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世界中で翻訳映像が話題に!https://johosokuhou.com/2023/02/25/65608/https://news.yahoo.co.jp/articles/d2d505db87f5f11b1716604bef90c4a3e7e032a3「曲学阿世」が今話題になっている引用「曲学阿世」の「曲学」とは、「真理をねじ曲げた学問」のこと。「阿世」とは、「世の中に媚びへつら
見てるこちらが恥ずかしいわこの○害っ!!世界の笑い者めー
♥️💫🌸✨♥️💫🌸✨♥️💫🌸✨♥️♥️💫福島雅典京都大学名誉教授2022/11/27TotulNewsWorld(時事ニュースと話題)【再生回数200万回:動画】福島雅典京都大学名誉教授「科学と医学を徹底的に無視して無茶苦茶だ。今、打ってない人がかかってるんじゃない、打った人がうつしあってるんだ!」/ネット、医師、著名人も声をあげる福島雅典、京都大学名誉教授「無能学者は、曲学阿世の徒だ」ワクチン接種後に、神経器官系と心臓の障害で亡くなっている。無能な学者、御用学者とさえも
今日は何の日サンフランシスコ平和条約発行記念日(1952)1951年9月8日連合軍と日本との間「対日平和条約」調印。翌4月28日効力発生日本の主権が回復。この条約に反対したのが、ソ連と東ヨーロッパの二、三か国。また日本においても社会党、共産党が条約に署名せず。南原繁東京大学総長全面講和主張。東大総長の主張に吉田茂総理「曲学阿世の徒」と評する。
「彼らの異常さには、幾度となく異議が出てきた」それが世論として広がらなかったのは、ここで言う「彼ら」とは、戦後レジームそのものの、オールドメディアが含まれるからです。「軍事目的の研究を行わない」などとした過去2回の声明を「継承する」2017年4月14日に開催された日本学術会議の総会では、先に発表されていた検討委員会の異常な「声名案」に対する総会での議論や採決もなく、「報告」との形式で、そのまま「決定」してしまった。そのやり方は、まるで共産党的なトップダウン形式であり、多様な意見を丁
戦後まもなく、平和問題談話会という組織がありました。平和問題談話会-Wikipediaja.m.wikipedia.org(へいわもんだいだんわかい)とは、日本の市民団体である(ウィキ)。結成のきっかけとなったのは「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、ユネスコの八人の社会科学者によってなされた声明」であり、これに示唆を受けた約50名の学者が『戦争と平和に関する日本の科学者の声明』の発表を経て、49年に東京平和問題談話会および京都平和問題談話会を組織した。***************
日本学術会議は伏魔殿こんな組織に税金を使うな。学問の自由とは全く関係ありません。https://www.tokyo-np.co.jp/article/59214学術会議の梶田会長、6候補の任命を再要求首相への批判続出「会議の独立性侵害」:東京新聞TOKYOWeb日本学術会議の梶田隆章会長は2日午前、同会議の新会員候補6人の任命を見送った菅義偉首相の対応に関し、理由の明確化と、改めて6人を任命す...www.tokyo-np.co.jp■東京大社会科学研究所教授の宇野重規(しげき)
駒沢大学名誉教授、西修氏先月31日、衆院憲法審査会で、9月の同会委員による欧州視察に関する報告が行われる予定だったが、結局、開かれなかった。憲法審査会の設置が決まってから12年余、実質審議がほとんどなされていない。憲法改正は、主権を有する国民がみずからの意思を表明することができる最大の場である。その機会を妨げている政党、議員は、果たして、「国民の厳粛な信託」(憲法前文)に応えているといえるのか。≪国際社会の常識と隔たる≫ところで、このたび私は本欄および雑誌『正論』に寄稿してき
「目からウロコの日本語」-村石利夫●曲学阿世(きょくがくあせい)✪出典は『史記』。「阿」はおもねる。へつらう。学説や真理を曲げて時代の風潮や権力におもねり、世間の人びとに気に入られるような説を唱えること。「曲学阿世の徒」と用いる。戦後、連合国と日本が全面講和か単独講和かで揺れていたとき、当時の吉田茂首相は、全面講和を主張する南原繁東大総長を「曲学阿世」と非難し、この言葉は一躍有名になった。
はい、敵です。日本の言論自由空間を悪用する反日雑魚は日本から出て行け。発起人代表のこのおっさん、確か、朝鮮人応募工の嘘を焚き付けた曲学阿世の徒ですよね。東大名誉教授和田春樹www半島から賄賂ゲットしたから腰上げたんでしょうね~。
竹中平蔵は、我々理系の研究をやっていた人間からすると、「学者の名前を騙った商売人」です。存在そのものが迷惑です。
■「ものの現実(リアリティ)が見える人」吉田政治の最大の焦点は、1948年から1954年まで続く吉田内閣期(第二次~第五次)、とりわけ、「軽武装・経済優先」路線が選択されていく、日本の講和・独立期にある。ここで吉田は、西側自由主義陣営の一員になるという基本戦略を堅持しつつ、アメリカの要求する軍備拡大路線には意外な抵抗力を発揮する一方で、全面講和要求を無視して単独(多数)講和・米軍駐留容認路線を推進した。それらは確かに、「ワンマン宰相」吉田の強力なリーダーシップに負うところが大き
今回も荒井一博さんがお書きになられた「自由だけではなぜいけないのか」という著作から「新自由主義が日本を劣化させた」と題する章を取り上げて引用し、これと関連して中野剛志さんと藤井聡さんによる考察をご案内申し上げたいと思います。─今日の日本経済の低迷に対しては、一部の経済学者にも重大な責任があります。新自由主義・市場(原理)主義のような問題のある経済学に依拠して誤った経済政策を推進した責任です。名の知れた何人かの経済学者が加担しました。彼らは、重要な政策ブレインとして政策を提案したり、審議会の委