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大晦日なのでこの1年間、このブログで扱ったテーマを振り返ってみよう。まず、琉球に伝わった日本武術、とりわけ石垣島に現存している示現流剣術、日置流弓術、鎌倉流や新当流の馬術の伝書を紹介した。こうした日本武術は17世紀から、あるいは早ければ薩摩侵攻以前の16世紀から琉球に伝来していた。また昨年末からであるが、本部御殿手とも関係のある「取手」がかつては天流にあった話を紹介した。天流は「阿嘉直識遺言書」にも言及があるように、17世紀には琉球に伝来していた。次に読谷山御殿から伝わった「長
来年は宗家(本部朝正)が2003年に上原清吉から本部御殿手宗家を継承して20周年になる。この機会に、宗家継承の経緯について改めて述べておこうと思う。「達人が伝えた武の遺産、ふたたび本部家へ」『月刊秘伝』2004年7月号。もともと本部御殿手は御主加那志前の武芸(ウシュガナシメーヌブジー)と呼ばれていた。「琉球国王の武術」という意味である。また戦手(イクサディー)とも呼ばれていた。本部御殿手は取手(投げ技・関節技)がクローズアップされがちだが、主眼は武器術、しかも刀や槍といった戦場
沖縄滞在中、普段からお世話になっている仲本守先生の文武館と比嘉清彦先生の武芸館を表敬訪問した。文武館は平日の夜にもかかわらず、多数のお弟子さんたちが稽古で汗を流していた。やはりいつもお世話になっている文武館の喜屋武盛和先生、それから武芸館の比嘉清智先生もお見えになっていた。お三人は同級生である。守先生の尊父の仲本政博先生は名嘉真朝増先生を通じて本部朝基の系統も受け継いでおられるということで、写真を飾っていただいていた。守先生から「資料館も見学しますか」と言われて、何のこ
TranslatedbyMotobuNaokiOriginaltitle:Chōsei,eldestsonofMotobuSārū,trainstosucceed"Udundī"OkinawaTimes,August29,1978MotobuChōsei,53,anosteopathinHori2-22,KaizukaCity,OsakaPrefecture,theeldestson(Note1)ofthe
うちのチビ①さんは明日から学校です約半年ぶりの学校!!おやすみした1時間くらい後にトイレに起きてきた気配がしたので行ってみると、なんかドキドキして眠れない〜なんて言ってましたなんとなくわかるわ〜。母もちょいドキドキwでも寝てさて、夏の間のお話です。サマーキャンプのかわりというか何というか、ちょうどお友だちから招待してもらった習い事があったので参加してみることにしました。KARATEです日本人が海外で空手を習うってちょっとシュールな気がしない?笑エドモントンでもちょこちょこ空
2月3日、日本武道館で開催された第42回日本古武道演武大会に、本部御殿手として出場した。演武種目は、刀、長刀、素手、櫂、棒の相対動作など。本部御殿手は琉球王族の武術なので、刀剣類も使用する。今年から東京五輪に向けて武道館を改修するとのことで、今回は改修前の演武大会となった。また、前日には日本古武道協会40周年記念式典も開催され、招待されて出席してきた。前回の30周年記念式典のときも出席したが、今回は高円宮妃殿下のご臨席を賜り、大変格調高い式典であった。
琉球舞踊はかつては御冠船踊(ウカシンウドゥイ)と呼ばれて、冊封使節をもてなすためのものだった。それを庶民が見ることはなかったし、下級士族でも習うことは難しかった。御前風(ぐじんふう)と呼ばれる国王の前でしか演じられない舞踊もあった。琉球舞踊も空手同様、秘密主義的だった。ところが廃藩置県で、琉球舞踊は失伝の危機に瀕する。もう冊封使は訪れないし、国王一家は東京に移住を命じられてしまった。そこで、生活のために、かつて御冠船踊を習った上級士族の数名が那覇の芝居小屋で子供達に踊りや組踊を教えはじめた
先週末、国立台北芸術大学で開催されたシンポジウム「2018東亞大眾戲劇國際學術研討會:流行的生成與變動」に参加してきた。筆者の発表は、ワークショップ「武術と舞踊—琉球王朝と大衆娯楽市場を繋ぐもの—」と題されたもので、29日と30日の2日にわたって行われた。もともと琉球舞踊は、御冠船踊と呼ばれて冊封船(御冠船)に乗って来琉してくる冊封使節をもてなすためのものである。その担い手は御殿殿内と呼ばれた上級士族が中心だった。ところが、この御冠船踊は廃藩とともに失伝の危機に陥る。かつての上級士族は、
先週から今週にかけて約1週間、カナダ支部、無門館道場のピーター・コボス師範が生徒たちと来阪し、一緒に稽古した。コボス師範は本部宗家の2005年のアメリカセミナーに参加して以来、本部流を13年間学んでいる。それ以来、毎年のように宗家をカナダに招待してセミナーを開催したり、また自ら日本を訪問して熱心に本部流を修業している。その功績を讃え、外国人としては最高位となる、本部拳法の六段が宗家より授与された。この日曜日、稽古の合間に貝塚市の二色浜海水浴場でバーベキューを行い、あわせて「ス
前回から。今回の写真は慣れないカメラの下手ッピ画像でして、お見苦しい事に。相対動作最後は舞踊。浜千鳥という曲です。御殿手では浜千鳥の動きがそのまま取手(とりて)という関節技に繋がります。他の武術でも踊りが関係している所がありますよね。子供達にまだまだ取手は無理なので、踊りの内容だけです。全員で終了の礼お疲れ様でした!全然余裕って感じだね(о´∀`о)さて次は市川道場の子供達。自分達よりも大きな先生に立ち向かいます。合戦棒の型実戦手(じっせんて)蹴りの型ダイナミッ
弥生3月、皆さんお変わりありませんか?ブログ休止宣言から2週間でブログを書くという、この変身ぶりに呆れないでください。これからは単発的に月1~2くらいの頻度でブログを書きたいと思っています。先週、本部宗家が沖縄空手会館の落成式典に出席した様子が公式ブログで紹介されました。この記事の3枚目の写真に展示されている鎌とウェークは上原先生手作りのものですね。見て直ぐにわかります。鎌の下にある鉄下駄は朝基先生も使われていたということですが上原先生も朝勇先生から頂いた鉄下駄を履いておられたと
3月4日土曜日に開催された沖縄空手会館の落成式典に招待されたので、宗家とともに出席してきた。式典は琉球舞踊「かぎやで風」から始まった。そのあと、政治家、空手関係者の挨拶が続き、後半は沖縄の空手家による演武が披露された。落成式典の前日、沖縄空手会館のスタッフのご配慮で、特別に開館前の展示室を見学することができた。本部朝基が使用した鉄下駄やチーシ、また筆者が寄贈した雑誌『キング』(大正14年9月号)も展示されていた。これらについてはまた後日、解説の記事を書きたいと思う。