ブログ記事59件
『早稲田大学オープンカレッジ春期申込み講座全部当選:❗』『早稲田大学オープンカレッジ春期パンフ到着❗』早稲田大学オープンカレッジ4月開講春講座のパンフが送られて来ました❗。同校には、昨年の7月開講夏講…ameblo.jp『平松洋先生「印象派展で辿る画家たちの真実」第1回❗』2月28日の記事『早稲田大学オープンカレッジ春期申込み講座全部当選:❗』『早稲田大学オープンカレッジ春期パンフ到着❗』早稲田大学オープンカレッ…ameblo.jp『平松洋先生「印象派
昨日は38年ぶりのアレのアレで大盛りあがりでしたね。阪神ファンあるあるですが,阪神が強くなったらどっからともなく阪神ファンって溢れかえるんですよね(笑)それも阪神タイガースの魅力の一つなのかもですね。さて今回は,昨日話題となったプロイセンのお話。高校では世界史選択してたのにプロイセンのことはほとんど知らなくて普仏戦争に勝ったぐらいしか知りませんでした。昨日高校生にいろいろ教えてもらったのですが,元々はドイツ騎士団だったんですってね。しかもそのドイツ騎士団というのも巡礼するキリ
今日から竜王戦が始まりました。20歳同士の同級生対決ということで話題となっています。どういう決着がつくのか楽しみですね。さて今回は,昨日の続き。不屈のフランスのお話。今日はまずは,普仏戦争。プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争です。おそらくドイツは神聖ローマ帝国をフランスに潰されたことを相当根に持っていたのでしょうね。どうにかしてフランスにやり返したい気持ちが強かったのではと,戦争後のドイツの行動をみると想像できます。で,この普仏戦争ですが,あることで有名な戦争です。そ
昨夜に続き、今夜もフルーティストがソリストの定演。今夜はエマニュエル・パユ。シュレキーテ読響とサン・サン《オデレット》&《ロマンス》、シャミナード《コンチェルティーノ》。パユがルルーパリ室内管と録音した、MozartandFluteinParisと題するアルバムからの選曲。サン・サン(1835-1921)の2曲をオケ伴で聴く機会は貴重です。《オデレット》は亡くなる1年前の作品(約8分)。どこか寂し気で趣があります。OUTNOW!✨@EPah
普仏戦争からパリ・コミューンまでを描く昭和アニメの異色作品「巴里のイザベル」1巴里のイザベル1979年4月キリン名曲ロマン劇場全13話東京12チャンネル1870年普仏戦争からパリコミューンまでのパリが舞台にとりドイツ軍によるジェノサイトから始まってフランス人によるジェノサイトで終わるという少女アニメとは思えない容赦ない内容だから鑑賞する方は覚悟してみてね~キャラクターの相関図主人公イザベル15才。お転婆なお嬢様、しかも美少女剣士を名乗ったりす
砂漠の井戸に毒を入れるのは鬼畜だわ…毒を盛るのは某国がやりそうな手口…と思いきやこの国にもいたわね…カレーに盛ったおばさんが…#Adrian#Dietrich#Lothar#von#Trotha#似顔絵#30秒#ドイツ#軍人#アドリアン・ディートリヒ・ロタール・フォン・トロータ#義和団の乱#ヘレロ・ナマクア虐殺#ナミビア#マジ・マジ反乱#普仏戦争#普墺戦争#ドイツ領南西アフリカ#民族浄化#ホロコースト
昨日の夜は『QED』と『ないない堂』の新刊を堪能しました。やはり面白かったです。もう次が楽しみでなりません。さて今回は,昨日話題となったフランスのお話。おしゃれなイメージがあるフランスですが,実はかなりしたたかな国だという話をしてました。話題の発端は普仏戦争でのドイツの振る舞い。勝ったプロイセンの宰相ビスマルクはプロイセンをドイツ帝国にさせた名宰相ですが,このときのビスマルクはやりすぎました。ドイツ帝国樹立の際,ドイツ皇帝の戴冠式をこともあろうにフランスのベルサイユ宮殿
これは1870年のフランスから日本宛ての郵便物です。これを見ますと、星形の消印で面白いなとは第一勘。そして「ParBallonMonte」の文字です。この時、普仏戦争の最中でパリが包囲されていました。ですので敵の包囲網から逃れるためにパリからの郵便物は気球にて運ばれたのです。横浜宛てで横浜に着いた後に受取人がフランスに居るということでマルセイユに転送されてます(その到着印あり)。郵便制度の真面目さには脱帽します。このSiegelオークションはLiveで眺めていたのですが、どんどん上がっ
フランスと聞いて思い浮かぶのは?プライドは高いが、戦争に弱いというイメージです。フランス革命後、ナポレオン1世の治政下、一時的にヨーロッパを席捲しましたが、ロシア遠征で失敗しました。復活しますが、ワーテルローの戦いに敗れ、大西洋の孤島セントヘレナに流されて死亡しました。甥がナポレオン3世になりますが、普仏戦争に敗れて失脚します。その後のヨーロッパはイギリスとドイツ(プロシア)が覇権を争い、フランスはパッとしません。第一次世界大戦、第二次世界大戦ともに、フランスは戦勝国になりました。
ナンシーからアルザスを越えてライン河を渡り、ドイツの国境の街ケールに翔びます。以前にもこの街の画像で記事を書いたことがあるのですが、改めて詳しく調べてみました。画像のモニュメントは1870年から71年の普仏戦争の際、ストラスブール包囲戦に参加した27人のケール出身のドイツ兵を記念したものです。前面の女性像はドイツ語でMutterKinzigと呼ばれています。Kinzigキンツィヒとはライン河の支流の川名で、ケールの街のそばを流れています英語ではマザーキンツィヒということで、日本語なら
色々想像できる面白い構図のサロメ…何なら私が切るけど?にも見えるのがカワイイ顔して…だわね#Alexandre#Georges#Henri#Regnault#似顔絵#30秒#画家#フランス#アレクサンドル・ジョルジュ・アンリ・ルノー#ルニョー#オリエンタリズム#サロン・ド・パリ#ローマ賞#普仏戦争#戦死#エコール・デ・ボザール#留学#旅行
「オフィサー・アンド・スパイ」を観てきました。ストーリーは、1894年、ユダヤ系のフランス陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を漏洩したスパイ容疑で終身刑を言い渡された。対敵情報活動を率いるピカール中佐はドレフュスの無実を示す証拠を発見し上官に対処を迫るが、隠蔽を図ろうとする上層部から左遷を命じられてしまう。ピカールは作家ゾラらに支援を求め、腐敗した権力や反ユダヤ勢力との過酷な闘いに身を投じていく。というお話です。1894年、フランス。経済的に余裕が出てきたフランスは、
たぶん空想で描いてたんでしょうけど…この時代若いご婦人が戦争画を描くとは周りは驚いたでしょうね#Lady#Butler#Elizabeth#Southerden#Thompson#似顔絵#30秒#スイス#画家#エリザベス・トンプソン#イギリス#戦争画#ロイヤルアカデミー#普仏戦争#クリミヤ戦争#絵画#油絵
日本では明治政府が手探りで国づくりを模索していた頃、ヨーロッパではビスマルクがドイツ統一の総仕上げをにかかっていました。1870年、スペインのブルボン家で後継者問題が起こった時、プロイセンのホーエンツォレルン家が次期国王を送りこむという話が持ち上がりました。結局これは流れ、ホーエンツォレルン家はスペイン王位を望まないことで譲歩しました。スペイン王家は旧フランス王家の分家である、ブルボン家が継ぐことで合意したのです。ところが何でも利用するビスマルクはこれを大騒動にします。7月13日、この問題に関
(テスト版投稿)上海の儀鳳門で1870年代に撮影されたとみられている。上海の城壁は明代(1368-1644年)中期に倭寇対策として建設された。門出入口の周囲の壁には、告示や広告が貼られている。荷運びの一輪車と車夫の姿もある。儀鳳門は大西門とも呼ばれた。現在では老西門と呼ばれることが多い。老西門周辺にはレトロな街並みも多いが、再開発としてマンション建設も進められている。【1870年代の出来事】1870年普仏戦争が勃発(欧州)1871年普仏戦争でフランス敗北、ド
上海の儀鳳門で1870年代に撮影されたとみられている。上海の城壁は明代(1368-1644年)中期に倭寇対策として建設された。門出入口の周囲の壁には、告示や広告が貼られている。荷運びの一輪車と車夫の姿もある。儀鳳門は大西門とも呼ばれた。現在では老西門と呼ばれることが多い。老西門周辺にはレトロな街並みも多いが、再開発としてマンション建設も進められている。【1870年代の出来事】1870年普仏戦争が勃発(欧州)1871年普仏戦争でフランス敗北、ドイツ帝国が成立(欧州)
1870年9月3日、普仏戦争でメス攻囲戦が始まった日。普仏戦争は、フランス第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランス帝国とプロイセン王国の間で行われた戦争である。普仏戦争は明治の日本陸軍に大きな影響を与えた戦争であり、日本はフランス式からドイツ式の軍隊へ変換させた戦争である。プロイセンは北ドイツ連邦のみならず、南ドイツのバーデン大公国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国と同盟を結び、フランスに圧勝した。この戦争を契機に、すで
7月19日の出来事970年(天禄元年6月14日)祇園祭が初めて官祭として実施。以降毎年行われるようになる。1333年スコットランド独立戦争:ハリドンヒルの戦いイギリス王エドワード三世がスコットランド王位請求者エドワード・ベーリアルを支援してスコットランドへ侵攻して起きたスコットランド王位をめぐる決戦の一つ。スコットランド軍は大損害を被り、イギリス王軍の勝利。1864年(同治3年6月16日)太平天国の乱:曽国藩が天京(南京)を占領し、天京攻防戦
ドーデの短編小説「最後の授業」何も知らないで読むと、何て感動的な話だろうと思ってしまいます。ところが、私には、あれ?という疑問点があります。最大の疑問は、次の点です。普仏戦争でフランスが負け、アルザスは、プロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、フランス語の授業はこれが最後になった、というのは事実でしょう。でも、そのことに生徒たちが激しい衝撃を受けたというのは、本当でしょうか?というのは、アルザスは、もともとドイツ語圏にあって、人々はドイツ語の方言で
こんにちは。こちらの記事で組み立てて放置されてたプロシア歩兵を塗装しました。ICM1/35プロシア歩兵1870-1871年プラモデル35012Amazon(アマゾン)3,487〜5,079円ちょうど普仏戦争の頃のプロシア戦列歩兵ですね。鉄道輸送と通信を利用した軍の機動展開と、後装式ライフルが戦争の有り様を大きく変革した頃の歩兵ですね。とは言っても、戦列歩兵特有の密集陣形が全くなくなったわけでもなく、散兵戦に移行しつつ
サイズが小さく、ミニチュアなのか、実物なのか不明でしたが、実物のようです。直径が27mmしかない。普仏戦争時のものは、確実なのですが、従軍医療関係者用とは気づかず、軍人向けで必死で確認しようとしたのが、間違いでした。1871年3月6日ヨハン王によって制定。普仏戦争中、優れた医療サービスか、自己犠牲的な行動をとった人に対して男女、年齢問わずに授与となっています。赤十字関係とはまた違った雰囲気のあるメダルです。しかし、一見すると、軍人用にしか見えない。
機関銃と植民地支配戊辰戦争がおわる翌年に、ヨーロッパでは普仏戦争(1870~71年)が勃発している。ドイツ帝国誕生の契機となるこの戦争で、機関銃は大砲と同列に扱われた。機関銃は大砲と同じような銃架に積まれて、前線の歩兵部隊ではなく後方の砲兵隊にゆだねられた。この戦争で機関銃は本来の役割を果たせずに、役に立たない兵器という評価を受けることになる。機関銃は南北戦争以降のアメリカで急速に進化を遂げる。1884年にマクシムという人物が引き金を引けば全自動で連射する高性能の機関銃を発表し、18
ハンザ広場駅からアルトナアー通り[AltonaerStr.]を歩いて、ベルリンの観光名所へと向かう。戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)[Siegessäule]。プロイセン王国時代のデンマーク戦争での勝利を記念して建設が始まったが、建設中にオーストリア帝国との普墺戦争、フランス帝国との普仏戦争にも勝利したことで3つの戦争(ドイツ統一戦争)での勝利を記念したものになった。以前は今の国会議事堂前にある共和国広場に設置されていたが、ヒトラーが思い描いたゲルマニア計画によってティーアガルテンのグ
きのう我が家に仲間入りしました。ガリバルディ・パキラ二世と命名しました。大学時代に育てていた観葉植物(パキラ)はガリバルディ・パキラと名付けていたので、今回は二世を加えました。名前の由来は世界史上の人物ジュゼッペ・ガリバルディです。彼は権力に目を眩ませることなく、自由を求めている世界各国の人たちのために生涯にわたり戦った素晴らしい方で、とても好きな歴史上の人物の一人です。これからどうぞよろしく🌱〜〜〜直近のABEMANEWS担当日時は本日7月20日(月)23:30〜
見事勝った前回の戦いだが…。勝因は、巨大砲台の砲撃、応援団の回復による指揮官部隊(ミュラ)の突撃🐎もさることながら…、やはり、占拠“要員”である歩兵を次々投入した事ではないのか?人命♥️を顧みず、召集⇒採用⇒出陣を繰り返す“ブラック企業”戦法(作戦)だ。以前…、『THE登山RPG』(PS)で行った“作戦”だ。とにかく部隊を暇無く投入し、圧倒的な“物量”で押し切る作戦…。所詮はゲームである。本当の人命♥️ではない。“非道”に見えるこの作戦だが、ゲームの世界なら有りか?…いや、
フランス中世後期はペスト、飢饉、戦争によって本当に貧しくて、先日のZoomお菓子歴史講座でもお話しましたが、粘度80%、小麦粉20%のパンまで作っていたという!これにも驚きでしたが、今回次の講座に向けてあれこれ調べていたら、ナポレオン3世の第2帝政時(ナポレオン3世は、ナポレオン1世の最初の奥さんジョゼフィーヌの連れ子とナポレオン1世の弟の子供、つまり1世の甥。なぜナポレオン2世時代はなかったかというと、ナポレオン2世は1世の2番目の妻、ハプスブルク家から嫁いだマリー・ルイーズの子供だが、ナポレ
刀が好きな人は歴史好きが多いんじゃないかな。少なくとも私は歴史オタクの類です。幕末のキャラで好きな人は誰と聞かれたら、色々いるんだけど敢えて1人あげるなら、フランス人のジュール・ブリュネです。この人は幕末に幕府の陸軍近代化のためにフランスから派遣された軍事顧問団の副隊長です。戊辰戦争が始まってしまったので、中立の立場のフランス政府から帰国命令が出たのに、教え子を見捨てる事ができず同じ思いの部下数名とフランス軍を脱走して旧幕府軍に参加してしまった人です。その後