ブログ記事6件
「逆教育勅語」が日本語としておかしい?http://bit.ly/2AohSet#倉山満の砦【音声配信】「国会論戦珍プレー!好プレー!番外編~野党の時間を減らせば建設的になる?与野党の質疑の『質』を検証」木村草太×荻上チキ▼2017年11月8日(水)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)https://www.tbsradio.jp/198601視聴してみましたが、確かに木村草太氏はなぜか意味不明なほどに「大日本帝国ガ―」を連呼。そんなくだらないこ
コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書)江崎道朗http://amzn.to/2wfoYUv本編の書評は鋭意作成中なのですが、先に、ややマニアック過ぎるかなと思い、本編の書評には載せないことにした内容をブログにアップしたいと思います。■官僚の形式主義が招いた自滅とコミンテルンの浸透工作当時の日本を覆っていた時代背景、さらには当時の政府、右翼全体主義者の安易で稚拙な弾圧がコミンテルンの浸透工作を許してしまう土壌を生み出してしまいました。本書でも「教
『梧陰存稿学校の教科における漢文の問に答えし文』を読む~心の鍛錬と千年教科書~『梧陰存稿』に収録された小論。日ごろ、井上毅が兄と慕う人から「学校の教科に漢文があるのは何の必要によるものなのか」と尋ねられたことをキッカケに書いたものだそう。井上毅は、この問いかけ自体が「教育の道の栞となるのではないか」と感じ、自身が考える漢文を教えることの意義、教育そのものの意義について論じています。井上毅は、第一に漢文は、経学(中国の「経書」を学ぶ学問)を学ぶために必要であり、経学は生徒に心
『梧陰存稿国語教育』を読む嵯峨天皇と勢の効力~文章は事績の記録か、言葉以上の”何か”か~■梧陰存稿国語教育明治26年8月6日に開かれた尋常中学校尋常師範学校教員講習会講演を文語体に改め補筆したもの。『官報』第3035号(8月10号)木村匤『井上毅君教育事業小史』(明治28年1月)に口語速記が収録されています。■井上毅のド正論同じく梧陰存稿収録の『人に自尊自卑の性あるの説』でも奈良・平安時代に漢文漢詩が盛んに取り入れられた様を取り上げ、批判していましたが、ここではさらに口
『梧陰存稿人に自尊自卑の性あるの説』を読む~過ぎたるは及ばざるが如し~『人に自尊自卑の性あるの説』本論文は後に『如蘭社話』後編第三巻(大正二年九月十五日刊)に収録。自尊自卑の性とありますが、主として自卑の心に関する井上毅なりの考え方が提示されています。自卑の心、すなわち自らに欠点があると感じる心、自らの社会には至らぬ所があると認識すること、それ自体は謙徳であり、進歩のもとであり、決して悪いことではない。ただし、自卑の心は「利用すべきものであって、害用してはならないも
『梧陰存稿言霊』を読む~我が国の憲法五色を“しらす”天皇(すめらみこと)『言霊』本論文は『皇典講究所講演録』第二巻(明治23年3月1日刊)に「古言」と題して収録。のちに『教育時論』第360号付録「梧陰先生遺文」(明治28年4月15日刊)に収録。大日本帝国憲法第一条大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す「統治す」とされてますが、井上毅が作成した憲法草案においては、「しらす」とされていました。『帝国憲法物語』(倉山満著)によれば、当時においても、すでに人々にとって