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令和4年2月18日(金)晴れ先日、かほく市の広報が来たので見ていると、その中で、「かほく市の文化財人物編」として世界三大陸を飛行機で横断をした東善作の事が書かれているのである。この方は、旧高松町の出身の方で、大正5年にアメリカに渡り、大陸横断の費用を捻出するために雑炊のようなお店を始め、貯めた費用で世界三大陸の横断をやり成功させた方なのである。市では東善作のアメリカでの雑炊にちなみ町おこししの一つとしで市内の各店で各店が工夫を凝らした雑炊を提供をしていて、その一つの店が私の向かいのお店で、お
前回の続き即生寺の後、中沼のあたりに来ると東善作の生家があるのである。この東善作の事は以前記事にしたことがあったのだが、その記事は今は見れないので今一度書いて見たが、この東善作は明治26年東長松の次男として生まれ、苦学をして新聞記者となり、その頃にアート・スミスの曲芸飛行を取材したことから飛行家を目指し、1916年(大正5年)に渡米をし学費を稼ぐのにチャプスイ(雑炊のような物)を営みながらアメリカの飛行学校を卒業をしたのである。1923年(大正12年)の関東大震災の時は、ロスアンゼルス上空から
平成30年6月19日(火)晴れ昨日、新聞を見ていると以前「東善作」で記事にした事が有る紙飛行機大会の事が載っていた。この紙飛行機大会、私の住むかほく市の出身者である東善作と言う方が1930(昭和5)年に東京号と言う飛行機で日本人として初の世界三大陸の単独飛行をした事を記念して紙飛行機大会が行われているのだが、記事を見るともう24回にもなる様だ。初めの頃はただ紙飛行機を飛ばしていただけだったが、今は11月に岐阜県で行われる全日本紙飛行機選手権の予選会にもなっているようだ。また善作はアメリカに