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*【東大教室】ブログ上公開演習⓮-2(解説)の続きです。*問題は、【東大教室】ブログ上公開演習⓮-1(問題)で確認してください。演習⓮近現代(政治・外交)浜口内閣期の内政と外交解説②金解禁の実施と昭和恐慌(A)1930年1月、ついに金(輸出)解禁が断行された。ごく一部で新平価解禁論も唱えられたが、実際の金解禁は、円の国際的な信用の確保を重視して、実質的な円切上げを意味する旧平価でおこなわれた。この政策は、1930年から31年にかけて、予想をはるかに超える未曾
*【東大教室】ブログ上公開演習➑-3(解説)の続きです。*問題は、【東大教室】ブログ上公開演習➑-1(問題)で確認してください。演習➑近代(経済)三大デフレ政策解説④1920年代不況第一次世界大戦後、大戦景気が終了すると、日本経済は一転して不況に突入していった。まず1920年に戦後恐慌を、つづいて1923年に震災恐慌を経験する。特に、関東大震災にともなう震災恐慌で、被災地の企業は大きな打撃を受けることになった。一方、長期不況のなかでの恐慌発生に対して、政府
■小日本主義と金解禁論争「小日本主義」の一節をみてみよう。何故に戦争は愚にして無益なる。曰く戦争は、有形的にも無形的にも、何等の利益を生むものにあらざればなり。……論より証拠、我が国は日清戦争に台湾を得、日露戦争に樺太朝鮮を併せて、いくばくの利益を得たる。1914年支那本土からの(満蒙の)分離独立を希望し、援助する。……支那はもちろん非常な反対を試みるに違ひない。否、現にその運動を起こしつゝある。満蒙の住民といえども、かような離縁を、隣家の日本から希望せられ、ないし
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。テーマ「早慶大受験・正誤判定新研究」であつかった問題がちょうど40題になりました。問1~問10の目次を作成し、それにリンクを貼ってあります。それぞれに付したマークは、時代とテーマを示しています。【凡例】■原始・古代■中世■近世■近現代★政治・外交★社会・経済・文化また、正誤判定を含む文章選択問題の考え方については、「日本史の基本6(演習の方法論①-文章選択)」をご覧ください。各自の状況に応じて、上手に活用して
2-3恐慌の時代(SNG下p.84~p.87)➊金融恐慌が発生した契機を、簡潔に説明せよ。➋金融恐慌が日本経済にもたらした影響を、簡潔に説明せよ。➌1920年代、長期不況の継続にもかかわらずインフレ傾向が継続した要因を、簡潔に説明せよ。➍金本位制が果たすと考えられていた2つの機能を、簡潔に説明せよ。➎新平価解禁論の内容と意図を、簡潔に説明せよ。➏ドル買い問題とは何か、簡潔に説明せよ。*「論述の基本(SNG準拠版)」
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究10(問9)」で確認してください。問9正解は➊。金輸出禁止時の内閣を問う(Ⅰ)は基本事項に属し、(Ⅱ)・(Ⅲ)ともに問題文の記述から判断することができる。しかも、ブレトン=ウッズ体制の確立以来、現在はドルを固定して為替相場が表示されるが、各国が金本位制の採用を原則としていた当時は、各国通貨を固定して為替相場が表示されていた点で、現在よりもわかりやすい(たとえば日本なら100円=○○ドル)。これは、決して間違えてはいけないレベ
問9標準レベル1920年代後半に展開された新平価解禁論について述べた次の文章を読み、空欄(Ⅰ)~(Ⅲ)にあてはまる語句の組み合わせとして正しいものを、あとの➊~➍のうちから一つ選べ。第一次世界大戦中の1917年、(Ⅰ)内閣は、欧米諸国にならって金輸出禁止を実施し、金本位制から実質的に離脱する政策をとった。その後、1920年代に欧米諸国が金本位制への復帰を続々と果たしたにもかかわらず、不況と恐慌に苦しみつづけた日本は、金本位制復帰の時期と機会を見失った。円為替相場は動揺と