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徳川家康には、十一人の男子がいました。長男信康1559/4/12〜1579/10/8享年21才織田信長の娘と結婚するも、信長の命令で切腹。次男秀康1574/3/1〜1607/6/2享年34才豊臣秀吉の人質、養子となる。関ケ原の戦いでは、会津の上杉景勝、水戸の佐竹義宣の南下を防いだ。初代福井藩67万石の藩主。長男の忠直は素行に問題があり、次男の忠昌に交代させられた。三男直政は出雲国松江藩主、五男直基は結城松平家、六男直良は播磨明石藩主になるなど、将軍家の兄の
図書館で最後に借りた本は?「捨て子童子松平忠輝」▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを只今進行中。途中何度かの中断があり2024年に突入していますが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」等の出来事>今まで見てきたように、次々と「豊臣大坂城」を包囲する城づくりとともに、豊臣方から攻められることも想定した防備の為のお城づくりも進み、その最大の防御となる城郭「名古屋城」は161
※「国史跡松代城跡」復元北不明門桝形と案内板…北不明門は本丸北側を守る表門と櫓門によって桝形を形成しています北不明門桝形も、平成16年(2014)当時の絵図に基づき、忠実に木造復元されています松代城2️⃣100名城No.26松代城には、今回初めて行きました。松代城は、平城に属しますが、「甲州流築城術」が随所に見られる「名城」です。明治期の廃城令により、建物は壊されてしまいましたが、櫓門などが木造復元され、在りし日の松代城の姿を取り戻しつつあ
浄安寺には、徳川家康の孫徳松丸の墓があります。徳松丸は、家康の六男松平忠輝の長男です。そして、松平忠輝の側室竹の局は徳松丸の母親です。徳松丸墓所竹の局墓所松平忠輝は伊達政宗の娘・五郎八姫を妻とし、とかく粗暴の振舞が多かったため、大御所家康や将軍秀忠の勘気に触れて、改易、蟄居を命じられた。忠輝は妻との間には子がなく、徳松丸は側室竹の局の子であったが、父の改易に伴い、母子は岩槻城主阿部重次に預けられた。寛永9年(1633年)4月13日、母の竹の局が亡くなり。同年5
1598年(慶長三年)、松平忠輝は、伊達政宗の娘、五郎姫と縁組を行った。徳川家康は、豊臣秀吉の死の当時、秀吉の遺言に背いて、諸大名と縁組を行っていた。石田三成等は、徳川家康を弾劾し、関ケ原の戦いへの布石になっている。松平忠輝は、1602年(慶長七年)、下総国佐倉五万石に加増移封され、元服して、上総介忠輝を名乗る。1605年(慶長十年)、松平忠輝は、上洛すると、従四位下・右近衛権少将に任じられる。前述の通り、同年、豊臣秀頼は、徳川秀忠との対面を拒否したため、松平忠輝が、新将軍
久見田喬二監督による日本の時代劇映画。出演は原健作、河部五郎、橘公子。第二話死の旋風谷底に突き落とされたかに見えた隠密木暮月之介は、何とか助かり、まぼろし一党が狙う神州山絵図を持つ桐作と脱出に成功するが、絵図を開く鍵を失ってしまう。その鍵を拾ったのは女飛脚のおすみだった。そして月之介を襲った松平の旧臣とは、お家再興を願い出るため江戸に派遣していた松平忠輝の家臣兵庫大八郎であった。松平忠輝は軍学指南の芦原忠蔵なる男と頻繁に会うようになっていた。この男は全国に散らばる徳川への不平分子を募
『北から南へ「天守」シリーズ』は、一応、北から始めて南まで辿ってきましたが、10城くらいが抜けていましたので、再度北から再度辿っています。本日第69回目となりますお城は、「長岡城」(新潟県長岡市大手通)跡とは全く違う場所(悠久山公園)に建てられたRC造り模擬「天守風建物」をお届けします。現在は「長岡市郷土史料館」(新潟県長岡市御山町)として使用されています。初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があ
松平忠輝は徳川家康の六男で、武蔵深谷1万石、下総佐倉4万石、信濃松代14万石と累進し、最終的には越後高田60万石の大大名となったが、大坂夏の陣の翌年に改易となり、伊勢朝熊に流され、ついで飛騨高山、最後は信濃諏訪で没した。92歳。墓は諏訪市諏訪2の貞松院にあるが、墓石は自然石を使用した簡素なもの。
遂に信濃乃旅路も最終回。続・高島城今回は高島城天守内へ。一階内部は完全な現代建築です。こちらは天明6年(1786年)の天守台補修時の再現模型。江戸から鳶職人を呼び寄せて行われた大工事でこの模型の様に丸太を組み、土台の下へ差し込んで梃子の原理で天守本体を持ち上げたそうです。その状態で石垣を崩し、新たに積み直した後、天守本体を下ろして元の位置へ戻すという工程だったそうです。江戸時代からこんな凄い工事が行われていたのかと感心。左上が明治4年の破却
今日は軽めにブログ更新です。「鮫ヶ尾城」から高田へ撤退します。殿軍を務めます今更の案内板「JR高田駅」まで退きます。「JR高田駅」雁木の街並み高田城は越後一国と長野県北部を領地とする高田藩の中枢で、石高は60万石(一説に75万石)を誇る全国でも屈指の雄藩でした。城下町には町家や雁木、寺町などの街並みが整えられ、江戸時代後期に『北越雪譜』を著した鈴木牧之は、高田を「ここは北越随一の市会なり。商工軒をならべ百物備ざることなし」とその繁栄ぶりを紹介していま
「御館」から「高田城」へ駒を進めます。「高田城」は続日本100名城にも指定されており、今は「高田城址公園」として整備されています。が、公園として整備されているのは「本丸」の西側と南側「二の丸」だけで、本丸内は「上越教育大学付属中学校」となっています。「高田城」は徳川家康の六男「松平忠輝」公の居城として築城され、その普請には「伊達政宗」公もかかわっています。その辺りは大河ドラマ「独眼竜政宗」にも描かれていたと思います。「高田城址公園」には「上越市歴史博物館」をはじめ、
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シリーズ』をお届けしようと思います。まずは「プロローグ」から。「天守」については、3年ほど前に、現存、復元、復興、模擬をグルー…ameblo.jpそして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)
続・スズメバチ狩り殺虫スプレー用意!ガスガン用意!電動ガン用意!いつでもこんかいコノヤロー…と、こちらが殺る気満々になると現れなという困った蜂野郎。…という事で試しにスズメバチトラップを作ってました。砂糖+酢+料理酒これでスズメバチが好む匂いが発生するらしい過度に期待はせず、とりあえずな感じで設置。あまり天気がよろしくなかった初日雨降りやがった二日目やはり収穫なしそして三日目。本日快晴なりおお!見事入ってるじゃありませんか(苦手な方もいると思うのでモザイク処理し
諏訪市の浄土宗「貞松院」へ徳川家ゆかりの品々が特別公開されたので、観に行って来ました浄土宗「貞松院」貞松院の中で展示されているお宝の写真撮影は出来ませんでした。沢山の松平忠輝ゆかりの品々を観れて良かったです
上越市にある高田城址公園の満開になった桜を鑑賞してきました。高田城址公園は、徳川家康の六男・松平忠輝公の居城として築城された高田城の跡に整備された公園だそうです。約50haの公園には、公園の周辺も含めて、約4000本のソメイヨシノがあるそうです。🌸🌸🌸去る29日(水)(観測史上最も早い)に満開になった桜が咲き誇っていて素晴らしかった。高田城址公園の桜は、日本三大夜桜のひとつとして名を馳せている。(他の三大夜桜:弘前公園と上野恩賜公園)◆高田城址公園の基本情
家康の血筋Amazon(アマゾン)1,980円長男・信康から六男・忠輝までの5人の短編集。父・家康に、反発・迎合・流される、様々な考え方の息子たちがその宿命とともに描かれています。信康・秀康・秀忠も面白かったですが、忠吉・忠輝といった兄の偏諱「忠」を贈られた二人の思いを描いた2編はよかったです(兄たちに比べページ数はやはり少なかったですが)。忠吉と忠輝は12歳離れているんですね。関ケ原の先陣を切り華々しい初陣を飾る一方で、島津の退き口での負傷が原因で短い人生を終える忠吉の若武者
【捨て童子・松平忠輝】講談社文庫【著】隆慶一郎徳川家康の第6子の物語。生まれてすぐ鬼っ子として家康に疎まれ、他家に預けられ育つ。幼少より異能を発揮し、年寄りには疎まれるが、若い者を惹きつける魅力を持つ者。松平を相続してなお異能と人を惹きつける魅力が増していく。本人は望まなくとも家康の子である以上、将軍の影はちらつき、人を惹きつける魅力があるためそれを望む者も現れる。現将軍である平凡な人、徳川秀忠はその魅力と異能を恐れ松平忠輝の暗殺に踏み切る。生まれながらにして数奇な運命を背負っ
徳川家康の六男松平忠輝公居城として築城された高田城大名の居城にも関わらず石垣ではなく土塁の堀しかし大名だけあってさすがに大規模現在は桜の名所de有名のようですちょうど桜シーズン訪問シーズン中は車乗入れ禁止地区が多いのでお気をつけ下さい
これで関東の話は最後にします。あんまり渋沢栄一に興味がないのですが、妙見信仰が金に絡むことは以前から思っていました。さくっと記録しておきます。東北といったら金の歴史になるね。たらふく資源が眠っているという意味で、資源は、財産になり、金儲けになる。■松平忠輝のこと深谷が金と関わると思ったのは、松平忠輝のこと。この方は、武蔵国深谷藩主でした。(榛沢郡:はんざわぐん)忠輝は1万石を深谷で有していたとされます。影を黄色にしてあげた。しっかり、徳川家の家紋だね。現
徳川無頼帳|365日時代劇だけを放送する唯一のチャンネル時代劇専門チャンネル世界的アクション俳優・千葉真一とスター街道を走り続ける西城秀樹の華麗なる共演によるアクション満載の傑作時代劇。西城秀樹扮する柳生十兵衛の決め台詞は「てめーら、雁首そろえて地獄へ行け!」。柳生十兵衛役といえば千葉真一というイメージが強いが、こ...www.jidaigeki.com
NHK第一AMラジオ。DJ日本史のコーナーです。
ということで、甲州街道(及び五街道)を歩ききった翌日=5月1日午前中のおまけ散歩の模様です。だいたいこんなコースだったよな、と思い出して描いたマップが↓。歩いた距離はだいたい6kmくらいだったんじゃないかと思います。泊まっていた上諏訪ステーションホテルを出発して上諏訪駅方向に向かいます。駅前にもちょっと良い感じの看板建築が残っていました。そこからほんの少し南に進むと諏訪1丁目交差点に差し掛かるので左折します。この交差点の向こうは前日の旅で看板建築の保存エリアみたいだった
新潟県上越市の春日山城のあとに訪れた今回の城は、同じく上越市の続100名城・高田城です高田城は徳川家康の六男で、やんちゃで有名な?松平忠輝の居城として築かれ、城の縄張りは忠輝の舅である、あの独眼竜・伊達政宗が担当したそうですこの城は江戸時代に築城された近世城郭にもかかわらず、石垣ではなく、すべての曲輪に土塁が使用されている珍しい城で、「大坂冬の陣」の直前だったので急造で築城された、とも考えられています。創藩当時の高田藩は、加賀前田藩や東北地方の外様大名への押さえとして重要な位置づけでしたが
こんにちは『徳川将軍家十五代のカルテ』という本を買ってみました。将軍ではないですが、高田城の元城主の松平忠輝公についても記載がありましたので、ご紹介します。松平忠輝公は徳川家康の六男。正室は伊達政宗の娘の五郎八姫。忠輝公は容貌醜く、聞かん坊で暴れん坊のため、家康に疎まれて家臣の家で育てられました。キリシタンを信仰していたとも言われていました。兄である秀忠に楯突いてばかりいたため、家康の亡き後、2代目将軍の秀忠に改易され処罰されて配流されました。飛騨高山から最終的に信濃諏訪に預
先日、いよいよあったかくなってきたからと、喜び勇んでTシャツのランキングを発表したら、ここ数日普通に寒くて、Tシャツどころか、ホット緑茶でかじかむ手を懸命に温めながらこのブログを書いてます(゚▽゚;)さて、2月に行われた合戦イベント、「道明寺・誉田の戦い」で部隊長となった武将たちの中で、現在、以下の2名について、2022年5月1日に必要石高の変更を予定しています。本日はその予告をさせて下さい。松平忠輝|本多忠政通例だと、だいたい4~5名くらいの武将が石高変更の対象となる
父親が2019年3月に亡くなって、間もなく丸3年。私の父は愛知県碧南市の生まれ。今回は父方の先祖の話である。父は、元は松山姓だったのだが、結婚で婿養子に入り杉浦姓となった。私の父方の先祖を辿って行くと、「初代」は、松山忠太夫政行と言い、享保7年(西暦1722年)に70歳で没している。因みに現在、松山本家は第11代で、8代目の時に分家したのが私の曽祖父(松山儀兵衛)。実は、初代の松山政行の遺言書が本家に残されており、そこに『子孫か
先週水曜日に陣触れした合戦イベント「道明寺・誉田の戦い」。通常、合戦イベントはスケジュールが最初に発表となることが多いんですが、今回は先に両軍の部隊長を発表しちゃいます(」゚ロ゚)」史実での本合戦では、明確に総大将と呼べる存在はいません。大坂方は、緒戦では後藤又兵衛が、後半は真田信繁が主力となって戦いました。徳川方は、家康の子だけあって、松平忠輝が名目上は大和口の方面軍を率いたわけですが、実際に主導的な役割を果たしたのは、忠輝を後見した伊達政宗です。以上をふまえ、今回の合戦イベ
グリム〔ヤーコブ〕グリム〔ヤーコブ〕(1785年1月4日~1863年9月20日・ドイツ)<童話集成家、言語学者>弟のヴィルヘルムと共にドイツの民話や童話を数多く収集しました。その成果は「グリム兄弟童話」として今も世界中で読み継がれています。ドイツ語辞典を編纂するなど、言語学者としても優れた実績を残しました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のお
大坂城の豊臣氏の処置を決め太平の世を確定させに掛かる家康さん、コンプレックス(?)からか父、兄を困らせ、周囲に利用されがちな松平忠輝と高田城(行ったのはもう5年も前)、ここで山岡荘八さんの出身地は新潟県小出町。高田城から近い?土地勘ないので分かりませんが、この時の高田藩63万石に含まれていた土地柄で思い入れが強いのかも家康さんの真意を酌み、影の動きをする柳生宗矩、真意を酌めずに翻弄される片桐且元、そして動き出す真田幸村、その出九度山を阻もうとしつつも苦悩する松倉豊後、、