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名称:岩切城城郭:山城築城年:南北朝時代築城主:留守氏主要城主:留守政景所在地:仙台市宮城野区岩切入山指定文化財:国史跡主郭へ主郭眺望
昨日は仙台空港CCでゴルフの後、仙台港付近のホテルに泊まる予定でしたので、ラウンド後に北目城跡を探して、長町インターを降りました。北目城は、跡っぽいのは無いようで、道路わきに看板が出ているだけということなので、探しやすいかなと思っていました。長町インターを降りてまっすぐなので、確かにすぐに看板を見つけましたが、交通量が半端なく車を停められそうなところも見つけられず、しばらくグルグルしてましたが写真は諦めました。今朝はゴルフの予定でしたが、ゴルフ場がクローズで出来なくなったため、ホテル
今日も岩切城に行ってきました。奥州藤原氏がいた頃は、ある種の独立国家状態でした。藤原秀衡公亡きあとは、混沌を極めます(結構城主変わってるなぁ……ちゃんと資料読んだりして勉強せねば💦)岩切城は顕家公の居城でもあったとのこと。この辺に館が立っていたのかな、と想像。見晴らしもいいので、たしかに東北の要である顕家公が目をつけるのも分かります。それにしてもいい景色♡この後母上に駄々を捏ねて、国府多賀城のあたりも車を走らせてもらいました。今回は車で代替15~20分程
すでに「速報」でお届けしていますように、8/2(火)~4(木)の二泊三日で、「夏好例のお城巡り一人旅」に出かけました。今夏は、「日本100名城」ながらも最後に残っていて訪城できていなかった「多賀城」、かなり以前に訪城したものの写真をあまり撮れていなかった「二本松城」「白河小峰城」、そして赤瓦に葺き替えてから訪城していなかった「会津若松城」を中心に、これらのエリア内にある戦国時代の山城ファンには知られている「岩切城」「桑折西山城」「向羽黒山城」、そして「会津若松城」の支城であった「猪苗代城」
城の多くは「城山公園」となっている場合が多いです。その多くは公園化に伴う改変が激しいか、それとも「城跡」としての「保存」を目的にされての整備されたものです。もっとも山城の場合はコストもかかるためかなかなか日々のメンテナンスもうまくいかないのも悲しいものがあります。今回はそんな「整備されていたら間違いなく名城」になっていたお城を紹介します。○鎌倉時代には東北の中心仙台市近郊の岩切と利府町の境目に位置する岩切城は自然地形生かした典型的な中世山城でした。平泉の奥州藤原氏滅亡後に、源頼朝は
車山、城下を堂々巡行犬山祭、笛や太鼓に彩られ中日新聞犬山城の麓にある針綱(はりつな)神社の祭礼「犬山祭」は二日、最終日の本楽祭(ほんがくさい)を迎え、にぎやかに車山(やま)が犬山市の城下町を巡行した。「岩切城」初期登城路か観光ルートへ活用提案河北新報岩切城」初期登城路か観光ルートへ活用提案.松本さん(写真中央)が初期の登城路と推定する尾根道。道は掘り下げられ、両側が土塁のようになっている=...「大坂城普請5カ条の掟」で工事トラブルを防いだ秀吉毎日新聞羽柴秀吉は