、驚速でレベルアップ中マネー・節約ジャンルから介護へお引越ししましたお久しぶりでございます。いかがお過ごしでしたか?前回のブログから半年が過ぎていました。↓『入院2か月で瀕死状態になった母』47歳バツイチ入退院を繰り返す難聴