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目次【0】目次・はじめに【1】第1オウム真理教に出会うまで(~1989)――入信の土壌を形成した時期【2】第2オウム入信から出家に至るまで(1989~1990)――オウムへの確信を深めた時期【3】第3サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)――教団の変質、個人崇拝に追随した時期【4】第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期【5】第5アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2
ではまず、私がなぜオウム真理教に入信したか、その動機を明らかにしていきます。細々した話も一部に含まれますが、実際どういう傾向の人がオウムに入っていったか、そして今後もオウムのような組織に入っていく可能性があるか、その人たちにどう接していくべきか等を検討する際の参考としていただくために、あえて記していくつもりです。私がオウム真理教に入信した要因としては、次の3つが考えられます。①霊的要因幼少時から自分に起きていた不可思議な霊的体験を説明してくれる存在を求めていたこと。②哲学的
●1,オウムを初めて知る私がオウム真理教を初めて知ったのは、1988年のことでした。その頃は、上記の通り、生きる目的に思い悩みつつ、大学浪人をしながら、自宅で受験勉強をしている毎日でした。何のために勉強しているのかわからない、いや、そもそも何のために生きているのかわからない、しかし勉強はしなければならないという厳しい現実の中で、葛藤しながら、日々勉強していました。高校時代の成績は良い方で、一流の国立大にも進学できると教師からは言われていましたが、こんな感じの意識でしたから、勉
第3サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)―教団の変質、個人崇拝に追随した時期●1,石垣島セミナーの参加1990年4月、出家後まもなくのこと、出家信者は大勢の在家信者とともに、遠隔の地に修行旅行に行くという話になりました。パスポートを用意するようにとの通知もあったので、てっきり外国に行くものと思っていましたが、行き先を告げられないまま乗り込んだ船が到着した先は、沖縄県の石垣島でした。島では麻原による予言や説法が行われるとの話もあったのですが、海岸にテントを張
■第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期●1,教団無実を信じて対応に追われる日々地下鉄サリン事件の後からは、めまぐるしい毎日でした。翌々日の3月22日には、2000名以上の警察官が迷彩服を着て、富士山麓の教団施設になだれ込んできました。とりわけ目を引いたのが、捜査員らの毒ガスマスクでした。私のいた部屋に、まず毒ガスマスクを付けた捜査員が一人だけ警戒しながらそーっと入ってきて、その後ろの方では数人の捜
第5アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2007)―"脱麻原"へと歩んだ時期●1,麻原の絶対性の否定上祐氏が帰ってきてからは、教団は急速に変化し始めました。オウム真理教は改編され、アレフと改称された団体は、2000年2月4日に発足しました。アレフでは、麻原の事件関与を認めるとともに、事件の謝罪・賠償の方針を、より明確に打ち出していきました。その事実経過については、「ひかりの輪」の団体としての総括文の方に詳しく書かれていますので、ここでは触れません。
最後に、以上に述べてきたことを簡単に整理するとともに、それを踏まえて、今後の私が目指していくべき方向性について記しておきたいと思います。●1,事実の経過の整理私は入信前に培った次の3つの要因によって、オウム入信に至りました。①霊的要因――幼少時から自分に起きていた不可思議な霊的体験を説明してくれる存在を求めていたこと。②哲学的要因――人間いかに生きるべきか、戦争をどうなくすべきかという問いへの回答をしてくれる存在を求めていたこと。③時代的要因――20世紀末に訪れるというハルマゲドン
私(広末晃敏)がオウム真理教に入信した1989年から「ひかりの輪」発足後の2008年に至るまでの総括は、先に書いた総括文の通りですが、2008年から2017年までの総括については、主に、私のブログの自己内省法「内観」の体験談のコーナーに記しておりますので、そちらをご覧下されば幸いです。以下に、その目次を記します。【内観(1)】内観について書いていきます【内観(2)】オウム信仰からの脱却に役立った内観【内観(3)】内観に巡り会うまで――苦闘したオウムの反省・総括【内観(4)】
(【内観21】から続く)●日本の国への償いを以上の通り、私が内観を通じて得た体験から、自分なりのオウム問題の総括について述べてきました。これまで私をオウム問題の総括に強く向かわせたものは、やはり、子供の頃から抱き続けてきた日本の国への想いでした。「オウムは、現代日本の暗部を投影していた」「戦前・戦中の日本の過ちを繰り返したのが、オウムだった」という論説は、オウム事件以後の20年以上にわたって、多くの識者によって説かれてきました。その一つ一つにはここでは触れませんが、私自身
ひかりの輪副代表広末晃敏のブログデザインも一新し記事がアップされました。皆さまよろしくお願いいたします。