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河内六寺自転車巡り(その3)は、智識寺跡こと太平寺廃寺(たいへいじはいじ)を中心に、大県南廃寺(おおがたみなみはいじ)、大県廃寺(おおがたはいじ)、平野廃寺(ひらのはいじ)を訪ねます。これで河内六寺はコンプリート。おまけでさらに2寺をご紹介します。それではレッツラゴー!太平寺廃寺(たいへいじはいじ)智識寺跡(ちしきじあと)大阪府指定史跡(金堂跡および東塔跡)大阪府柏原市太平寺訪問オススメ度★★★太平寺廃寺は河内六寺の「智識寺」(ちしきじ)に比定されており、六
河内六寺自転車巡り(その2)は、柏原市歴史資料館に鳥坂寺跡(とさかでらあと)、安堂廃寺(あんどうはいじ)を訪ねます。それではレッツラゴー!柏原市のレンタサイクル片山廃寺塔跡を見ているうちにいい頃合いになったので、来た道を戻り、さらに大和川を渡ってJR大和路線高井田駅を目指す。高井田駅の脇には市営の「高井田駅第1自転車駐車場」があり、ここで自転車を借ります。貸し出しは午前7時スタートです。レンタサイクル料金は1日200円ナリ。柏原市のレンタサイクルサービスがすんごいのは、自
石動山に来た本命は、ユリでした。近年は、イノシシ被害でほぼ全滅状態になっているのですが、この大宮坊の中にひっそりと守られて50株ほどが今見ごろとなっていました。石動山は、昔比叡山のように山全体に3000人の僧侶が住んでいたのですが、明治の神仏分離令により廃仏毀釈が行われ廃寺となってしまってすべてのものが壊されたり売り飛ばされたりして無くなってしまい、いまでは住人もいなくなってしまったところです。
「河内六寺」(かわちろくじ)をご存じでしょうか?文字どおり、河内国(大阪府)にある六つの寺という意味ですが、生駒山地の南西部、地元の柏原市(かしわらし)では「東山」と呼ばれる山間部の裾野に集中している古代寺院跡群のことを指します。「大和川、石川と東山山麓の古代寺院」(柏原市立歴史資料館)。寺院と周囲の風景のスケール感が違うとかツッコミどころはあるものの雰囲気は伝わってくる河内六寺があった一帯は、大和川と石川が合流する古代から交通の要所であり、古墳も多く存在するなど、この地域の経済的・文
寺社No.【廃寺】御朱印No.【なし】万年山南苑寺鳥取県東伯郡三朝町三朝温泉臨済宗相国寺派2023年5月5日紫陽花が有名なお寺でしたが、台風による土砂崩れにより、廃寺となっていました。諸行無常です。山門だけ残っています。本堂跡好吃な日々さんのブログ『【三朝町】国登録有形文化財指定のあじさい寺が真っ赤っか/南苑寺』こんにちは(´・ω・`)ノ三朝町(みささちょう)にある「小鹿渓」(おじかけい)を後にしたら温泉街へ移動し有名お菓子店「松乃屋」でとち餅を買おうと思ったのだけど…a
今朝何気にめっちゃ怖い夢を見てしまいました~😱夏なのでちょっとゾクリとするお話でございます怪談が苦手な人は回れ右して下さいね~😅ゞ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓具体的な時間は分からないんですが、多分夜になったばかりくらいの時間だと思います。(夕方の6時から7時くらいでしょうかね?)私は友人の働く繁華街の中のコンビニに行っていました。お腹が空いたので店員さんが勧めてくれたパンと、あまり見慣れないメーカーのソーダみたいな飲み物を買ったのです
菊池市泗水町田島に所在する田島廃寺です。文化財の指定は受けていません。説明板によると、発掘調査によって多量の布目瓦が出土したことにより、平安時代中期の寺院跡であることが推定された場所です。※写真は2018年9月撮影
三重県北勢地区の廃寺巡り、最終回の(その3)は桑名市です。ではレッツラゴー!額田廃寺(ぬかたはいじ)三重県桑名市大字額田訪問オススメ度★額田廃寺は三岐鉄道北勢線在良(ありよし)駅と星川(ほしかわ)駅の中間あたりの員弁川を南に望む高台に立地していました。北勢地区では、四日市市の智積廃寺、朝日町の縄生廃寺と並んでよく知られた古代寺院跡です。古くは「浄蓮寺」と呼ばれていたとの言い伝えもあるのだとか。北勢線のミニ電車。三岐鉄道カラーが鮮やかだ北勢線のすぐ北側の丘陵地。
三重県の北勢地区の廃寺巡り、(その2)は三重郡朝日町と員弁郡東員町(いなべぐんとういんちょう)です。ではレッツラゴー!縄生廃寺(なおはいじ)県指定史跡三重県三重郡朝日町縄生訪問オススメ度★★★「なおはいじ」と読みます。「縄生」という難読地名から付けられた名称だが、江戸時代には「金光寺跡」と呼ばれていたとの伝承もあり、古瓦が出土する場所として知られていたようだ。古い朝日町の郷土史本でも「縄生廃寺」ではなく「金光寺跡」として記載されていたように記憶しています。現在の金光
紀伊半島の東側に位置し、山海豊かな自然と伊勢神宮で知られる三重県。南北に長い県域で、「北勢」「中勢」と呼ばれる地域には、距離的に畿内と近いこともあってか、中央政権との関係がうかがえる古代寺院跡が結構あったりします。三重県の代表的な古代寺院跡と言えば、史跡公園として整備されている鈴鹿市の伊勢国分寺跡になるかと思いますが、今回は伊勢国分寺跡よりも北側にあたる北勢地域の廃寺探訪に出かけてみたいと思います。訪ねた日はバラバラですが、区域ごとにまとめて記事にします。(その1)は四日市市を巡ります。
ご訪問ありがとうございます。らら★ミキティです昨日の続きです。ナイチンゲール像の近くに栄根寺廃寺がありました。1995年の阪神大震災で全壊したそうです。その後の発掘調査の結果、平安~南北朝時代の建物の基壇が見つかってます。これは別?幕末海運業を営んだ加賀の豪商銭屋五兵衛の石碑見守り感が凄い。地域の方に大事にされてますね。あれ?よく見ると石仏の後ろに石がいっぱいありますね。これは何なんでしょ?年代的にも古そうですね。線路沿いを歩いて駅
愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)。これまでにこの古代寺院について以下のとおり4回に渡って記事にしてきましたが、新たな情報が得られましたので補足しておきます。慶雲廃寺の跡地と関係があるという下馬観音に関する文献や絵図、その他雑多な関連情報になります。『慶雲廃寺を探し求めて(その1)~伝承録』慶雲廃寺(けいうんはいじ)とは、愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる古代寺院である。だがその正体ははっきりとせず、どこにあったのかもよくわかっていない…a
んー、よくやった。褒美を与えるぞ。飛鳥時代の瓦が残ることで超絶有名な元興寺極楽坊の屋根。色や形状が異なる部分は後世の補修です『豪族「今年は氏寺の屋根修理をしまーす」民「え?」豪族「え?」』軒先の瓦つくるのってそんなにムズいんか...軒丸瓦(名古屋市博物館)里長「わたくしどもにお任せください。ウチの伊良火は倭京で瓦制作に携わったこともあるゆえ、…ameblo.jp伊良火「よかったですね、里長さま。検分が無事に済んで」里長「まったくだ。やれやれだな」伊良火「軒先の
基本情報場所:千葉県山武市嶋戸電話:開館:休館:料金:無料特記:駐車場無真行寺廃寺跡(武射郡の郡名寺院跡)本廃寺跡は、昭和56年~58年に発掘調査が実施され、南北2基の基壇をはじめいくつかの遺構が確認されました。2基の基壇は、南側基壇が金堂跡、北側を講堂跡と想定されています。発見された出土土器には墨で書かれた土器が確認され、寺院関係の墨書銘には「武射寺」「大寺」「仏工舎」があります。「武射寺」の墨書銘が出土したことにより、本寺跡が武射郡の郡名寺院であったことが
愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)。これまで慶雲廃寺についていろいろと書いてきましたが、今回が最終回です。最後は慶雲廃寺の伽藍配置について妄想を楽しんでみたいと思います。前回(その3)の「検討書」で書いたように、慶雲廃寺の候補地はいくつかありますが、いずれも決め手を欠き、現時点では特定できていません。今回はそれらの中で、もっとも可能性が高いと考えられる豊田市駒場町の「今上駐蹕之所(きんじょうちゅうひつのところ)」を立地場所と想定し、検討していきます。
愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)。今回は慶雲廃寺の伽藍の所在地について考える「検討書」である。さっそく慶雲廃寺の立地場所がどこであったのかについて、検討を行っていこう。慶雲廃寺はどこにあったのか所在のわからない慶雲廃寺は、自治体史である『愛知県史』(愛知県史編さん委員会編集愛知県発行平成22年)や『新修豊田市史』(新修豊田市史編さん委員会編集愛知県豊田市発行平成29年)では独立した項目としては立てられていない。
愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)。3月中旬でしたが、クルマでの用事のついでに、慶雲廃寺の候補地のひとつである豊田市駒場町朝日の「今上駐蹕之所(きんじょうちゅうひつのところ)」と、慶雲廃寺の後身寺院であるという知立市八橋町の無量寿寺を訪れてみたことがあります。早咲きの桜と今上駐蹕之所の石碑両方とも初めて訪ねた場所でしたが、早咲きの桜が青空に映えて春の到来ムード満点。さらにこの辺りは鎌倉街道が通り、在原業平にまつわる史跡が点在していて、なかなか
今日も神社参拝したい気持ちが沸々と沸き上がって来たのですが、暦を見たら【先負】これ、仕事終わりの夕方じゃないと行けないパターンじゃない正直少し落ち込んだのはあるんですが、夕方になるのが待ち遠しくて仕方ない1日でした1日中どこへ行こうか…あぁでもないこうでもないと悩みまくり、結局選んだのがこちら因みに、長久町土江にある方です邇幣姫神社にべひめじんじゃ【狛犬】【手水舎】【拝殿】中に入る事は出来ませんが、10㎝程扉を開ける事は出来、直接お会いする事が出来ます手前には写真の様
慶雲廃寺(けいうんはいじ)とは、愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる古代寺院である。だがその正体ははっきりとせず、どこにあったのかもよくわかっていないのだ。今回からは、この謎に包まれた慶雲廃寺を取り上げます。以前から愛知県内の廃寺を調べていると、「慶雲廃寺」の文字を見かけることが多々あったので、気にはなっていたのだ。慶雲廃寺?畿内ならともかく、愛知県にそんなかっけえ名前の廃寺があるのか?かきつばたの八橋に古代寺院?あまりピンとこんなあ....と。最近になっていろいろ
岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅も本日が4日目。今回の記事が最終回となります。最終日はまず宿をとった東津山駅から津山駅まで行って、津山城跡を散策。東津山駅から始発列車で向かいます津山城のふもとを巡っていると、レトロな写真に出てきそうな光景に出くわした。川沿いの鳥居、大きな提灯、古めかしい鉄骨橋で、それらがすべて赤色に塗られている。朝日を浴びてより鮮やかに輝き、タイムスリップでもしたかのような錯覚を覚える。このレトロ感しばらくして開門時間になったので、津山
2023年になりました。明けましておめでとうございます。元日は、昨日の鬼ノ城と同様、かねてから楽しみにしていた耕三寺(こうさんじ)へ初詣。が!ハイジストたる者、その前にひと廃寺。福山のひとつ隣、東福山駅に向かう。夜が明けきらぬうちから目指したのは、国指定史跡である宮の前廃寺(みやのまえはいじ)。文字どおり神社の前に残る古代寺院跡だ。東福山駅から平坦な道を北へ分ほど歩くと、小高い丘に至る。ここが目的地になる。中央の道の奥が八幡神社。その手間に宮の前廃寺がある【6】宮の前廃
2日目後半。JR服部駅に戻ったのが2時半過ぎ。思っていたよりは早く着いたので、もうひと廃寺。どこに行くか脳内協議をした結果、ふた駅となりの吉備津駅まで戻り、そこから徒歩で惣爪塔跡と日畑廃寺を目指すことにした。時間があれば、この一帯に残る古代吉備国の遺跡を巡りたいところであるが、今回は廃寺に特化することにしている。廃寺も多くあって全部は周りきれないので、今度のお楽しみにしておこう。吉備津駅まで移動。国鉄時代の名残があるローカル色豊かな駅さて、吉備津駅からの行程は往復7キロほど
奈良市にある「ドドコロ廃寺」についてですが、今回はお楽しみの妄想篇です。(その1)で書いたとおり、この廃寺の伽藍配置は、三重県名張市の夏見廃寺に類似するものではないかとの仮説を披露させていただいたが、ドドコロが珍しいのは配置だけでなく、堂宇もクセ者らしいのである。それらを見ていこう。まずは伽藍配置図を再掲。ここに記された堂宇について、順に考察していくことにする。ドドコロ廃寺伽藍配置図(岸熊吉「ドドコロ廃寺出土石造相輪塔の調査」1928年を加工)■塔跡まずは塔跡
先日「ドドコロ廃寺」を訪れてみました。今回はその顛末のご紹介ですが、まずは結論から言っておこうっ!正直、行ってみても少しも面白くありません....(チーン)■ドドコロ廃寺(山村廃寺)(訪問オススメ度★)というのは、現地に出向いても木々が生い茂っていてその遺構は全く分からず、そもそも有刺鉄線の柵で中に立ち入ることもできません。「以前は中に入れた」なんて記事をネットで見かけたこともありますが、現在は不可能。こんな状況です交通の便もそれほどいいとは言えず、よっぽどの物好.
「ドドコロ廃寺」という、一風変わった名の古代寺院跡をご存じだろうか?「ドドコロ」とは「堂所(どうどころ)」から来ているとか(ふーん)。「山村」は廃寺の存する現在の地名ドドコロ廃寺は、奈良市郊外の圓照寺の東方にある奈良時代の古代寺院跡。圓照寺は三島由紀夫の小説『豊饒の海』に登場する「月修寺」のモデルとなったことでも知られている。近年は一般的な廃寺の名称ルールに従って、地名を採った「山村廃寺」が正式名称となっているようだ。オフィシャルな場では「山村廃寺」が用いられることが多いようだ
造寺司「講堂を東向きに配置するのですか?」豪族「そう、冬場の早朝でも東から多少は光が差し込んで、燈明をたくさん使わずとも経典が読みやすくなるんじゃない?」造寺司「それはそうでしょうけど....ただ」豪族「土地がないとか伽藍が不細工になるとかって言いたいんだろ?じゃあさ、講堂を金堂や塔の後ろじゃなくて西側に建てたら?丘陵地なんだからさ、上段に塔と金堂、下段に講堂と僧房を置けば、聖俗の分離もうまいこと出来て一石二鳥。これでSDGsにも貢献!と」夏見廃寺の全景。左手前が塔跡、その右
✨天伯神社✨🗺畑ケ田町字畑ケ田🗺正和元年(1312)祭典の宴の膳に『冬瓜のなます』を添えられると言う伝承があるこぢんまり神社⛩⛩飛びます❤飛びます❤うーん💦💦💦佛鑑寺すぐそこです!!天伯神社は、野依じゃあない💦高師なんです!!
2日目。2022年の大晦日早朝の岡山市内は人影もまばらです。宿泊したホテルから岡山駅に向かいますが、せっかくなので岡山電気軌道に乗車。全国に残る数少ない路面電車です。最近は聞くことの無い、吊りかけ駆動特有のゆ―んというモーターの響きがいいですな。終点の岡山駅前駅は手前に降車ホームがあり、乗客を降ろしてから「シーサースクロッシング」を経て乗車ホームへ移動する。合理的で面白い構造だ岡山駅からはJR桃太郎線こと吉備線に乗り換え、まずは服部駅に向かう。乗車するのは昔ながらのキハ47形。ヘッド
愛知県に(11世紀?)に建設された、小馬寺(京都の妙心寺派)令和時代に、廃寺『小馬寺のarchive』昨今、corona禍の不安の情勢なので、.......................................一人で、お寺のarchiveをstudy…ameblo.jp👇建設地の駒山👇......2023-小馬寺の付近KeiIto「この花の名前が知りたい」昨今、植物の観察に~byNHK朝drama~.....ですが、by導入soft.....よく、解らない日で
私がかねてから訪れてみたいと思っていたのが、浦島伝説発祥の舞台となった「鬼城山」(きのじょうざん)と、有名寺院建築パラダイスの「耕三寺」(こうさんじ)。さらに調べてみると、このあたりには私の大好物である古代寺院の跡も多くあるようなのだ。鬼ノ城(きのじょう)。岡山県総社市の鬼城山の山頂付近に残る史跡耕三寺。瀬戸内海に浮かぶ生口島にあるそこで、2022年度の年末年始は庶民の味方「青春18きっぷ」を駆使して、岡山に福山、それに津山周辺をぶらぶら巡ってみることにしました。これは楽し