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先日、自宅の近くにある2軒の古書店に寄って、本を3冊買ってきました。1冊目は、札幌南高校のすぐ近くにある円錐書店で見つけた小川洋子著「物語の役割」(ちくまプリマー新書)です。私の好きな作家による文学論です。物語の役割(ちくまプリマー新書)/小川洋子2、3冊目は、円錐書店でから北に向かったところにあるビーバーブックスで見つけた武田泰淳著「富士」(中公文庫)です。壮大なスケールの作品のようで、思わず手に取っていました。富士(中公文庫)/武田泰淳
『雪の階』奥泉光中公文庫2020年初版ようやく取り掛かかりました。2018年の柴田錬三郎賞と毎日出版文化賞受賞作です。1935年富士山樹海で発見された男女の遺体を、心中ではないと看破した伯爵令嬢が謎を解くべく立ち上がるのですが・・・・・。いやぁ、面白い!亡くなったのは天皇機関説を主導する教授の娘と、急進的皇道派の陸軍将校。翌1936年には二・二六事件が起き、さらに元東宮女官長だった島津ハルなど4人がかかわる不敬事件が起きます。これらの実際の事件を絡ませて、ありえたかもしれ
【Q19480】作中で人の肉を喰った者の首の後ろに緑色の光の輪が浮かび上がるという設定があり、その光をある植物の光に見立てたことから題名が付けられた、戦時中に極寒の北海道・知床で実際に起きた人肉食事件を題材にした武田泰淳(たいじゅん)の小説は何?【ひかりごけ】【Q19481】宇都宮リトルシニアで野球を始め、宇都宮工業を卒業後、映画を学ぶためアメリカに留学中にメジャーリーグにハマり、パンチョ伊東に師事し1997年にパーフェクTVでのメジャー中継開始と同時に解説者として出演するようになった、本名
う『ニセ札つかいの手記』(武田泰淳/中公文庫/2012.8.25初版)文庫オリジナル。以前取り上げた深沢七郎著『書かなければよかったのに日記』に次の一節があった。「こないだからアパートの私の部屋の表札が変わったので郵便屋さんやラーメン屋さんがまごついているそうである。『越すんですか』と管理人に声を掛けられて私の方もまごついた。いままでの『ジミー・川上』の表札が『丸木バレンチノ』に変ったのは私の愛称が変ったのである」相変わらず妙なことを言うオッサンだと思ったが、この丸木バレンチノ…武田泰淳
保守の心があるかどうかは、含羞のあるなしではないだろうか。自分の行為を恥ずかしがるというのは、日本人にとってもっとも大事なことであるからだ。それが三島由紀夫や太宰治にはあったのではないか。だからこそ、三島は仮面をかぶらなければならなかったし、太宰は「生まれてすみません」との言葉を吐かなければならなかったのだ。三島は昭和45年11月25日に自刃したが、その2カ月前に武田泰淳と「文学は空虚か」という題で対談をしている。同年11月号の『文藝』11月号に掲載されたものだが、そこで三島が語った言
『煙突やニワトリ』(武田花/筑摩書房/1992.6.15初版)「あとがき」にこうある。「『エッセイなんて、それがどうしたと言われりゃ何でもないもんだ』と母は言います。こんな何でもない本を出してしまいました」この母というのは、武田百合子。百合子については、すでに何度も書いた。まだまだ書くだろう(笑)。百合子の娘の武田花は、写真家として知られているから、そちらのほうでご存じのかたが多いはず。モノクロで、朽ちかけたような風景のなかに、ぽつんと猫がすわっている…そんな、写真を撮る。このエッセイ
『新・東海道五十三次』(武田泰淳/中公文庫/1977.3.10初版、2018.11.25改版)原本1969年9月刊この毎日新聞に連載された「小説」で、作者・泰淳は自動車に乗ってする五十三次ルポルタージュを試みているのだが、その自動車を運転するのが女房の百合子(本書ではユリ子)である。百合子は晩年、体調おもわしからぬ泰淳を助けて、その口述筆記をしたことが知られているけれど、文体から見て本作も百合子の筆記によるものと思われる。自分たちを弥次喜多に擬しての道中記であるから、多分に戯画化されている
1969年6月10日、作家・武田泰淳は、夫人の百合子を伴い、親友の中国文学者・竹内好とともに、ソビエト旅行の途についた。この顛末は、後に百合子の著書『犬が星見た』(中公文庫)としてまとめられ、読売文学賞を受賞することになるのだが、同書の初版(79年刊)が刊行になったとき、すでに泰淳、好の2人はこの世になかった。76年から77年の半年ばかりの間に、2人は相次いで癌によってみまかっていたからだ。両者の闘病から死までについての経緯は、2人と親しかった埴谷雄高による哀切をきわめた追悼文に詳しく描かれ
『百合子さんは何色武田百合子への旅』(村松友視/筑摩書房/1994.9.5初版)私が読んだのは、95年の第6刷である。後に文庫化もされていたはずだ。どうも読む気を殺ぐようなカマトトみたいな題名がついているが、ずっとこだわっている武田百合子についての本だ。読まないわけにはいかない。作者はプロレスに関する著作で世に出た人物だが、その前身は中央公論社発行の文芸誌「海」の編集者である。そして、この仕事を通じて、作家・武田泰淳、また夫人・百合子を深く知ることとなる。本書は、その武田百合子の没後
<木村先生の思い出>その2先生は何でもこちらの相手になって話をしてくださるものだから、授業が終るたびに先生の研究室におじゃまして、居坐り、おしゃべりをするのが習慣のようになってしまった。研究室だけでなく、先生にくっついていろんなところへ行った記憶がある。それは散歩だったり、本屋や映画館だったりした。先生の宿舎の部屋でそば掻きをご馳走していただいたことも忘れられない(先生は昔からそばが大好物だった)。先生は当初は単身赴任で札幌に来ておられた。厳冬期には東京へ帰られたが、これは他の先生
『目まいのする散歩』(武田泰淳/中公文庫/1978.5.10初版)原本1976年初版。脳梗塞の予後思わしくない泰淳が、全篇、妻・百合子に口述してなった作。あくまで随筆の体裁をとるが、解説の後藤明生が断言しているように、これは小説と言ってよかろうと思う。泰淳の文章術の一例で、現実の出来事に材を採りながら、悠然たる詩的世界に踏み込んでいく有り様は、表面的には百合子との自動車紀行の形をとる『新・東海道五十三次』と同様だ。のっけに脳梗塞の予後と書いたが、じつはこの時、泰淳は癌にとりつかれており、
『戦後の先行者たち同時代追悼文集』(埴谷雄高/影書房/1984.4.28初版)私の手元にあるのは第2刷であるが、初刷のわずか1か月後の日付。予想外に売れたということか。内容は副題に端的に表れている。埴谷が見送った、戦後文学の旗手たちに対する思い出を綴ったものだ。あえて付け足すとすれば、これは埴谷が創刊にかかわり、敗戦後の日本文学の牽引役となった文芸同人誌「近代文学」のメンバーたちへのレクイエムと言える。メンバーとは次の人々だ。原民喜、梅崎春生、三島由紀夫、高橋和巳、椎名麟三、花田清輝、武
『あの頃』(武田百合子/中央公論新社/2017.3.25初版)武田百合子の没年は1993年であるから、没後約四半世紀を経て出た本だ。単行本未収録であったエッセイを集めて、娘の写真家・武田花が刊行した。1か月以上をかけてじっくりと読んだ。読みながら付箋を貼る。私は普段はページの隅を三角に折ってドッグイヤーを作るたちだが、このあまりに美しい本(装丁も内容も)にその仕打ちははばかられ、今回は付箋を持って読んだ。読んでいる間は気持ちに弾みがついているから、どんどんどんどん貼って付箋だらけになる。笑っ
←ガストン・バシュラール著『空間の詩学』(岩村行雄訳ちくま学芸文庫)「(前略)詩的イメージの根源の価値を明らかにするために、詩的イメージとイメージを創造する意識の行為を結合する、新たなる想像力の現象学を提唱する。バシュラール詩学の頂点をなす最晩年の書。」ガストン・バシュラール著の『空間の詩学』を24日に読了。三度目なのだが、今回は通読するのがこれが最後だろうと、二週間を費やして「物質的想像力の概念を導入して詩論の新しい地平を切りひらいてきたバシュラール」の世界をゆっくりじ
愛の裏切りを死の水底へと引きずり込む水の妖精をなぞりながら蘇生の物語を紡ぐ。愛とは溺れることではなく、いまを踏みしめることだと男は知る。https://onl.bz/XXS1GPm#クリスティアン・ペッツォルト#水を抱く女#パウラ・ベーア#ヤコブ・マッチェンツ水を抱く女(字幕版)Amazon(アマゾン)2,000円若い女性が画面をところ狭しと(まさに目も口も鼻の穴まで見開いて)いじめられるとどうして興奮するのかなどと中年日本男児のだらしな
武田泰淳の昔の小説。最近、文庫で復刊したらしい。なんでこの時期に。でもちょうど、図書館で見つけたので図書館本を読みました。二・二六事件を題材にしています。面白かったですね〜夢中で読みました。なかなか胸にズンとくるものがあった。冒頭の始まりがすごい。西の丸公爵家を訪問していた陸軍大臣の猛田さまが、公爵家の階段から足を踏み外して転げ落ちます。落ちまいとしてがんばられたのがいけなかったのだろうと、あとで家の者がうわさしていた。うっかりして廊下の電灯をつ
武田泰淳『私の映画鑑賞法』(朝日新聞1963年)は題名のまま作家なりの映画鑑賞法をご覧に入れましょうという体裁ながら、そこは武田泰淳でしてしおらしい身振りでしれっと上段から振り下ろす批評集です。折しも増村保造監督『からっ風野郎』(大映1960年)が完成すると友人でもある三島由紀夫の主演作をさっそく取り上げます。『不道徳教育講座』などを書いて社会の酸いも甘いも知り尽くしたような顔をしている三島は実際勤め人の苦労を味わったのは大蔵省にいたわずかな期間だけ、今度の主演で増村にしごかれるだけしごかれ
やる気が底をつき、身動きもできず、一歩も前へ出発できない時均衡が破れるような、何か気分の変化があると、あっさり転がる。手っ取り早いのは人と会話して気持ちを揺さぶることかなあ。でも今日はこれだ(7月2日12時00分現在)au携帯電話サービスがご利用しづらい状況について(kddi.com)仕方ないから対談集で疑似対話です。ところどころ内容がわからなくても、大丈夫1948年の対談がわらった、酔っ払ってぐちゃぐちゃ。ところどころ(騒音)とあるのは、文芸評論家の33才寺田透が荒れてるの
武田泰淳の短篇集「目まいのする散歩」(中公文庫)をよんだ。三読め、くらいか…。今回がいちばんおもしろかった。なんのどこをよんでいたのやら…と呆れた。にしても、なぜにいまどき武田泰淳の「目まいのする散歩」なのか?話せば長くなるので割愛するが、戦後派作家たちの換骨奪胎をスタイルにしている奥泉光が関係しているのはまちがいない。きっかけは奥泉光である。武田泰淳は1971年、59歳で脳血栓を患う。右手が不自由になったので愛妻・武田百合子さんが口述筆記を行う。「目まいのする散歩」は、その産
5月中旬に図書館で借りた本の感想その2。(パソコンの状態が悪いので途中で入力出来なくなる可能性があり、その場合途中までのものを投稿しますのでご了承下さい。)自分のための備忘録として文章を一部抜粋、引用しています。『女騎手』蓮見恭子(角川文庫)<二度目のゲートインは順調だった。呆気ないほど簡単にゲートが開かれる。出鞭を入れて、ダリアにゴーサインを送った。馬は機敏に反応し、内柵(ラチ)に沿って走りだす。十六頭の馬が地響きをたてて坂を駆け上って行く。スタンドから悲鳴が上がり
"あれ"をやった者には、首のうしろに光の輪ができるのです。うすい光の輪です。その光は、ひかりごけの光に似ているんです。読書とカンケーないことですが、私が「ひかりごけ」の存在を知ったのは、「北の国から」というドラマです。昔、「北の国から」を猛烈に愛する変わった人と仲が良かったことがあって、半ば無理矢理「見てくれ」とDVD全巻押し付けられました。はじめは、えーなんだかなぁ…と思ってたんですけど、見出したら、もう止まらん!となって、あっという間にDVD全部見ました。北海道の大自然に
あけおめ、ことよろ早速ですが昨年末の一冊が尾を引いています。山本周五郎が気になって仕方がない。それでこんな参考文献を借りました。まずは「ムック」という語から:Magazineの"M"+Bookの"ook"ということで、実際、国際雑誌連合で公認の用語だそう。雑誌の体を為しているけれども、読み物としても充実している冊子。河出書房は1998年から現在に至るまで年に数冊から十数冊発刊しています。ちなみに「文藝別冊KAWADE夢ムック」を冠したシリーズですが、2019.1.21号を
秋の夕日特集最後は、ドイツの秋です。ヘッセさんですね。懐かしい感じがします。往時はどこの本屋にも新潮文庫コーナーに水色の背表紙のヘッセ作品が幅をとって並べられていました。それを片っ端から読みました。懐かしい思い出です。今日のことばでは、実は最終行ハンスは自分自身から逃げて歩いたというところが良いですね。車輪の下(新潮文庫)Amazon(アマゾン)327円メルヒェン(新潮文庫)Amazon(アマゾン)1〜3,663円↑この装丁色です。ヘッセといえば。
<永井荷風、円地文子、武田泰淳>724.「腕くらべ」永井荷風長編中村光夫:解説新潮文庫花柳界小説を書いて天下一品の著者が、新橋の芸妓駒代を主人公に、彼女をめぐる様々な男性との情痴の諸相を描いた一種の社会小説ともいえる長編。若き日の荷風がかつて江戸芸術の保護者としての夢をたくした花柳界が、もはや時流から逸脱したユートピアではあり得ず、秘密な歓楽の場所として次第に単純な売色の巷に転化して行く様子を忌憚なく描いた中期における代表作である。
ポプラ社百年文庫452010年10月第1刷発行149頁ヴェルガ「羊飼イエーリ」訳・河島英昭幼いころから馬を追い野宿しながら実直に働いてきた少年イエーリ成長し愛するマーラと結婚するも彼女の手酷い裏切りに遭い…キロガ「流されて」訳・田中志保子毒蛇に咬まれた男がその人生を終えるまでの短い一日武田泰淳「動物」動物園の子熊に子どもが指を噛まれたことをきっかけに巻き起こる男たちの思惑体面を保ちながら敵愾心を燃やす者たちの顛末やいかに自然の大きさに比べれば人間は何と
武田泰淳を読むようになったのは、ここ4~5年。どっちかというと、読みにくい作家。作品も未完のものが多く、本人も気まぐれなところがあるから、すごい小説はあるけど、尻切れトンボ的なものもけっこう多い。有名なのは「ひかりごけ」で、映画化もされてるけれど、構成がばらばらで読みにくいことこの上ない。ただ「司馬遷―史記の世界―」。これはすごい。武田泰淳が「史記」を書いたわけじゃない。「史記」を書いたのは、司馬遷。普通、歴史書って、支配者側の視点で書かれてるけど―例えば「古事記」「日本書紀」
武田泰淳氏の担当をしていたころお宅へおたずねするのが楽しみだった。(中略)戦後派文学の第一人者の生の姿に接する気の弾みと、もうひとつは百合子さんが作ってくれたビールのツマミや食事だった。当時、独身だった私にとって、武田家での食事はきわめてぜいたくな世界だったのだ。(村松友視「未だ亡びざる女」講談社)
「こういう味のものが丁度いま食べたかったんだ。それが何だかわからなくて(中略)落ちつかなかった。枇杷だったんだなあ」向い合って食べていた人は、見ることも聴くことも触ることも出来ない「物」となって消え失せ、私だけ残っているのが納得がいかず、ふとあたりを見まわしてしまう。(武田百合子「枇杷」ちくま文庫)