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この春から、少しずつ、娘との思い出の場所に足を踏み入れている。喪失から5年。離れて暮らしてから一人訪ねた箱根や京都は哀しみや寂寥を感じつつも、なんとか過ごせた。でも、ともに居て訪ねた場所や彼女の生活圏にはトライしようとしても、直前に辛くなって避け続け。そうしていると行ける場所が限定され、買い物もままならなくなっていき、色々不具合が生じてきて…この春、そろそろ踏み出さないと...と。一番きつい恵比寿へ。辛かった。胸が押しつぶされそうだった。でも決めたのだ、
大切な人を亡くして悲嘆の中に身を置く…その状況がいつまで続くのか日本グリーフケア協会の講義の中で、宮林先生がお話になったこと…ご主人を亡くして20年、「ふっと抜けた、どんより沈む気持ちが抜けた、思い出の1ページになってると思った。4年半が区切りであっても死別鬱みたいのが残っていた。楽しい事をしようと思わなくなっていた。それが10年で薄れていく感じ。そして20年…。」そうなのかな~と聞いていた私だけれど、この夏、娘との死別から5年目の命日、娘の墓とそれとは離れた場所のご先祖様
2023.6.17読売新聞掲載9月9日(土)に日本グリーフケア協会主催の特級修了者交流・学習会に参加してきました。会長の宮林先生の「日本にグリーフケアという考えを広め、またグリーフケアを実践できる、死別の悲しみ、苦しみに寄り添うことができるアドバイザーを養成したい」という思いのもと創られた協会も15周年を迎えたとのことで記念講演もありました。これまでの2級、1級、そして理事会推薦による特級生となる為の講習には全国各地から、時にカナダなど遠方からの参加者がいて、関心の高さ、必
家のリフォーム、家族の病気等などで、カウンセリング活動もブログもできずに今日になって…大変ご無沙汰です💦あれを書こう、これを書きたいとメモは残せど積もるばかり。でもね、今日3月2日は亡くなった娘の誕生日で。亡くなっているのに誕生日というのも…とも思いながら、やはり普通には過ごせず。娘の好きだったお花にケーキを買って彼女の部屋に飾った。(リフォーム開始時は哀しさと辛さとで全く違う部屋、間取りにしようかと思ったけど、結局彼女の好きそうなカーテン、家具を選びだし「娘の部屋」が
国内・海外の区別なく、TVドラマはわりとよく見る方だと思う。ジャンルはミステリーが多い。この先どうなるんだろう、という興味関心の集大成だからだ。もちろん、ドラマに過剰なリアリティを求めるほど野暮ではないが、それでも、脚本家や演出家が身近な人の死別を体験しているか、していないか、あるいはしているのに無関心だったか、もともと生死に鈍感な奴か、などはびっくりするほどよくわかる。「死に際」の描写については、ほんとは切れ切れに言葉を吐いてがっくり首を垂れるなんてこた絶対にないんだけども、歌舞伎
相変わらず文句ばっかり言ってて恐縮だけども、カウンセリングの効果ってなんだろうか。素朴な疑問である。少なくとも、自分が受けたことがあるカウンセリングは、時間と労力を消耗するだけのむしろ苦痛な時間だったのであって、これを受け続けられる人は、そもそもメンタルが強靭なんじゃないかと思う。「精神的に強くないとカウンセリングは継続できない」、この矛盾の解答をわしはいまだに見つけられていない。厚生労働省並びにカウンセリングの効果を謳う諸団体の惹句を見ると、カウンセリングの効果はだいたい以下のよう
先日の買い物帰り、けっこうな勢いでわしらの愛車を追い抜いてったキーロイ外車があった。まあド派手な色だわと思って眺めていると、ダンナサンが「うわ、かっこ悪ー。せっかくの〇〇(車種)なのに、何であんな色にすんだろ」とつぶやいた。「普通はああいう色にしないもの?」と聞けば、「しないねぇ」と一刀両断。でも、その車のオーナーは「このボディ最高にイケてるぜ」と思っている。「そして最高な俺」と思って、狭苦しい青梅街道を我が物顔に乗り回してるんである。「すげーいい」と「ちっともいくない」って、
きょうは夏の暑さになりました。なんだか先週は寒くてダウンを出してきて着ていたと思うのに、この気温の変化!地震も毎日多くて大地震が心配です。実家マンションを引渡しして2ヶ月が過ぎてこれまで実家通いに使っていた時間を読書にまわそうかと思いました。父が大量に買っていた本の一部をもってきたからです。でも、でも・・・本を開くと栞代わりにこんなふうに出てくるんです。父が入院中に病院の売店で買った本だったと思います。入院処方の薬包!もう、
今年も何度かお花見に行ってきた。駅までの道すがら、車窓、公園、遠慮なく、容赦なく、自然に従って咲き誇るソメイヨシノはうつくしい。昔はお花見文化とまったく無縁で、酒盛り含めて、むしろ苦手だった。なにしろ冷えるし、夜桜は怖いし。何が楽しいのかもわからなかった。それが、開花宣言を待ち焦がれるようになり、開花したらしたで、いつ行こうか、雨か晴れかとそわそわと浮足立ち、足取りも気持ちも文字通り踊るよう。いつからかなあ、とぼんやり考えて、あ、これだ、と思ったのは、
桜が満開です。桜の下で食べ物を食べたりなどしっかりした花見はできないけど、せめて桜の下を歩いて美しい桜を楽しみたいですね。実家マンションを引渡して来週で2ヶ月になります。今頃は不動産会社のリノベーションが進んでるのでしょう。見に行きたい衝動もあります。でも見に行ってもしょうがないし・・・実家から持ってきた段ボール箱9箱。なかなか開けられずにいます。でも思い切って先日一箱あけてみたら、なんとゴミをいれておいた紙袋が入っていました。わたしはなにを考え
なんだか少し暖かくなり春の気配のした一日でした。実家マンション通いがなくなってから3週間がすぎました。考えてみたら2009年12月に母が他界してから私の実家通いは頻繁になりました。私の携帯データの位置情報は常に実家通いと共にありました。そのせいでしょうか私のスマホには職場情報として実家のある区の天気情報が表示されるようになっているんです。「きょうの職場」だって・・・もうあえていくことはないのだからそのうち表示されなくなるのでしょうか・・それ
今日はとても寒い一日でした。私は午前中老人ホームのパートをこなし、午後は美容室にいってきました。2ヶ月ぶりです。ショートヘアでくせ毛の私は一ヶ月半すぎると、髪のまとまりが悪くなってきていたので、ようやく美容室にいけてほっとしています。昨日はとうとう実家マンションの引き渡しを終えました。鍵を渡して残代金の支払をしてもらいました。もう私の実家は無くなりました・・・母が亡くなったのが2009年12月20日。それから父の介護が始まり2015年1
節分です。きょうは実家マンションに行ってきました。お別れをしてきました。泣きました。寂しいです。窓から写真を撮ってきました。左の上の方には父が旅立った病院が写っています。もう二度と見ない景色です。寂しいけど、でも進まないと・・・私が父の介護に捧げた濃密な時間を思い起こさせるこの場所を卒業するのです。前を向いて顔を上げて。振り返ってばかりいたら時間がもったいないよ。これでよかったんだよ。ね、パパ、ママ。
今日も東京は晴れ。そして毎日新型コロナ感染者はふえてきょうはとうとう2万人をこしました。不安でたまりません。昨日は私、実家マンションに行ってきました。そして持ってきたものがあります。顔が壊れている市松人形です。この人形。母の友達だった積山さんという人が、孫娘(私の娘のこと)が生まれた母にお祝いとして送ってくれたもの。そのときからこの人形は実家リビングのリビングボードの上にガラスケースにいれられて飾ってありました。私が娘をつれて実家にとまったとき
毎日毎日新型コロナ感染者の増加に怯え気持ちが滅入ります。マンション引き渡しのストレスでしょうかコロナのストレスでしょうか、水曜日、朝、左太ももの裏、ハムストリングスの急なしびれが出るようになり、木曜日には鍼灸院に行ってきました。臀部からハムストリングスにかけて固くはりがあって、その筋肉の硬さが神経に触っているようです。こういった神経痛はストレスをかかえているときにも多く出るようです。昨日はまた実家マンションに行ってきました。マンションの管理人さんに正式に
毎日寒い日が続きます。コロナ感染者数におびえながらも毎日なんとかひっそりと過ごしています。実は最近義母が不穏でこのところ不快なことが多くなっていますが、実家をたたむ日が迫っている私には義母のことにかまっている余裕はないんです。きょうもわたしは午後から実家マンションにいってきました。実家マンションは大規模修繕中ですが、ドアが変わったこと以外にもいろいろ変わっています。全然修繕工事の説明にはなかったことで、知らなかったことですが、エントランスロビーの豪華
本当に寒い毎日です。例年よりも寒く感じます。コロナ感染者は毎日激増していっていつ自分も、と不安でたまりません。そんななか今日も私は実家マンションに行ってきました。2月はじめにマンションを引き渡す予定なのでもうあと数回訪問するくらいでしょう。ほんとに寂しいです。もう持って帰りたいものはほぼ持ち帰ってきたのですが、物入れやプラスチックケースなどひっかきまわしてみると、やっぱりこれも捨てられないというものが出てきます。前回ときょうと私は実家から何枚か
きょうは穏やかに晴れて気温も少し暖かでした。私はきょうは1日沈んでいました。今日の明け方夢をみました。私は母にハグされて母の後ろには父がいて父が母の後ろから母と私をハグしてくれました。初めてなんです。両親が亡くなってから二人揃って夢にでてきてくれたのは・・・毎日毎日実家を売却することに罪悪感をもち苦しんでいるわたしを心配してきてくれたんでしょうか。わたしのことを許してくれるということでしょうか。父と母とおなじところにいると
今朝は雨すこしやみかけた頃私は今日も実家マンションに向かいました。マンションの引き渡しまでもう2ヶ月もないんですもの。こちらに持ってくるものをダンボールに詰めて整理するためになるべく頑張って行こうと思っています。そしてきょうは父の服を3枚処分しました。どれもよく着ていたものなのでだいぶ傷んでいます。ほかに一緒に並べてあったシャツ2枚はラルフローレンのものとノースフェイスのもので私も着れそうなものだったので、こちらにもってくる箱に詰めました。
今日は風が冷たく寒い日でした。あしたはもっと寒くなるし、雨も降るようです。来週の週末に娘の結婚式があるから、体調管理に一番きをつかいます。先週土曜日、午前中パートにいったあと、意を決して古本買取の店に電話を入れました。未だ残っている父の本、引き取ってもらうためです。ホントは全部こっちにもってきたいくらいだけどそんなことしたらうちは大変なことになるから、あきらめないと。でも本が大好きだった父のものを処分する勇気がなくて、ネットでしらべた古本買取の店
随分と寒くなってきました。きょうはお日様もあまり出ていなくて風も冷たくて寒い日だったと思います。私はきょうも実家マンションへ。実家マンションの最寄り駅は山手線の駅です。駅におりたつと思い出すのは1994年頃の夏の日のこと。池袋まで赤ちゃんの娘をつれて父とでかけ戻ってくると激しい雷雨になっていました。雨は川のようになって流れていき父と私で呆然としていました。傘をさしてもずぶ濡れになるのは明らかで結局雨が止むのを待っていたと思います。駅からマンションまでの道
きょうは朝から老人ホームでのパートに行ったあと、衝動的に、実家マンションに行ってきてしまいました。昨日も行ったというのに・・・ずっと交流を続けているブロ姉さんもいよいよ実家の問題に着手しようとしていると知って、なんだか自分のことと重ねていても立ってもいられず、私も、残り少ない実家詣でを少しでも多くしておかないと、と思ったのかもしれません。遺品整理のひとつとしてのしかかっていることのなかに、父の蔵書をどうするのかということがあります。あまりに古すぎる本は処
きょうも12月らしい晴れた天気になりました。先日、実家マンションの売買契約を済ませてきました。引き渡し、登記移転は来月から再来月の予定です。マンションを処分しようと思ったきっかけがマンションのドアが変更されて思い入れがなくなってしまうことだったので、引き渡しも、ドアの変更完了まで待っていただけることになっているのです。きょうはまた実家マンションにいってきました。売買契約後はじめてです。いよいよ本当に手放すことになるんだなと思い、遺品整理も正念場になってきました。
月もあと5日。寒くなってきました。このところ調子はよくありません。浮動性のめまいがいつもしているような感じで、横になっているときも寝返りしようとしてくらっときたりします。きっと実家を処分することのストレスだと思います。明け方も早くに目が覚めてしまい両親のマンションでの姿を思い出し泣けてきてしまいます。ほんとに苦しいです。もう期限はみえてきているのです。両親がいたマンションの部屋の姿が今の状態であるのもあとすこし。両親が触れた両親の手垢が
随分と寒くなってきました。イチョウは黄金色に色づいています。昨日無事に、ちょっと早い母の十三回忌法要を終えました。実家マンションに私達家族4人でいき導師様に来ていただきお経をあげてもらったのです。もうすぐここともお別れだと思うとつらくて泣いてしまいます。でもここをずっと所有しているのもつらいのです。6年前の2015年11月23日もここで同じように母の七回忌法要を行いました。父とともに。そして6年前のこの日も訪れたのだけれど、今回も法要が終わった
きょうも実家マンション、行ってきました。来週23日の十三回忌法要のため部屋を掃除しないとならないからです。遺品整理のために部屋中いろいろなものが無造作に散らばっている状態なので、それらをまとめて、母の部屋や父の部屋に移動させました。そうして法要をおこなうリビングなどを掃除機をかけてきれいにしました。マンションを売ると決めたからには思い出のあるものこそ自分の手で処分しないとという気持ちが強くなっています。きょうは思い切って父の着ていたジャケットとよく使って
11月も半ばを過ぎました。来週23日には母の十三回忌を行う予定なので落ち着かなく過ごしています。昨日は午後に実家マンションにいってきました。不動産屋さんと会うためです。正式に不動産屋さんと媒介契約を結び売却の準備をしてもらうことにしました。6年前の11月23日、母の七回忌をマンションでおこないました。『七回忌法要を終えて』寒かったきょう、2009年12月に他界した母の七回忌を無事終えることができました。法要とはいっても菩提寺の和尚さんに来ていただ
グリーフケアには多様な流派がある。どこに行ったらいいか迷ってる方に、選別基準をお知らせする最終回。わしが「ココはいいかも」と思うのは、主催する団体のホームページで、しっかり「回復」と書いてあること。「癒す」「分かち合う」みたいな言葉でやんわりぼかして書いてあるとこは、ちょっとね、、と思ってしまいますの。というのは、グリーフケアも、相談援助も根は同じ、本人が望んでいることを支援する。癒されたい、分かち合いたいというニーズ(だけ)、という自覚があるなら、そ
前回の内容は、グリーフケアはグループワークが多く、複数で「悲嘆を共有する」ことになる。1対1のカウンセリングみたいなのを想像して、そうしてもらいたい場合は、そういうケアをしているかどうか、団体さんに確認しましょうというもの。今日はその次の段階の基準として、その団体のケアの目的は何か、ホームページに書かれている説明をよーくよーく読んでみることを推奨。長くてわかりにくいのが多いけど、自分の心の問題に関わることなので、頑張って読んでみた方がいいと思う。その中
きょうは11月5日。11月らしい秋晴れが続く。清々しい天気とはうらはらに、実家マンションに向かった今日の私の心はかなりの涙モード。あと数ヶ月以内にこの実家マンションを処分しようと決めてはいるが、いざとなるとやっぱり苦しい。きょうは父が亡くなったときに入院していた病院から引き上げてきた荷物を出してみた。並べて写真をとってみた。亡くなる何時間かまえに汚して着替えたパジャマズボンと亡くなったときに着ていたパジャマや下着はビニールにはいったまま。父