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前回の記事で宝来山神社さんの神宮寺である神願寺さん(こちら参照)は残念ながらお詣りできなかったと記した〝火打石〟ですが、写真を整理していたら、間抜けなことに神願寺さんをお詣りしていたことが判明。宝来山神社さんの御住所はかつらぎ町大字萩原56、神願寺さんはかつらぎ町萩原55…宝来神社さんをお詣りした折、お隣のお寺さんもお詣りしたのですが、そちらが神願寺さんだったという次第。寺号標をカメラに収めたのに…「延命院」の表札?
【中大兄の殺戮の先にある天皇家の安定政権】中大兄の殺戮のうち、蘇我倉山田麻呂事件、有間皇子事件の密告者は蘇我氏系だった。言うまでもなく乙巳の変で中大兄は蘇我氏本宗家を滅ぼした。この時も蘇我倉山田麻呂を味方につけている。蘇我氏の内部分裂を利用して乙巳の変を起こし、弱体化した蘇我氏残党を配下に入れて次々と政敵を倒していく構図が見えてくる。天武天皇は八色の姓を制定したが、最上位の「真人」を側近13氏で固めて、次位の「朝臣」に蘇我氏の血脈に近い氏族の多くを配当している。依然として強
【中大兄による殺戮の共通点】中大兄の殺害というテーマで、古人大兄殺害、蘇我山田石川麻呂殺害、有間皇子殺害を取り上げて、共通点として、謀反をそそのかして→多少なりとも同意の意思を示すと→中大兄側に密告し→中大兄側は逮捕して→死罪にするか攻撃して殺害する状況を見てきた。さらにもう一つの共通点は、密告者がその後立身出世を果たしていることも付け加えることができる。【大津皇子刑死事件】『日本書紀』では、中大兄の死後においても同様な殺害事件がおきている。天武崩御後にすぐに起きた大
【皇位継承の競合相手を殺害】大化改新で蘇我氏本宗家を滅亡させた中大兄は次々と有力者を殺害する。古人大兄→蘇我倉山田石川麻呂→有間皇子が刃の犠牲になった。古人大兄は蘇我馬子の息女を母とする舒明天皇の皇子、蘇我倉山田石川麻呂は蘇我倉麻呂(父は馬子)の息子、有間皇子は孝徳天皇の皇子である。乙巳の変で最大の勢力をもつ蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした中大兄は、蘇我氏残党の一掃を図る。舒明=息長氏に嫁いだ馬子の娘法提郎媛を母にもつ古人大兄と入鹿の従兄弟にあたる蘇我倉山田石川麻呂を葬り去ること
【生まれながらに身の危険を感じていた皇子】有間皇子は孝徳天皇の皇子。母は阿倍倉梯内麻呂左大臣の息女小足媛。日本書紀の初出は、「(斉明三年)九月、有間皇子、生まれつき聡明で、(身の危険を感じて)狂人の真似をしていた。云々。牟婁温湯に行き、病気の療養のふりをした。国の体制をほめて牟婁温湯に少し滞在しただけで病気が治ったといった。云々。天皇、それを聞いて悅び、自分も言ってみたいと思った。」父親の孝徳天皇が中大兄らに見捨てられて失意のうちに崩御したため、息子である有間皇子は、生
使っている枕にはずーっと不満を持っていた。朝起きると肩はガチガチ…腰は痛い。睡眠で疲れを取るはずが、これではまったく逆の結果ではないか。勘弁してくれ。1日のスタートは気持ち良く切りたいのだ。原因は枕だ!毎晩タオルなどで高さを色々と調節してみてもどうもしっくり来ず、夜中に何度も目が覚める事もしばしば。質の良い睡眠が取れないので寝起きはいつもボ~ッとしていた。そんな枕難民の私の目に飛び込んで来たニトリの横向き寝用枕のCM。これだ〜
天皇と皇室の歴史を知ると、皇統に生まれたがために悲劇に見舞われた皇子が何人もいます。その中でも有名な皇子の一人が有間皇子です。大化の改新の後は、中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人皇子(後の天武天皇)の活躍が目立つ時代となっていきますが、その時代に惜しまれ語り継がれたのが孝徳天皇の皇子、有間皇子でした。孝徳天皇の宮、難波宮跡↓大阪歴史博物館から見える難波宮跡公園『すめらぎのお話・・・乙巳の変、誰もが教科書で最初に習う大事件』歴史をきちんと学びだす中学生の時、最初の印象的な事件
少し間が空いてしまいましたが、和歌山パンダ旅行3日目です宿泊した白良荘グランドホテルにて、朝食からスタートこの日は完食(笑)朝からいっぱい食べました(^O^;)前日の朝食で出た蜜柑鍋を期待していたのですが、違う鍋でしたまあ、こちらはこちらでおいしかったのですが…。蜜柑鍋、また食べたいな食後は少し白浜散歩白良浜って、本当に「白い良い浜」なんだな〜と実感動画も撮ってみましたご近所散策マップみたいな感じの地図で、ホテルのすぐ近くに気になるものを発見。「ホンカクジヒガイのモニュメン
みんなの回答を見るいつもなら、有間皇子のご命日を静かに偲ぶのですが昨夜9時前に、小一時間仮眠とろうと横になり、そのまま熟睡朝まで起きることなく…朝起きてみれば、チケット全敗↓1公演13枚×8公演の狭き門でしたがこれは、いけない。今日の21時からのS席争奪戦に参戦中ですとはいっても、こちらも先着から抽選に変更となったのでもはや、当選連絡を待つだけの身今日は池袋AK帰りがけ、東武百貨店で今日のおやつ
「人生」そこそこ(145)★トマト君遠ざからないで!どんどん値上がりするトマト原因は当然需要に対して供給が追いついていないからでしょう。しかし天候不順は聞かないし、生産農家が減った?流通がとどこおっている?トマト病でも流行?わからん◆有間皇子の変有間皇子は捕えられて、牟婁にひきたてられていった。○護送中皇子は二種の歌を歌っている。これらの歌を見ると,皇子は密かに許されることを期待していたように思われる。○しかし行宮では,中大兄皇子のもとに謀反の罪が宣告された。そして飛鳥の都へ
「人生」ハッピー?(144)★日本シリーズもワールドシリーズも白熱した展開である。選手は一回り大きくなるのだろう。◆有間皇子の変斉明が紀温湯に出かけた。その時飛鳥の留守官には蘇我赤兄が任じられた。○十一月三日赤兄は有間皇子に心を打ち明け斉明朝の朝廷を批判して”天皇の治(し)らす政事、三つの失(あやまち)有り。大きに倉庫を起てて、民財を積み聚(あつ)むること一つ。長く渠水(みぞ)を穿(ほ)りて、公粮(ひとのくらいもの)を損し費やすこと二つ、舟に石を載みて、運び積みて、丘にすること三つ。
「人生」論づる?(143)★マウスを新しく購入しかし梱包を解いても、説明書が存在しない。年寄りには紙のラブレタ~が必要。試行錯誤しマウスの裏に貼り付けてあるQRコ~ドを読み取り、使用方法を発見した。勘弁してっよ~~でっす。返品寸前だった。◆有間皇子の変孝徳天皇の皇子で母は大化の改新の左大臣阿部麻呂の娘、小足媛(おたらしひめ)であった。○「紀」には斉明三年(657年)有間の18歳の時”有間皇子性(ひととなり)黠(さと)くして陽狂(ようきょう)すと”といい湯治をよそおって、紀伊の
あなたが一番好きな木は?そりゃーアナタ、トドマツ。名前は、アイヌ語から来ているという話デス。まーっすぐに、美しい石灰色の膚の幹を天高く伸ばし、環境に合わせ螺旋形に深緑色の針葉をびっしりとつけた枝を差し伸べる。その針葉は冬になっても色あせず一つとして落とすことはない。こっちは冬になると草木は冬眠するんですよ、たいてい。常緑樹があるとどんなに心なごむことか。彼らはモミ属、クリスマスツリーのモミの木のご親戚です。家の近くに立っているトドマツ(真ん中)。隣のカ
さてさて………………【藤白神社】を出発した我々は、阪和自動車道の高架をくぐり抜け、約100m……徒歩5分程でその目的地に到着した……………その場所は、熊野参詣道紀伊路の【藤白坂】にある。その【藤白坂】は、『悲劇の皇子』として知られる有間皇子(ありまのみこ)が、処刑されたと伝わる場所おお〜〜〜〜っここか〜〜〜っ【有間皇子墓】和歌山県海南市なんか地元の方々に大切にされていることが、自然と伝わる。有間皇子は、孝徳天皇の皇子で中大兄皇子のライバル的な存在であった。『急遽和歌山ツアー
さてさて………………【藤白神社(ふじしろじんじゃ)】和歌山県海南市藤白466【社務所】にて、預けていた御朱印帳を取りに再び立ち寄った……………職場に『鈴木さん』が居てるので、お土産に「鈴木家御守」を購入することを決めるも、色に悩むココロどっちがいいかなあおっ小野田さんだ【藤白神社】の氏子だったという【小野田寛郎(おのだひろお)】1992年〜2014年日本の陸軍軍人。和歌山県海草郡亀川村(現:海南市)に生まれる。情報将校とし、第二次世界大戦に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、
さてさて………………【藤白神社(ふじしろじんじゃ)】和歌山県海南市藤白466後鳥羽院の建仁元年(1201年)の熊野詣の際には、藤白の次の宿泊地であった湯浅で歌会が催され、その歌会で詠まれた歌が藤白王子に献納されている。この時の後鳥羽院らの詠歌が熊野懐紙として3通が残されており、【陽明文庫】などに所蔵されている。【旧社務所・茶屋跡】【拝殿】【社務所】鈴木さんご署名所今日はどちらから来られましたか我々の中には、残念ながら鈴木さんは居りません御朱印帳を【社務所】にお預けして……
この日のお宿は千畳敷のすぐ近くにあるSHIRAHAMAKEYTERRACE。以前はホテルシーモアという名前でした。海中展望塔コーラルプリンセスで人気を博したホテルです。しかし老朽化には勝てず、2018年に全面的に改装し、SHIRAHAMAKEYTERRACEとしてリニューアルオープンしました。リゾートホテルのKEYTERRACEにコンドミニアムスタイルのKEI1、KEY2の三棟からなる、総部屋数160室という巨大ホテル。僕たちは少し早めに到着しましたが、既に駐車場は満車。
南紀白浜の魅力は何と言っても温泉。明日は、温泉に感謝する献湯祭が行われます。初めに、南紀白浜の温泉を広めた有間皇子の記念式典を行い、その後、白浜町と、源泉を持つ温泉会社8社が、一番湯を入れた角樽を担いで山神社に合祀されている温泉神社(正式名湯之宮神社)まで列を作って歩きます。今回は、温泉神社までの行列に、奈良王朝時代の衣装を纏った女性達も加わる予定です。賑やかになりますね。心配は、天気だけです。写真は、コロナ前の2019年に行われた献湯祭で
年号『令和』の考案者の大阪女子大の中西進教授(93)が1986年に「辞世のことば」(中公新書)を著した。曰く”有間皇子から三島由紀夫まで、末期の感懐を詩歌に託す伝統”として書いているのだ。【中西進教授と彼の著書”辞世のことば”】そして当方は、偶々最近になってこの著書を読んだのだが、昭和45年11月25日、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室前のバルコニーで自刃前の最期の演説をした際のことに就いて中西曰く、『半ば彼は本気
永岡アナ!御園座で純烈さんと関わるんですね。新メンバーにはなれなかったけど、縁って凄いものです。CBC・永岡歩アナ新メンバーには“不合格”も、純烈の御園座公演に出演決定!「武者震いしている」(スポニチアネックス)-Yahoo!ニュース名古屋の放送局CBCの永岡歩アナウンサー(38)が12日、中継リポーターを務める同局「チャント!」内で、純烈の名古屋・御園座公演への出演が決まったことを発表した。news.yahoo.co.jp行かれる方、楽しんできてくださ
歴史作家『関裕二』先生の奈良ツアー🙏大和路仏像ミステリー🙏4/14(金)〜4/16(日)本日は修学旅行の定番のこちらの寺院をご紹介します♬☆南門『薬師寺』法相宗寺院ご本尊薬師三尊像(国宝)創建天武天皇9年(680)開基天武天皇(勅願)天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して創建され、天平時代には南都7大寺の一つに数えられました。☆中門おそらく修学旅行で訪れており約35年ぶり✨先代の副住職さん(たぶん)から面白い法話を聴いておりますね☆おぼろげですが。。
白浜満喫旅2日目の朝6時過ぎのお部屋からの景色旅行中は頑張って早起きします今日からは晴れの予報いい眺めです朝食はビュッフェなので、朝イチで並びに行きますよしかし7時オープンのところ、その15分前に行ってみると、すでに10組ほど待っているという・・みんな早いだけど座席は早い者順で好きに選べるのかと思ったら、どうやらスタッフの方で適当に割り振っていくようで、好き勝手には座れないようですですが、運良く窓際の端っこのテーブルに割り振られました何十
南紀白浜マリオットホテルに念願の初宿泊しました3月の上旬です扉が好きな感じです明るく開放的なラウンジお部屋は10階ビューバスのお部屋にアップグレードしていただきましたまたもやブランケットをリクエストしていますキレイ〜早く入りたいお部屋のなかのお風呂も豪華ですスキンケアセットはドクターシーラボチョコレートもありがとうございますせっかくなのですぐ真下に見える白良浜へ行ってみますおおお広いし白い〜後ろに宿泊しているお部屋が見えますリゾート感すご
しばらくブログを書くこともなかったのですが今日は(ぎりぎり11月11日)有間皇子の御命日というので別宮貞雄作「有間皇子」を聴いておりました福田恒存作の戯曲「有間皇子」を原作にしており会話がレチタティーヴォというのか語るように歌われているので非常に解り難く(失礼・・・・)同封されている台本の解説書と首っ引きでようやく最後まで聴くことができましたでも岩代の場面の間人と有間の歌は素晴らしかった・・・昨年より体調を崩して遠出が難しくなりました順調に回復しているの
#時間が戻るならこの時に戻りたいなんですって!純烈さんが7人勢ぞろい!?うわ~ん凄く良い写真!!友井氏も、林田氏も来た!純烈、大阪公演で奇跡の“同窓会”新旧7人勢ぞろいにファン歓喜「泣きました」(スポニチアネックス)-Yahoo!ニュース純烈のリーダー酒井一圭(47)が自身のSNSやYouTubeチャンネルを更新。9日に大阪・サンケイホールブリーゼで開催したメンバー・小田井涼平の卒業コンサート昼公演で、新旧の純烈メンバーが勢揃いしnews.yahoo.co.j
GOTOキャンペーンを使っていった和歌山もう、2年前のことになります毎年、11月11日は有間皇子を偲ぶ日奈良薬師寺に国宝東院堂がありますご本尊は国宝聖観世音菩薩像白鳳時代に造られたこの仏像は日本一美しい姿の観音さまといわれその顔は有間皇子を模したものといわれています
すっかり秋でSNOW(・∀・)←また出た変な日本語🤣それは置いといて(置いとくの?)本日の朝から晩酌の肴はAEONで調達←ちょうど今日の目的地①と目的地②の間にあったのででも泡の出るやつはCGCなんだけどねなかなかのボリューム♩付け合わせに焼売が入ってるんだけどさらに焼売追い焼売は美味し美味い←毎度お馴染み寒い親爺ギャグで冬将軍を招聘する作戦🥶さてさて越後長岡の酒吉乃川いい色でSNOW(・∀・)酒の肴は牛すじ煮込み最近のレトルトはパックのままチン!出来るのは便利💮なん
今日湯沢に現金書留朝一で送りました!良い席とれますように・・・・お題は「わたしの歴代の推し」歴史上の人物で考えてみますまず、子供のころ憧れたのは牛若丸絵本にあった牛若丸が凛々しくて美しかったからそして小学校で森蘭丸地元の歴史に目覚めてからは上杉謙信公、上杉鷹山公今は殆どの学校に対で肖像画がありますが、うちの小学校にはまだ飾られてなくて、余所の学校に行った時、そこにはあったので羨ましかったなぁ。高校では有間皇子きっかけはいわさきち
まだまだ油断のならない状況だとは思いますが、コロナもここ最近は小康状態が見られ、皆さんのブログからも、お出かけのご様子を拝見させて頂くことが多くなりました。おうちにいながらにして、素敵な風景のお写真やエッセイを楽しませて頂いてます。ありがとうございます。ところで、そんな旅行気分に少なからぬ影響を与えてくれる観光ポスターにも、幾ばくかの変遷が見られるようで・・。例えばフランス。「鉄板」のエッフェル塔は別格として、ここ近年は、海上のピラミッドと見紛う奇観モン・サン・ミッシェルや、レオナルド
EF58(ゴハチ)にのめり込み始めた頃、原形大窓機は61号機のほかは66号機しか残っていないという末期的状況であった。その66号機は竜華機関区に配置され紀勢本線電化区間で運用されていたが、悪名高いシールドビーム2灯(ブタ鼻)の改造がなされていた。それでも最後に残ったブルーのゴハチただ1両の大窓機。僕は66号機を目当てに関西方面に出かけた。1981年の4月のことである。ちょっと変わった旅程だった。14系座席車で組成された臨時銀河で大阪に着くとそのまま駅にとどまり、終日東京ではお目にかかれない宮原