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今年90歳の宮内さんは、おはなしの会の大先輩。終戦時10歳だった彼女は、60歳を過ぎてからご自分の戦中戦後体験を基にして児童書を出版された。戦後50年以上経ってから執筆したというのに、当時の記憶の鮮明なことと言ったら驚くばかりだ。思春期に入りかけた彼女の純粋で瑞々しい感性が伝わる秀作で、読み手の心に響くものがある。その宮内さんに、昨夏、親子向けの講演をお願いし、『戦時下の暮らし』について語っていただいた。子どもも多かったため、当時の戦況などもわかりやすく説明
2024年4月1日今日は天使が教えてくれた。「核シェルターを作っても、核戦争には役に立たないばかりか、生き延びたことを後悔する時が来る。」と。戦時中の防空壕を思い出す。都会では、家庭でも作らされ、私も子供の頃二度ほど経験したが、焼夷弾で焼け野原の状態では邪魔な存在であった。空襲三回目以後は誰も使いはしなかったようである。東京都は本気で核シェルターを作るようだが、戦争経験者の意見も聞いたらどうだ、、、。天地創造の神の天使は「無駄なこと」と言っている。関連記事→危なくなった核戦
1.いろんな字を重ねて一文字するのはよく見たけど🤔逆さまにして違う文字にするのはあまり見たことがなかった👀でもよく考えるよなぁ〜……🤔2.最初はみんなそうだよなぁー😊いろんなことを乗り越えて年月が経つと逆さのような顔になる人も多いですね😅3.すごい分かりやすい説明です👏戦争体験談に例えるなんて🤔思わず笑ってしまいました😁
復員兵2019年7月27日戦後1~2年で、外国からの兵隊等が日本の港に船で帰って来た。親戚中が集まり、毎晩3~4日も話を聞いた。命からがらで、よく生きて帰ったという兵隊や、南洋で畑仕事のみやったと言う人、敵を何人殺したと言う人、戦争など思い出したくもないと言う人…。子供は遠慮なく何でも聞いた。兵隊さんも色々あるんだと…これも分かった。その頃「丸」という雑誌があり、戦争の話ばかり載せていた。私の戦記物の収集はそこから始まったらしい。教会で戦争の話をしていると、何百人の聴衆のなか
本日は地域でゆる〜く仲良くなる会ゆる仲の会の日でした何時ものように13:00過ぎるとゆる仲メンバーの皆さんが富士見通りの明窓浄机館にいらっしゃいます第3土曜日13:30〜毎回自由参加です今月のゆる仲の会はおしゃべり会と荒先生のコーラスのレッスンとプレゼント🎁交換でした心の鬼を追い払い“身近な平和から世界の平和へ”をテーマにおひとりずつ皆で語り合いました25人の方々が参加されました本日も何時ものように司会をさせて頂きました戦争経験者の皆様のお話
なんというか‥今年の北海道新聞紙面は、従来にもましてへんてこりんだ。例年、8/15前後は終戦特集でその関連記事が多くなるとしても、9月にはそれもほぼみられなくなるのが、今年は紙面を割いてズルズルと戦争関連の掲載を続けている。再来年の2025年が戦後80年なので、それに向けて読者の体験を募集しながら、「記者がたどる戦争」としていまだに、身内である親族から聴き取った戦争体験談を随時掲載している。北海道とは直接関係しない内容が多い。一方で少し前には、ロシア政府が9月から導入した新
NHK第一AMラジオ。午前6時17分から始まった日曜日のコーナー。落合恵子の『絵本の時間』。コーナー冒頭は落合さんの大変ショッキングなお話で始まった。第76回目の終戦の日。その半年前に落合恵子さんは誕生したそうだが、生まれて間もなく空襲に遭い、落合さんが生まれた産院にも焼夷弾が落ちて、落合さんを取り上げてくれた医師も看護師さんも同級生の生まれたばかりの赤ん坊たちも亡くなったそうだ。生まれて間もなくの戦争体験談。戦争って否応なく巻き込んでくるんだね
11月9日(木)、土佐清水市立市民文化会館にて、「令和5年度土佐清水市戦没者追悼式」があり参列させてもらいました。終戦の1945年(昭和20年)からもう78年が経っていること、戦争の体験者が極めて少なくなっていること、また戦争体験を語れる方がさらに少なくなっていることなどを噛みしめながら、思いを馳せました。78年という時間は2世代では届かない、3世代、4世代にもかかるような長い年月。僕ら40代は、すでに親世代は戦後生まれです。戦争体験の話はおばあちゃんからいろいろと
9月16日は芝南後援会による「原水爆禁止世界大会原水爆禁止世界大会|日本原水協日本原水協(原水爆禁止日本協議会)の原水爆禁止世界大会と過去の記録をまとめたページです。核兵器廃絶のために活動している国連認証NGO日本原水協のウエブサイトです。www.antiatom.org」の報告集会がありました。参加者28名で「医療生協さいたま」の柴山祐子さんと共産党川口市議団から派遣された私とでそれぞれ8月7日8日の大会参加の報告をしました。柴山さんも私も長崎現地会場には初参加で会場の熱気や
江戸川区北篠崎2丁目のグループホームまったりLIFE北篠崎パークヴューです。ゲスト様と終戦記念日の黙祷を捧げました。時間前から、皆様神妙なお顔でテレビをご覧になり、手を合わせるゲスト様、目を瞑って黙祷するゲスト様、いろいろに戦死された方々を悼みました。お昼はすいとんにしましたが、昔のすいとんの話をすると「すいとんどころじゃないわよ!焼け出されて疎開してたんだから。」とお話が止まらなくなるゲスト様。大変な経験をされています。また、「私3歳だから覚えてないのよね。」と言われ
2023年8月16日戦後十年くらいまで、お盆になると戦争の話が多かった。田舎でも兵隊が帰るたびに、親戚中が集まって2、3日は体験談を聞いていた。もう一億総評論家の様であった。その後、語り部なる人たちが経験を公表していた様であった。「思い出したくもない」と黙っている人もあった様だ。語り部は、本職ではないので話は下手の様だ。「あれは良かったが、これは悪かった…。」と話が一貫していない。私もそうだが、正直に話すとそうなるらしい。逆に言うと、理路整然としている話は嘘が多いと言うことか
『平和いのち子ども』をメインテーマに今年で19回となったピースフェスタ明石。メイン会場のギャラリー展示に420人。戦争体験談に80人。メインイベントの田島征彦さんの講演会などに150人。の計650人の参加者。サブ会場のアスピアに210人。合計で860人の延べ参加者でした。ありがとうございした。
平和と幸せを祈ろう!祈るのも大事だが、戦前戦中世代のジジババがこの世から消える前に、記憶と資料の伝承が大事だと思う。私を含めたすべての人々が、日本の歴史の伝承者である。祖国の歴史のリレーは終わらせてはいけない。『歴史を残すこと』戦争体験談、聞いたことある?直接の体験者からは無いな。去年の今日、こんなことを書いた。歴史とは、継承であり、リレーである。それは終わることはないし、終…ameblo.jp▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
2014.8.158月15日関連のエントリー|みんななかよく(ameblo.jp)2016.8.15今日は終戦記念日|みんななかよく(ameblo.jp)(引用)日本では敗戦を終戦と言い換えてきたとよくいわれます。「1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました」という説明は、ノンポリアメブロの面目躍如の政治性排除の言い方ですね。太平洋戦争ではなく、第二次世界大戦が終わったとするところも、日本だけの敗戦にしないための心理的経緯があるのかも。(まで)
終戦記念日の前日、すごく貴重なお話を聞くことができました、TBSラジオの番組Sessionの中の特集コーナー。戦時中広島に暮らしていた女性の少女時代のお話。長時間に渡る数々のインタビューに当時の記憶をしっかりとわかりやすくお答えになられていた、90代という女性の頭の回転と記憶力、滑舌の良さはすごいなあと…戦争の中生き抜いた少女の悲惨な体験を後世に伝えなければという強い意志を感じました。https://open.spotify.com/episode/0yEUV8mz6rCsniSdnQ64
【質問】戦争が終わって・・召集解除になった兵隊さんや、予科練の練習生たちに民衆たちが、「負けたのは、お前たちのせいだ!」と憎悪の石つぶてを投げつけたというのは本当の話でしょうか。だとすると、冷静に考えたら現代と考え方が逆ですよね。当時の民衆は、負けて悔しい、勝ちたかった――と、心から思っていた。ところが現代ではどうか。国民は戦争に反対だった軍部にだまされていただけだった、戦争に反対すると憲兵に捕まって拷問されるから仕方なく協力するしかなかった。こういう人が大半です。あきらかに矛盾
★こちらはnoteに投稿したものと同じ内容です。note版はこちら2022年8月に託されたこと|尾張肇.昨年の夏2022年8月上旬。夕方間際。近所の大伯母から、「スイカがあるから来な」と電話が入りました。これはいつものことで。旬の野菜が出来たときは、自分の子供たちや、私たち親戚、近所の知り合いに配っていたようです。大伯母は、2018年に亡くなった私の祖母と同い年の昭和12年生まれです。祖母の兄に嫁いできました。なので、大伯母が一人で住んでいたの…note.com昨年の夏202
八月、父の祥月命日と終戦記念日が近づくと思い起こすのは父の戦争体験。生を謳歌する蝉時雨が平和へのシュプレヒコールのように聴こえてきます。近年、戦争体験者の多くは他界され歴史の教科書には載っていない個々の実体験を直に聞く機会も得難くなりました。※戦争体験者の存命率(2020年国勢調査より)終戦時、5歳以上の人は総人口の9.2%(1.163万人)終戦時、成人していた人は0.5%(62万人)また、実際に話を聞いた者も年を追うごとに少なくな
【質問】戦争について教えて下さい。「火垂るの墓」を見ての疑問です。空襲のあと雨が降るのはどうしてですか?節子のお母さんはどうして子どもを残して先に行ってしまったんですか?大量の死体がそこらに転がっているのは、本当にあった事なのですか?もし、実際にあのような身寄りも家もない子どもが生き残ったとして、その後どうやって生計を立て生きていったのですか?戦争を知らない世代です。あのような事が実世界であったなんて信じられません。【回答】夜中にこの質問を見て、朝方まで眠れなくなり、一
19回となるピースフェスタ明石が終わりました。最終日の6日の日曜日は12時から健康無料チェックコーナーや喫茶コーナーなど。1時からはフラダンスを楽しんでもらった後、メインの田島征彦さんの記念講演。150人の方が時には笑い声も漏らしながら熱心に参加してくれました。
〜平和・いのち・子ども〜今年のピースフェスタ明石も今日が最終日です。昨日は『市民による戦争体験談』を開催し、69人の方が参加してくれました。広島での被爆体験の方、中国残留婦人の二世の方、学徒動員と空襲被害にあわれた方、の3人の貴重なお話を聞けました。今日は午後からメインイベントの田島征彦さんの講演会と、その前段にフラダンスを楽しんでもらいます。写真は昨日の戦争体験談です。
メインテーマが〜平和・いのち・子ども〜のピースフェスタ明石。今年で19回となります。会場で渡しているパンフレットの表面です。パンフレットの裏面(内面)です。
メイン会場となる明石市立勤労福祉会館でのギャラリー展示が今日から始まりました。6日の日曜日まで、朝の10時から夕方の4時までで、2階では5日の土曜日には午前中に戦争体験談、6日の日曜日には午後に田島征彦さんの講演会もあります。
戦後60年の2005年から始まった平和イベントのピースフェスタ明石。
7月28日の金曜日からサブ会場となるアスピアでピースフェスタ明石の展示が始まっています。今年で19回となる平和イベントのピースフェスタ明石です。明後日の8月2日からメイン会場の明石市立勤労福祉会館で田島征彦さんの絵本原画展や戦争体験談などが始まります。
こんにちは蒸し暑い日々が続いていますね。こんなときにはほどよく酸味の効いた梅ジュースがおいしいです。うえだい公園で梅ジュースをふるまっていますので、どうぞいらしてくださいねよりみちのいえInstagram始めました→こちらかわいいアカツメクサが生い茂っています。公園に到着したら、まずは梅ジュースで一息つきます。生き返る~~~抱っこですぐお昼寝に導いてくれる魔法の手✨季節を間違えた?一つだ
7日8日と西明石ホテルキャッスルプラザで『セットベッロリスダートイベント』が始まります。そのイベント会場で平和問題ということでピースフェスタ明石のチラシを置いて貰うことになりました。チラシだけでは目立たないのでその案内板を急遽作成しました。多くの人の目に止まってくれたら嬉しいなぁ〜🤗
今年のピースフェスタ明石は2会場で開催します。メイン会場は明石市立勤労福祉会館で8月2日の水曜日から6日の日曜日にかけて開催。1階のギャラリー会場で田島征彦さんの絵本『なきむしせいとく』の原画展を中心に、他に侵略戦争の加害と被害の実相、日本国憲法、沖縄、フクシマなど、戦争と平和について手作り展示します。5日の土曜日には市民による「戦争体験談の集い」を開催。6日の日曜日の最終日には、昼から田島征彦さんの記念講演などを行います。この記念講演は有料ですが、その他のギャラリー展
今年で19回目となるピースフェスタ明石。毎年夏に行っている平和イベントです。今年は2会場で開催。メイン会場は明石市立勤労福祉会館で8月2日から6日にかけて。サブ会場はアスピア明石にあるウィズあかしで7月28日から8月6日です。
今年のピースフェスタ明石は、メイン会場として明石市立勤労福祉会館で8月2日の水曜日から6日の日曜日にかけて行います。1階のギャラリー会場で田島征彦さんの絵本『なきむしせいとく』の原画展。5日の土曜日には、2階の第4会議室で「戦争体験談の集い」を開催。6日の日曜日には、2階の多目的ホールで田島征彦さんの記念講演などを行います。田島さんの講演は有料ですが、それ以外は全て無料です。#ピースフェスタ#田島征彦#絵本原画#ギャラリー展示#なきむしせいとく#平和#戦争体