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前日の雨から一転して土曜日は朝からとても良いお天気気温もぐんぐん上昇して暑いくらいの1日になりました少し不安だった体調も落ち着いたので横浜の小机城跡へ💨今回は『いまむかしガイドの会』のイベント参加でした小机城の城代(実質的な城主)であった笠原氏ゆかりのお寺と小机城跡を散策するガイドプランでしたまず最初は『雲松院』こちらには笠原氏の墓所があるるお寺さんとても立派な山門(四脚門と呼ばれる形)がありますそして枝垂れ桜が本当に美しく満開で迎えてくれました墓所は境内でも一番高い場
広報ぬまづに「北条水軍の海と城内浦湾クルージングと長浜城跡ウォーキング」の募集があって定員12名の枠に入った!すごい風だったけど、前日にやりますって電話あった当日の朝も風が強いけど中止の連絡がないから集合場所へGOどのクルーザーかしらん♬なんて眺めてる私えっ!釣り船じゃん(笑)揺れて乗船するところからビビる海から見る長浜城跡淡島内浦湾の中と言え、かなり大波で揺れる、揺れる💦海が穏やかだったら鯛の養殖場まで行って餌やり体験もできたのに残念…午後
@2024年2月25日@相州乱破衆「風魔」@第6回SAMURAIフェス2024@上野公園竹の台広場@11:40秘伝の巻物が盗まれた。調べた結果、風魔一族に裏切り者がいるらしい。若き風魔小太郎と小太郎になれなかった風魔弥太郎。偽の巻物を使って裏切り者の弥太郎をあぶり出す。相州乱破衆「風魔」小田原北条氏に仕えた乱破(らっぱ)と呼ばれた伝説の忍び集団。―その忍び、風魔。その頭領は代々「風魔小太郎」を襲名する。その名を継いだばかりの若き小太郎の物語、ここに開幕。https://yo
山城シーズン真っ盛りですが・・ここ暫くは暑かったですね幸か不幸か久しぶりの蜂窩織炎で大人しくせざるを得なかったので出歩くわけにもいかずに大人しくしていましたが10月末には近場をあちこち探索して歩いてきましたまだ行った事のない城跡や遺構を探していますが案外身近に残っているのでビックリしますその気になって探すと知らなかった痕跡が沢山残っているものです主に小田原北条氏の痕跡を辿っていますが今回行ったのは・・あきる野市にある『広徳寺』を訪ねましたこちらは臨済宗の歴史の古いお寺さん
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ日本平定の小田原攻めだねってことで第37話の感想ぉ〜!小田原攻めに家康は反対してるように描かれてましたが実際はどうだったのでしょうね?この秀吉、だんだんと暴走してきましたね。家康としては関東への国替えを阻止したかった…そりゃ今までの領地、特に三河は父祖からの領地たもんなぁ〜住み慣れたところを離れたくはないよなぁ小田原攻めは圧倒的に秀吉軍が有利。北条は戦う相手を誤りましたね。ただ氏政が家康に言った「民を頼む」…民を思いやる
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は於愛さんがメインだったねってことで第36話の感想ぉ〜!於愛の語りで始まりましたが、おおらかな笑みは…作ったものだった。過去に慕った人が亡くなり、家康に仕える時は作った笑み…家康さんは知らなかったんだね於愛は家中の揉め事…鳥居元忠が元、武田の忍びであった千代を密かに匿っていた問題を血を流さず、平和に解決へ導きました。千代って武田では怪しい凄腕の忍びだったんだよねそれにしても千代は毒が抜けた感じでしたね。元忠が親身に大切にし
対話検索型人工知能のbingchat、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、日本最長編小説の、「大菩薩峠」です。この小説は超長いうえに徹底した大衆娯楽小説で、面白いけれど教えられることとかはありません。映画の方が適当に端折ってあって、かつ起承転結もついていてよりお手頃ですが、それでも長いうえに、もう半世紀も前の作で、有料動画サイトを探さないといけないです。本日第2の話題は、カリフォルニアによくある、「サン〇〇」という地名の由来です。現
小田原北条純米酒ど直球なネーミングのお酒お盆休みにぶらっと行った小田原のお土産小田原城の土産物コーナーで買った木製お猪口で頂く杉の香りがします。井上酒造井上酒造ウェブサイト「井上酒造」は、酒匂川流域に広がる足柄平野大井の日本酒箱根山蔵元です。www.hakoneyama.co.jp以前、箱根旅行に行ったときに呑んだ日本酒も井上酒造のお酒でした。『箱根のお酒(神奈川)』箱根旅行宿で呑んだ日本酒お宿「佳松」さんオリジナルラベル飲み残したのでお持ち帰りぎんから井
可愛いゆるキャラに出会う(実は小田原北条氏ゆかりの足軽)いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!昨日は鎌倉北条氏について書き、今日は小田原の方ですよ。自分のツイッターの話ですが、小田原北条氏関連のフォロワーさんがいらっしゃる関係で、関連する史跡がある埼玉県寄居町のツイートがまわってきました。寄居町公式ホームページトップページwww.
4月10日、JR横浜線の中山駅へ。南口から線路と平行に北西へ10分ほど進み、左手に入ると三保天神前公園。公園の北西にある小高い場所が目的地。住宅地を回り込むように進み、目的地の南側へ行くとお寺の門。舊城寺(現字体では旧城寺)きゅうじょうじと読みます。入城門には龍門柱の一番上には龍と獅子多くの寺院などに見られますね。本堂元は榎下城(えのしたじょう)という城でした。この場所は第2の郭。本堂手前の右手にある解説パネル榎下城は、
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜武田の駿河侵攻は凄まじいけど、家康さんは…ってことで第12話の感想ぉ〜武田信玄は容易く今川の駿河を落としました。駿河から落ちた氏真に従うものは、少なく…武田の調略で氏真さんを裏切る武将が続出したんだよなぁ氏真は掛川城に籠城。家康は掛川城を攻めることになりますが、氏真の思いもよらぬ抵抗になかなか落ちず。氏真は自ら交戦、妻の糸は心配しますよね。糸さんは北条氏康さんの娘さんで、氏真さんを北条に連れていきたいんだよねなんだかんだで家康
何やかんやで雑事に気を取られすぎて、箱根旅の続きがおろそかになってしまいました。あ、いつものことでした。コレ↓の続きです。『【日帰り旅】箱根散策②箱根神社』こちらの続きです↓『【日帰り旅】箱根散策①』本日は、沖縄土産やら京都土産やら静岡土産やらいろいろといただいた日でした。会社が先週の木曜日から4連休だったため、…ameblo.jpあと今回含め2回で終わります。箱根神社のお次はコチラ↓早雲寺です。1521年、北条早雲の子:氏綱により創建されました。小田原北条家五代の菩提寺です
ある調査研究発表会に参加した。その時、聴衆の質問に対して、尊敬するある研究家が「北条は滅びる運命にあった」と答えた。ある「現象」があれば、その現象が起こる「要因」は必ずあるのではないか。歴史というのは「現象」の連続である。「滅亡」というマイナスな現象があったのなら、その要因を考察し検証することが、歴史研究に対する社会の要請ではないだろうか。そうした社会の要請を考えない研究は、小中学生がやっている「調べ学習」と大して変わらない。「トリビア」的な「新発見」がもてはやされてい
おはようございます。ここ、吉野梅郷は、昨日、積もった、雪が、如月の、明るい、暖かな陽光に、溶け、雨どいから、木々の梢から、きらきらと、耀きながら、滴となって、落ち続けています。春を、告げる光景の、一つです。温かな、ほっとする、光景です。今朝、陽す光が、耀き始めると、一瞬にして、光景は、一変しました。その、変化に、心躍らされます。R.5.2.11雪の朝、和田町紀行その182和田町の民間信仰13和田町の鎮守・氏神9小田原北条氏から
10月22日鎌倉殿の13人ゆかりの地巡り10日目この日は平塚市真田の天徳寺へ天徳寺境内に真田与一義忠を祀る与一堂があるらしい平塚市真田の天徳寺の寺号標と参道六道地蔵山門まだコスモスが咲いていました天徳寺本堂曹洞宗寺院の天徳寺は萬種山天徳寺と号します真田与一義忠の居城であった真田城🏯跡に建てられた曹洞宗の寺院です天徳寺は、小田原北条氏の家臣鈴木隼人某が義翁盛訓禅師に帰依し、寺地を寄進して開山その後に真田城跡の当地へ移転義翁盛訓禅師は、真田城主だった真田与一義忠を真田明
正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)●一番遠くへ同様に、沖縄の旅を計画したとする。本島も回りたい。竹富島でも泳ぎたい。西表島で滝を見たいし与那国島で焼酎も飲みたい、という希望があるとする。その場合は、何が何でも最奥の与那国島へまず一番に行く。それから帰りに竹富、西表と寄り、最後に本島を回って帰ればよい。一番遠くへ、あるいは最も行きにくいところへ、まず第一に行く、これがプランを建てる場合のひとつの原則だ。(イラストはネット画像です)🏰
待ってました!富樫倫太郎さんの小説。「北条氏康河越夜襲篇」オイラの愛する小田原北条氏。その三代目、氏康公にスポットを当てた歴史小説。今回のが第三弾。おそらく第五弾まで出ると思う。この小説よりも前、初代の早雲公の小説も第五弾まで出たからね。あと二冊。いや~、待ったね~。第二弾出てから一年くらい経つんじゃない?本屋さんには最低週イチは行ってるんだけど、必ず北条氏康の新刊出てないか探してたからね。その間、何十冊の本を買ったか…。今別の本読み途中だけど、それ読み終えたらソッコー
9月11日鎌倉殿の13人ゆかりの地巡り5日目この日は小田急の藤沢界隈に出没先ずは大庭城跡の大庭城址公園へ大庭城址公園全体マップ天守閣のない山城ですが、土塁の起伏や城跡だったのが良く分かります大庭城湘南地区では、唯一残る戦国時代の山城で、扇谷上杉氏の築城と考えられています大庭城は大庭景親の館を太田道灌が修築して城郭にしたと伝えられ、その後小田原北条氏により改修されました
今日は久しぶりに旅、といっても日帰りでだけど。小田急の快速急行で延々と小田原へ。といっても1時間半くらいだけど。小田原駅北口へ。栄えている南口とは異なり落ち着いた感じ。北口ロータリーには北条早雲の銅像。余計なウンチクだけど、北条早雲は在命中は北条早雲と名乗っていない。北条を名乗ったのは2代目の氏綱からで、北条早雲の本名は伊勢長氏、(出家して早雲)だから後付の名前。北口からわりとすぐ住宅街となり高台に登る。寺院が並ぶ寺町のような区画がある。浄永寺、北条氏の家臣の建立した寺院
先日紹介した「くりはま花の国」へ行った2日後、病院で「もう杖をついて歩かなくても大丈夫です」とお医者さんからお墨付きをもらいました。その日の午後、家の周りを歩いてみると階段の下りが危ういですが違和感なく歩けます。これなら・・・と私「明日、小田原散歩へ行ってくる」主人は呆れ顔でしたが「まあ、ひっくり返らないように・・・」と。久しぶりのプチ旅行。ワクワクと新幹線に乗り小田原到着西口の北条早雲公にご挨拶西口から東口に向かう途中にあるJR在来線改札には小田
近畿中心史観と呼ばれる、信長・秀吉中心の歴史観ではわかりにくいが信長・秀吉は北条氏を最大の敵を見ていたと考えて間違いない。これは歴史学の統一見解ではないが、その根拠を提示しよう。秀吉が小田原北条氏攻めに動員した兵力は20万騎と言われている。これに対抗する北条氏は15万騎の兵を動員できている。秀吉の九州征伐のときには対する島津氏はわずか4万程度。(寡兵で大兵に勝つことに定評がある島津氏でもこの兵力差は如何ともできず根白坂の合戦で破れ降伏に至っている)秀吉の本拠であり京の都もある近
こんにちは。日本100名城の本を片手に城巡りをしながら日本中を旅できたらと思っています。お城初心者です。個人の備忘録となりますが読んでいただけると幸いです100名城No.22【八王子城】①小田原に本拠をおいた小田原北条氏の3代目氏康の三男北条氏照が築いた山城八王子城に行ってきました小田原北条氏の支城では最大規模というだけあって広いので、八王子城は2回に分けて投稿したいと思います今回は【要害地区】駐車場に到着↓こちらに止めてまず
町田高ヶ坂祥雲寺の続きです本堂の前にはマニ車本堂曹洞宗寺院の祥雲寺は龍澤山祥雲寺と号します祥雲寺は、小田原後北条氏の武運長久祈願の為に、りょうどう秀廓和尚(永禄3年1560年寂)が大永6年(1526年)に開山江戸期には幕府より寺領15石を拝領また、最乗寺の輪番を勤めていたと言いますご本尊釈迦牟尼仏武相寅歳薬師如来霊場19番札所武相卯歳観音霊場48ヶ所37番札所扁額本堂横には見慣れない狛ちゃん?三越のライオン🦁さんみたい…観音堂こちらに札所本尊の薬師如来様がお座
成田供養祭というイベントがある。昔、このブログでも紹介したことがありますが、コロナの影響で、この供養祭が事実上なくなってしまって久しくもあります。この場所を管理されている、椎野さんは、成田に昔からお住いのようです。椎野家はたどると、北条五代に仕えた剣術指南役のお家柄だそうです。私も甲斐の国の武田家の重臣、小山田信茂、武田24将の一人ですのでどこかで接点があったかな?北条氏は1590年(天正18年)の小田原征伐で敗軍の将となり、小田原城は開城し、北条氏政、氏照兄弟は切腹
今日は一日まるまるお休み╰(*´︶`*)╯♡そして、超久しぶりのお出かけ!とはいえ、二駅先の大船の、観光地でもないお寺に行っただけですが…めちゃめちゃ癒された〜*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。..。.:*・゜゚・*雲一つ無い青空にストレスが消し飛んだような気分です。お寺の名前は龍宝寺。このブログで何回かご紹介している曹洞宗の古刹です。門の向こうにダンナが写り込んでますね(^◇^;)この辺りにあった玉縄城の城主であった玉縄北条氏の菩提寺
いつになくネタが貯まってきたので今日は2回更新します。マンホールデータベース神奈川県小田原市です。ガンダムと小田原城のマンホール。ガンダムの監督、富野由悠季監督が小田原市出身という事で設置されました。こちらもポチっとよろしくね。〈小田原市データ〉人口187,864人(2022年2月)面積113.81k㎡人口密度1,651人/k㎡小田原市は神奈川県西部の市。平安時
「ぶらり途中下車マンホール探しの旅」、小田原市内を歩いています(2022年3月19日に訪れました)。こちらは小田原なりわい交流館。中には3月も半ば過ぎたのになぜかひな人形が並べられていました。こちらもポチっとよろしくね。なりわい交流館を出るとここでもまたピピピピピッ!りんりんマンホールサーチオン!また説明しよう!りんりんは地味だが特殊で希少
「ぶらり途中下車マンホール探しの旅」、小田原城址公園内を歩いています(2022年3月19日に訪れました)。住吉橋を渡ります。こちらもポチっとよろしくね。こちらは銅(あかがね)門。狭間(さま)と呼ばれる穴から鉄砲を撃ち込んで敵襲を防ぎます。銅門の中は現在公開されています。何やら武将たちが話し合いをしている
たいていはスマホで投稿したり皆さんの記事を読んでいるのですがあれ?PC版の文字フォント変わりましたね。ちょっと見やすくなったような気もします。告知してからだいぶ間が開いてしまいましたがそれでは「ぶらり途中下車マンホール探しの旅」小田原に来ました(2022年3月19日に訪れました)。良かったら「駅メロの最高傑作」と自分では思っている小田原駅の発車メロディも聴いてね。こち
最終回の更新が、ものすごく遅くなってしまい申し訳ありません💦小田原城を浄化した所で、今回の依頼は終了ですが・・・前々から、個人的に気になっていた場所に行ってみようと思います北条氏政・氏照の墓階段の手すりや柵には、無数の錆びた鈴が結び付けられていました小田原駅から徒歩で3分ほどの所にありますただ非常に感じが悪い所で・・・普通なら行きません!!生害石中央の平らな石の上で、氏政、氏照が自刃したのだそうです異様な雰囲気をかもし出している錆びた鈴の説明がありました自殺した者は身分