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自宅から桜が見える地域があり、気になったので車で行ってみました。「南志賀町廃寺跡」という国指定の史跡で、出土した瓦などから、白鳳時代から平安時代末頃まで、ここに寺院が存在したことが明らかになったそうです。天智天皇は667年に、都を飛鳥から近江大津京に移したと言われていますが、奈良や京都が栄える以前から、この地に文化が根付いていたことが分かり、感慨深かったです。桜は見頃を少し過ぎていましたが、それでも美しく、提灯と夕暮れ空の幻想的な風景が心に残りました。次回は満開の時期に行
4月10日、遺産保存部のメンバーで、古代吉備文化財センターに、中津井土井2号墳出土の『頭椎太刀(かぶらつちたち)』の見学に出かけました。本物を目にするのは初めてで、非常に感激しました。次に『楯築古墳』に出向き、収蔵庫に収められている亀石の説明を受けました。その状況です。続いて、吉備津彦命と温羅との伝説の決闘の歴史の『鯉喰神社』そして、『矢喰神社』に赴きました。それから、総社の『秦の里』へ向かいました。最初に『大𡉕古墳』を視察続いて、『金子石塔塚古墳』では、家形石棺に圧倒されました
鎌倉歴史文化交流館にて鎌倉の廃寺展が開催中。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
茨城県石岡市にある善光寺に立ち寄るここは以前からチェックしておいた所で近くに来たから寄る仁王門個人的にはコレだけでも寄った甲斐は有る青空で撮影にも快適ですコンデジなので、どうしても金網に合ってしまうので挫折本殿はあの奥のようですチラッとしか見えません子供用の遊具が有ります一応撮っておくこの時期なのだが割と緑が目に入る階段を上がりましょうー有った!!良い感
「雑草という名の植物は、ない」と言われているのは、知っています。あえて雑草という用語を使ったのはその植物の名を知らないことと、人には歓迎されない植物(草刈りの対象)だからです。気にさわるかたには、申し訳ないです。さて、このところの多雨と、気温の上昇で、冬枯れだった、うちの庭は、一面の草で覆われました。草は、元気いっぱいです。近くの廃寺の庭は、一面のお花畑。もしこれが、標高の高い山の中なら、「高山植物」として、愛でられるのでは
大阪府枚方市には3つの春日神社があります。それも、比較的近所に。何故でしょう?それは、分かりませんが、その一つ、春日元町の春日神社に参りました。1570年ごろに畠田村の神社から勧請されたと言うことで、奈良の春日大社からでは無いのですね?何だか不思議です。当時はここに神宮寺があったそうで、明治の神仏分離令によって、お寺は廃寺となって、神社が残ったそうです。でも、あんまりお寺の名残は無いです。境内の雰囲気を見ていると、比較的最近に建て替えなどで綺麗にされたからですかね?お陰で少し歴
織田休信以降、明治維新まで柏原藩を治めた織田家の歴代藩主と、その家族の墓地です。江戸時代は、織田家菩提寺・徳源寺の境内とでしたが、廃寺となり廟所だけが残っています。織田家廟所兵庫県丹波市柏原町東奥駐車場はありませんので柏原八幡宮に止めて探索柏原八幡宮に車を止めて、町の中を探索して住宅地に入っていくと、「織田家廟所」の立て看板が、その奥の住宅の先に白い漆喰塀で囲まれた廟所が見えます。今は現存しない織田家の菩提寺「徳源寺」に隣接する廟所は、織田信長の子孫にあたる織田信休から
真の継体天皇陵とされる今城塚古墳のある大阪府高槻市───その古墳の東側にある嶋上郡衙跡(しまがみぐんがあと)は古代の役所の跡で、郡衙や郡寺、倉庫群から構成される一大遺跡群です。その構成要素となっている郡寺が芥川廃寺。今回の主役です。墳丘長190メートルはこの古墳が造られた6世紀前半では最大級なんだとか最寄りのバス停「清福寺」の付近の案内板今回はJR京都線高槻駅からバスを利用して「清福寺」で下車。通ってきた府道6号線の東側に郡衙跡、西側に群寺である芥川廃寺があります。郡衙跡はパ
三重県の中勢部、古代寺院群「嬉野五寺」がある旧嬉野町のお隣、旧一志町(いちしちょう)の二つの廃寺をご紹介しています。今回は「高野廃寺篇」です。JAみえなか郷土資料館が意外に楽しいぞ(続き)前回ご紹介した八太廃寺(はたはいじ)の出土瓦が展示されているJAみえなか郷土資料館。もう一つの古代寺院、高野廃寺の出土品もあるのかな?と期待しましたが、残念ながらそれは無し。しかし、このようなものが展示されていました。「(高野廃寺)想像復元図」とありますね手作り感満載のジオラマ風の
以前、三重県の中勢部、近鉄伊勢中川駅の西側に集中する旧嬉野町の古代寺院群を勝手に「嬉野五寺」と名付けてご紹介しました。『早春の「嬉野五寺」を歩く(その1)~嬉野考古館と嬉野廃寺』「嬉野五寺」(うれしのごじ)とは、現在は三重県松阪市の一部となっている旧嬉野町(うれしのちょう)に存在した古代寺院群のこと。お察しのとおり、この名称は大阪府柏…ameblo.jpしかし、この付近には「嬉野五寺」だけでなく、ほかにも古代寺院跡が確認されているのです。それが今回ご紹介する「八太廃寺(はたはいじ)」
あれから13年各地に多大な被害をもたらしました。ここ須賀川市も震度6強で大きく何度も揺れました。市では『須賀川市東日本大震災の記録あの日を忘れないために』を作成しています。下記PDFリンクです。須賀川市東日本大震災の記録(city.sukagawa.fukushima.jp)おだやかな日々がこれからも続きますように願いを込めてm(__)m今日の上人壇廃寺跡をご覧いただければ幸いです。
北本普門寺跡のしだれ桜その2北本の普門寺跡のしだれ桜を描いた大きな紙が出て来た。さっそく、50×65cmの紙2枚に写して彩色してみた。左側右側全体もう、普門寺という寺はなく、周囲を竹林などに囲まれている桜の樹が目の裏に蘇って来た。少し寂しそうに一本だけ佇んでいる。花が終わったら、もっと寂しいんだろうな。
長野県塩尻市の平出博物館(ひらではくぶつかん)でいただいた、このしおり。背景のブルーがよく映える読書の合間についつい見とれてしまうんですよね~写っているのはこの博物館の目玉の展示物、「菖蒲沢瓦塔」(しょうぶさわがとう)瓦塔とは、見てのとおり、焼き物の五重塔なのですが、五層の屋根にご注目!ほとんど水平になっていることがお判りいただけますでしょうか。頂部の九輪や水煙が大きめで、その重みでにゅっと水平方向に屋根が伸びてしまったかのような絶妙の造形。まるでバレリーナの着用す
徒然草第五十二段(仁和寺にある法師)仁和寺の僧侶が年を取るまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、ある時思い立って、たった一人で徒歩で参拝しました。極楽寺や高良などを拝んで、こんなものかと思って帰ってしまいました。そして周囲の仲間に「長らく思い続けてきたことをやり遂げてきた。聞きしにも勝るとも劣らぬ尊さだった。それにしても参拝者が皆、山へ登っていくのは何かあったのだろうか。見て見たくはあったが、石清水八幡宮に詣でることが趣旨だと思って山までは見なかったのだ。」と
一昨日(2月22日)大平の旭滝を見に行ったが、滝の下には元龍源寺があって、虚無僧の墓碑があり、それは市指定の文化財になっている。このことはうろ覚えで、墓碑がどのへんにあるのかもわからず、今日もまた見に行って現地であった、地元の方と思われる人に聞いてみた。その方もしばらく考えていたが「ずっと奥の方でしょう」ということだった。立派な階段があり登って行ったら、墓碑はすぐ見つかった。階段の手前に石組みの太鼓橋も価値が有るということである。滝の側面まで道があった、滝の上部は見通せ
こんにちは本日も小牧の観光名所をご紹介いたします今日紹介するところは「大山廃寺跡」です大山廃寺跡は国指定史跡で小牧東北部、山の中腹の標高200メートルほどに位置する古代・中世の山岳寺院跡です文献資料が少なく、「謎の大山寺」と呼ばれてきましたが昭和50年から53年にかけて、寺の範囲や遺跡の性格を解明するため発掘調査がおこなわれました。その結果、大山寺の創建は、7世紀末で室町時代まで盛衰を繰り返し存続したことがわかりました。発掘調査で判明した大山寺は年表のとおり、少なくとも4期に
グループ旅行で斑鳩散策の続きです。中宮寺跡の見学が終わって、以降は斑鳩の散策記録になります。まずは北に向かって法起寺へ。三重塔が見えてきました法起寺(ほっきじ・ほうきじ)国指定史跡(法起寺境内)奈良県生駒郡斑鳩町訪問オススメ度★★★★飛鳥時代の国宝三重塔で知られる古代寺院跡。法隆寺とは逆に、塔が東、金堂が西に配置される「法起寺式伽藍」のプロトタイプとなっています。ちなみにですが、古代寺院で判明している類型化された伽藍配置で、最も多いのがこの法起寺式だそうです。
思いつきで山に登ってみました(汗)場所は「大知波峠廃寺跡」(おおちばとうげはいじあと)です。「おちばの里親水公園」から40〜50分くらいで行けますので、勢いで行ってきました!眼下に浜名湖が見えます。ここに付くまで、ほとんど景色が見えないので、いきなり現れる景色でびっくりさせてくれます。分かりづらいと思いますが、真ん中辺りに見えるハウスが、観光農園の予定地です。疲れた〜
「廃寺巡り?ふ―ん、面白そうじゃん。みんなで行こうよ」ある飲み会でそんな話になりました。私の趣味である廃寺巡りについては、別に隠すつもりはないのですが、かといって他人に話して盛り上がるほどのことでもないので、積極的にしゃべるようなことは避けています。しかし、その時はアルコールが入っていましたし、メンバーも気安い仲間だったので、ついつい調子に乗ってその楽しさについて熱く語ってしまったのです。まあ自分で話をしながらも、予想される反応は「辛気くさ」「何が面白いのかわからん」「ハイジって
遠江49薬師霊場巡り、第4番札所宗安寺です。萬松山宗安寺浜松市宗派曹洞宗ご本尊十一面観音薬師堂△御詠歌萬松の鐘のひびきもみ法ぞと市野薬師はひかりかがやく境内に三重塔が聳え立つ宗安寺は寺伝によると室町時代末期の永禄元年(1558)に創立されたと伝えられています。宗安寺は明治維新まで24か所の末寺がありましたが、現在は10か所となっています。宗安寺は第4番札所の旧少林寺(豊田町)が無住であったため、平成11年に
こんばんは。各務原の文化財を再訪しました。2代目大工の三島です。ある日の仕事休憩中。トイレに行くため公園へ歩く。晴天の暖かな日。のんびり歩いて数分。着いたのは各務原蘇原の熊田公園。住宅街の中にある公園。その隣はお寺。名前は平蔵禅寺。実は以前にも来たことがあるこのお寺。目的は各務原文化財カード。カードを集めに各務原を奔走しました。確かココに来たときは雨だったっけ。慌てて写真だけ撮って帰った記憶があります。うーむ。あの時は慌てて回りすぎました。深く考える暇もありま
諦めと妥協のしょんぼりさんから自信がないを根っこから立て直す細胞から丸ごと再起動サポーターSACHIKOです。自分が稼げる給与、時間単価はこの業種ではこんなもんだ。とだいたいの見積もりをしてしまって「私なんかが、そんな高望みしたって・・」と、なりたい自分を描くことを辞めて「私は現状に満足してる。」と無意識に言い聞かせたりしていませんか?自分では、強みや長所というものは余りにも、当たり前過ぎて気が付けないものです。気が付かない価値を、客観的に知るこ
2024年1月22日。西村慎太郎です。2月24日に『第8回浪江を語ろう!』を開催し、西村は「82ヶ寺もあった浪江町域の寺院」という報告をします🤩『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)から浪江町域の寺院を調べたところ、なんと82ヶ寺もありました。本日から浪江町域で最も大きかった寺院、北幾世橋村の興仁寺について見てみたいと思います。まずは『奥相志』の記述です。かなり長い記述でして、大きな寺院であったことがうかがえます。中略を挟みながら何回か
千葉県にある、廃寺になってしまった龍善寺さんへ行ってきました!動画はこちらから龍善寺廃寺になってしまった龍善寺さんへ行ってきました。✿Bloghttp://ameblo.jp/ryuablog/「りゅうあのひとりごっこ」✿twitterhttps://twitter.com/Ryuacakesandale✿Instagramhttps://instagram.com/ryuaofficial...youtu.be龍善寺さんの奥には現役の神社があります。なので普通に入れます。こちら
平城京奈良と平安京都とそれぞれの位置というか考えの捉えかたが面白いなあと思っている50過ぎたら段々奈良の魅力が分かってくると言われたけど仏教好きなひとはとしもとしだし落ち着いてみられる奈良のほうが魅力あると思います平安京遷都されるまでは遷都する度京都でも長岡京にしても恭仁京にしても平城京奈良である寺社を引き連れてきていただけど平安京遷都にあたってはそれが出来なかった各豪族達は山裾に寺社を作ったので衰退する度に廃寺になった平安京遷都では政治と仏教とに一線を置いたそこが違うと思います
『北陸一人旅ほっと編』『北陸一人旅発覚編』少し間が開きましたが、前回の続きになります!っで続きまして国の登録有形文化財のアカタン砂防堰群に!明治の堰堤群奥に見…ameblo.jp遅くなりました・・・続きになります!久しぶりの養老町!警察署から近くに養老ランドという遊園地があって、すんげ~昔に西陣の桃太郎がゲーセンに有るという情報を聞いて訪れて以来の養老町・・・スイマセン!パチンカスしか分からないですね・・・一応昨夜に宿である程度のルートを考え
2024-辰年--snow.SCENE-【小馬廃寺】[4K撮影]ダム建設により檀家の集落が水底に沈み廃寺となった山頂にある山岳寺院人の手が離れ50年経過した現在の姿KomaAbandonedtemple前回の動画投稿からこの動画を投稿するまでにチャンネル登録者様500名突破致しました。昨年の11月下旬に100名突破した時に驚きと共に喜びで一杯だったばかりなのに‥。私の動画をこうして観て下さり評価を入れて頂き登録まで本当にありがとうございます。皆様には本当に本当に感謝の気持ちで一杯で
1年前、岡山近辺の廃寺巡りを「青春18きっぷ」を使ってやってみました。『岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅(その1)~ナニカイイコトは何か?』私がかねてから訪れてみたいと思っていたのが、浦島伝説発祥の舞台となった「鬼城山」(きのじょうざん)と、有名寺院建築パラダイスの「耕三寺」(こうさんじ)。さらに…ameblo.jp18きっぷは廃寺巡りで4日分を使って、1日分余っていたので、どこかに行って使おうと思って出かけてみたのが長野の善光寺。善光寺へは子供の頃に行った記憶がかす
今回の(後篇)では、広渡廃寺からは根性歩きで周辺寺院をめぐります。まず西に向かって加古川を渡り、JR加古川線河合西駅を越えて、大寺(おおでら)の集落へ。集落南端の道路脇に大寺廃寺の案内碑があります。加古川に園児たちのこいのぼり。2023年のこどもの日はちょっと寒々とした空大寺廃寺(おおでらはいじ)兵庫県小野市新部町訪問オススメ度★大寺廃寺は、案内碑とは反対側の現在の集落がその寺域だったと推定され、発掘により広渡廃寺と同じく双塔式の伽藍だったことが判明してい
兵庫県小野市にある国指定史跡の広渡廃寺(こうどはいじ)───全国に600箇所以上あるとも言われている古代寺院跡の中でも、魅力度の点でここはトップ3に入るレベルです。当プログでの訪問オススメ度も文句なしの★5つ!自称ハイジストのワタクシが言うのだから間違いないですよ!?創建時の広渡廃寺の姿を再現何がスゴいのかは追々説明するとして、古代寺院のありようを偲ぶのであれば、ここ以上にふさわしい場所はないと言っても過言ではありません。また、広渡廃寺周辺には他にもいくつか古代寺院跡が点在してい