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youtubeで英語の演説を聴いているそれでアメリカ元海軍大将のウイリアム・マクレイヴンの演説を聴いた元大将は世界最強の部隊ネイビーシールズの出身でその話をしていたいい話だったが一番心に残ったのは人を助けられる人がいいということ他のスピーチでもネイビーシールズに入れるのは筋肉いっぱいのマッチョではなくタトゥーを体中に入れている人でなくスポーツの有名選手でなくやせていても自信がなくても困っている隣の人がいたらその人の助けになることのできる人こそが
今日の100%同調する数波のうち、選択したのは健康維持が最高の幸せでした。道後温泉本館に程近い場所の寺院様に定期的に本堂、展示室などのメンテナンスに入らせて頂いております。そちらにね石碑があって。『恕』って一文字。いつもしっかり眺めてから作業に入るの。思いやる心。いつくしむこころ。大切だよね。みんなが『恕の精神』だったら紛争など起こらず住み良い環境が整うんだけどね。自分には優しく。って普通はそうだよね。自分に優しくできるのなら簡単に人にも優しくできるんだけどね。やろう
(つづき)○恕:1則(1)・恕之解、見論語。曰、己所不欲、勿施於人、是也。此八字、一見於答仲弓。是正文也。再見於答子貢。是註入正文也。上文曰、其恕乎。伝論語者、乃以此八字解恕字耳。故中庸曰、忠恕違道不遠。施諸己而不願、亦勿施於人、是也。祇恕於文、如心為恕。故己之所欲、以施於人、亦恕也。然其事広大、非学者所能。且人心不同、所欲或殊。故止以己所不欲言之耳。孔子曰、能近取譬、可謂仁之方也已。近譬諸己心、是恕也。仁者己欲立而立人、己欲達而達人。是乃未能立之達之、則僅不施其所不欲已。故曰
自分の立場や境遇、その時の状況で物の見方や感じ方がいろいろ変わります私もどうしてもそうなります「恕」の気持ちを忘れないそう思いながらいろいろな状況でまだまだダメ人間だと反省する日々です子供の頃は「早く大人になりたいなあ~」と思いました欲しい玩具を好きなだけ買いたいいちいち小言を言われたくない勉強もしたくない遊んでいたい早く寝ろと言われたくない大人になると「子供の頃はよかったなあ~」と思います自分の時間を好きなように使えた仕事もしなくてよかった
講座一覧/公式HP/鑑定・相談昨日は朝から日吉大社へ國友家のお墓は比叡山にあるので離婚後も15年以上坂本へは毎年行っていたのですが日吉大社は知りませんでした。mahouron仲間のもとちゃんに誘っていただき初めてお参りさせていただきました。平安京の表鬼門にあり今年厄年の私にとってはちょうど厄除けにも良い神社で神様のお使いがかわいいおさるさんの真猿さん。魔が去るの縁起物昔腸脳整体で学んでいた頃金沢本社だったので、みらいあかりさんと
講座一覧/公式HP/鑑定・相談昨日は朝起きたら一面雪ゴミ出しも一苦労車は雪に埋もれ水道が凍ってなかっただけ本当に有難かったです。能登の方はどれほどこの雪でお困りだろうと心が痛みます配達の方もJAFの方も雪の中大変昔ダスキンに40才過ぎて再就職して勤めていたことがあり時間指定のきつさ悪天候の中での配達の苦労は忘れられません。不在表が入っている時の再配達の宅急便屋さんなどには本当に申し訳なく思います。お店もこんな時
シームレスダウンパーカ(3Dカット)UNIQLO謙虚になるできそうで、なかなかできません謙虚とは、相手を敬う気持ちで接することのできる人のことです柔和ですが決して弱い人ではありません「謙虚な人」尊敬される人だけにかけられる言葉ですどうしたら謙虚になれるのか自分の内面のことですが、なろうと思っても簡単にはなれません謙虚な自分を作ろうと思っても簡単にはできません自分自身に自信を持つ自分を俯瞰的・客観的に見ることができる相手を思いやる気持ちで接
仁徳学「人のこと」人のことは言わないようにする余計な言動で人間関係がつまずく人には善悪があり自分も同じようにある自分がされて嫌なことはしないそれを恕(じょ)という恕こそ仁の実践である****************和国京都仁徳学問所心の学問
こんばんは〜いつも有難うございます💕この恕と言う漢字…怒るにも似てるし、怨念の怨にも似てる。「恕」とは?部首・画数・読み方・意味-goo漢字辞典漢字「恕」の部首・画数・読み方・意味・熟語などが調べられます。dictionary.goo.ne.jpだけど…思いやり、赦すなのね。意味が…怒り心頭の時は、そりゃ許せないだろうけど…自分の中のドロドロを味わい尽くす…そして怨念に変わる前に…赦す。そんな事出来ないわ〜あんな事されてこんな事されて🤣🤣🤣やってたから解るけど…赦す
書家の紫舟さんが描かれた“行ってはいけない世界地獄絵図”が奈良吉野の金峯山寺にてお炊き上げされました。怒りの中にあっても慈悲をもって罪や過ちをゆるすことで、負の連鎖が絶たれ消失し、心に平安・平和が訪れる。この地獄絵を蔵王権現様の火炎で焼失させることで恨みや怒りを消失させ世界に「恕」が拡がることを願っている。とは紫舟さん。書家・アーティストの紫舟(ししゅう)さんがコロナ禍に描き上げた「地獄絵図」のびょうぶ絵4隻を燃やす「お焚(た)き上げ」が21日夜、奈良県吉野町吉野山の金
仁徳学「妬みと僻み」仁徳の心に欠けると妬みや僻みが出易い誰しも少しは心の底にはあるそれを抑えてくれるのが仁仁の実践である「恕(じょ)」「自分がされて嫌なことは人にしてはならない」の心****************和国京都仁徳学問所心の学問
仁の学問「心学」覇道と王道世の歴史は覇道の時代が長いようである。覇道は武器を以って人民を抑え、隣国に侵入し、土地や略奪を繰り返す。誰の得にもならない不仁不徳の政治である。王道は仁徳を以って人民を守り、隣国ともに協力し合い、平和な時代を創る。覇道は永遠に続くことはなく、人民だけがしばらく苦しみを味わうことになる。王道は聖賢学の上に成り立ち、仁徳を実践し、それを教育し、部下を有徳な人材に育てる。これは国家だけではなく、社会も同じ。
恕す一般的には使われる事は少ない言葉ですが、思いやりを持って相手を寛大に受け入れるといったような言葉です。生きていれば人間関係の摩擦・こじれ・しがらみ色んな事があります。人の生は、「芋洗い」ですから、やれぶつかった、皮がむけた、傷付いた色んな事があるものです。人間関係での問題は心の不快感がとても多いものです。「芋洗い」の中にいればそれはとても自然な事です。「心を磨き、ひと皮むける」ために起きること。要するに、「何に気づけるか?」なのですね。トラブルの最中にいる時
◆◇◆◇◆◇◆◇◆「理解力を高めよう」心の扉メンタルカウンセリング横浜◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆にほんブログ↑応援クリックお願いします。人つきあいには大事な原則があります。キーワードは「恕」(じょ)です。意味は、他人の立場や心情を察すること。あまり、聞いたことがない言葉かもしれませんが、人間関係がうまくいかない、人とつき合うのが不得意だ、という人は少なくないはずです。しかし、仕事も社会的なかかわりも、人とのつきあいなしには
心学「秋」人生も自然界も繰り返しが基本
仁学「好き嫌い」心の修養一つで人生好転
心学「聞きたがる」余計なことは聞かない仁徳
「誠まことは天の道なり。これを誠にするは人の道なり」中庸誠は天地自然の道理であり、悩みや迷いが生じた場合に、道理に沿った人の道を歩むことである。道理に背いてはならない。
心がぐらぐら心がなよなよそれは心の根が腐りかけている心がカリカリ心がいらいらそれも心の根が腐りかけている言動として人に向かう前に自分の心を観て仁の心に切り替え仁徳は心の土壌を固めてくれる和国京都仁徳学問所
「忠恕ちゅうじょは道を違さること遠からず。」中庸ちゅうよう恕とは「自分がされて嫌なことは人にしてはならない」こと。人への思いやりは人の道として基本である。自分がされて嫌なこと。悪口、差別、意地悪、誹謗中傷、陰口などは慎むこと。そして、その心は常に恕であるのが基本修養。
心の薬論語「恕なり」孔子が弟子から問われた人間関係で最も大事な心はそれは「恕(じょ)なり恕とはどのような意味ですか「己の欲せざるところ人に施すなかれ」「自分がされて嫌なことは人にしてはならない」意味**************************日本の思想偉人たちの愛読書四書五経四書「大学・中庸・論語・孟子」五経「詩経・書経・礼記・易経・春秋」和国京都仁徳学問所
心学「人それぞれ」人は人生も生き方考え方が異なる自分と比べ不満満足が生じるそれは天地自然の道理であってそれぞれの責任ではないそれを批判する人間は不仁不徳の心を持つもし自分がそうされたら嫌な思いをするだろう恕(じょ)恕「己の欲せざるところ人に施すなかれ」「自分がされて嫌なことは人にしてはならない」
◆禅に学ぶ、人間的魅力の育て方人づきあいには大事な原則があります。キーワードは「恕」です。見たことも、聞いたこともない言葉かもしれませんが、どうも人間関係がうまくいかない、人とつきあうのが不得手だ、と感じている人は決して少なくはないはずです。しかし、仕事も社会的なかかわりも、人とのつきあいなしには成立しません。たとえば、仕事の局面でも、「ああ、取引先のあの人と会うのはしんどいな」と考えていては交渉も商談もスムーズに進むわけがありません。社会生活も、「人間関係がわずら
思い遣りじゃぞ。儂(わし)は、沁々、説教をしてみたかった。秀頼殿、お千。憎しみの輪も思い遣りの輪も同じ感情の舵(かじ)の切り方でもって変化する。己がの、其の輪の起点と終着点。己を命の輪、其の軸・起点と為し。思い遣りの輪はの。己から描き始める事じゃ。其の思い遣りはの。廻り廻って還って来るものじゃ。今じゃぞ。今、此処から始める事じゃ。家康は、夢の中にて果てた秀頼へ語り掛ける。
急がば回れ、兵は、拙速を尊ぶ。兎に角、動き出す事だ。兎に角、思考の整理・書き出す事だ。平素の準備・準備万端・用意周到が在ったればこそ拙速は、最速・迅雷、疾風・雷霆と鳴り響く。「殿がお立ちに為る刻のお為」と鳥居忠吉は、青銅・武具など夥(おびただ)しい蓄財を為す。家康は、終生、此の財には手を付けず寧(むし)ろ徳川幕府を開幕する程に蓄財し、殖財に励み、國の礎を築く。家康の蓄財の基幹には鳥居忠吉の恕(じょ)・思い遣り、忠義の心が今も尚、伏流水の如く脈付いて居るのかも知れない。
仁の学問「心学」荒を包む四書五経「易経」(泰・九二・象)に「荒を包む」とある。易は易学とも言われ、自然現象から観た人間の動きや心を、判断し、未来を予測する学問であり、人間学でもある。「荒を包む」は、人の欠点や失態を包み容れる器量の大きさ、寛容さを意味している。自分の欠点や失態は観え難く、人の欠点や失態は観え易い。その時、人を陥れる為の言動に走らず、心の中で抑え、相手の心を思いやる、これが恕(じょ)の心である。自分の欠点を探られ、偽りの言葉を書
心学「恕(じょ)」逆の立場を思いやる
心の学問「儒学」味覚味覚は個人によってそれぞれ異なり、自分の好みは絶対と思う人は少なくない。誰しも自分の好みを望み、好みでない物は食さない。しかし、自分の好みは他人の好みではなく、他人の好みは自分の好みではない。味覚や好みは個人の場合、絶対ではあるが、複数や多数の人間になれば、比較になり、絶対ではない。人の考え方も同じで、自分の考えは絶対と思っても、それは自分自身だけの世界であり、複数や多数の人間は比較となり、そこに学ぶことは観える。
ふと気になり、調べてみましたキーボード変換では”思い遣り”、”恕”と表示されます(恕(じょ)は孔子の言葉で、解釈には様々あるそうとのこと)『思い遣り』気を遣う/気を使う、気づかいする心を配る、配慮する相手の身になって考える『想い遣り』”想い”が常用漢字ではないため、公的場面やビジネスの場面では”思い”を使う『恕』相手を思いやって許す。思いやり。同情。他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。”自分が他人からそうしてほしくないと思うことを、
心の学問「儒学」否定しない人の話を聞いても頭ごなしに否定しない。人の話を聞きながら、自分に必要な箇所を得る。もし、自分にとって栄養のない話でも、相手の人格など否定しない仁徳を持つ。人それぞれに考え方は異なり、それなりに考えて話をしている。それを否定することは人格も否定することもある。それが反対に自分の立場と思えば、恕(じょ)の仁を思うこと。恕とは「自分がされて嫌なことは人にしてはならない」自分の話を頭ごなしに否定されたら嫌な気