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う〜ん飲み会の場……は気になるし指導医が日頃患者とどのようなコミニケーションをとる人なのか?もあるまぁ……そうは言っても🙄あおあか先生が退いた😨………と言う事はどうやら…亡き患者さんへ敬虔な回想は………無かったそうゆう事なんでしょう😅ひくわぁ〜😂💦💦
私が研修医の時の話です。内科で研修していた時ある指導医の下につきました。当時40歳くらいの男性医師です。仕事ぶりは可もなく不可もなく。。ある日飲みに誘われました。アルコールが入りいい感じになった時彼はおもむろにあるファイルを見せてきました。それにはたくさんの診察券がありました。”これはおれが担当し死亡した患者さんの診察券!”ちょっと誇らしげに言うのです。彼が飲み会という場でそれを見せてきた意図が今だにわかりません。ただ私はそもそも診察券
代理出産とは言え夢にまで見た赤ちゃんを60代半ばで抱きしめることが出来ました。この子が成人する時私はしっかりしてなければいけない。何としても健康体を維持する必要があります。食事療法、運動療法、その他の抗加齢対策、、今までは開業医としての関心から抗加齢医学会の指導医や東洋医学の指導医や認定医資格を持っていましたが今はまさに自分の健康のため生かす時期です。健康を維持するための食事法は実に様々な事が言われていますが食事は生活そのもの食べることは生き
目の疲れ、かすみ…「ドライアイ」の原因は?放置するとどうなる?症状&リスクを眼科医が解説目の疲れ、かすみ…「ドライアイ」の原因は?放置するとどうなる?症状&リスクを眼科医が解説|オトナンサー目の乾きや目のかすみなどの症状が生じる「ドライアイ」の原因や対処法について、眼科医に聞きました。otonanswer.jp「耳かき」「鼻ほじり」で認知症!?実は危険なNG習慣|女性自身鼻ほじりが原因で、アルツハイマー型認知症になるという研究結果があるんです。そう話すのは、岡山大学
リブログの方針変更前です。他の硬膜動静脈瘻のブログで脳血管内治療と造影検査との関係に気づかされました。ありがとうございます。下の記事、10月17日に投稿してからも少し更新してます。6月以降、4,5名の硬膜動静脈瘻のかたとSNSやブログで繋がる事が出来ました。「良かったねぇ~」みたいな話から、深刻な話まで有りました。その中で、気づきが有りました。いくつか書きます。*****私の場合、造影から血管内治療の神様に加え指導医が複数居る病院で治療まで進めたので考えた事が無かっ
以下、この日の検索で初めて知った事です。血管内治療の場合、静脈側からカテーテルを進め詰める経静脈的塞栓と動脈からの経動脈的塞栓が有り、逆流の有る問題の静脈の根元を詰める経静脈塞栓が可能なら経動脈より根治性が高いのは明らかで1か所を詰めれば済むのは想像できる。(※根治=病気の原因を根本から絶ち治す)この場合、頭蓋骨から静脈が出て行く静脈洞を経由していない硬膜動静脈瘻は対象外。静脈からの塞栓はこの時知りました。採血の時針を刺すのを見れば分かりますが静脈は破れやすい。静脈にカテーテ
一年ちょっと前退職を機に歯をどうにかしたいと思った上手で良いと思ってずっと通っていた歯科医院でメンテナンスの時に衛生士さんに歯の気になっている部分を相談したら『とにかく磨いてこういうタフトブラシとか使って』そうかタフトブラシ歯間ブラシを歯科医院で買って頑張ってみた歯間ブラシでつつきすぎて出血するようになった痛みも出たので受診した「矯正しないと治らないですかねー」『矯正までしなくていいよびっくりするくらい痛いけどとにかく磨いていれば良くなるから
専門医外科専門医内科専門医小児科専門医皮膚科専門医産婦人科専門医などなど専門の科のベースの専門医資格があります。それには、所属学会に入って毎年学会費を払い一定の研修施設で5年前後研修を行い(研修必要症例を記録)学会の学術会に参加費を払って参加し専門医試験資格を得るために学会発表や論文を臨床業務と並行して行いようやく専門医試験資格を得られます。そして専門医試験勉強を臨床業務と並行させて行い、必要書類(かなり大変)を作成し、専門医試験、面接を受けて
若い医師向けの院外での勉強会の案内文書が目にとまりました。私の若いころには、このようなものが無かったので、今の人は恵まれています。もしかしたら有ったのに、勉強嫌いの私がそのようなものに気付かなかっただけかもしれません。気づいていても、私は子どもと遊ぶことや子供たちの母親と話し込むことに夢中だったので、やっぱり行かなかったのではないかとも思いますが。その案内に「この研究会は○○製薬の支援を受けています」と書かれていました。製薬企業が企画する「若手医師セミナー」も花盛りです。医師会の勉強会
昨日載せた学生の論文に「医療倫理という難しい言葉でなく、人の人生を同じ人でしかない医師が当たり前のように評価することに「何様のつもりだろうか」と自問自答することは忘れてはいけないとこの文章を読んで心から思った」とありました。また〈2023.1.30〉の文章で、武蔵野で研修を受けたT君が「ちゃんと患者の尊厳を守って丁寧に説明する・・・なんて複雑なことは考えずにいつも「自分が医療関係者じゃなくて患者だったらどんな説明を受けたいのか」ということを考えながら」と書いてくれていました。「医療
病休3か月に加え更に1か月休職するため、主治医からの診断書を持参し、指導医と面談が必要になる指導医が当該職員の病状と経過を把握し、復職に向けての手順を職員と一緒に確認する復職時の不安の聴取も、この面談の大事な項目の一つ私のように身体的疾患の場合も指導医面談があるということを、私を含め、同業の友人も知らなかった病休だけでは対象にならないが、休職の場合は全員が対象なんだと知らないことが多すぎた実は私、自身の休暇制度を正確に把握していない以前勤務していた職場では、休暇制度一覧が配
「講習会で、「権威的な指導は良くない」と言われるけれど、そこから反面教師で学ぶこともあるのだから、一概にそうは言えないのではないか」と書いている人がいました。「視点を変えた」ことを言いたかったのでしょうが、ちょっと屁理屈になってしまったようです(私も似たようなところがあるので気を付けよう)。私自身、今考えていることのかなりの部分は、たくさんの人を反面教師として得たものです。ある考えが自分のものとしてしっかり根付く時には、たいてい反面教師がいて、自分の考えを強化してくれるものです(だから
臨床研修指導医養成講習会という言葉を聞くと、「指導の方法(技法)」を教えてくれる会だと思って参加する人が少なくありませんが、2014年からカリキュラム・プラニングのセッションが必須になりました。カリキュラム・プラニングでは、あるテーマについて「目標」「方略」「評価」をグループで作り上げます。はじめての言葉がいっぱい出てきますし、短い時間でまとめるとなると、何をしているのかよくわからないまま終わってしまったという感じを抱く参加者もおられますので、この15年ほどは3つの作業が終わったところ
一昨年秋、ある病院が主催する指導医養成講習会のお手伝いをさせていただきました。コロナのため、このような講習会の開催も久しぶりのことでした。この講習会では、医師だけでなく看護師など医師以外のスタッフも参加しておられました。私がお手伝いする講習会は病院主催のものが多く、そこでは医師だけが参加者ということは稀です(大学主催のものや、日赤・済生会と言った団体主催のものではこのような形はとりにくい)。「コミュニケーション」をテーマに選んだグループのディスカッションで、参加していた看護師長さんが看
もう10年前のことですが、久しぶりに行った西六郷少年少女合唱団の定期演奏会の終演後、団員全員と指揮者が出口で私たちを見送ってくれました。1999年までのコンサートは全国から児童合唱関係者が来場し巨大なホールが満席となるようなものだったのに対して、その後こじんまりとしたものになったので、こうしたことが可能になったということはあるでしょう。でも、ここには「出迎え」以上に人の心を温かくしてくれる何かがあります。研修病院の医師のために、臨床研修指導医養成講習会が多くの組織(日赤、自治体病院協議
「指導医養成講習会が楽しくない」と書いている人がいました。その人は「これまでの講習会は楽しくなかったが、自分が工夫した講習会では参加者みんなが楽しんで笑い声が絶えなかった」と書いています。笑い声が絶えない楽しい講習会というのも「あり」だとは思いますが、それほど笑える「ゆとり」がどこから生まれているかが気になりました。「笑い」は優越した立場から生まれます。自らの優越性(教える側の無謬性・優位性。他方で、指導されるべき未熟な存在としての研修医という関係)が確保されたところに安住していられるから
こんにちは😊今日も暖かくなりましたね☀所々で雷雨との予報がありましたがいいお天気になって良かったです👍娘の通所施設に行ってきました🏢施設の指導医に今の様子を見てもらうためです元気な様子を見てもらえたので通所への第一歩になったかな😄まだまだ先は長いけれど一日でも早くまた通所出来るように祈っています施設の庭の桜が🌸少し咲き始めていましたよ🌸🌸🌸
「近道はないねん。あってもな、近道はお勧めせえへん。なるべく時間をかけて歩く方が、力がつく。歩く力はな、大変な道の方がようつく。よう力つけとけ、今しかできひんことや!」(連続テレビ小説「スカーレット」42回、深野先生の言葉)そんな言葉を私たちは若い医師たちにかけているでしょうか。臨床研修が充実しているということで人気の高い病院がいくつもあります。著名な指導医がいる、指導医数が多い、指導が手厚い、たくさんの入院患者さんを受け持つことができる(多忙である)、救急から総合外来まで多
「マニュアルに沿ってやれば臨床は楽しくないんだ。だんだん自分が機械かアンドロイドのようになってしまって情けなくなるんだ。楽しくない気持ちが出てきた時に、楽しくない気持ちの方を自分で叱らないで、「楽しくないじゃないか。そうだ、楽しくないんだ」と自信をもって・・・。」と神田橋條治さんが言っています(『神田橋條治医学部講義』創元社2013)。私が出会う研修医たちは勉強が好きでたまらないようです。小学生のころから受験勉強に励んできた人たちにとって、同級生に「負けない」ように勉強にのめりこむこ
2013年、ブームを巻き起こしたNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」では、東京から北三陸に来て1年、アイドルになるために東京に戻る主人公アキ(能年玲奈)が母に尋ねます。(72話)「ママ、私、変わった?」「変わってないよ、アキは。昔も今も、地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も個性も華もない、パッとしない子だけど、だけど、みんなに好かれたね!こっちにきて、みんなに好かれた。あんたじゃなくて、みんなが変わったんだよ!自信持ちなさい、それはね、案外、すごいことなんだからね!」と母(小泉今日子
教育とは、先に生きた者の思いを、後から来る人々に「伝える」ことです。教育とは、教え込むことではなく、こちらの思いを日々の自らの行動を通して伝えていくことです。接遇教育はその典型で、講義や演習の果たす役割はわずかです。接遇について、日々の現場で上に立つ人が身をもって実践すること以上のものは伝わりません。上の人が、本気で、心から接遇が大事と思っていなければ、教育はできません。上司が率先して挨拶しないところでは、一般の職員が挨拶しなくても、粗雑な挨拶しかできなくても仕方ありません。上の人
勉強の目的について、「『知識を学ぶために』と答える人と、『人間として成長するために』と答える人に二分される」のだそうです。(諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?教育再生を根本から考える』光文社2007)医学教育で、「人間として成長するために」勉強するのだというような言葉を耳にすることはまれです(別々のこととして語られることは少なくありません)。医学教育は実学の教育ですし、医師の研修も職業教育ですから、どうしても「知識や技能を学ぶため」ということに偏りがちです。技術や知識の成長は指導
「子供のいない小児科医(小児科看護師)はだめだ」「一人前じゃない」という言葉を、昔はよく耳にしました(今でも言っている人はいると思います)。これもマイクロアグレッションですが、この言葉は正しいのでしょうか。小児科医になった時から、私はずっと気になっていました。「私もこのたび母となった。妊娠出産を経験したことで・・・・確かなのは妊娠出産の経験をする以前の私のようなカウンセリングはもうできないということである。過去の看護体験と切り離して遺伝カウンセリングが行えないことと同様に、良くも悪くも
「情がない」「思いやりがない」という言葉は、しばしば医療者に投げかけられます1)。医療面接演習でのフィードバックでも「思いやりを感じた」「温かい言葉だった」などというコメントが返されます。「どうすれば共感する能力を育てることができるか」というのも、同じ思いからの言葉かもしれません。「情がない」「思いやりがない」という判断は患者さんにしかできませんし、その患者さんの思いを受け止めることからしかお付き合いは深まりようがありません。「情の政治」「情の医療」というところからだけ政治や医療が
このテーマについて長々と書いてきましたが、「共感する能力は育てることができるか?」というパネルディスカッションのテーマは、適切なものではないという気がします。「共感」という人と人との出会いの場で生まれる(そこでしか生まれない)ものを「能力」「育てる」という言葉とつなげようとすること自体がおかしいのです1)2)。「私はかつて、コミュニケーションのように「他者や場との関係によって変わってくるはずのもの」を、「能力」として個人の中に固定的に措定することを「関係性の個人化」と呼んで批判した。そ
「先入観を持たずに話を聞く」「先入観を持たずに人を見る」などと言われることがありますが、そんなことができるはずがありません。私たちは先入観なしには人と接することができません。「このような病状の人は、たいていはこうしたことを考えているものだ、こうした気持ちになるものだ」という先入観を持っていますし、その行動を予測しています。人のことは第一印象で判断しますし、ステレオタイプ=類型で見ています。それで、たいていの場合、ある程度はうまくいっています。(ただし、「うまくいっている」のは表面的なレベル
ほんとうは共感できるはずがない。それなのに、患者さんの言葉や動作の何かが心に引っかかってしまうことがあります。「わかった」と感じてしまうことがあります。自分のことのように迫ってくることがあります。そこで何かが心に引っかかったとき、そこから自分の思いをそっと一言口に出してみること。それだけできれば、あとは患者さんが医師の共感する力を育ててくれるのです。そこからだって、世界が広がることもあれば広がらないこともあります。「わかった」と感じて発した言葉に嫌な顔をされることもあれば、たった一言で
先輩の医者が、若い医者の言葉を聞き取り、無条件に支持する態勢をとり続けることは容易なことではありません。先輩医者は無神経なのではありません。医者になった日から、「他者」が迫ってきます。昨日まで学生だったのに、それほど多様な人と深く付き合ってきたわけでもないのに、人生でこれまでにないほどの「つらさ」の只中にいる人と出会ってしまうのです。レヴィナス流にいえば、この迫ってくる「他者は、盤石だったはずの私の存在そのものに疑問を付す」のです。その不安定さに耐えることは容易なことではありません
医学部で臨床実習の始まったころ、医師になり始めたころ、みんな医者としての人生で最も澄んだ感性が息づいていて、「なにか変だな」「これで良いのかな」「あれで良かったのかな」と思うことに必ず出会います。でも、その思いを指導医に語るとはかぎりません。口に出しているのですが、指導医が聞き取れないことのほうが多いのかもしれません。本当に深刻な問題を抱えている人が誰かに相談しようと思うとき、はじめにまず「ささいな」ことについて相談をしてみることが少なくありません。そのとき「なあんだ、そんな(ささいな