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本日18日(祝・月)午後5時まで。「響きあう絵と書金澤恵美子&三輪初子二人」展。墨絵と書とのコラボ展。絵が先か、書か先か!抽象か、具象か!Galleryころころinfo@d-korokoro.com
鯖缶のパキンとひらき寒戻る。天使履く靴下の穴聖夜劇。三輪初子の句を金澤恵美子が書きあらわし、さらに絵に膨らませ合作に。色はにほへど散りぬるを我が世たれぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔いもせず。いろは歌。三輪初子の書と金澤恵美子の墨絵、表装も。竹を編んだような格子目の中、うたと手毬のような絵が遊ぶ。真夜中の烏木の海に思い馳せ静かの岸に繪筆を浸す。カーテンは波を倣いて部屋の中寄せては返す海の岸辺へ。THEANONYM
「伊勢物語」に材を取った作品も。むかしおとこありけり・・・、で始まる短編を編んだ歌物語。いつの時代もおとことおんなが、、呼応する。そんな二極の親和性を感じさせる絵も、物語の内容を知らずとも充分想像できる。キュウイフルーツの芯に見える女の子の顔に集まる種子の放射線状の帯にしろ、その放射線をまさに放出しているかのような花の茎にしろ、そのような妖しさのなかに生きるぼくらの性を感じて余りある。「響きあう絵と書金澤恵美子&三輪初子二人」展。18日(祝・月)まで。1
いろはにおへとちりぬるを・・・。今回、いろは歌に着想を得た作品が、二作品ありまして、一作品は前日搬入したのですが、もう一作品、午後に届き、さっそく展示、レイアウトいたしました。日本家屋がもはや風前の灯のなか、当然床の間の空間も見かけなくなる訳で、掛け軸と言う絵の見せ方の風情、改めて感じ入る。表装の仕事。いいなあ・・・。「響きあう絵と書金澤恵美子&三輪初子二人」展。18日(月)まで。12:00~19:00。最終日17:00。Galleryころころi
さて今日はぼくのお休みの日。雨か。都美術館へ。大江戸線の上野御徒町駅から地下道を歩いて、不忍池のそばから地上に出た。都美術館に行く初めての道。これは便利だ。全展、齣展をそれぞれ見る。齣展を初めて拝見したが、視点の個性的な作品ばかりで驚愕した。素晴らしい。独自性の模索と言う創造の原点に連れ戻された感覚を強烈に思った。まっすぐ帰宅。今日は映画見る時間はないな(笑)。
先ほど、午後5時半過ぎ、搬入終わりました。昼過ぎから始まり、いろいろ思考錯誤の末、ようやく完成。初日の午後一に、もう一作品が加わることになっております。「響きあう絵と書金澤恵美子&三輪初子二人」展。明後日13日(水)~18日(月)。12:00~19:00。最終日17:00。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
さて、いよいよ明日は搬入だ。そろそろぼくもGalleryの片付けものをしたり、準備に入ろうかな。展示会は13日(水)~18日(月)です。12:00~19:00。最終日17:00。よろしくお願いをいたします。Galleryころころnfo@d-korokoro.com
先日のつづき。小さな、小さな訪問者のことですが。そうです、あそこに見える赤い点。それが事の発端でした。ところが先ほど見たら、いない!それはそうでしょう。いなくなってあたりまえ、と言えば、あたりまえ、ではないか、やはり。そう思って、諦めかけたそのときです!おおっ、あれは!こ、こんなところに!ど、どうして、またこのような謂わば牢獄のような場所に。これも何かの御縁でございましょう。借りて来ました、図書館から。「こびとづかん」。
文・北条民雄、絵・おぼまこと。なんと、あたたかみあふれる絵だろう。こころが透き通るようだ。恥ずかしながら、ぼくは北条民雄の童話を知らなかった。この「かわいいポール」は1934年、全生学園・山桜出版部から発行された児童文芸誌「呼子鳥」に掲載されたもの。「いのちの初夜」が発表される1936年以前のものだ。「かわいいポール」と言うお話しのなかに、太い棒と網を持った野犬狩りが出て来る。彼らは見つけた犬をかたっぱしから捕らえて箱に押し込んで、連れて行ってしまう。自
いよいよ来週9月13日(水)~18日(月)。12:00~19:00。最終日17:00。墨絵画家・金澤恵美子と俳人・三輪初子とのコラボ展。絵と書、如何に響きあうか!乞うご期待。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
周平「遊ぶ人」正式にはチャイナドレスとは言わないみたい。その昔、インスタントラーメンのCMで、マダムヤンと言うのがあったけど。むんむんたる中国を感じて、どこか懐かしい匂い。いずれにしろボディーに密着しているから、艶かしい。しかもスリット。肉体の細部が克明だからなお生きる。指先にしろ、ふくらはぎから足首、踵、くるぶしに至り、靴に隠されているとは言え、そこに納まる爪先をも連想させる描写力。後景にさり気なく描かれた山水画との非バランス。それにしても糸に紡がれ
神保宏嗣「静かに歩く」。おもしろい。すごい広角、遥か向こうの山のいただきまで見えて、その上に飛行機まで飛んでいて、しかも山の手前まで、その山容を覆うほどに、びっしりと超高層ビルが立ち並んでいる。あたかも墓のように。手前の家のデフォルメとその色彩との対比。家らしきフォルムの路地の一角に、なんと猫が、これまた高速度分解写真の残像を残して、歩いているではないか。浜野利江「白昼夢私はウエンディ」。こう言うポスター、あってもよさそうな気もする。一見
特に好き、という訳ではないけど、浪曲にはどこかこころ惹かれる魅力があった。あのダミ声と節回し、そして畳みかけるように言葉を回す啖呵とで構成される語りは、三味線の音色と相まって、江戸を感じさせた。いまでこそまったく見かけなくなったが、広沢虎造の清水の次郎長、石松の三十石船の件は、CMでよく流れたもんだ。いいね、粋だね、なんて、こどもながらに思った。まえにもここに書いたけど、次郎長意外伝の灰神楽の三太郎は森繁と三木のり平の主演で映画になって、深夜映画の枠で放
「特撮」と言う言葉を始めて知ったのはいつだろう。「円谷プロ」或いは円谷英二とともに。やはり「ウルトラQ」が始まった1966(昭和41)年頃になるのだろうか。「ゴジラ」が封切られた年、1954年にぼくは生まれていない。でも観た記憶があるのは何だろう。身のすくむ恐怖の記憶とともに。テレビ放映の「ウルトラQ」で怪獣が日常にあふれ、怪獣ブームが浸透していく。浸透する過程が、そのまま怪獣のおもちゃ化でもあると思う。でも怪獣は常に恐怖の対象であって欲しいという願いは
きのうの夜、おでんを食べました。寒かったし、グッドタイミング。おでんの具材としては、まあ、練り物のボール、大根、はんぺん。これは漫画「おそ松くん」に登場する、おでん好きチビ太の定番、三角、四角、丸の串刺しとして、ぼくも外せない具。食べているとときどき思うことだけど、ぼくの子どものころにあった食べ物で、いまはないもの、ふと考えてしまう。むしろ増えすぎて、失ったものを思い出せない。これは食べ物に限らない。おでんの具材なんて、増える一方ではないか。
いま、Galleryの玄関は、こんな感じになっているんですが、つい先ごろ、風にあたろうと思い、外に出たら、おやっ、小さな異変に気づいて目を凝らし、近づくと、なんだ、この赤い異物。何だろう?どなたが存じませんが、置いていかれたのですね。まあ、このまま寝かせておきましょう。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
時間があっという間に過ぎる。ここ最近とみに感じる。まあ、ひとつには企画展の内容がなかなか煮詰まらづ、悶々としていることに大きな原因があるよな。焦るばかりで、何一つ決まらない。マイ・シネマ展のこと、また「江戸」」をどうするか。まあ、「江戸」の方の切り口としては、具体的な方向はついた。後は練り上げだ。もっといろいろな方面で、企画が浮かび上がってもいい筈だけど、どうも調子が上がらない。困ったもんだよ。いい知恵ないすか?Galleryころころ
雨が降って、ひんやりした、と言ったら大袈裟か。それにしても、きのうきょうの蒸し暑さと言ったらない。いま外に出たけど、やはりひんやりする。雨もあがっている。これから枝豆が旨くなるなあ。パンツ一丁で夕涼みがしたい。そんな気分。捕まらないまでも、変態扱いされて、近所の見方が変わるんだろうなあ(笑)。辛い世の中だよ。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
○○カフェと言う場が、いまや考え方を同じくする者たちが集まって交流する場として、もっともポピュラーな方法なんだなあ、とつくづく思う。昔だったらジャズ喫茶みたいなものかなあ。違うか?それがいまは多岐多方面にわたり、より細分化され、さらにマニアックな趣向領域に裾野を広げることで、小さなパイを確実にものにしながら、仲間との交流を深めることが出来るんだから、流行る訳はわかる。自分の居場所、と言う問題も重要だ。もちろん孤独に自分と向き合う時間を持たなければ、当の自
尺八の音色とともに、民謡のあの、こぶしのきいた歌声が聞こえてきて、NHKののど自慢でもやっているのかなあ・・・、きょうはだいぶしのぎ易いけど、日差しは相変わらずまぶしくて、まぶしくて、かなわない。でも空は秋の薄さが広がっていて、やんわりと涼しげだ。言葉を駆使して、本当のところをなるべく伝えたい、と思うけど、抜ける抜ける、するする、掬う指の間から。思いは結晶までの時間を嫌うように。時おり、開けた窓から風が入ってくる。こういうのを穏やかな時間と言うのだろうか。
ブロ友のきひみハマめさんが、来てくれました。この炎天下、ありがとう!今年もアートタウンつくばで開催中の大道芸フェスティバルへ行かれる途中、わざわざお立ち寄り下さった。お会いするのは、一年ぶり。決まって夏。やはり去年の、この大道芸フェスへ向かう途中に寄ってくれた。ぼくのこのブログには何度もご登場下さっているきひみハマめさんですが、念のため改めてご紹介させてもらうと、この方です。そう、ミョウ・ガールの作者。歌も作るし、絵も描くし、動画も作る、謎の人
やはり人間には超えてはいけないとこ、と言うのか、聖なる領域と言うのか、それは無理無理無理、と言う、こちらとあちらとの一線を画する閾値みたいなものって、あるんだな、と改めてと言うか、思い知る機会って、案外日常に転がっているんだろうけど、その日常にかまけているいるうちに忘れてしまうけど、これは絶対にあって、ここを誤魔化してしまうと、後はもう嘘の塊で、そうはなりたくないから、この聖なるものを、もっともっと見つめる努力をしよう。人間、この聖なるもの。Galler
来月9月16日(土)、17日(日)は、Galleryころころのあるこの界隈はお祭りだ。ちょうど「響きあう絵と書金澤恵美子&三輪初子二人」展の会期(13日~18日)、と重なるではないか。16日、17日は夜6時から9時まで、盆踊り。この間大久保通りの若松町商店街は車両通行止で、櫓が組まれる。出店も出て、例年通りだと黒山の人だかり。17日には神輿が出る。担ぎ手を募集している。お祭りとギャラリーと。いいんじゃ、ありませんか?Galleryころころinfo
金澤恵美子のこの墨絵は、やはり「蘭亭曲水図」を模しているのだろうか。ググルとすぐわかるけど、「蘭亭曲水」とは、その昔中国の浙江省の蘭亭に王義之が文士を集めて詩を編んだ会。ぱっと見、人は見かけられないけど、水は流れている。山水と言うよりも、何処か建造物と言うか、一群の集落、街並みを割って水が縫うように落ちている。旧約の創世記の洪水の規模にも匹敵するような、つまり滅亡の示唆か、とすら思う。ゆく河の流れは絶えずして・・・。「響きあう絵と書金澤恵美子&三
昨年の暮れに開催したころころ企画「私の昭和歌謡」展に出品下さったイラストレーターの上丸健氏がみえた。`06年から携わっておられる杉並区の銭湯ポスターのデザインと原画の展示会を、来月9月25日(月)~10月6日(金)、阿佐ヶ谷の杉並区役所2Fギャラリーで開かれる、と言う。銭湯です!ぼくは一時期、銭湯に凝った。出先で銭湯に出くわすと、まあ、入ったね。タオルも石鹸も貸してくれるから、その手の心配はまったくなかった。阿佐ヶ谷の銭湯も、2軒は入った記憶が
9月24日の「漱石山房記念館」開館に合わせて、新宿歴史博物館でも漱石の特別企画展が催されるみたい。漱石と子規、ともに今年は生誕150年。二人の交友に焦点あてて、子規の故郷愛媛県松山市の協力のもと、いろいろ講演や朗読会などが用意されている。ころころとしても、来年の「漱石」展に向けて楽しみな企画だ。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
雷様鳴っているなあ。雨も降って来た。と、思ったら止んだか。ゴロゴロはしている。Galleryを開けるまえにちょっと歩いたけど、きょうは静かだな、と思った。ここ最近では特にそう思った。お盆疲れか。この土日で英気を養うんだ。新聞に「惑星ソラリス」のことがチラッと出ていたけど、何かグッと来るSF観たいな。そう宇宙物、観たい。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
企画展として「江戸」を意識している。「江戸」の何?と言われると、困る。具体的に思い至っていない。そんな中で、小野田直武の「不忍池」(秋田県立近代美術館所蔵)を観た。観たと言っても画集で。1770年代の作らしい。絹本着色と遠近法。いいよなあ、この花の鮮やかなドアップと、その向こうに広がる見通し、地平線に交わる天と地、空間の奏でる蕭然たる涼やかさ。平賀源内の「解体新書」の解剖図も描いている。なるほど。Galleryころころinfo@d-koro
こうした陽気で体がまいったせいか、最近どうも悶々としている(笑)。悶々。悶々展。想像を掻き立てないか。みんみんとセミの音脳裡は悶々と。Galleryころころinfo@d-korokoro.com
きょうあたりは毛布があってもいいくらいではないか。あすは30度らしいけど。きょうも一日中雨だ。昼の連ドラ「やすらぎの郷」は衝撃的な展開になった。何故だ。作家の意図するところとは、どうしても考えてしまう。そりゃ生きていれば、何があっても不思議ではないが。気が重いが、物語の行方が知りたい。車と言う個人が瞬時に移動出来る密室と言うリアルが、そのまま普段の恐怖の象徴でもあることを、利便性との表裏として、ここ最近とみに痛感している現実がある。Galleryころころ