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「生きるメッセージ」をテーマにブログを書いてまいりましたが10月20日で1,000回になりました。これを区切りとしまして、このテーマでのブログを終了させて頂きます。長い間、お付き合いくださいましてありがとうございました。皆様の人生に幸多かれと心から祈念しております。ありがとうございました。
心の”安らぎ”は心の平和の顕れです。”安らぎ”は自分と周りのものが調和し一体感を得られているときに実感されます。心が安定し、外に開かれて自分が周りのものを受容れ自分も周りのものに受け容れられていると感じることができています。自分自身でも、周りとも調和した状態にあります。この調和を壊すものは心の乱れです。心の乱れは自分を他と比較して評価する「自我」によって生じます。自我は、周りとの争いを引き起
私たちは、宇宙の中心に居ます。宇宙は無限大でありその宇宙を意識しているのが私たちだからです。意識のある処がものごとの中心なのです。そして、宇宙の性格を決めているのも私たち自身です。それぞれにとっての宇宙はそれぞれの思いによって性格付けされます。私たちの思いがそれぞれにとってのものごとの意味や価値を決めているのです。私たちは、この宇宙、この世界に居てそれぞれに、こんな宇宙、こんな世界と自分の居る場所の性格付け
私たちは何時でも、何時からでも生き方を変えることができます。若いから・・まだまだ・・ということも老いたから・・いまさら・・・などということも決してありません。そのような思いは短い人生の貴重な時間を浪費しているのと同じです。私たちの人生は夫々の思いに従って創られています。”苦しく、息苦しい人生”と思っている人の人生は苦しく、息苦しい人生になっています。”楽しく自由な人生”と思っている人の人生は楽しく自由な
「目覚める」は、人が何かを知り何かを掴んで仕事や技術、芸術などの面でまた生き方そのものにおいて新しい段階に歩みを進めることを言います。そして「目覚め」には朝の目覚めがあり「日々に新たなり」とも言うように私たちは、日々に目覚め成長して行くように定めづけられているのです。そこに必要なものは「生きる目標」と「学びの心」です。目標が無ければ生き方や、やり方が定まらず何を学ぶかも定まりません。「生きる目標」は学
私たちが解決すべき問題の答えは私たち自身の内にあります。問題の答えを外に求めてその対応を行ったとしても一時的には改善したように見えても再び、別の同じような問題がおこります。その問題を起こしたのが私たち自身だからです。何かの出来事を困ったことだとするか成功へのチャンスとするかなどその捉え方は人様々であり夫々の人固有のものです。この様な私たちのものごとの捉え方が問題を作っているわけですからその源で最善の対応を見つ
ものごとに対応するときにはそれらの本質を見極めなければ表面的な対応に終わってしまいます。ものごとを見るとき自分の価値感や世界観を通して・・都合が良いか、悪いか好きか、嫌いか損するか、得するか・・などでものごとを見て、判断しがちになります。この様な見方は目隠しをして巨象の身体の一部に触ってそれが何であるかを判断するようなものです。ものごとの本質を知るためには価値観や世界観から離れていろいろな考え方、立場に立って
人は、信じ、信頼するものに従って価値観を形成し、世界観を創ります。子供の頃は、親が唯一の信頼の対象なので親の世界観が子の世界観となります。そして、成長して・・・”力”を信頼する人は”力”を求め、”力”によってものごとをコントロールしようとします。”モノ”を信頼する人は”モノ”を求め、”モノ”によってものごとをコントロールしようとします。人を信頼する人はただ、”愛”を行うのみでものごとは自ら動きます。人を信じ
素直な心は、私たちと天をつなぎます。素直な心に従うことは天に向けて自分を開くことであり天と共に在ると言うことです。素直な心は、人の本性の顕れでもあります。人が、素直になれないのは欲や我から生じる恐れ即ち、自我が素直な心の顕れを邪魔するのです。人は、誰もが他人を思いやり、慈しみ人々の為に役立ちたいという思いを持っています。それが人の素直な心であり、本性なのです。その素直な心を"自分を守らなければならない・・・"と自我が嘘つきや、卑怯ものや、暴力的な思いに変心さ
恐れの心は、私たちを小さない檻に閉じ込め、萎縮させて力を奪います。恐れの心は"本当の自分より良く見せよう"とか"ダメな自分を隠したい"などの思いから生じます。他人と自分を比較して自分の価値を評価するいわゆる"自我"が恐れを生じさせています。そして、この恐れのしくみが人を支配し、コントロールし使役するために用いられます。私たちのほとんどは、知らず知らずのうちに自由を奪われてしまっています。恐れの心から自分を解放するためには自分のことを良く知らなければなりません。
健康な状態は心と身体、そして魂が調和した状態です。ストレスは、心だけでなく身体にも害を生じさせ不調和を生じさせます。身体は正しく用いないと病み病んだ身体では心も病みます。そして、欲や我に囚われた思いや言動は魂の求めるものとは違うので心と身体に不調和を生じます。私たちの身体は機械ではありません。心と魂のエネルギーの導きに従って身体は動き、機能しています。健康であるためには魂の求めるところに従い正しく心と身体を用いなければなりません。身体健やか、心康らかなるとこ
光には、明るさと暖かさが在ります。明るさは、物事を照らしその正体を明らかにします。明るさは、真理へと導きます。暖かさは、物事に熱を与えて命を育みます。暖かさは、全てのものを慈しむ愛の顕れです。私たちの誰もがこの光を心の中に持っています。この光の顕れを遮っているのは「欲」や「我」への囚われです。心の囚われが心を閉ざしてしまいます。心の底から湧き上がる素直な思いに従うことは心を開くことです。本当の自分を知り本当の自分の在り方を知ります。それは、光そのものの自分で
人の抱える問題の解決策はその人自身が持っています。人の思いによって結果が生じるからです。病気で悩む人は病気と親しんでいます。お金が無いと嘆く人は”自分にはお金が無い”と自分を定義してしまっています。友人や恋人がいない人は自分のことが好きではありません。また、他人を攻撃する人は自分の弱さを隠し、守ることに一生懸命です。抱えている問題を解決するためにはその人の意識を変える以外にありません。全ては、私たちの思い
”正しい”ことはためらうことなく、直ちに実行すれば良い。少しで、後ろめたいことがあれば立ち止まって、良く考えて正しい方向に修正しなければなりません。”正しい”ことは良い結果を生じ”悪いこと”は悪い結果を生じるからです。正しいこととは自分の内と外が調和することであり付和雷同したり、追従することではありません。夫々の人の思いや存在が大事にされ生かされていなければ調和は生まれないのです。調和することを思
”人生は一度きり”と思うのであれば好き勝手に生きれば良いのに人と比べて自分はどうだろうか・・とかこんな生き方でよいのだろうか・・などと自分の生き方を考え、悩みます。それは、私たちが”またの人生”が在ることを知っているからだろうと思います。人も他の動物も、植物も全ての命は循環しています。死は生の始まりであり生は死の始まりです。私たちの”今”はこの様な”命のめぐり”の一コマです。そして、人はこの”命のめぐり”の中で
誰かの為や、自分の為に何かをやろうとするとき”この程度で良いだろう・・”という思いと”ここまではやれるだろう‥”という思いの葛藤を経験します。”この程度でよいだろう‥”という自分は頭で考えて、理屈で動いています。”ここまではやれるだろう‥”という自分は本心に従って動いています。そして、理屈で動いた自分は決まって”あの時、もっとやっていれば・・”と後悔することになります。結果がどうというよりも全力を出さなかったこと
人生は常に変化し、流れています。”変わること”そのものが人生なのかもしれません。上手く行っていたのに・・ある日突然、病や事故、大事な人との別れなどと遭遇してしまいこれまでの人生は何だったのか・・と悲嘆にくれてしまいます。一方、苦労に苦労を重ねても・・上手く行っていなかったことが・・ある日突然それまでのことが嘘のように上手く回り始め有頂天になったりします。この様な”変わること”は私たちの人生を充実したものにするための
ものごとを上手く処理するためにはそのこと自体及びその周辺のことをよく知る必要があります。知らないで物事に当たることは暗闇で仕事をしているのと同じです。一般的には、私たちは、ものごとを好き嫌いや役立つか立たないかあるいは、関係あるか無いか・・などの心の反応と共に見ています。心の反応と共に見ていたのではものごとの真実が隠されてしまいます。先ず、そのような心の反応を脇において事実関係を客観的に見る心がけが必要です。そして、
”誠実である”ということは真実を語り、語ったことを実行することです。正直であるということでもあります。事実でないことを語ることは仮に、事実だと信じていたとしてもそのことに他のことも合わせなければならなくなるので矛盾が膨らみ、不調和を生じます。無いことを有るように有ることを無いように・・しなければならなくなります。誠実さは、特に大きな力を持っている者に求められます。その大きな”力”を無いものを有るように・・有るものを無
自然の美しさはその場所の地形、木々、草花等が調和していることの美しさです。周りと調和することでそれらの一つ一つの存在が美しく耀きますす。人も、他の人々や周りを大切にする人が美しく見えます。周りと調和している人は愛を顕す人です。愛を顕す人は、他の人の愛を引き出し自分の周りに愛の連鎖が生じることで全体が調和します。そして、一人一人が、それぞれの個性を顕し美しく耀きます。愛は、人の本性、真の力を引き出し人を美しく輝かせます。
世の中は、常に流れ変化しています。自分の身の周りでも”上手くいっているなア”と思っていたら急に、難問が振りかかって来たり”どうしようか・・”と途方にくれていても良い支援を得て、好転したりと・・様々なことが起こります。この様な変化のなかでも変わらないものがあります。それは、私たちが、そこに”生きている”ということです。どのような変化があったとしてもその真ん中で、私たちはそれぞれ生きています。その変化の中で、どのように自
今の私たちは今まで生きてきた自分の全てです。しかし、未来に向けては私たちは何ものにも縛られません。過去の辛かったこと悲しかった経験に囚われることは自分の”これから”を棄てているのと同じです。私たちがこれまでに経験したことはこれからを生きるための糧となるものです。辛く悲しい経験はそれらに耐え、乗り越える力を与えてくれました。人々と親しみ、楽しんだ経験は共に助け合い、分かち合うことの意味を教えてくれました。そして、成功した
”運がない・・”、”チャンスがない・・”などと嘆いている人は夢も希望も持っていない人です。自分の”やりたいこと・・”、”なりたいもの・・”を本気で実現しようと思っていないのです。”何をやり・・”、”何になる・?”かが明確になっていないと自分に必要なものが分かりません。自分の周りで起こることが単なる”出来事”に終わってしまっているのです。運の良い人・・、機会に恵まれる人は確かな夢、あるいは目標を持って行動しています。運やチャ
他人のことを心配することはその人の優しさや思いやりから出ている思いかもしれませんが心配される人にとっては少し迷惑なことです。他人の自分に対する思いも健康やものごとの成否に影響を与えるからです。病気になっていないだろうか・・失敗しないだろうか・・・などの思いは仮に、本人の中にもそのような思いがあった場合にはその思いが共鳴して悪い影響を強めてしまいます。他人のこと・・、家族のこと・・友人のこと・・など健康についてはお互
結果を求めることは自分が為したことに対する見返りを求めることです。勿論、何かを為す時には何がしかの成果を期待しますが・・見返りを求めていたらその時の”心”が失われます。何かを為すときに大事なことはその時の心です。目標、あるいは期待する成果を定めたら後は、それを求める心を大事にすれば良いのです。仮に結果が得られなかったとしたらその時の”心の在り方”と”方法”を正すように見直せば良いのです。結果を求めることは
私たちの住んでいる世界は常に、流れ、変化しています。したがって、”変わらないこと”を求めることはその流れに逆行することなので大きなストレスを生じさせます。ストレスなく生きるためには”世界は変わるものである”と認識し自分の周りで起こることを認め、受容れることが求められます。そして、その変化によって経験したことから、学びを得て自分の生き方、あるいは心の在り方を創り上げて行きます。私たちの身の周りで起こることは”必要、必然、
他人のことをあれこれと評価し批判する人たちは自分の内に、劣等感などのマイナスの思いがありその代償を求めています。自分を他と比較して・・勝っている・・、負けている・・などと考えて自分の価値を秤にかけているのです。そのような人は自分が描いた自分自身の価値を維持するために他人のダメなところを探して批判し、攻撃します。人生には、勝ちも負けもありません。誰もがそこに生きているだけで大きな意味があり大切な存在です。”その人で在る
”正しい”ということは誰にとっても”正しい”ことでなければならずしたがって、周りのものと調和するものでなければなりません。”誰かの為に・・”という考えに基づくことは”その他の者”には不都合となり軋轢が生じる可能性があります。家族の為・・、仲間の為・・会社の為・・・あるいは、社会の為・・、国の為・・などというものも、大小の差はあれ特定の範囲に限定しているので”正しいこと”であるとは限りません。”正しい”ということはより
他人への接し方はその人がこの世界でどのように生きようとしているかこの世界がどのような世界に観えているかの顕れです。”恐い世界”と考えていれば・・自分を守るために他人を受容れることはなく比較し、争い、奪い合う対象としています。そして、力を求め、力によって他人より優位に立とうとします。力を得られなかった人は誰かの力に依存しその力の陰に隠れて生きることになります。この世界を”自分の世界”と考えている人は
”自立する”ということは一人で生きるということでも経済的に自活する・・ということだけでは足りません。人は、誰も自分の思いに従って自由に生きることができます。ところが・・・自分と他を比較して・・あちらの方が良さそうだからとあちらへと・・とかあの有名な人がこのように言っているから・・私も・・となっていて自由な自分を他人に預けて生きている人が多くいます。それらの人々は自分が自由であること・・全てと繋がって生きて