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先月の4月23日かなさんと一緒に2.24TOMALIVEのお礼参りに行ってきました2社目に行かせて頂いた〝越中護国八幡宮〟で手を合わせお参りしていると何故か〝瓊瓊杵尊〟さまが出ておいでになられました後日、5月2日2回目のお礼参りに、かなさんと一緒に瓊瓊杵尊さまのいらっしゃる〝射水神社〟に行かせて頂きました✨✨「神力」と力強い字で書いてある書がありとてもパワフルな力強いエネルギーを満ち満ちと感じながらお参りさせて頂きました✨✨家に帰ってから主に「三種の神器の隠
昨晩の主人からもうひとつの眼鏡を作ることに否定をされていつもなら、断行してしまうのに、何故か今回はそれに従ってしまったという話をある友達に話したら「それでいいと思うよ」と言われた。私は、じぶんのお金で買うんだしいいと思っていたし自分の(私)稼ぎがないから贅沢するなと言われたような気になっててと話したらそう言うことではなくてただ目の前の事を受け取ったってことがいいことだと思ったと言ってくれて私が(我)私が(我)この「我」けっこう厄介だな
おはようございます今日のお天気は曇り🌥️温活サロンsoraのミカちゃんです🫡朝は日の出🌅が早くなり明るい光で今日も目が覚めたなのになぜか色々な溢れるものが次次と頭の中がぐるぐる🌀考えれば考えるほど涙があふれてきた止まらない😂💦どうしよう😅自分がいっぱいいっぱいでどうしようも出来なくて誰かに聴いてもらいたくて相手に向けるつもりで言おうとしたわけではないのに言ってしまった時その相手がいたそういう経験したことないですか?何してるのわたし❓自分でしょ
偉大なるものに心開くこと偉大なるものを受け入れること偉大なるものを歓迎すること偉大なるものが何か知ること偉大なるものを偉大なるものとして我が胸中にあることを知ること外された概念は外されたままで良いこと何もないことを知りあるしかないことを知ること2024年4月3日11:33
🔴一応完成です。🔴我ながら上手くできたような気がします。
今日は3月の運気が強い日でした午前は来週配信のYouTube撮影しました✨話してるところをスクショするって難しい~😅間抜け顔になってしまいましたが良しとします気学と易で輝くあなたを応援します!Luceviementor有宮里夏です。今日新しいスタートを切ろうとしている方と個別セッションがありました遠い遠い北の方に住んでいる方です。今はズームがあってどこにいてもつながれますね💖このクライアントさんしっかり運気に乗れています🎉あとは学び行動するのみ☝️
ありがとうございます😊千葉市緑区は今日も春の晴れ。段々と草が伸びてきます。草取り、草刈り、除草剤。草が元気な季節に突入です、草といえばほうれん草。仕事においての報連相。上手くいかない組織はこれが見事に出来てない。では、自分はどうだろうか?過去の失敗を振り返ると、やっぱりこれが出来ていない。では、何故それが出来ていなかったか?1つは自分で解決しようと頑張っていたから。そして、心理的安全性の無さ。自分の力で何とかしようとして、それが結果として報連相をせず行き違いを
「わたし」もしくは「我」は、他に依存して存在しているダライ・ラマ14世我ー永久普遍の実体哲学の各学派、各宗派それぞれが、実体としての我のあり方を説いてきました。仏教ではないある学派では、我を恒久なもの、偏在するもの、変化もしなければ、破壊されもしないもの、五蘊(ごうん)※からかけ離れた実体として説きます。しかし仏教ではこのような我は説きません。※五蘊人間や人間を取り巻く環境を構成する五つの要素。身体を含む物質的世界(色蘊)、感受作用(受蘊)、表象作用(想蘊)、意思(行蘊)、認識作用(識
先の記事波動を合わせ、残った想念と共鳴する話で、周藤丞治著「いざ高次元世界へ」からこんなことをメモした。「そうした波動を受け取るうちに、愛というのは、自分と他者の区別がなくなった精神状態のことだと理解できました。つまり、自我を完全に抜け出した状態です。他者も含めて、すべてが自分自身であると認識する状態です。」(「そうした波動」というのは、ここでは古代から続く代々の天皇の波動を言っている)これを読んで思い出したのが保江邦夫先生の「我を消したご婦人」の話である。保江邦夫著「神様
こんにちは傾聴ダイヤル岡山心の病予防電話です。いつもブログをご覧いただきありがとうございます。私はやっぱり人生は環境や親や遺伝などで決まるものではないと思ってしまう。私の知能の程度では到底証明も出来ないけれど何色にも染まっていないように見えるこの真新しい命に間近に触れた時こんなにも幼い子がそれぞれの自我を既に持ち表現している、その場面を目の当たりにした時にやはり感じるのだ…その子の有り様をこれらで理由付けてしまうことにあまりにも無理がありすぎるようでなら
かがみの真ん中の(が)を取ればかみ(神)になる。(が)とは何なのか?「私が!」「私が!」という(我)我を通せば角が立ち相手を重んずればおのずと和(輪)が結ばれる。孔子曰く己立たんと欲して人を立て己達せんと欲シして人を達すまた夏目漱石曰く智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくい智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくいいまの時代でも通用するはずだが、自分さえ良ければいいという
朝に顔を洗う時に、まずは自分の顔と目をカガミで見て、挨拶と、生かされている感謝をします。これだけでも自霊拝に成ります。わたくしも毎朝、必ずいたしております。🌸(๑ーㅅー๑)🌸🌸❄️🌸❄️🌸❄️🌸❄️🌸神馬と顔-伊勢ー白山道伊勢神宮の外宮では、優しい御顔をした白い神馬(しんめ)と面会することがよくあります。皇室から奉納された白馬は優雅で静かであり、その性格の良さが全身から香り立つようです。神馬の体調が良いためか、私には神馬の全身が薄く発光しているように視えました。古神道では自
少し離れた廃屋に映っているとは知らずにいた。いつもは写らないように気をつけているのだが、PCに保存して見たらそこにいるではないか。視力の問題だ。「はいおくにいきざまうつるまどのわれ」(木端美人)
みんなの回答を見る2年前の今日は、以下の記事を載せていたのね。。。人気ブログランキング
神から人へ。神から人へ、教えて残し、伝えて広め、さにて人類繁栄と、幸福顕す、書記となれ。本日、問いはいかに。(どのようにして我を取るか、執着を取るかについて)さても難しく、また易しきことを問うものなり。我とは己の独占欲、己一人がよかれと願う、おのが中心の現れなれば、先ずは己の幸せのみの、願望欲望、考え捨てよ。されどそもまた難しく、よきときばかりが続くにあらず。苦難、困難、危難のときに、いかに他人を優先さすか。最も厳しき状況なるらん。人には生まれて死ぬまでに、なさねばなら
ミコト:対応!?バカ…な…。ゴクウ(精):我…が…って。ミコト:一見…安直…も…。ゴクウ:ウソ。通し…て…。ミコト:バカ…な…複雑…。ゴクウ:思考…回路…は…!?ミコト:現実…認識…が…。ゴクウ:ヤレ…ヤレ…実直。
プライドがあります。我もあります。いろいろあります。しかし配信をやって生活費を稼ぐ娘の話を聞いてすごいと思ったことは頭を下げる応援お願いしますと伝えることを知りました。なので私も娘をみならい皆さんに私の目標登録者100人アクセス数200人いいねボタンを是非、応援をよろしくお願い致します。と書くことにしました。これが言っていいのか恥ずかしいと思っていました。お願いをして
先日の電話相談を受けた後に感じ取ったもの。好ましい結果、好ましくない結果という概念からの卒業。元々は解決する方が良いこと、改める方が良いことが一つも存在しない世界と命。ストレスや問題、苦悩を生み出しているのは、「こうなって欲しい」「こうなりたい」「この方が良い」といった、事前に希望したストーリー体験が正確且つ自動的に展開し続ける、元々の世界と命の姿を捻じ曲げている自身の我の欲と想い。日々の時間
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」とは、古代インドの哲学における非常に重要な概念です。この言葉を分かりやすく説明するために、まず「梵」と「我」の意味から始めましょう。梵(ブラフマン):梵とは、宇宙や世界の根本原理、最も高い現実のことを指します。これは、見えるものや感じるものを超えた、全宇宙の本質的な力や存在のことを言います。梵は形がなく、変わらないもので、全てのものの源です。我(アートマン):我とは、個人の本質、または魂のことを言います。これは私たちの身体や心、感情を超えた、真の自己です。我
アドバイスをされた時に、素直な人の方が伸びるとよく言われていますね。素直な人の方が、自分の考えにこだわるよりも、実践して試行錯誤することを選んでいるからです。自分の考えへのこだわりは、我とも呼ばれます。この我が私たちを苦しめます。我は満たされなかった過去の自分の亡霊です。嫌な経験をすると、知らず知らずのうちに、自分は傷ついて、忘れたつもりでもその気持ちはずっと心に残り続けています。そんな過去の嫌な経験をした自分が、今の自分に言い聞かせているのです。自分は嫌な経験をして苦労きたのに、
今年の初めのブログを見返したら、こんなことが書いてあった。”無くしていたもの(探し物)…つまり「私たちは1つなんだ」というつながりを思い出す(見つける)…そんな1年になりそうな予感に包まれてワクワクしています。”今年を振り返って、改めてそんな1年だったと思う。これって、予言や占いがあたったとかそういうことではなく、「人は自分が見たいものを見たいようにみている」つまり「自分が自分の世界を創っている」ってことなんだなとしみじみと思った。例えば、「紅葉」を見たいと思ったら、赤いもみじに
一二三神示鎮守会2023(5)12/23第24巻24帖~26帖238号ひふみ神示第二十四巻黄金の巻(コガネの巻)(昭和24年11月17日-昭和25年1月18日)(全100帖)第二十四帖(五三五)口で知らすこと判る人には、判るぞ。大切なことはミミに聞かしてあるぞ。天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。神示はいらんのぢゃ、ふではカスぢゃぞ。皆﹅を見失ってゐるぞ。﹅あるのが判るまい。云ふてならん。仕組は出来上がらんと、人民には判らん。仕上げ見て下され。
学びと理解とアイ
私は毎日なんと欲深く愚かな人間の姿を見ているのだろう。我欲と我欲でぶつかり、啀み合い、憎しみ合うその姿。両者だけで争うならまだしも「こちらに加勢せよ、手を貸せ、協力せよ」と周りを巻き込み自らを優位な立場にしようとするその醜い姿。仮にどちらかが正論であってもそれが我欲を背景とした正論である限り私は一方に加勢したり両者の仲裁をするようなことはしない。そのようなことをすれば自分がとばっちりを受け足元をすくわれることは火を見るより明らかである。そんな
今年の漢字…税?税?イマイチ、ピンとこないのは…私だけ?自分自身の今年の漢字…何だろ去年は、一発で決まったけど…↓↓↓『今年もお世話になりました』大みそかですねあっという間に1年が過ぎました私の今年の漢字は「新」かな人事異動により「新」たな部署で奮闘「新」たな趣味(ランニング)と出会う「新」しいトップ…ameblo.jp2023年私の今年の漢字【我】ですかね我(自分)が何かやる、我(自分)が頑張る剣道をやらなくなって(引退とは言わない)自分自身、なーんにも頑張るもんがなく
人が行う最も尊き、神への感謝は祈りなり。神を和ませ、歓ばせ、神の心に適うよう、それのみ願いて、それのみ祈れよ。さすれば神は示されん。一人一人の行くべき道を。恨みつらみは醜き所業(しょぎょう)。決して起こすな。芽生えさするな。人を汚して己を汚し、己の魂を低めるのみなれ。人間心の小ささ、低さよ。神の心の大らかさ、寛(ひろ)さに倣(なら)えよ、及ばずながらも。人間心の尺度に量り、人間心に行わば、いずれはあやまち、我に迷わん。人間心は狭きもの。全
自分という意識は不思議である。地動説より先に天動説が成立したのと似ている。自分「我」は、世界の中心にいて、世間や宇宙全般の動きを眺めているような感覚である。天動説は、眼に見える惑星の運行を説明するために、従円とか周転円とか、仮想の軌道を作り上げた。しかし、地動説によれば、そのような架空の軌道を用いなくても、合理的に観測事実を説明できた。それでも、宗教者たちは、地動説は神の教えに反すると、弾圧をした。もう天動説は誤りと理解できるわれわれ現代人からすれば、その行き過ぎた弾圧は、非難の的になるだろう
人の想念、思想、感情、人は曇りを深める程に、神の心と遠ざかり、真の声に耳ふたぎ、神の姿に目をそらし、人の浅学、学問知識、そに頼りゆき、迷妄深めん。なれど気付けよ、己の限界。神に及ばぬ無力さを。人間心に挑みても、宇宙の神秘は謎を深めん。遠くに見えても、星は一瞬。光を送りて、地上に届けん。なれどそはまだ小さき不思議さらなる奇跡は生命なるを。一つのことばの波動からさえ、神は命を作り出す。一つの命の成長も、人には解き得ぬ奇跡ならずや。命の育成、魂の発達、全ての奥
前回“我”(つまらぬプライド)を捨てたいと吠えたけどそう思うことも“我”なのかもと、ふと思いましたフォーカスするのは「“我”を捨てる」では無い氣がしますじゃあどうすればいいのか?それが出てきそうで出てこない笑強いて言うならフォーカスするのはどんな自分になりたいか。かなぁ。。。
こんにちは世間体や社会的価値観という制限から自分を解放し、心からラクに人生を生きる女性性の解放劇の主人公、マツシタミチコです!今日もブログを訪問してくださり、ありがとうございます初めましての方は、こちらの自己紹介動画をご覧くださいね【動画の自己紹介】今のオススメ動画・【人間関係をサクッと解決】自分の主観という制限から1歩下がり、サクッと人間関係を乗り越える方法受け入れる相手に期待を