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世界中にある、「日本人補習校」は、現地学校やインターナショナルスクールに通学している日本人の子供に対し、土曜日を利用して「日本語で授業を行う教育施設」です。日本人学校とはまったく異なります。昭和33年に米国ワシントンに設立されて以来、現在世界55ヵ国・1地域に229校が設立されており、約2万2千人が学んでいます。教育の特色としては、国語を中心に、学校により違いはあるものの、算数(数学)、理科、社会を加えた授業が「日本と同じ教科書」を使って行われています。
本日、日本人補習校の運動会がありました20年目突入とのこと!!急遽、朝いったら、姉妹で選手宣誓をやってと言われ日本語がそこまで上手じゃない長女は焦っていましたが無事に選手宣誓を二人で行いました。玉入れからスタート!綱引き障害物競走バンコクホスピタルの方がきて歯磨き指導と手洗い指導もしてくれましたランチは、日本食レストランのお弁当THB150(五百円くらい)あとは最後は、リレー!親御さんも参加して大盛り上がり。
私の教室に通って来る生徒さんが、学校での漢字テストを持ってきてくれました。50問中、1問だけ間違ってしまい、満点とれず。「あとひとつで満点だったのにー!」と悔しそうです。私は、ノートにたくさんの漢字が書いてあっても、ペラペラとめくっても、脳が「エラー漢字」にすぐに反応します。この時も何ページもある漢字ノートの中で、1文字だけエラー反応しました。「ねぇ、この漢字間違ってるよ」どうやら毎日、練習していた練習帳の最初のページから、すでに漢字を間違えて覚えていたようで
ここで、私がフランス語圏で食べていたお料理を、再現してみたのでご紹介します☆遅めの勤務だったけどお料理やりましたよぉもと主婦!やればできる!まずは成城石井で買ったパン・オ・ショコラとクロワッサン、缶詰のフルーツとヨーグルト。チョコレート。成城石井のパンはすごくフランス語圏のパンにそっくりです。鶏肉と玉ねぎとキノコの煮込み。クックドゥーは日本から持ち込み、キノコはいつもマッシュルームでした。キャベツとジャガイモのミネストローネスープ。トマトソースもまずかったので、持ち込みか、地中海
マレーシアのクアラルンプール(KL)には、紀伊国屋があり、日本の本や文房具を買うことができます。でも海外では、とても値段が「高い」ので、あれこれとは買えませんし、種類も日本ほど豊富にはありません。ペナンには、紀伊国屋はありません。そして、日本の本は手に入りません。その点、日本人学校の図書室にズラッと日本の本が並ぶ様は、うらやましいなと思うほどです。それでも日本の学校に比べると比較にもならないほど小さな図書室です。1年に一回、KLの紀伊国屋が日本人学校へ出張に来ます。
おはようございます13時間の時差であいさつに迷いますが、アメリカの時間でいかせていただきます。昨日、子供たちの補習校初登校でした。初登校にふさわしい晴天。→夕方から雨アメリカ人は傘ささないと断言し、荷物に入れていなかったのですが、ごらんの通り、駐車場から校舎まで距離があるので、さすがに買おうと思います大きい校舎に見えますが、ここは大学なんです。土曜日だけ、間借りしているような感じ?なの
今日は、土曜日。今日から、毎週土曜日は、子供たちは日本人補習校に通います。昨日、日本人補習校の面談に行ってきました。久々の学校生活スタートに、少し緊張気味のお二人さんを癒してくれたのは、カモならぬ、カナダグースの親子焦って、スローモーションモードで動画を撮るという・・・静止画みたいになってもたわさて、そんな可愛い応援もあり、問題なく校長先生との面談も終え、渡米後初の
おはようございます!着きました!・・・4日前にやっと落ち着いて、ブログが書けるように出国の日は、朝6時の出発にもかかわらず、サプライズでたくさんの方々がお見送りに来てくださいましたたくさんのお手紙やプレゼントありがとうございましたさて、朝6時に出発して、アメリカの家に着いたのは、日本時間の6時前乗り継ぎも会ったので、24時間かかりましたとぉ・・・次の日は、朝から家探し。
日本人補習校、5年生ももうすぐおしまい。今年を振り返ると、、、・相変わらず字が汚い。いよいよひどくなってきました。・漢字も相変わらず、一つ足りなかったり、どことなく違っていたり。5mくらい離れれば、合ってそうな漢字を編み出しつづけてます。・算数はと言えば、、、、ココに注意!という所で必ずつまずいていて、最近だと百分率がどうにもだめです。何度か元になる数字、比べる数字の説明はしていますが、その場で分かっても1週間後には忘却の彼方。絵に描くことを徹底させて
日本人補習校内にある幼稚園「レインボークラブ」へ週末だけ通います。今日は大悟の初入園日。大悟は朝からウキウキ。低血圧男の大悟は通常朝はご機嫌斜め。いつもならダラダラして自発的に何もしないのに、今朝は、いつもと違う朝ごはんをサッサと食べて(いつもなら口に入っている食べ物を咀嚼せずに数分静止している)、歯も自分でサッサと磨いて、(いつもは歯ブラシをくわえたまま鏡の中の自分をガン見している)自分の持ち物の確認までしていました!(こんなことやったためしない!)出来んじゃん!!いつも
昨日で年末年始の忙しさは一段落しました^^MIKAの学校も今日からスタートです。うるさい賑やかな朝が始まりました!日本人補習校は先週の土曜日がスタートで学校の後、MIKAと嫁さんはSMシーサイドに行ってきたみたいです。目的はMIKAが前からやりたいと言っていたスケートです。南国セブでもスケートリンクがあってスケートが出来ます♪初心者にはこの熊を借りて滑ることが出来るみたいです。自分はアイススケートって
大悟が今月からチェンマイにある日本人補習授業学校中の、未就学児対象のレインボークラブなるところに通い始めます。チェンマイに住む日本人の子供が、日本の歌や手遊びに慣れ親しんで、日本語や日本の文化を学ぶという趣旨です。と、いうわけでレインボークラブ指定の持ち物を揃えて、全ての持ち物に名前を書き込みました^^因みに、年末にレインボークラブの面談に行ったのですが、その面談の練習で初めて大悟は自分の日本の名前である「はせごわたいご」を知りました。大悟はタイの名前と日本の名前の2つの名前を持って
飾ってみたら、あらいい感じ。大晦日。正月感ゼロのイギリス、ダービー。ねえ知ってる?ヨーロッパ(から離脱しようとしているイギリスですが)ではクリスマスから数えて12日間は「クリスマス」なのよ。クリスマスも大晦日も、元旦も全部メリークリスマス、エンダハッピーニューヤーな訳です。ですから、先週末に仕事納めをして、さあお休みだー!というテンションの日本と違い、こちらはクリスマスから続く休暇がクライマックスを迎えており、もはやテンション下がり気味な感じよ。そんな大晦日はQちゃんの予防接種から始ま
2018年、今年、私は担任を辞めました。私の中では、あなたを筆頭に事務局側に辞めさせられたと思っています。世間では、あなたのことを「人のために尽くす人」と言っていますから、随分と感謝している人達もいるでしょう。実際に、あなたの努力や自己犠牲によるものも相当だと思います。しかし、一緒に補習校で仕事をしてみてわかったことは、あなたは人から、尊敬される、ありがとうと言われる、すごいですねと言われる、助かりましたと言われるなど、自分に向けられた賛美だけが好きであなたの原動力になっ
東南アジアの補習校元担任の最終日になりました。いくつかの思い出のシーンをお届けします。小学部低学年のクラスにて。担任初日、授業で話し続けの担任は水を飲みました。そしたら生徒たちが、「いーけないんだぁ、いけないんだぁ。先生のくせに授業中に勝手に水飲んで、いけないんだぁ」と大合唱。「先生、初めてなのでどうしたらいいか教えてください」「手を上げて、水を飲んでもいいですか?って許可してもらうんだよ」と生徒達。「皆さん、水を飲んでもいいですか?」「はい、先生、どうぞ!」だって。
私は、今年、日本人補習校の教師を辞めました。対立していた事務局に、とうとう自主退職という形で辞めさせられたと言った方が正しいと思います。きっかけは、「いじめを止めたかった」ただ、それだけなのに、生徒は謝らず、保護者は事務局にクレームを入れ、授業出席拒否。そして、その責任を担任は追求されてきました。正直、その親子の事は憎いです。「私のクラスにあの生徒さえいなければ、あのお母さんさえクレームを入れずに、ごめんなさいと言ってくれていたら」と、この1年間、何百回も思いました。
東南アジアの小さな補習校の元教師です。学校で気になっていたことは、「生徒たちがとても疲れていること。」平日の学校と宿題に加えて、放課後のサークル活動、習い事(英語、水泳、ピアノなど)、学習塾、これだけでもかなりの量なのに、他に土曜日の補習校(日本語学習)もです。担任も何度か生徒からの訴えを聞きました。「先生、眠い、疲れたぁ」「先生、普通はやっと明日は土曜日だ!って思うでしょ。でも、明日は補習校かぁ。宿題やってないよって思うと、土曜日が辛くなるんだよね、だから、宿題出
海外で日本人補習校を創設しようとすれば、「日本人会の力」が必要になってきます。健全に運営されている日本人会、日本人補習校には大変申し訳ない文章が続きますので失礼をお詫びします。担任がいた東南アジアの小さな補習校では、「創立するために名前が必要で、補習校がオープンしたら用無し」といった補習校でした。生徒や教師募集、入学・退学、経理、運営においても、すべてのことは、そこに住むお母さん達の主導であり実権のもと、したい放題です。ただし今回のように、教師である担任が補習校の
海外の補習校のことで、文部科学省にお願いがあります。世界中に日本人補習校がたくさんあります。おそらくこれからも、海外進出する企業が増えて、駐在家族や母子留学も増えると思うので、補習校はまだまだ増え続けるのでしょう。そして、来年?からそのような海外で日本語を学習する生徒を支援・応援するような計画も進んでいると聞きました。しかし、文科省が実態を知らなければ、ただの卓上計画で終わってしまうと危惧します。一番不幸なのは、「補習校で働く先生の立場」です。様々な採用の形がありますが、
簡単に、日本人補習校に通い始めるのはお勧めしません。必ず、要チェックです。「HPなり、校則に、「いじめ・暴力禁止」という言葉が記載されている補習校は、もしトラブルが起きたら、何かしらの対応をしてくれる良い学校」だと思います。反対に、全くこの言葉が書かれていない補習校は、もし、自分の子供が被害に合った時、何も解決せず、隠ぺいする学校です。あえて、この言葉で連想させることはさせたくないという無責任感な補習校です。「臭いものには蓋をしろ」という感じでしょうか。もし、わかりに
補習校は、小さな社会です。教師という仕事はやりがいがありますが、とんでもないブラック補習校もありますので、十分に気をつけてください。必要なのは・・・「誰が一番、実権を握っているか!その人を調べ、その人となりをしっかり、リサーチすること」もし、その学校を創設した人が未だに残っているようなら、その人です。あるいは、通っている保護者か先生に、「誰が責任者ですか?」と聞けばわかるはずです。しがらみを知られたくないために、事務局責任者を新しく変えたりしますが、「誰が一番古
東南アジアの補習校を辞めた担任です。担任の退職日は、突然、やってきました。事務局リーダーと、これから新リーダーになる二人から、「次の担任見つかったから、安心して辞めて!!」担任は、冷や汗が出て、震えが止まりません。確かに事務局とぶつかってきた、でも、お互いに「生徒のため」と願う気持ちは同じのはず。だから、がんばっている担任を辞めさせることはないだろうと。最後の授業時間、声も震えます。涙が溢れてきます。担任は、授業を止めました。そして、中学3年生の2名だけ、呼び
2018年が終わるまで、東南アジアの補習校での体験を書いています。担任は、小学部も中学部も教えていました。小学部はなんとか先生が見つかるけれど、中学部を教える先生は見つかりません。そして、担任は、複数の学年を教えていました。通常は、1学年1担任が当たり前の中、人手が足りないことと、担任が器用にできることから、いくつもの学年を抱えていました。中学3年生の女子生徒がいました。いつも伏し目がちで、ほとんどしゃべらず、コミュニケーションが難しかったです。インター校は、学校行事
2018年、東南アジアの補習校の担任を辞めました。担任の敵は、「本部である事務局」でした。まず、「校長先生はクビ」になっていますので、長年、席が空いたままです。校長先生をも、クビにしていまう絶大なる権力を持っている事務局リーダーの家来の皆さんです。「肩書きだけが大好きな無責任先生スタッフ」生徒に勉強を教える認識も責任感もないので、下準備をしてきません。いつも担任に、「ねぇ、これってどういう意味?」「これってどう教えるの~?」と聞いてきます。この方、肩書きが大好きなので
東南アジアの補習校の元担任です。実のところ、担任は自分の子供を補習校に通わせてはいません。本音を書きますので、迷われている方に参考にして頂ければうれしいです。まず、「補習校の勉強レベルが低い」どの先生も、レベルは中ぐらいに合わせていると聞きます。しかし実際は、それでも難しく中の下ぐらいではないでしょうか。「担任の当たり、はずれがひどい」補習校でこの先生はいいな!と思ったのは小学部、中学部まで含めて2,3人。時には、授業料返して!と言いたくなるほどお粗末な先生もいます。
あなたの息子さんが通っていた補習校の元担任です。補習校を担任が辞めたことも、もう耳に入っている事でしょう。驚きましたか?それとも想定内でしたか。あなたが日本へ帰国する前に、きちんとお話ししたいと何度も、事務局にお願いしましたが、希望は叶えられず、終わってしまいました。あなたも、やはり事務局の一人でしたからね。あなたは、自分の息子が、「いじめをしていたことを、確かに知っていた」はずです。通学していたインター校でも同じ問題があったはず。そして、担任は伝えました。「息子さ
東南アジアの小さな補習校の元担任です。この学校は、文科省からの派遣教師がいない、ここに住むお母さん達の手作りの補習校です。生徒数が多くなり、軌道に乗り始めた時、運営をする本部、すなわち事務局が権力を奮うようになり、意見が違うとの理由で「校長先生がクビ」になりました。校長先生すらクビにできる力・・・なのです。そして、今年、担任である私も辞めました。実質は、「クビ」でしょう。今回、創設から長年居座り続けていたリーダーが職を降りるにあたり、新事務局リーダーを探しますが、
東南アジアの小さな補習校の元担任です。担任が補習校を辞めてから、早、2ヵ月が経とうとしています。先日、元同僚と会いました。そこで聞いた話は・・・「今までの名簿は、保護者に先生たちの電話番号やメールアドレスが記載されていたのに、今は、すべて削除されてしまったの。だから、保護者が先生に連絡をとることができなくなってしまって」と。そうだと、欠席の連絡を、担任に入れるのではなく、事務局スタッフに入れることになる。しかし、以前からも、欠席届けを受けた事務局スタッフが一度も担
担任がいた補習校の本部、すなわち事務局責任者が言った言葉です。これは、各方面すべてに謝ってもらいたいと感じます。担任のいた小さな補習校は、ひとりのリーダー的お母さんがメインとなり、創設された学校です。その人は、補習校内で、事務局リーダーと呼ばれている最高責任者です。このリーダーは、人権問題が好きと公言し、精力的に活動をしている人であり、常々、私たち教師も「発達障害という差別用語は使うな!」と厳しく注意されています。発達障害という言葉を差別用語だということが、すでに問題なので
東南アジアの小さな町にある補習校で働いている同僚達へ担任が「今日で、補習校を辞めました」と、数人の同僚に連絡を入れました。誰もが、「えーーーーーーー!!!、どうして!!!!」と驚きの声をあげ、絶句でした。教務主任が言った言葉。「どうして、どうして、こんなことになったのか。私はあなたが辞めたことは、受け止められません。あなたが、これほど悩んでいたことも知らずに、本当に申し訳ないです。そして、助けてあげられなかった事、本当にごめんなさい。私は、何も言わず、自分の中だけで解