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私たちの今の人生は私たち自身の”思い”のとおりの人生になっています。人生などについて考えたこともない・・今の人生は、たまたまのものだ・・・などと思っている人が多いのかもしれませんが・・これまでの人生の節目節目で何かを思い、何かを選択して来ています。上手く行ったことはそのことに確信をもって取り組んだのでしょう上手く行っていないことは失敗したらどうしよう・・上手く行くはずがない‥などと不安や恐れの思いが勝りそのことが実現してしまったも
人の輝きは、心の輝きです。夢を持ってなりたい自分を目指して一生懸命な人は、輝いています。一方、道に迷い自分を見失い心の置き場所の無い人は暗く、沈んでしまいます。人は、”自分らしく”居られる時最も心が安らぎ最も大きな力を発揮して強く輝くことができます。”自分らしさ”は、人それぞれに異なっているので人が、”自分らしく”生きるためにはお互いの違いを認め合い、受容れる環境でなければなりません。他人から強制される”らし
私たちは、身の回りのいろいろなものに感動し、癒され、力を貰います。山の、いつもの佇まいに安心し”大丈夫・・”と励まされます。小さな草花からも命の尊さと、優しさを受け取ることができます。人の場合も優しさや思いやりに触れることで癒され、生きる力とすることができます。私たちが、これらのものから受け取っているのは”愛”です。私たちの内にある”愛”と私たちの外に在って私たちを生かしてくれているものの”愛”が共鳴し合っているので
人生において、”為すべきこと”があるとすればそれは、”生きる”ということです。それ以外に、私たちに課された義務はありません。私たちは、自由に思い、生きることができるのです。”やりたいこと”をやり”なりたいもの”を目指して生きることができます。そして、その途中で、別の”やりたいこと”が出てきたらそれまでやっていたことを止めて新しいことに取り組み始めたとしても誰も咎めることなどできません。私たちの人生は、私たち自身のものです。
この世界の全てのものは循環しています。朝が来て、昼がきて夜になりそして再び朝が来るように・・水が、海から天に上り地に降りて、川を下り再び海に入るように私たちの命も誕生し、成長し老いて、死に至り再び誕生の時を迎えます。この再びの誕生の時その命が何処にあるかはこの世でどのような人生を送ったかによって決まります。前の誕生と、同じ所やそれよりも低いところだったらそれは、経験や学びが足りず成長できなかったことを意味し
人生には、失敗も成功もありません。在るものは、経験であり、学びです。人生の全てが学びであるならば人生において”これで終わり”というものもなく何時もが、”始まり”です。上手く行かなかったことからは至らなかった原因を省みそれを、これからの”始まり”に生かします。上手く行ったことからは周りからの支援や導きを得られていたかを省み感謝の心を学びこれもまた、これからの”始まり”に生かします。経験したこと全てを謙虚な心で学び
”好きなこと”はどのような困難も楽しみにできて心が満たされるので自分を尽くして取り組めるものです。楽ができる・・とかカッコイイからとか・・の理由で”好きなこと”と思っているのは自我から生じるものなので心が満たされることはありません。本物の”好きなこと”は人に力を与えその人の”熱=情熱”を引き出します。”好きなこと”は、その人に与えられた天の御用を務める為のものですから天の祝福と恵みを受けます。”好きなこと”を見出すこ
他人を攻撃することは自分を攻撃しているのと同じです。他人にしたことは必ず自分に返ってきます。他人への攻撃はその人と同じものを持っている自分への攻撃なのです。自分の弱みや嫌なところは・・見たくないし、人に知られたくもないので「そんなものは持っていない・・」と拒否するため他人を攻撃してしまうのです。同じような弱みや、嫌なところを持っていないかそれを認めて受容れている人は相手を包み込み、慈しみの心で対応します。弱
人は、進歩もすれば、後退もします。一定のところまで進んだと思ったとしてもそこに止まっていたのではいつの間にか後ろを向いて、進んでいることもあります。進歩しているときは他人と喜びを共にできているときです。後退しているときはその喜びを独り占めしようとしています。他人と喜びを共にすることを続けているとその人の成長と共に更に大きな喜びを得ることができますが世の常として・・「誰が一番貢献したのか・・・」とか「自分の取り分は・・・
時を得て・・とか流行に乗って・・などと言って万事が上手く行っているように見える人たちが居ます。そのような人々の中で時が変わっても・・・流行りが変わっても・・変わらずに上手く行っている人といつの間にか忘れられて凋落してしまった人たちが居ます。その違いはしっかりした”自分”を持っている人とその時の流行りに合わせるだけの人との違いです。”自分”を持っていてそれをいつも追い求め、努力している人は時代がどのように変わってもその中で自分
この世界の全てのものはその存在によって他のものを生かしています。太陽は、その陽光によって生命を育み地球は、万物の命の場となり海や山も、川は、命の糧を与えそして、小さな花々や虫たちは命の大循環の担い手となっています。人も、その存在によって多くの人々と様々なものを分かち合い多くの経験から学びあって他を生かし、自らは生かされています。人は、その存在によって他を生かす役割を持っているとするならば自分を粗末に扱ってはいけませ
人の力の源泉は、”知る”ことです。人は、豊かに暮らしたいとこの世に生を受けた直後からこの世界の仕組みなどを学びます。そして、より多くの知識を持っているものがより多くの富を持つことができる・・そんな世界に私たちは生きています。しかし、人にとって最も大切な知識は自分自身に関することです。それは、この世に生を受けた理由・・どのような存在なのか・・・そして、死とは何なのか・・・などの自分の人生に関する知識です。この世で私たちが経験し学ぶ
”心に従う”ということは理屈で考えた欲や我に基づく思いや一時的な感情に従うことではなく心の底から湧き上がり自分をつく動かすそのような本物の思いに従うということです。その様な思いを抑えていると自分の内にも不調和が生じ心と体が病んでしまいます。また、欲や我に従っていても心が満たされることがないので”もっと・・もっと・・”と追い求めることになり道に迷います。本物の思いは自分らしく居られて素直に”好き”と思えることです。
天が人を裁くことはなくしたがって、天罰などありません。私たちは、それぞれが自分の思いで創り上げた世界に住んでいるので自分に起こることは良いことも、悪いことも全てその思いの結果として起こったものです。天が決めるのは、この”良いこと”と”悪いこと”の基準だけです。良い結果は、良い思いの悪い結果は、悪い思いの結果によるものですがこの”良い”あるいは”悪い”と判断する本人の思いなのでこれらの結果が、更に新たな結果を生じさせます。私た
私たちは、心の平和を求めています。その平和を壊すものは生きていけなくなったらどうしよう・・・家族を養っていけなくなったら・・などの恐れの心です。それが、必要以上の「欲」と「我」を生じさせ「我だけ・・」の思いに至り心の平和が壊れてしまいます。”恐れ”は、分からないこと・・知らないこと・・が原因で生じるものです。”恐れ”から、自分を解放するためには自分の人生について良く学ばなければなりません。人生を学ぶことは全てのもの
他人や社会の為に何かをやろうとするとき「この程度で良いだろう・・」と力を出し惜しみしてしまうとその出し惜しみした分の何倍かのものが面倒ごととなって返って来ます。やるべき時に、やるべきことをやらなかったことで物事が、おさまるべきところに収まらず面倒が起こるのです。自分が他人や物事に関わることは全てご縁によるものであり必然のことなので自分の力を尽くすことが求められています。出し惜しみして、手を抜くことは調和を崩すことになってしまうのです。私たちの日々の仕事や行いは、全て
物事が順調なときは周りとの調和ができています。しかし、そのことに有頂天になり自惚れや驕りが生じると調和が崩れ、行き詰まります。物事が順調なときはその理由を深く省みてそのことに感謝の心を顕さなければなりません。一方、物事が行き詰まっているときは自分と周りに欲や我が生じていないかよく点検・反省してそれを調和の方向に転換しなければなりません。自分と周りの人々の間に調和を創り出すキーワードは感謝の心です。言葉だけではなく、感謝の心でつながり協働する思いが、調和を創りま
”幸せ”は”やって来る”ものではなく自分の心の内に見出すものです。”幸せ”は、誰かが持って来てくれるものでもなく自分自身で見出さなけれななりません。何を”幸せ”て感じるのかはその人の心なので自分自身で見つける以外にありません。どんなに多くのモノを持っていてもどんなに高い地位を得てもそれらのものは、その人の外の環境に過ぎないので心の満足が無ければ幸せを感じることは出来ません。人が真の”幸せ”を感じるのは周りの人々に大事にされて
ものごとの計画において最も大事なことは、その意図であり、目的です。何の為にそれを為すかを明確にしなければ事は成りません。為すこと、方法、期間、経費等がどのように立派な計画であっても”何の為に”がなけれな”仏作って魂入れず”になってしまいます。そして”何の為に”が何であるかによってその成否が決まります。”何の為に”が、それに関わる人々を結び、繋げるものだからです。欲や我に基づくものであれば人々の中に競争心を生じさせ心を
”反省する”ということは自分の置かれた立場や環境への自分の対応が良かったか悪かったか・・などを振り返るのではなく自分の”心のあり方”を省みることです。ものごとの成功の可否は殆どが、私たちの”思い”によるからです。結果が良かったときは私たちの心は善なる思いに従っていたはずです。結果が悪かったときには邪な心に従っていたはずです。仮に、上手く進んでいるものであってもそこに邪な思いが在る場合には失敗に向かっているのでそ
真実に基づかない判断は間違ってしまいます。自分の身の周りで起こることはその人の価値観や感情を通して見ています。また、他人から伝えられる情報はそれらの人々のフィルターにかかったものであり時には、意図的に真実が覆い隠されそれらの人々の都合の良いように加工されていることさえあります。真実が見えず、間違った判断によって私たちは、迷い道をグルグルとまわっているのかもしれません。真実を見極めるためには先ず、本当の自分を知らなければなりませ
人と人、人と自然・・私たちは、全てのものと繋がっています。周りのものに心を開いて、受容れることで自分も周りのものに受容れられ、つながり、大きな力を得ます。恨みや、憎しみなどは自分の心をその対象に集中し周りに心を閉ざしてしまうので自分自身を更に苦しめてしまいます。「欲」に溺れていると、「我だけ」となり、欲に自分の心を奉げてしまうので欲と欲が衝突する争いの世界に入り込んでしまいます。心を開くことは自分と周りの環境を調和さ
勇気は、自分への信頼から生じます。自分への信頼の無い勇気は、偽物であり難局に出遭うとその正体が暴かれます。自分への信頼は自分を良く知ることによって生じます。自分を良く知ることは自分の長所も欠点も認めて受容れそれらを良く生かすことができるということです。自分の持ち物や地位に頼る人は自分のことを良く知ろうとしないので結局、他人に頼らなければ、前に進めません。自分を良く知る人は天の仕組みも良く知り天と共に在ります。勇気
全ての人間関係の基礎は自分自身との関係にあります。自分自身のことをどのように思っているかで他人への対応の仕方が決まります。自分のことを”ダメな奴”と思っている人は他人の欠点ばかりに着目してその人を蔑みます。自分のことを”スゴイ奴”と思っている人は自分の弱さが暴かれるのを恐れて上にへつらい、下には威張ります。自分のことを”普通”と思っている人は目立つことや、嫌なことを避けマイペースのように見えますが他人からの評判を気にし
夢は、叶います。しかし、一人の力だけで叶うものではなく私たちの”夢を実現したい。”という思いが自分自身と周りを実現へと動かすからです。夢は、誰かの・・、何かの‥手助けが無ければ絶対に叶うことはありません。それは、私たちが互いにつながり合っている存在だからです。そうすると、”自分だけのため”の夢も叶いません。自分だけ良くなりたい・・自分だけ得をしたい・・・、その様な思いは、周りとのつながりを否定するものなので結局、その思いが実
心配することと、信頼することは裏返しの関係にあります。例えば、家族の帰りが遅いという心配はその心配事が起こるかもしれないという社会に対する不信によるものです。自分がやっていることへの心配事は自分の力が十分か、自分の思いは正しいのか?そして、この様な自分が受容れられるのかという不安から生じるものです。自信のあること、社会の仕組みがはっきりしていることであれば安心して挑戦することができます。自分の力と正しさに自信を持てることは
計画は、実行に移されて、はじめて”計画”となります。何かをやりたいという”思い”も行動に移されたとき、本物の”思い”となります。行動の伴わない思いはただの空想に過ぎません。私たちは、日々、何らかの多くの行動をしています。その行動に、どのような思いが込められているかでその人の人生の行く末が決まっています。行動そのものよりも、”思い”が実現するからです。自分の日々の行動に、”なりたい自分”の思いを込めることで”なりたい自分”になること
失敗したらどうしよう・・▪迷惑を掛けてしまう・▪・自分が我慢すれば・▪・と、やりたいことを抑えてそこに止まってしまいます。自分のやりたいことを、色々な理由をつけて、止めてしまうのは自分で自分を縛り、自由を放棄しているのと同じです。自分の自由を奪うものは、恐れの心です。恐れの心は、¨分からない¨ことによって生じます。結果が分かっていることであれば、誰でも、どんなに困難なことでも、立ち向かえます。学びは、私たちを自由にします。そして学びの究極の対象は、自分自身です。
正直な人は何時も本物と付き合っているので自分に訪れた運が本物か偽物かを見極めることができます。本物の運はその人の本当の夢を実現へと導くものです。偽物の運は、その人の欲や我を満足させるものでその先には、争い事や奪い合いが待っています。自分を装い、飾る人は本当の自分のことを知らないので訪れた運が、自分を飾れるものか否かで判断してしまいます。本当の自分を知らないのでは自分の人生の選択もままならないのです。”正直に
人には、強さも弱さもあります。人の真の強さは”自分”を大切にすることです。”自分”を大切にすることは強さも弱さも・・、長所も欠点も・・全てを”自分”として認めて、受容れることです。真に強い人は、自分の弱さを知っていてそれさえも生かします。人の弱さは、自分を他人との比較で顕そうとすることで生じます。他人に自分の強さを見せようとして欠点や嫌なところを隠そうとします。そのことが恐れを生じさせ弱さとなり”自分”と他人を否定し、